■0221■
『魔法少女まどか☆マギカ』について、ちょっとだけページをもらえた。
昨日の夜中から、一気に7話まで見返した。
放送時は、何だか見るのがしんどくて(精神的にではなく肉体的に)、Aパートでお休みして、翌日、Bパートを見るという、変な視聴の仕方をしていた。
しかし、今回は仕事なので、休まずに見なくてはならなかった。
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劇団イヌカレーの創造する悪夢のような(という比喩では少しも足りない)迷宮へ、可憐な少女たちが乗り込んでいく。
いつも、そのシーンで、嗜虐的なゾクゾク感が、背骨のあたりでうずく。ああ、僕はこの光景を知っている。ヘンリー・ダーガーじゃないか。
「……これら哀れな小さき者の多くはくずれるように倒れ、ばらばらに切られ、死にゆく叫びとともに一人また一人と崩れるように倒れた。そして間もなく死体の山ができた」。
シリアスな物語だから、キャラクター・デザインもシリアスでなければならないという考えは、まったく創造的ではない。蒼樹うめの絵こそが、この作品の真の暴力性なのである。
「生きている」という状態の不完全さ、不安定さを表現するには、劇団イヌカレーのいびつな世界に蒼樹うめの和やかなデザインを放り込むしかない。それは不条理な行いだ。だが、不条理な悪夢を「しょせんは夢」と切ってすてることが出来ないから、この作品は生まれてきたのだと思う。
幼い頃は、「魔女」を見ていたような気がする。この作品では「魔法少女」となって戦うという抵抗が行われるが、その抵抗さえもが空しく潰えていくさまを、僕は凍えそうに震えながら、壁ごしにのぞき見ている。
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劇団イヌカレーのつくる悪夢は、ほとんどがどこかで見知ったもののコラージュで成り立っている。おそらく、われわれは「見たことのないもの」を怖れることは出来ない。
(広告やカタログのコラージュは、画力に乏しいヘンリー・ダーガーが、やむなく体得した技法だった)
怖ろしいのは、『まどか☆マギカ』という番組が終わっても、われわれが生きつづけるかぎり、悪夢は終わることがない、ということだ。だからこそ、この番組は「悪夢に抵抗する姿勢」を提示しつづける。蒼樹うめという選択も、まさに「抵抗」の第一手なのである。
(C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS
Henry Darger (C) Kiyoko Lerner
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