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2011年2月26日 (土)

■0226■

『魔法少女まどか☆マギカ』を見ていると、まったく、神に祈りたくなる。「魔法」にも、「少女」にも、なんと我々は勝手に夢を見て、何もかもを背負い込ませてきたのだろう。これは絶望ではなく、罪悪感と怒りの物語だ。

先日、別作品の取材をしていて、新房昭之さんの名前が出たのだが、ああいう吹きっさらしを歩いているような人は、こんな物語を語りかねない。崖っぷちに立って、深淵を覗いてこないと、こんな物語はつくれない。

それにしても、光の演出が綺麗だね、このアニメは。第8話で言うと、噴水にあるイルミネ71tijxrpf0l__aa1120__2ーションが、シチュエーションによって変わっていくところとか。
だけど、光が鮮烈であればあるほど、キャラクターが可愛ければ可愛いほど、闇が色濃くなるのを見逃してはいけない。
キャラデは岸田隆宏さんだけど、瞳を塗り分けで処理せず、タッチでカゲを表現しているのが、ちょっとアーティスティックというか、荒々しい感じが出ていて、それが劇団イヌカレーの絵とうまいこと溶け合っているような気がするんだよな。


『まどか☆マギカ』にキャバ嬢の話題が出てきたからではないけど――。
昨日は、仕事関係の人にお酒をおごっていただいたのに、まっすぐ家に帰ることもせず、キャバを3軒もハシゴ。いや、正確にはセクキャバ一軒を含む。

二軒目がセクキャバだったんだけど、客たちは何もエッチなことをせず、暗がりで鬱々と酒を飲んでいた。嬢をひざの上に乗せて、いろいろやっていたのは僕だけであった。
嬢は、黙って僕の頭を抱きしめてくれた。何だか、その仕草にずいぶん、癒されたような気がする。


僕の癒しは、魔窟の中にしかないのかも知れない。
夜明けも近いというのに、呼び込みを探して、さらに路地深くを行く。

三軒目で、僕は一人客であったから、カウンターに座らされた。たぶん、店内でいちばん年上の嬢が横に座って、僕はここにも書けないような、辛い話をした。それから、嬢は腕を回して、ぴったりと寄り添ってくれた。
よく覚えていないが、僕は声を出して泣いたような気がする。嬢は「元気を出して」なんて勝手なことは言わなかった。破壊的オンチの僕は、嬢に勧められるまま、カラオケを歌う。クレイジーケンバンド『7時77分』、ムーンライダーズ『ダイナマイトとクールガイ』。

嬢は、何か流行りの曲を、綺麗な声で歌っていた。
近くで見ると、彼女の瞳は、驚くほど澄んでいた。酔っ払いがゲロを吐くような路地裏に分け入らないと、見ることのできない美しさもある。太陽の下では石ころかも知れないが、それはたいした問題じゃない。

(C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS

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2011年2月25日 (金)

■0225■

わかった。今週も、許す。
『フラクタル』第6話のことです。
Image_3「もう、どうして話がそっち行っちゃうのかな」と、いつも思う。フラクタル・システムが拡張現実なのはいいとして、町を丸ごと再現するというのは、あまりに分かりづらい。
だけど、テーマなんていうのは、実はそんなところにはないよ。何度も言うけど、テクニックこそが思想。

中年男の家へ向かう途中、クレインとフリュネが、ロスト・ミレニアムについて、まったくどうでもいい言い争いをする。へそを曲げたフリュネが、クレインを追い越して坂道を行く。ここはフリュネのアップで始まる。次が、バストショットでクレインの目の前を過ぎていく(手前に来る)フリュネ。フリュネが画面いっぱいまで来てフレームアウトすると、横を向いていたクレインも、彼女の後を追って、同じようにアウトする。
次がロング・ショットで、横から見たフリュネ。板付きで、いきなりフレームの中にいる。前カットでアウトしたクレインが、すぐインして追いついてくる。
――まあ、当たり前のつなぎ方なんだけど、これが気持ちいい。会話を曖昧にして、丘を登るというアクションだけで見せきろうとする。
こういうところが面白いんだ、「思想」なんだと声を大にして言いたい。

横カットで、抜きつ抜かれつする2人。今度はフレームいっぱいに2人を並べ、競っている感じを強調する(このカットでも、キャラがアウトするタイミングがいい)。再び横カットで、2人はもう疾走している。それに従い、カットの尺が短くなる。
最後に、競争する2人を背後からとらえる。2人は小さくなっていき、ついには丘の向こうに消える。と同時にカメラが上がっていって、目的地である中年男の家をフレームにおさめる。
――アップから始まって、ロングになって、ついには消える。興味を会話からアクションへ移行させる。何を見せたいのか、これ以上、はっきりしてる映像はないよ。

中年男の驚いた顔のアップ、息を切らせて、ぜいぜい言っている2人の正面顔。
そこに、別に文学的な意味なんかないよ。なくてもいいシーンだよ。だけど、どうしても印象に残るのは、フリュネとクレインが競争する30秒、6カット。バイクの上で会話させるのもそう、自転車から落っこちた相手に駆けよるのも、そう。『フラクタル』のトライアルは、そういう芝居に込められている。


脚本に書いてあることは言語化しやすいけど、芝居なんて見せられても、それが「何」なのか、即座に言葉にできないでしょ。できないから、映像で見せているんだよ。
僕は、『フラクタル』がぜんぶ終わったあと、これらの芝居、アクションを持ってして「何」だったのか、たぶん言葉に出来る。

できるだけヤマカンという言葉は避けたいのだが、たぶん『私の優しくない先輩』の延長戦であるような気がする。なんでハリボテの地球が、最後にはリアルな地球になるんだよって、あの映画から、すでに『フラクタル』は始まっていた。そう考えたほうが、絶対に面白い。たとえ、あの映画をつまんないと思っていてもね。

(C)フラクタル製作委員会

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2011年2月24日 (木)

■0224■

明大講師のレナト・リベラ・ルスカ氏の案内で、同大特任准教授の木村乃さんの事務所へ。
Cazx6155もちろん、電子書籍出版の相談なのだが、本一冊をベースに、実は思いもよらない展開が出来るんだよと、ホワイトボードまで使って、レクチャーしていただく。

やっぱり、Twitterをやった方がいいのかな。早ければ、今夜から始めよう。酔っ払って、とんでもないこと書きそうだ。


『マイマイ新子』本校了につき、何人かの方からお祝いの言葉をいただいた。
(4ヶ月と数十分にわたる悪戦苦闘でした。3月11日に発売です)

だから、というわけでもないのだが、友だちとガールズバーに行ってみた。
キャバクラのチープなゴージャス感に飽きてきたところなので、カウンターごしにミニスカを鑑賞しながら酒、という気軽さが良かった。指名もできるし。

なんか、キャバクラは重たいよ。行ったら行ったで、アフターに誘えなきゃ負け、みたいな義務感があるし。手書きの名刺も、ドリンクくれくれ目線も、すべてが重い。
ガールズバーは、そもそも長居する雰囲気じゃないもん……って、延長延長で、3時間もいたんだけど。


『スター・ウォーズ』日本公開の1978年前後は、「SF映画大全集」的なコンピレーション・アルバムが大流行だった。『渚にて』とか『猿の惑星』とかに混じって、収録されていたのが『ソイレント・グリーン』。
Soylent_green友だちがDVDを借してくれたので、ひさびさに見てみた(30年近く前にテレビで見て以来だ)。

70年代SF映画の、ちょっとした未来の小道具、四角いボタンに多面体のランプなどには、ラジカセの古い広告にも似た哀愁を感じる。追えば追うほど、未来は逃げていく。

もっとも、この映画には未来的な小道具はわずかしか登場しない。鮮明に覚えていたのは、安楽死させるための装置で、部屋いっぱいに美しかった頃の地球の風景が広がる。そこへかかるベートーヴェン交響曲第6番『田園』。それが、『ソイレント・グリーン』のテーマ曲である。

いったい、あのレコードを何回聞いただろう。テレビでカットされていたエンドロールは、実は安楽死のシーンで流れる映像と『田園』のつづきなのである。


近くの玉川上水に、枯れた花たちを埋めに行った。
土の匂いを、ひさびさに嗅ぐ。夕暮れに近い2月の雲は、薄い藍色だった。

(C)2003 Warner Bros.Entertainment Inc.All right Reserved.

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2011年2月21日 (月)

■0221■

『魔法少女まどか☆マギカ』について、ちょっとだけページをもらえた。
71g12kw8lvl__aa1437__2昨日の夜中から、一気に7話まで見返した。
放送時は、何だか見るのがしんどくて(精神的にではなく肉体的に)、Aパートでお休みして、翌日、Bパートを見るという、変な視聴の仕方をしていた。
しかし、今回は仕事なので、休まずに見なくてはならなかった。


劇団イヌカレーの創造する悪夢のような(という比喩では少しも足りない)迷宮へ、可憐な少女たちが乗り込んでいく。
いつも、そのシーンで、嗜虐的なゾクゾク感が、背骨のあたりでうずく。ああ、僕はこの光景を知っている。ヘンリー・ダーガーじゃないか。
Darger1「……これら哀れな小さき者の多くはくずれるように倒れ、ばらばらに切られ、死にゆく叫びとともに一人また一人と崩れるように倒れた。そして間もなく死体の山ができた」。

シリアスな物語だから、キャラクター・デザインもシリアスでなければならないという考えは、まったく創造的ではない。蒼樹うめの絵こそが、この作品の真の暴力性なのである。
「生きている」という状態の不完全さ、不安定さを表現するには、劇団イヌカレーのいびつな世界に蒼樹うめの和やかなデザインを放り込むしかない。それは不条理な行いだ。だが、不条理な悪夢を「しょせんは夢」と切ってすてることが出来ないから、この作品は生まれてきたのだと思う。

幼い頃は、「魔女」を見ていたような気がする。この作品では「魔法少女」となって戦うという抵抗が行われるが、その抵抗さえもが空しく潰えていくさまを、僕は凍えそうに震えながら、壁ごしにのぞき見ている。


劇団イヌカレーのつくる悪夢は、ほとんどがどこかで見知ったもののコラージュで成り立っている。おそらく、われわれは「見たことのないもの」を怖れることは出来ない。
(広告やカタログのコラージュは、画力に乏しいヘンリー・ダーガーが、やむなく体得した技法だった)

怖ろしいのは、『まどか☆マギカ』という番組が終わっても、われわれが生きつづけるかぎり、悪夢は終わることがない、ということだ。だからこそ、この番組は「悪夢に抵抗する姿勢」を提示しつづける。蒼樹うめという選択も、まさに「抵抗」の第一手なのである。

(C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS

Henry Darger (C) Kiyoko Lerner

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2011年2月20日 (日)

■0220■

舞台版『千年女優』を見てきた。
Caoqncurあんな絢爛豪華なアニメをどうやって演劇にするのかというと、女優5人のみ、舞台装置は椅子だけという逆転の発想で、むしろ原作を念頭に置かないほうが楽しめた。

多数の登場人物を、5人が入れかわり立ちかわり演じていく。主人公の千代子を、5人が一度に演じたりもする。
素晴らしいのは、5人の女優が自分の役を間違えてしまい、一度「素」の状態に戻って、最前列の客たちに誰にどの役を演じて欲しいか、聞くところ。女優たちは、なるべく役に変化を持たせようと、客と交渉する。

一人が複数の役を演じることも、客席とやりとりすることも、この規模の舞台なら、そう珍しいことではない。
しかし、割り振った役を放棄し、物語を放り出しても、それでも尚、演劇でありつづけているのが、すごい。舞台(と定められた場所)に、俳優(と自認する肉体)が立ちつづけるかぎり、それが演劇なのだと、不意に気づかされるのである。

逆を言えば、「役」と「物語」に固執した演劇は、たいていつまらない。
約束事を守りすぎて、つまらなくなるのは、作品も人生も同じことだ。


誘ってくれた若い友だちが酒飲みなので、夕方5時前から、飲む、飲む、飲む。
家には原稿が待っている。当たらなくてはいけない資料もある。だけど、飲む、飲む、飲む。
ひさびさにキャバクラにも行ってみた。予想どおり、つまらない。もう、ここにはロマンは残っていない。30歳だという嬢の肌があまりに綺麗なので、一杯だけドリンクをおごった。

帰りは歩いていける距離なのにタクシーに乗ったり、松屋で焼肉定食を食べるわ、空白を埋めたいくせに、無為な行動でブランクを広げてしまっている。
帰宅して、洗濯物を干そうとベランダへ向かったところで、力尽きた。

翌朝、石黒正数の『ネムルバカ』を読む。泣くほど良かった。

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2011年2月18日 (金)

■0218■

『フラクタル』第5話。
もうね。ホントにいろいろ文句はあるんです。あの船の構造が新しいのか古いのか、よく分からない。だから、何がどう危機的状況なのかも、つかみにくい。そういうところを、よく考えて欲しい。出来るはずだと思うから、不満も出る。

にも関わらず、この作品の真摯さ、不器用なまでの生真面目さに心打たれる。
Imageクレインがふんどしを履いていたギャグはあまり笑えないのだが、彼がピンクのズボンを履かされているのを見て、「おや」と思うわけです。「女の子が着た方が可愛いのに」と。
果たして、フリュネが着替えたシャツが、ピンク色でしたね。こういうところを見逃しちゃ、いかんですよ。
少なくとも、クレインとフリュネはピンクという色を共有しているわけで、それは視聴者にしか分からない。だから、注視する価値がある。色を共有したから、2人が並んで座っても違和感がない。そういうのは2回目を見て、「あっ」と気がつくわけです。


もうひとつ。
フリュネが例によって、「私に構わないで」とか言って、貨物室に閉じこもる。
フリュネが座り込むと、船体のきしむSEが入って、不安を掻き立てる。ひざを抱えたフリュネを俯瞰でとらえたショットで、手前にある木箱が揺れている。BOOKだから、すごく目立つし、余計に不安感を煽られるわけだけど、ネッサが座っていたのも、その同じ木箱だった。
だから、さっきのピンク色もそうだけど、何か出す前に、ちょっとだけ視覚的な伏線がはってあるんですよ。そこが、すごく丁寧だなあ、と思って。

その後の、ネッサとフリュネの会話。「隠れてるだけ」「見つかったね」と、フリュネのほうから自分の行動を「かくれんぼ」に転化して、ネッサに甘える。ここで、僧院の服ではなくピンクの服を着てるのも相まって、泣かせるよね。武装解除、って感じで。
あと、ネッサは高いところにいるから、カゲの付け方がフットライト気味で、鼻の上にカゲが付いている。これが可愛いんだ、また。

ラストのクレインの「まとめ」のナレーションが余計なんだけど、もうそれは許すよ。
今週も、いいものを見せてもらったから。

(C)フラクタル製作委員会

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2011年2月17日 (木)

■0217■

『SUPERNATURAL THE ANIMATION』 いしづかあつこ監督インタビュー
Supernatural
「アニメ!アニメ!」にて、公開中→こちら
僕はこのインタビューの中で、物語の途中で色彩が一変してしまうことを議題にしています。
すると、いしづか監督からは「カゲをBLで塗りつぶしたことが幸いした」という答えが聞けたわけですね。
「そんなものは技術的問題じゃないか」と思うでしょうけど、「技術を行使する」ことが、イコール「表現する」ということなのです。映像作品、わけてもアニメーションは、特にそうです。「技術」とかかわりのない「表現」など、ありえない。

どんな思想も、技術の中にあるんです。僕がカットワークを気にするのは、そこに思想があるからです。テクニックって、血の通った工夫と知恵の痕跡だと思うんですよ。


大雪の降った月曜日。深夜に酒を買いに出たら、マンションの花壇のところで、20代ぐらいの女の人が、小さな雪だるまを作っていた。携帯で撮影していたので、彼氏にでも送ったのかも知れない。
「稚気のある女の子」を演出しようとするその熱心な様が、ひるがえって愛らしい。その女性が、いかにして彼氏に好かれたいか、その心に想いをはせる。雪の夜に思う人がいるなんて、幸せなことだ。

本当につらいのは、目の前にいたはずの人と、話ができなくなること。
死は、別れではない。ついこの前まで、笑いを共有できた人と笑いあえなくなる。それこそが、別れである。
そんなことが自分の身に起きてしまったと気がついた日には、夕陽がいつにも増して身にしみる。

「君が来なくても、俺は待ってるよ」と一方的に約束して、駅のホームで凍えていた日、あの日も確か、雪が降っていた。売店にコーヒーを買いに行き、またベンチで待ちつづける。
あの日の僕は、降る雪を見つめながら、今この瞬間もホームで待ちつづけているのに違いない。あんな気持ちが、そう簡単に溶けてなくなるはずがない。


しおれてしまった花を、生ゴミとして出すことに抵抗が出てきた。
次からは、徒歩30秒のところにある、上水のほとりに埋めてやろう。

最初に買ったスイートピーが枯れたときは、涙を流したものだが、ひとつの個体が亡くなっCa2ah5bpても、また次の個体が引きつぐものなのだと、理解するようになった。
カーテンごしに部屋を照らす陽も、街路樹を揺らす2月の風も、すべて自分とは無縁ではないと感じる。

母の過去を思うと、彼女が生まれる前にまで考えが遡ってしまう。
そこには、流転する命のサイクルのようなものが天地を貫いており、たまたま母も自分も、その流れの中で形を与えられたにすぎないような気がしてくる。
花は枯れても、流れる水が消え去るわけではない。

そう信じつつ、この埃まみれの現実の中を、もう何十年か這っていこうと思っている。

(c) 2011 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

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2011年2月14日 (月)

■0214■

早起きして、吉祥寺PARCOの『フラクタル』展に行ってきた。
Castgpjj_2モニターでは、なぜか『放浪息子』が……それもそのはず、この店舗は「ノイタミナ」グッズの公式ショップなのでありました。ポストホビーなくなってから、地下1Fには降りたことなかったので、知らなかった。

『フラクタル』のグッズは、番宣の絵を使いまわした簡単なものしかなかったけど、クリアファイルとミニタオルを購入。
ソフトに付属するねんどろいども展示してあったけど、俺はもう、特典付きのBD買うよ。
置いてあったノートに、生意気にも「ヤマカン、がんばれ」と書いてしまったよ。だって、『フラクタル』の書き込み、少ないんだもん。

店の外壁に、第一話の脚本と絵コンテが展示してありました。
Carr62oi_2これらは紙ではなくて、i-Padを壁に固定しての展示。場所の制約がないから、全ページ、ぺらぺらめくりながら、見られます。
絵コンテなら、横にしたi-Padに、2ページずつ表示できる。これは見やすい! 汚れないし、痛まないし、こういう展示の仕方が増えるかも知れない。


せっかく吉祥寺まで来たので、『GANTZ』見てきちゃいました。
吉高由里子を目当てに行ったはずなのに、最初から最後まで、ぜんぶ面白かった。

まず、VFXがいい。『エイリアン』の頃、「いかにして見せないか」という撮り方が話題になったけ337257_005ど、『GANTZ』も同様。
一回説明したら、あとはなるべく省略する。人体がスキャンされるように転送されるシーンは、映画前半でたっぷり見せたので、後半ではシルエットにするとか。あるいは、転送されている最中にセリフを言わせて、最後まで聞き取れないようにして、演出に生かすとか。
「こんなCGはハリウッドでも出来る」って話ではないんですよ。VFXなんて、センス以外の何物でもないので。


全体に、演出がストイック。傷を負った瞬間を見せず、何カットか後に、血を見せるとか。そうすると、こちらが「気がつく」タイミングがワンテンポ遅れるでしょ。すると、「思ったより状況が良くない」というストレスが、累積的に溜まっていくわけです。
この映画の場合、「設定が分からない」「誰が味方か分からない」というストレスは、とても大事ですよ。明々白々と、疑いなく正義や愛を謳う大作映画とは、一線を画していると思う。

この映画、宇野常寛さんの言うところの「サヴァイヴ系」だよね。
『魔法少女まどか☆マギカ』ってのも、平成ライダーの系譜を継ぐ「サヴァイヴ系」なので、ちょっと着いていかれなかったんだけど、うーん、日本映画も深夜アニメも、生き残りゲームという通過儀礼を避けては、先へ進めないんだと思う。
だけど、通過儀礼と言うからには、この息苦しいエンターテイメントのその先があるはず。


夏菜のGANTZスーツは、エロくて良かった。それも、着用したばかりの時は、エロくないのです(こ4b67ed97530faこ、非常に重要)。

みんながピンチに陥ったとき、この真っ黒なスーツのあちこちが発光しながら、でっかいクリーチャーを吹き飛ばす。こちらは「あれ、スーツを着てるのは夏菜だけじゃないの?」と、「後から」気がつく。その認識の時間差に、エロが感じられるわけです。

しかも、夏菜は全裸で転送されてきたので、「仕方なく」スーツを着たはず。「仕方なく」なのに「最強」。それが男だったら、まったくどうでもいいんだけど、可憐な女の子にやられると、虚を突かれるよね。エロって、ようは脳の盲点を見つけられることじゃないですか。

エロ、VFX、サヴァイヴ……三拍子そろっている。よし、あともう一回、見に行こう! その前に仕事だ仕事!

(C)奥浩哉/集英社 (C)2011「GANTZ」FILM PARTNERS

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2011年2月13日 (日)

■0213■

『おまえうまそうだな』をレンタルで。
なんか『マイマイ新子』と同じように評価されるべき!みたいなことを言っている人がいたけT0008881ど、公開時は初登場で興収ベスト10に入っているよ。“印象として”売れてなさそうだから、俺たち心あるアニメ・ファンが立たねば!って、勘違いでしょう、それは。

3冊の絵本をつなぎ合わせたものなので、ストーリーは散漫だったけど、絵的な見どころはいっぱい。アクション・シーンも、かなり見ごたえあるよ。


いちばん良かったのは、主人公の肉食竜が、自分になついた草食竜の子供に別れをつげるシーン。
カットは俯瞰で、大平原が広がっている。上手ぎりぎりのところに、肉食竜がいる。「あばよ」みたいなことを言って、肉食竜がスッとフレームアウトすると、入れ替わるように上手方向から雲のカゲが、どーんと広がってきて、平原を覆う!
その次のカットが、アオリで走る草食竜の子供。その頭上には、暗雲がたれ込めている。上手い繋ぎ方ですね。「俯瞰で雲のカゲを見せて」→「アオリで雲そのものを撮る」。好きなカッティングです。テンポ感を出しながら、ストーリーの先行きにも興味を持たせている。
大きな俯瞰の絵というのは、シークエンスの終わりに持ってくると、ぴたっと決まるんだな。だけど、ストーリーが分裂しないように、「雲」で繋げている。頭いい。

――でもな。俺みたいなオッサンが、「ここのカット割が」とか言うような映画なのかね。ちゃんと然るべきお客さんに届いたので、俺の話なんて、飲み屋話でよかろうと。

さて、今夜は、藤井美菜主演の『恐怖』を見ます。この手の映画は苦手なんだけど、何しろ、主演が藤井美菜なので。
『GANTZ』は、いつ行こうかなー。吉高由里子、吉高由里子……。


バー・カリフォルニアの女こと、橘琴音(旧芸名・喜多村静枝)さんが、舞台に出演されます。3月5日と6日、SUBTERRANEAN(サブテレニアン)建武館地下にて。→詳細

短編2本立てで2千円という、リーズナブルなお芝居なので、ひさびさに楽しんでこようかと思います。

(C)宮西達也/ポプラ社・おまえうまそうだな製作委員会

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2011年2月12日 (土)

■0212■

まったく、いろいろありすぎて書ききれないんだけど……。
『マイマイ新子と千年の魔法』で、最後に新子と貴伊子が、ひづるを発見するでしょ。その目印になっていたのが、タツヨシのお父さんの木刀。持ち主は死んだし、それを引きついだタツヨシも、大阪へ行ってしまった。持ち主をつづけて2人も失くしたからこそ、この木刀はハッキリと「そこにある」わけですね。

陰画があるから、陽画を見せられる、というか。理屈ではないものを描くために、理屈を用いるというか。


レンタルで、『インセプション』。
死んだ恋人と、人工現実の砂浜で過ごさなきゃならないシーンが『ニューロマンサー』にあったよなあ。サイバーパンク文学って、実は映画向けの題材ではなかった。あんなに視覚的なのになあ、と思ったり。

次に、佐藤江梨子主演の『斜陽』。
どう見てもビデオ撮影だが、キネコして映画館で公開したらしい。没落した名家の雰囲気332868_01_06_02を出そうと、いろいろ苦心している。だけど、庭にいるヘビがCG丸出しなんです。火事のシーンも、炎を別撮りして合成。「何が起きるか分からない」という意味では、『インセプション』より圧倒的に上なんです。
『インセプション』は、どんな突飛な設定を持ってこようと、「そろそろラブシーンだろう」とか「ここでドンデン返しだろう」とか、予想がついちゃう。「冒頭の伏線が、そろそろ生かされる頃だな」とか。

その点、『斜陽』は、監督がコントロールを失っているのが、画面からありありと伝わってくる。
サトエリが惚れこむ作家役が温水洋一なんだけど、温水さんだって「どうして、私がこの役を?」と戸惑っている。サトエリと温水さんがキスするシーンの唐突さなんて、なんかAVのストーリー・パートを見ているようで、かえって淫ら。

元・宝塚女優が2人も出てきて、過剰な存在感を発していたり、キャスティングそのものがハプニングなんだよな。「この衣装、自前じゃないのか?」とかさ。そういうハプニングの連続が、たまたま劇映画というカタチで記録されてしまった。『地獄の黙示録』みたいだよ。

これを楽しめない人は、定規を一本しか持ってないんだと思う。


確定申告の準備のため、領収書の山を整理していたら、キャバクラのクレジット伝票が3枚、出てきた。
Cafivawx2010年5月19日、A店にて2万4千円。朝5時57分04秒に店を出たことになっている。
2010年6月12日、まずB店にて4,400円。3時41分16秒に店を出て、C店へ移動したらしい。C店では5,530円。6時08分09秒まで粘っている。2時間で5千円か。けっこう、安いではないか。
B店が4時で閉まってしまうと知って、あわてて朝までやってる店を探したらしい。まったく最低なのだが、2軒で1万以内に収めたのは、まあまあかな。

その日の日記を読むと、友人や編集と一緒に飲んだ後、ひとりでフラついている。まあ、寂しかったんだろうな。

(C) KAERUCAFE

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2011年2月10日 (木)

■0210■

東京ミッドタウンで、『マイマイ新子と千年の魔法』。
Caw66k3r勝手に「ちょうど30回目では」とは決めつけていたのだが、28回目ぐらいらしい。

プロジェクター上映なので、確かに緑があざやか。
長子が土間を走って、勝手口の扉を開ける、その向こう、小太郎と初子が野良仕事している緑の、まぶしいこと! 
近くに対比物があると、ひときわ緑が映える。
反面、ひづる先生が結婚の話をする夕陽のシーンは、やや大人しい色味に落ち着いていた気がする。


この映画を見ると、われわれの世界の半分は「失った者への愛着」で構成されていることが、分かる。

貴伊子も諾子も、母を失っている。諾子は、友だちとなるべき女の子をも、あらかじめ失っている。
0263_3_00051母の香水をつけた貴伊子は、手に触れられないものに触れようとしている。せめて、母の匂いを、わが身にまとおうとする。
諾子は、せっせと雛人形をつくるが、遊ぶべき相手がいない。だから、見えない相手と双六をする。

この映画の半分は、「見えないもの、触れられないもの」で成立している。
貴伊子は、ひづる先生の「いい匂い」に惹かれている……そこには、亡き母の香水のみが介在している。手では触れられない「匂い」だけが。

その、ひづる先生の結婚話。彼女の浮気相手も、これから結婚する相手も、画面には登場しない。彼らもまた、不可視の存在だ。
貴伊子は、ひづる先生の結婚話を聞かされる。彼女は、母の花嫁衣裳を想起し、ひづる先生と同じ名を持つ、ただそれだけの金魚を祝福する。印象と印象とを、繊細に結び合わせ、彼女は亡き母を祝福しようと試みる――が、香水という「匂い」を介在させたがため、その目論見は挫折する。

いや、金魚のひづるを「亡きもの」にしてしまったからこそ、いっそう、貴伊子は不可視の「印象」の世界へとダイブしていく――彼女は諾子と同一化するが、そのキッカケは、いつもの場所に千古が「いない」ことであった。

その場に「いない」「見えない」「触れえない」「印象しかない」者たちこそが、その対極にいるかのような子供たちを、深く結び合わせていく。


タツヨシの父も同様である。彼が縊死するシーンは、映画にはまったく登場しない。タツヨシは父の死にすら、触れることができない。だが、父が「亡きもの」になったからこそ、彼は見たことのないはずの「子供のころの父ちゃん」を見る。

死が重要なのではない。そこに「いないもの」を「ある」と感じることでしか、われわれの世界は完成しないのだ。
ラストシーン、引越しする新子は、今まさに貴伊子にとって「見えないもの」になろうとしている。シゲルは、飼っていたカメを新子に渡す。彼は、自分のカメを「見えないもの」にすることによって、いっそう、新子との結びつきを強くするだろう。

子供たちにとって、「いないもの」など存在しない。この映画が、限りなくハッピーエンドなのは、「失うこと」を否定しないからである。


さらに言うなら、映画という媒体こそ、「そこに存在していない」。フィルムの塊は、映画ではない。映画とは、間欠運動による錯覚でしかない。われわれは見終わったもの、「失われたもの」の印象を語り合う。
もう一度、頭から映画を再生したところで、映画は「終わり」に向かって驀進するだけだ。

「そこにいない」ものこそを、強く思うべきである――どうやら、われわれの世界は、そんな風に出来ているらしい。

(C)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会http://pia-eigaseikatsu.jp/piaphoto/title/240/151341_1.jpg

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2011年2月 9日 (水)

■0209■

Twitterを見ていたら、「日本テレビがマッドハウスを子会社化したなら、『マイマイ新子と千年の魔法』を放映してくれるかも」という希望的観測が、多かった。
でもだから、何でそこで「してくれるかも」なんだろう? 日テレに電話するなり、メールすればいいじゃん!→連絡先

私は、リクエストしました。署名よりカンタンよ。


火曜日は、電子書籍の企画売り込みのため、経済産業省 製造産業局 クール・ジャパン室へ。
もちろん、共同企画者のレナト・リベラ・ルスカ氏も一緒である。レナト氏も僕も、どうしてこの雑誌が必要なのか力説したが、相手が間違っていた模様。これは、明らかにこちらの見込み違いで、クール・ジャパン室には非はない。
ようは、クール・ジャパン室は、完成したコンテンツを「流通させる」のが業務なのである。

だから、アニメの作品名や監督名をあげても「?」という顔をされた。

それでも僕らは、ふだん、胸の中でグラグラと煮え立っている思いを言葉にできて、むしろ勉強になった。
この試みは、僕らにとっては「当然やっておくべきこと」であり、僕にかぎって言うなら「気がついていたくせに、サボっていたこと」でしかない。

お上の反応なんて、最初はこんなもんよ。三鷹市役所に門前払いをくらった頃よりは、進歩したろう。


レンタルで、『インビクタス/負けざる者たち』。
Invictus03クリント・イーストウッドは、『グラン・トリノ』も『ミリオンダラー・ベイビー』も良かった。『インビクタス』も、まあまあだが、プロスポーツというのは、どうも胡散臭いよなあ……。この偏見、どうやって取り除いたらいいのか。真剣に考えはじめている。

ラクビーの試合そのものは、ハイスピード撮影を効果的に使って、迫力を出している。球が飛ぶ音なんて、実際には聞こえるわけがないんだけど、ちゃんと後から付け足している。
これも、「技術が優れているから、つい見入ってしまう」という好例。


今から、六本木に『新子』を見に行こうと思う。いい具合に、晴れてくれた。

(C)2009 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.

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2011年2月 6日 (日)

■0206■

双葉V文庫 『ガンダムの常識 一年戦争篇・2』 9日発売予定
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コンビニで販売していたガンダム本を合本化・カラー化した文庫の、第二弾。

『ガンダム』は、フェリーニの『青春群像』をモデルにしている……というくだりは、僕が書いたはずだけど、その『青春群像』のDVDジャケットまでカラーで載っていて、なんだか嬉しい。
あとは劇場版の新聞広告なんかも、カラーで掲載されてます(あの当時は、新聞がカラー印刷されること自体、まだ珍しかったのです)。


ワンダーフェスティバル2011冬、行ってきた。
徳島の「マチ★アソビ」で、さんざんお世話になったキサさんが、前日夜、「チケットまだだったら、余ってますよ」と電話してくれた。
Ca1pfiomこういう人たちがいるかぎり、僕はまだまだ死ねないのだ、と思う。

僕はもう、自分で模型を作ることはなさそうなので、キットを買うよりは、人と会うために行っているような感じ。
コミケでもワンフェスでも、そういう人、多いんじゃないかな。
(Miya-Pさんの販売していた諾子ちゃんだけ、買ってかえってきた)

平田英明さんと話していたら、「あれっ、廣田じゃん」とMAX渡辺さんが。「もう、模型はやめちゃったの?」と聞かれて、グッと返事につまる。この前、プラカラーはすべて捨ててしまったからなー。
でもな。他のブースの人と話し込んでいたら、やっぱり、小説に書いたオリジナルの翼竜は作りたくなってきた。まあ、模型の前に、やることはいっぱいあるけど。

平田さんが「思ったより、元気そうで良かったですよ」と笑ってくれた。
帰り道、平田さんの表情を思い出して、ひさびさに泣きそうになった。

今日、話してくれた人、みんなありがとう。


昨夜は、『昆虫物語 みつばちハッチ ~勇気のメロディ~』を眠りこけながら、見た。

一箇所だけ。
T0008601映画のクライマックス。ハッチが、スズメバチたちの巣から、お母さんを取り返そうとする。それを、人間の(みなしごの)女の子が助太刀する。
しかし、ハッチのお母さんも、また敵であるはずのスズメバチの女王とその子供たちも、巣ごと、川の中に落ちてしまう。球のような巣は、どんどん浸水していく。

川の中へ女の子がもぐり、母子の入った巣を抱きかかえる。その瞬間、女の子は胎児のような格好で、水中をくるっと回る。
おおっ!と目が覚めた。女の子は、胎児のようにも見えるが、同時に、丸い巣を抱えているから、妊娠している母親のようにも見えるわけ!

つまり、その女の子は確かに孤児ではあるんだけど、「これから結婚して、子供を生むかもしれないぞ」と希望を持たせるんですよ! ほんの2秒ぐらいですよ、そのシーン。

僕がチラシを見て惹かれた「ひとりぼっち、じゃない」という言葉が、その短いシーンに、凝縮されていた。

(C) 2010 タツノコプロ / 映画「みつばちハッチ」製作委員会

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2011年2月 4日 (金)

■0204■

眠れないので、録画してあった松本俊夫『薔薇の葬列』を見はじめる。
当時16歳のピーターの妖艶なこと! 仕事が終わったら、つづきを見よう。


『フラクタル』第4話。
実にA-1っぽいというか、『鉄腕バーディー:02』みたいな作画だなと思ったら、絵コンテ・演出が、『バーディー:02』に原画で参加していた足立慎吾さん。この第4話では、第二原画も描いている。りょーちもさんの名前も見えるので、道理で『バーディー:02』っぽいわけだ。

縄ばしごに右手だけでぶら下がったまま、スンダがフリュネを左手で抱き上げる。カメラは、スンダの後頭部に付けているので、背景(煙だけど)も動いている。右手はフレームの外に出ていて、ほとんど見えないんだけど、そこに説得力があった。
もうひとつ、縄ばしごを追って、あたふた駆けるクレイン、そのクレインを突き飛ばすエンリ、最後に縄ばしごにつかまりながら銃を撃つエンリが、去り際にくるりとターンする。この一連が小気味いい。

しかし、脚本レベルでは惜しいところがありました。


組織が、うまく描けてないというか。僧院もロスト・ミレニアムも、規模が見えにくい。
原作の『ナウシカ』で、土鬼の僧会なんてのは、神聖語だっけ、手話を交えて会話したり、歴史を感じさせたじゃないですか。対する、トルメキア本国の頽廃ぶりも凄かった。
もしかすると、ああいう描写をテレビでやると、視聴者は追いてきぼりを食うのかも知れないけど、僧院やロスト・ミレニアムは、千年も持ってきたようには見えない。宮本充さんの新キャラクターも、もっと深みのある悪人にしてほしかった。

そのへんの描写は不満なんだけど、僕は目をつむります。一度信じると決めたら、最後まで信じるから。
いろいろ不満のあったうえで、フリュネとクレインをバイクに乗せて会話させた、あの実直な演出に、心打たれます。


フリュネもクレインも、ちゃんと体重のある生身の人間だから、激しいやりとりをさせるには、何か仕掛けが必要。そうでないと、向かい合ったまま怒鳴りあうだけになる。
Imageバイクを盗んで逃げようとするフリュネ、それを懸命に追いかけるクレイン。それが、この2人の身体的限界なわけです。その限界の中で「キミはずるいよ!」と言わせるから、必死な感じが出るわけでしょう。

バイクの向かう方向は、下手から上手(第2話の自転車のシーンと逆)。「あなたは、私が好きなのですか?」というフリュネの聞きゼリフ(聞かせたいセリフ)が入った瞬間、バイクの向きは上手から下手へ変わります。
フリュネのセリフの前に、わざわざ、クレインに「何だって、よく聞こえないよ」と言わせて注意を促しているのも、上手い。

こういう細かい段取りを重ねているのは、つまり「気分ではつくってない」ということです。
アニメのお約束で瞬間移動してしまうような演出よりは、こうまで不器用でも、段取りを考えてくれるアニメの方が、僕は好きです。

(C)フラクタル製作委員会

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2011年2月 3日 (木)

■0203■

友人が、映画に誘ってくれた。『キック・アス』である。
Spe_pg03_large_2アメコミ・ヒーローになろうとした青年や父娘が、生々しく悪人を殺戮していく。別に特殊能力のある主人公ではないので、普通に殴ったり、刺されたり――と、物理現実の枠を出ないところが、面白かった。
彼らの活躍が携帯で撮影され、興味本位からネットで有名になっていく過程も、社会風刺になっている。

ただ、最後には秘密兵器が出てきてしまうし、勧善懲悪で終わるところに、アメリカの倫理観の限界を感じた。キリスト教的正義感から逃れられておらず、そこは正直、つまんない。


いや、にも関わらず「面白かった」のである。
どういうことかというと、演出が上手い。カメラワークやカットつなぎが上手。危機の迫るシーンでは、短いカット・バックで緊張感を高める。何をどこまでフレームに入れるか、いちいち的確。そのシーンに必要な撮り方を、きっちりやっているので、映画監督を目指している人には、さぞかし勉強になると思うよ。

つまりは、「面白い」っていうのは、そういうことです。飽きない、最後まで見てしまうというのは、技術が丁寧に重ねられている……という以上のことではない。
僕は『ダイ・ハード』は、特に思い入れのある作品ではないけど、テレビでやっていると、最後まで見てしまう。それは、撮り方、つなぎ方が、ぜんぶ的確だから。しかし、別に、ジョン・マクレーンになりたいとは思わない。技術と印象を、混同してはいけないと思う。


これは映画に限った話ではない。
手塚治虫の生原稿を、克明に撮影した本があるんですよ。ホワイトで修正して、何度も描き直した跡が、くっきりと映っている。「これは見事な本だな」と思って、ずっと持ってます。
だけど、手塚治虫の単行本は、一冊ぐらいしか持ってない。『三つ目が通る』で、和登さんの服が、ビリビリになるやつ(笑)。そのシーンがなかったら、古本屋に売っていると思う。その一冊だけしか、持ってない。

それぐらい、手塚治虫には思い入れがないです。だけど、技術は認める。彼の技術を丁寧に取材した本は、好みと関係なく、持っていたい。そういう本を作りたい、と思うし。
だけど、うっかり「手塚治虫の技術と努力は、スゴイなあ」なんて言うと、部屋に何十冊も持っていると誤解されてしまう。いやいや、俺はエッチなシーンしか興味ないですから。

「interesting」と「fun」は、同じ「面白い」でも、意味が違うじゃないですか。自分の中で、何が面白かったのか峻別しておくと、映画でも何でも、より広く深く楽しめそうな気がする。

(C)KA FILMS LP. ALL RIGHTS RESERVED.

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2011年2月 2日 (水)

■0202■

一ヶ月、経過した。
Calygo8z新しい花を買ってきて、いくつか植えかえてみる。
枯れそうでも、がんばっている花は、バケツに水をはって生かしてやる。元気のないやつは、ベランダで光合成させてやる。

人間とも、そう付き合えばいい。
元気の残っている相手は、励まそう。くたびれたら、僕はベランダに出よう。


座談会のため、夕方から都心へ。
Ca6faibt他人の顔をした街は、そう嫌いじゃない。コーヒーに、ミルクを溶かす。

向かいの席に座っている人のジーンズの色あせたあたり、磨り減った革靴のかかとに、人生を見ている。その人のわずらう病気。辛かった思い出。初恋の相手。

頭のいい人は、冗談が上手いな、と思う。僕は、座談会には向いていない。人の話を聞くほうが、好きだ。そのほうが、感動する。


「MAG・ネット」のコミケ特集に、ボーカロイド「心音チヨコ」を自作したグループが出ていた。メンバーは3人、CDは缶バッジ付きで300円、音声ライブラリは無料配布だ。
儲けにならない。カネカネではない。「僕たちの知らないところで、チヨコが歌っていてくれると、嬉しい」と言っていた。
それでも、クレクレな人たちは文句を言うのだろう。

サークル「時祭組」の組長は、同人誌ショップで在庫が切れると、いつも夜道をバイクで走って納品にいく。そのほうが、欲しい人に早く届けられるから、と言う。
こういう人が、ひとりでも増えると、少しは世の中、変わるかも……と思う。

時祭組の同人誌はこちら、心音チヨコのブログはこちら

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