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2011年2月25日 (金)

■0225■

わかった。今週も、許す。
『フラクタル』第6話のことです。
Image_3「もう、どうして話がそっち行っちゃうのかな」と、いつも思う。フラクタル・システムが拡張現実なのはいいとして、町を丸ごと再現するというのは、あまりに分かりづらい。
だけど、テーマなんていうのは、実はそんなところにはないよ。何度も言うけど、テクニックこそが思想。

中年男の家へ向かう途中、クレインとフリュネが、ロスト・ミレニアムについて、まったくどうでもいい言い争いをする。へそを曲げたフリュネが、クレインを追い越して坂道を行く。ここはフリュネのアップで始まる。次が、バストショットでクレインの目の前を過ぎていく(手前に来る)フリュネ。フリュネが画面いっぱいまで来てフレームアウトすると、横を向いていたクレインも、彼女の後を追って、同じようにアウトする。
次がロング・ショットで、横から見たフリュネ。板付きで、いきなりフレームの中にいる。前カットでアウトしたクレインが、すぐインして追いついてくる。
――まあ、当たり前のつなぎ方なんだけど、これが気持ちいい。会話を曖昧にして、丘を登るというアクションだけで見せきろうとする。
こういうところが面白いんだ、「思想」なんだと声を大にして言いたい。

横カットで、抜きつ抜かれつする2人。今度はフレームいっぱいに2人を並べ、競っている感じを強調する(このカットでも、キャラがアウトするタイミングがいい)。再び横カットで、2人はもう疾走している。それに従い、カットの尺が短くなる。
最後に、競争する2人を背後からとらえる。2人は小さくなっていき、ついには丘の向こうに消える。と同時にカメラが上がっていって、目的地である中年男の家をフレームにおさめる。
――アップから始まって、ロングになって、ついには消える。興味を会話からアクションへ移行させる。何を見せたいのか、これ以上、はっきりしてる映像はないよ。

中年男の驚いた顔のアップ、息を切らせて、ぜいぜい言っている2人の正面顔。
そこに、別に文学的な意味なんかないよ。なくてもいいシーンだよ。だけど、どうしても印象に残るのは、フリュネとクレインが競争する30秒、6カット。バイクの上で会話させるのもそう、自転車から落っこちた相手に駆けよるのも、そう。『フラクタル』のトライアルは、そういう芝居に込められている。

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脚本に書いてあることは言語化しやすいけど、芝居なんて見せられても、それが「何」なのか、即座に言葉にできないでしょ。できないから、映像で見せているんだよ。
僕は、『フラクタル』がぜんぶ終わったあと、これらの芝居、アクションを持ってして「何」だったのか、たぶん言葉に出来る。

できるだけヤマカンという言葉は避けたいのだが、たぶん『私の優しくない先輩』の延長戦であるような気がする。なんでハリボテの地球が、最後にはリアルな地球になるんだよって、あの映画から、すでに『フラクタル』は始まっていた。そう考えたほうが、絶対に面白い。たとえ、あの映画をつまんないと思っていてもね。

(C)フラクタル製作委員会

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