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2011年1月30日 (日)

■0130■

コメント欄で話題になったので、『フラクタル』第2話を見直す。
最初に見たとき、「主人公(クレイン)の自転車から女の子(ネッサ)が落ちるのは、木陰」と書いた。木陰ってことは、ぜんぶカゲ色なんです。キャラの色がね。そこに注目してみる。

まず、ネッサが初登場する冒頭シーン。クレインの屋根裏部屋で、窓から朝陽が差し込んでいる。ネッサは「新しい朝に、おはよう」と言って、一度だけ、窓のほうを向く。だけど、そのあと、クレインに頭を触らせるあたり、ずーっと逆光なんです。だから、顔はカゲ色。

クレインは、ネッサを施設にあずけようとする。そのとき、ネッサの笑顔を「こわい」と思う。ここは順光なんです。カゲ色は、ほとんど使ってない。その順光のシーンで、クレインはネッサに触れなくなってしまう。

それから、ラスト近く。クレインが夕陽の中を走っていると、ネッサが駆けてくる。ここで、カメImageラがゆるやかにPANしているのが気持ちいいんだけど、冒頭と同じく、ネッサは逆光なんですよ。
そして、逆光のまま、ネッサはクレインに抱きつく。

ようするに、「クレインがネッサに触れるシーンは、すべて逆光か、木陰」。それには、いろんな解釈を付与できると思う。単純に、カゲ色で芝居させたほうが印象が強くなる、ということかも知れない。木陰で「触って」と頼むシーンなんて、ちょっと淫靡な雰囲気が出てますよね。

ヒロインのアップ顔でも、カゲ色にすることをいとわない。さすがに、冒頭とラストのアップ時は、少し柔らかいカゲ色になっているけど(それでも、撮影でけっこうな手間をかけてる)。


さて、クレインが「怖い」と感じた、ネッサの笑顔。ここは、順光だったでしょ。でも、クレインが夕陽の中で回想するとき、今度は怖くないわけですよ。同じ絵を使っているのに。
瑣末なことを言っているようだけど、映像作品って、そういう部分が面白いわけですよ。そもそも、面白くなかったら、2度も見ないし、カゲ色がどうだろうと気にしないよ。

あと、塔に登るシーンで、カメラが2度だけ、塔の中に入る。両方とも、効果が違うんですよ。最初は位置関係の説明のため、次は感情表現のため。面白いよねえ、このアニメ。本当に、丁寧に組み立てられてる。

(C)フラクタル製作委員会

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2011年1月29日 (土)

■0129■

酒飲みの友人と2人、『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』を見る。
Cak5q0w2吉祥寺が舞台なので、バウスシアターで見るのがベストです。バウス3は、『マイマイ新子』を上映したスクリーンですね。これぐらいの規模がぴったりの、(酒飲みには)辛くも愛おしい映画でありました。

永作博美はもちろん、市川実日子が出ていて、嬉しかった。おにぎりを作っているシーンでも、つまんなそうな顔しててね。何をやっても、つまんなそうなところが、最高に愛らしい女優。
あと、浅野忠信ですらニヤニヤしてしまう看護婦さん役は、柊瑠美だったのか。美人じゃないんだけど、可愛い子っているじゃないですか。眼福、眼福。


戦慄すべきカットが、ふたつ。

余命いくばくもないことを知った浅野忠信が、川へ入っていって、両手で水をすくっている。えんえんと同じ行為を繰り返している――のを、橋の上から撮っている。
カメラがドリー移動すると、永作博美の後頭部が、フレーム・インする。誰の頭かは分からないけど、映画を見ている人は、「ああ、永作だ」って分かる。元妻が、夫の無為な行為を、じっと見つめている。顔なんて映さなくても、分かるんです。
それは、映画と観客のかわした契約だから。

もうひとつは、ラストシーン。
家族四人で、砂浜へ行きます。それを、後ろから撮っている。浅野忠信が子供2人を連れて、砂丘を越えて走っていく。永作は、ゆっくり歩いているから、一瞬、フレームの中は彼女ひとりになる。四人から、ひとりになる。すごいね、これ。
それから、カメラが、ゆっくりとクレーン移動して、俯瞰になります。そうすると、波打ちぎわで遊ぶ浅野と子供たち、永作博美が、同じフレームに入る。
つまり、「四人→ひとり→四人」。家族、妻、家族。これをワンカットで見せている。

――映画を見に行ったら、こういうところを見ないと、もったいないですよ。ストーリーの結末を書いて「ネタバレ」とか言ってちゃ、あかんです。まして、5点評価なんて出来るわけないでしょ。
バウスシアターで、2月4日まで上映中。


先日、友だちが窓際に吊るす飾りを、持ってきてくれた。
Cabtokj3これ、プリズムになっているので、太陽光が入ると、部屋中がキラキラになる。貴伊子の家の居間みたいだよ。

あんまり綺麗なので、玄関からお母ちゃん連れてきて、一緒に見てた。でも、玄関まで、ちゃんと光が届くから、連れてこなくても、よかったかな。

二日酔いがさめてきたから、新しい花でも買いに行くか。
酒飲みの人は、肝臓のあたりに「貼るカイロ」を1~2枚、貼っておくとよいですよ。

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2011年1月28日 (金)

■0128■

『フラクタル』、第3話。
あの村でダラダラさせず、後半で血まみれの修羅場に持っていったプロットが、まずはいい。準レギュラーだろうと思っていたキャラが、あっさりリアルに死ぬのは、頭の悪いたとえだけど『ガンダム』っぽい。飛行船のシーンは『ナディア』っぽくもあり……引き出しが少ないとも言えるんだけど、それはたいした問題ではない。。

牧歌的なユートピアが、非人間的なメカニズムで動いてたというプロット自体、前時代的と思う。が、それもたいした問題ではない。


主人公に「お前は、本当の自由を知らん」と言った老人が、「ひざが悪くて」と看護婦さんに甘えるでしょう。
次のシーン、主人公の足、ひざから始まるんですね。綺麗につながっているでしょ?
老人のひざと主人公のひざ、両者に論理的なつながりというのは、ないですよ。強いていうなら、老人はナノマシンを使っていないから、自然に足腰が弱るけど、主人公はそうではないって比較。でも、それは理屈でしかない。

足が痛いといった次のシーンを、足のアップから始める――それは生理的に、もっとも無理なく繋がる。それだけのことなんです。
でも、コンテが優れているとか、演出が上手いというのは、僕はそういうことだと思っている。


もうひとつ、ちょっとテーマに関わってくる重要な場面が、食事のところ。
作画では、味覚にうったえず(やろうと思えば、ジブリ風の彩色でできたはず)、主人公に「味がすごい」「複雑だ」っていうことを言わせてますよね。横で見ている女の子はドッペル、ようするにデータだから、味なんて分からない。
Image_2だから、主人公と女の子、2人の顔を均等の面積で見せている。ただ、表情の変化は主人公のほうが大きいし、セリフも多い。

で、このシーンは前フリです。
宿に入ってから、女の子が「私は味なんて分からないんだから、もっと細かく説明して」って言います。さらには「どんな味だったか、踊ってみせてよ。私に分かるように、何かに置きかえてよ」。
うわーって思って。2回見たけど、2度とも泣きました。知覚しえない感覚を、相手にどう伝えたらいいのか。相手のために、バカになれるか。
果たして、主人公は、いろいろ踊ってみせるわけですね。そこには、ちゃんと枚数を使っている。いい作品ですね。ハートがある。


この作品は、「身体」の方をピタッと向いている。それが新しいとか古いとかいう話ではないんです。作り手が「身体」というものを大事に考えている。それこそが、最も重要。描きたいものがあるかどうか。『フラクタル』には、はっきり「これを描く」という意志が感じられる。

ところで、梅津泰臣さんは、どのシーンを描いていたんだろう? 踊りのシーンだったら、嬉しいな。

(C)フラクタル製作委員会

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2011年1月27日 (木)

■版権警察■

特に『仮面ライダー』には、思い入れもないし、「どこかのマニアがやりすぎたんだろう」程度に考えていた。
バンダイのライダー・フィギュアを大改造したモデラー2人組が、版権元の東映の許諾を受けずにヤフーオークションで販売、逮捕されてしまった事件のことだ。
容疑は、著作権法違反(侵害とみなす行為)。

ほぼ関心なかったのだが、この2人が作ってきたフィギュアの写真を見て、あっと驚いた。→こちら
これは、すごい技術だよ。素材はプラモデルではなく、完成フィギュアだから、材質の特性を熟知していないと、ここまで改造できない。キャラクターへの理解、デザインへのリスペクトがないと、これは「絶対に」つくれない。
改造ベースになった、バンダイS.I.C.シリーズの商品コンセプトも、ちゃんと踏襲している。

俺は腐っても、プロモデラーのなれの果て。この技術には驚嘆せざるを得ない。
クラフトマン・シップを感じる。


さて、少し前の話になるが、「1/1 ボトムズ」を鉄で作成した倉田光吾郎さんの場合。
Dsc00806_3私も、倉田さんのブログを愛読していたが(この写真もブログからお借りしました)、即座にサンライズから連絡があったという。
完成の暁には、『装甲騎兵ボトムズ』制作スタッフとプレス関係者とで、見学ツアーが組まれた。
その時のマイクロバスには、私も同乗させていただいたのだが、和気藹々、楽しいひとときであった。

(その後、倉田さんは『鉄人28号』の制作を開始するも、中止。さまざまな憶測が飛んでいるが、ここでは、これ以上は触れない)

ともあれ、倉田さんが「自分の根性を試すため」作りはじめたボトムズは、なんと版元であるサンライズ公認のものとなって、各地のイベントで大人気となったわけだ。
度量が深いじゃないか、サンライズ。作り手のパッションを、よく理解している。

比較するのも野暮だが、東映は、こともあろうに作品のファンを逮捕してしまった。前科者にしてしまった。あえて乱暴な言い方をしたけど、そうでしょう?

「これはオレたちのモノ」「ファンは勝手なコトすんな」と取り締まりに熱心なコンテンツ・ホルダーを、「版権警察」と呼びます。


捕まってしまったモデラー2人も、模型店の店頭で、こっそり売り買いしている分には、「版権警察」に目をつけられなくて済んだはず。80年代のガレージキットなんて、ほぼ版権無許諾、仲間内で配ったり、売り買いしてたんですから。

いいニュースもあります。
文化庁が、ネット時代に合わせた著作権法の改正案をまとめ、国会に提出することになりました。→こちら

最近、ずっと言っているように、送り手が「カネカネ」、受け手が「クレクレ」言っている間は、事態は閉塞していく一方です。
今回の一件も、立派な「表現規制」だと、私は思います。

(C)サンライズ

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2011年1月26日 (水)

■0126■

明治大学の北脇学特任講師を、レナト・リベラ・ルスカ講師に紹介してもらう。
Caitm30f_2むろん、電子書籍のスポンサー探しの話し合いのためだ。
(←研究室で打ち合わせ中。写真右端は、北脇さんの手。なぜか、レイズナーのフィギュアが……)

北脇さんとレナトさんのお2人は、明大の「COOL JAPAN SUMMER PROGRAM 2011」のプロジェクト・メンバーだ。
「アニメ!アニメ!ビズ」に、昨年の記事が出ている(英語だけどね)→こちら

他にも、アニメやゲーム関連の面白い動きは、日本国内で、いっぱい起きています。なぜ、それがあまり報道されないかというと、みんなが「アニメなんて、しょせん商売、カネ」としか思ってないからです。つい昨日も、あるアニメ会社に「お金にならない話には、参加できません」と言われました。
誰も「アニメは文化だ」なんて、本気で考えてないんですよ。

夜空に輝く星は美しく、われわれを感動させてくれる。しかし、誰かが研究しようと思わなければ、宇宙の神秘にタッチすることは出来ない。
「星なんて、ただの光だ。誰得だよ?」 そう考えてしまったら、すべてはデッドエンドだ。

今年の僕は、ちょいとうるさいよ。


取材と取材の間をぬうようにして見たのは、韓国のドキュメンタリー映画『牛の鈴音』。
Thumb_450_01_px450なんで、こんな渋い映画を借りたんだか、よく覚えてない。自分と完全に無関係であるような、ありありと身近に感じられるような、不思議な距離感。

死んだ老牛を埋め、土にマッコリをかける。マッコリのアップのみだから、実際に土にかけてはいないのかも知れないが、カットとカットを頭の中でつなげるのは、観客の役割だと思う。


「祭壇を見たい」という友だちが、お土産にウイスキー・ボンボンを持ってきてくれた。
Caaehjjsとりあえず、祭壇に並べる。ハロゲン・ヒーターを暖炉のようにして、いろいろの話をした。

今さら、自分に、こんな穏やかな時間が訪れるとは、思いもよらなかった。

(C)2008 STUDIO NURIMBO

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2011年1月24日 (月)

■0124■

『マイマイ新子』の新座上映で奔走したごんちゃんが、「フラワー・コーディネートの知識があるので、廣田さんのお母さんの祭壇をつくりたい」という。
「へえ、面白そうじゃん」という母の声が聞こえたので、駅前で合流してから、百均ショップで買出し。色のついた綺麗なガラス瓶やら、シールやら、アロマ・オイルやら、いろいろ買う。
花屋で、あまった葉っぱだけ買えないかとか、そのへんの交渉力は、主婦にはかなわない(笑)。

母には、日なたで待ってもらって、怒涛のように作業開始。
Caa4hy7a家にあった、ポールスミスの紙袋なんかも「これ、可愛いじゃん」の一言で、どんどん材料になる。

「弔う」という言葉も、「供養」という言葉も、好きじゃない。
『ギャラクティカ』で、スターバックがせせら笑う。「人生、うまく行かないからって、泣きたい?」


僕らの行為は、はたから見れば、「非常識」「不謹慎」に見えるだろう。お節介にも「母上に失礼ではないか」と説教くれる大人までいる。
Cal0zj0tだが、俺は知っている。俺が友だちを家に招いて、一緒にプラモデルを作っていると、母は喜んでくれた。誰が何と言おうが、俺は知っているんだ。

夢中で花や紙を組み合わせていると、おそらく人類最初の表現は、こうして始まったんじゃないかって気がしてくる。
母には触れることが出来ないだけだ。何か、形を与えてやりたい。石のお墓なんて、俺はイヤなんだ。命の循環の中に、母を泳がせておきたい。


2~3時間もすると、「何万円かかったんだ?」というぐらい、立派な祭壇ができた。
ガラス瓶には、母のアクセサリーを入れて、小さなろうそくも灯せるようにしてもらった。今まで、友人たちが持ってきてくれたお花も、ちゃんと飾ってある。

ごんちゃんは、最後に絵をくれた。私にというより、母に宛てて。
花に囲まれた母に、小さな私が飛びつく絵だった。

――死は、すべてを飲み込む深淵ではない。闇でも、絶望でも、終末でもない。日曜日の午後、私と私の友だちが証明してみせた。

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2011年1月23日 (日)

■0123■

私は今回、参加してませんが、「マチ★アソビ Vol.5」の情報。もう、開催中ですね。
20100809160435_04_400オススメは、1月30日(日)、あわぎんホールで行われる参加型アニメプレミアム上映。『放浪息子』には、あおきえい監督、『宇宙ショーへようこそ』は舛成孝二監督、落越友則Pが、「生オーディオコメンタリー」を実施。
しかも、入場無料なので、徳島県に近い方は、ぜひどうぞ。

『宇宙ショー』は、クリスマス・ツリーのような映画。見ると、暖まる。
「アニメなんだから、夏休みに公開すればいい」、さらには「夏休みに大きいスクリーンを空けたのに、ヒットしなかった。それは、作品のせい」というロジックは、単にシネコン・ビジネスの限界をあらわしているだけだと思う。

その一方、大多数の観客は「シネコンの論理」「メーカーの論理」で、モノを考えている。
批評家はいらない。捨て身のファンだけが、作品を救いうる。

必要なのは、勇気と愛情、そして行動力。


昨夜は、時祭組の組長(『2325』売れてるそうでオメデトウ)が、アートランドへ行くというので、特に用事はないが、石黒昇監督のお元気な顔が見たくて、着いていった。

私と一緒に、電子書籍アニメ誌の企画と売り込みをしている明大のレナト・リベラ・ルスカ講師も誘って、3人でアートランドへ。
Cafwqzep_2(←いつも、茶目っ気たっぷりの石黒監督)
レナト氏は、スタジオへのお土産のほか、『マクロス』のサントラLPを持参、石黒監督にサインしてもらっていた。『ヤマト』『マクロス』『メガゾーン』の話題は、とにかく尽きない。石黒監督が、当時のことを、よく覚えていらっしゃるから。

時祭組さんも、レナト氏も、僕も、アニメ業界の人間ではありません。でも、作品のファンを歓迎しない作り手はいません。私は、取材などの仕事でお会いする以前に、富野由悠季監督や河森正治監督にファンレターを出し、ちゃんとお返事をいただきました。
門戸は、開かれているのです。

東京に住んでいて、アニメにいろいろ文句を言っているくせに、どこのスタジオへも行ったことがない人って、何なんだろうと思ってしまいます。一度、現場を見せてもらえばいいのに。
若い人なら、アニメ会社に入って、内部から変えていくことだって出来るはずです。猪突猛進してください。死にゃあ、しません。


言いっぱなしも何だから、ファンと作り手が交流できるような場がつくれないか、考えはじめました。トークショーにしてしまうと、受け手は即座に「クレクレ」状態になってしまうので、お互いに意見や質問をぶつけられる場は、できないもんかなあ……と。

閉塞感を打破するのは、一本の作品の優劣や、ソフトの売り上げではありません。送り手と受け手が、同じ空気を吸うことです。

(C)A-1 Pictures /「宇宙ショーへようこそ」製作委員会

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2011年1月21日 (金)

■0121■

理想を実現するために、どれほど苦労が必要か、今の私には、まだ分かりません。
数多く、失敗してきました。それでも、「明日」のことを考えたい。

明治大学の講師、レナト・リベラ・ルスカ氏と、昨年7月より、新しいコンセプトのアニメ雑誌の構想を練ってきました。電子雑誌として出します。記事は欧文で併記しますので、海外でも売ります。
おそらく、従来のどのアニメ誌とも競合しません。強いていうなら、モノクロで数ページだけ載りそうな記事を、丸ごと一冊、カラーでつくるような、地味なものになるでしょう。

つくりたい根拠は、私が自分の意見を述べたいとか、私の好きな作品を並べたいということではありません。10年後、20年後のアニメ・ファン、国内外の研究者に参照してもらえるような、ガッチリした資料をつくっておきたい。
そのような性格の本ですから、本来なら、無料で配布したいぐらいなのですが、われわれも、ほとんどボランティア同然ですので……(笑)。
儲からないですね。苦労するのは、目に見えています。

業界の内外から、資金的な援助を申し出てくれる方たちも現われはじめましたが、やはり、本業に精を出しながら、コツコツと……という形にならざるを得ません。

半年間の試行錯誤のすえ、ようやく売り込みスタートしたところです。徒手空拳、熱意と誠意と意地だけが武器です。
詳細を発表できる時期になったら、応援、よろしくお願いします。


『フラクタル』第2話、面白い。これは、いい作品に出会えたぞ。

道で女の子を自転車に乗せていて、落っことしてしまうでしょ。
次のカット、引きの絵で、石Image塀が画面を横切っているから、女の子がどうなったか、すぐには分からないんですよ。しかもですよ、女の子が落ちたところが、木陰なの。
主人公の少年は、大きな木の下へ走っていきます。その木陰の中でね、彼は「もう一度」、その女の子と出会いなおすんですよ。
……その一連の流れの、きれいなこと。そういうところを見なくては、ダメです。

「神戸守さんのコンテは、上手いな」と思ってもいいんだけど、「きれいだな」って感じたでしょう。
そのカットの流れに、何の意味があるのかと聞かれたら、「だって、この方がきれいじゃないか」と、僕は答えます。その素朴な感覚をなおざりにしたら、作り手ではなく、僕らがアニメを滅ぼしてしまうことになります。

優劣や数字だけを問題にすべきではありません。ハートで見ましょう。

(C)フラクタル製作委員会

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2011年1月19日 (水)

■0119■

COMIC ZINで、『メガゾーン23』同人誌「フェスティバル・タイムズ」再販がスタートしました……と紹介するつもりが、あっさり売り切れてしまいました。→こちら
7568_s1_l_2最新刊「2325」は、週間ランキング1位! まだ在庫ありますので、お買い求めはお早めに!

本人の口からは、絶対に言わないだろうけど、時祭組の編集長の苦労は、並大抵ではありません。執筆者には、メールだけでなく、イベントで直接会って交渉し、進行管理から誌面デザインまで、すべてひとりでやっています。もちろん、制作資金も自前で。

イベントに出展するときは、バイクに「イベント用ディスプレイ・セット」を搭載して来場、また、帰りぎわが素晴らしいんですよ。
コミケに出た人なら分かると思うけど、あまった本は、宅急便で送らなきゃならないでしょ。ダンボールをカッターでサクサク切って、すごい勢いで荷造りするんです。
見ているだけじゃ悪いから、「俺も手伝います」とカッターを借りたら、ぜんぜん切れないじゃん、このカッター(笑)。この人、どんだけ腕力あるんだよ、と。

そういう人がいるのに対してね、「誰か、こういう同人誌を作ってくれないかなあ」なんて、ぬけぬけと口にする、同世代の人間がいるんですよ。
僕らの世代って、第一次ガンプラ・ブームはあったし、「無ければ自分でつくる」精神が息づいていると思ったら、そんなことないんですね。いいオッサンが、人任せのクレクレ状態。たかが同人と言うなかれ。


前回、アニメは社会とコミットする必要はないと書いたけど、『フラクタル』は東浩紀さんがストーリー原案で参加しているせいか、時代相を見つめてやろうという意志は感じられるんだよね。
Wallpaper1024_768_01で、それが失敗するか成功するかは、たいした問題じゃないです。社会に相対してやろう、という意志が大事であって。

僕がヤマカンさんの仕事を、とにかく見ていこうと思うのは、彼が「優秀な演出家」だからではないです。志に惚れているから。
だって、みんな、その作家が「優秀だから」ファンなんですか? 僕は、その作家が次に何をするのか、いつも気になっているよ。
押井守さんも、『アサルトガールズ』は苦笑するしかなかったし、あの映画を無理して誉めたりはしないよ。だけど、あのオッサンの仕事は、決して見逃さない。スキあらば、取材するし。
才能あるなし、関係ない。「気になる人」っているじゃないですか。

『ゼロ年代の想像力』で、東浩紀さんが批判されたとき、腑に落ちたというか、「言われてみればそうだよねー」と、目からウロコだった。
でも、本人は、めげずにアニメ制作に参加してるじゃないですか。まず第一に、そこを認める。「その人が、何に挑んだか」を、僕は最優先に評価する。


もうひとつ、『カラフル』のような映画は、現状では受容されにくいと思っている。
驚いたことに、『マイマイ新子と千年の魔法』って、まだ映画館で上映するんですよ。→高知県・大心劇場

『マイマイ新子』は、シネコンの商法とはまったくソリが合わず、小さな劇場や公民館で、長い時間かけて興行しているわけですよね。しかも、DVDが出ようが、関係なく。
そこで、ハッとしなきゃダメなんですよ。「映画館は顔見せ、ソフトの売り上げで回収」というモデル以外の道を、模索するべきなんです。
製作委員会や興行会社、配給会社が「ウチは儲かった」「ウチは損した」レベルのことを言い合っている間は、何も進歩しません。

(C)フラクタル製作委員会

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2011年1月16日 (日)

■0116■

日本映画専門チャンネルで、『ユリイカ〈EUREKA〉』。へんな時間に起きてしまったので、3時間半、一気に見る。
Eureka1_2まず、映像がいいよね。モノクロで、カメラワークが理知的で。
「理知的」というのは、たとえば、ひとりの女性の死を説明するのに、まず、流れる川を捉えます。カメラは、どうやら川に流れる「何か」を追っているらしい(PANとズームで)。
で、その「何か」がカメラの最も近くに来たとき、ようやくカメラは止まります。「何か」は、女性のサンダルだったのだと、やっと分かります。
ようするに、このカメラワークには、人間が川岸に立って、目を凝らすような生理感覚がある。観客は、カメラが何を追っているのか、気になってそわそわしてしまう。その興味がピークにたっする中、「実は、女性のサンダルだった」と分かってもらえるまで、「観客の理解を待つ」。
決して、効率的ではない。でも、生理と理性、両方に訴えるカメラワークだ。そんな演出が、随所にちりばめられている。飽きないですよ、これは。

役所広司が居候してきて、カメラ同ポジで、つぎつぎと芝居だけが変わるのは、ジム・ジャームッシュだな。


『ユリイカ〈EUREKA〉』のテーマについて、いまの僕には、語りづらい。
「自分が殺されかけたのだから、自分も他人を殺しても構わないのでないか」。それを、皮膚感覚で受け止めてしまった人たちの話なんですね。それに対して「殺すな」だけでは、甘すぎる。

お節介な親戚役の、斉藤陽一郎が、ずけずけと正論を口にして、非常に気持ちよかった。ああいう風に、生きてみたい。メソメソ、グズグズとしているのは好きではありません。


深夜アニメ、いろいろ……。
裸が出てきて、男の子がドギマギするのは、もう何も言わん。定番すぎて、文句も出ないというか。裸にボカシ入れるのは、実写映画が映倫にやられていることを、作り手自ら行っているわけであって、僕には笑えない。

一方、肉体損壊描写が多いように思った。体がぶっちぎれても、修復可能なので、どんな残虐描写も可能。でも、その一線を越えたのは、視聴者サイドではない。作り手の皆さんが、十分に議論して、「これでよし」という結論にいたったのでしょう。
「あれはゾンビという設定だから、いいんですよ」とか言うのは、それは理屈なの。あなた自身が見ていて、どう感じたかが大事。

『放浪息子』。絵がキレイ。新海誠というか、「アニメージュ・オリジナル」で書いた「オルタナ系アニメ」の匂いがする。個人作品といった趣が心地いい。
『フラクタル』。とにかく山本寛という人の作品は、忍耐強く見ていこうと、『私の優しくない先輩』のときに、決めたので。


ここのところ、40~50代のアニメ・ファンまでもが、消費者意識にもとづく「クレクレ」状態へと退化しているのを目の当たりにして、もう『ガンダム』も『エヴァ』も出てこないし、そんな必要もないと確信した。今さらだけど。
『ガンダム』や『エヴァ』は、閉ざされた商業的ニーズの側から、実社会へと回路を開いてくれた。でも、いまや誰ひとり、そんなことは望んでいない。

一方で、『カラフル』のような作品を待望している自分がいて、原恵一監督は「自分と同世代の観客が見てくれればいい」と言い切っている。しかし、そうした作品と観客が理想的な関係を築けるサイクルが、まだ完成していない。その未来を考えたほうが、ぜんぜん建設的だよ。

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2011年1月15日 (土)

■0115■

体が疲れているはずなのに、脳が眠ってくれないときは、『ギャラクティカ』シーズン3のバル66_01_2ター裁判のくだりを見ていたのだが、ここ2~3日は、シーズン4のクーデター話をくり返し、見ている。
アダマ提督が「反乱に加わった者に、これだけは言っておく。お前たちを許しはしない。恩赦もない!」と激怒するシーン、吹き替えもいいけど、原語で見ると、より爽快だ。
(写真手前にいるのは、名誉の死をとげたジャフィ一等兵)

銃を両手に、つぎつぎと突破口を開いていくカーラ、『ダイ・ハード』そっくりに黙々とトンネルを這っていくチロル、誰もが素晴らしい活躍を見せる。


もはや、そこいらのプロ編集者などかなわぬ執念で作り上げられた『メガゾーン23』同人誌、7568_l 『2325』、COMIC ZINさんで通販が始まっています。→こちら

『メガゾーン』は、版権をめぐる争いで、作品の秘めているポテンシャルが削がれてしまった。作り手が権利だ金だと騒いでいる間に、この同人誌のメンバーは、せっせと手を動かしていたわけであって、ページをめくるたび、「プロなんかクソくらえ」という気持ちにさせられる。

「大人は汚い!」とこぶしを振り上げた『メガゾーン』の意志を引き継いでいるのは、この同人誌だけだと思う。


『ぼくのエリ 200歳の少女』に対する、映倫の表現規制問題を風化させないために――。
「切られた猥褻 映倫カット史」を読んでいる。昭和31年公開の『太陽の季節』(原作:石原慎太郎)が、映倫の組織改組のきっかけとなったのは知っていたが、詳しく読むと、仰天である。

『太陽の季節』のヒットを受け、大映は石原原作の『処刑の部屋』を映画化。その公開直前、朝日新聞が夕刊二面トップで、大映社長に公開質問状を叩きつけたのだという。しかも、「井沢淳」と記者の名前入りで。
この公開質問状は、「映倫の審査基準は甘い、もっと規制しろ」という批判なのだが、勇気のある記者もいたものだ。下手をすれば、クビが飛ぶ。

『ぼくのエリ』のために、誰が何をしてくれただろう? せめて、映倫が配給会社に圧力をかけ、「映っていない性器を消させた」事実は語りついでいこう。ペンは剣よりも強し。


「マイマイ新子と千年の魔法の本ができるまで」ブログ、毎日更新中。→こちら
俺は「やる」と言ったら、やる男だぜ。おそらく、ギャランティの範囲を大きく越えていると思うのだが、この本は金のためにやってるんじゃない。作品に対する、感謝の気持ちなんだ。

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2011年1月13日 (木)

■花の色■

この10日ほどで、溜まりにたまった伝票などを整理していた。
感激したのは、二匹の犬をあずかってくれていたペットショップ。「長期割引」として、一匹につき、1,500円も値引いてくれて、毎日の健康状態、気になった点などがカードに記されていた。
(有)プロショップ ウェーブ 立川店さん、お近くの方は、ぜひ利用してあげて欲しい。

「開放厳禁」と自分たちで書いたドアを、何度も開けっ放しにしてくれた立川警察とは、正反対の働きぶりである。
バイク乗りの友人に言わせると、白バイ警官の卑劣さときたら「十分に悪役として通用する」レベルだという。

誰もが誠実に仕事をこなしていれば、それこそ「警察いらねえ」世の中になるのだが。


友人から借りた喪服をクリーニング屋から引き取り、両手が荷物でふさがっていたが、小さな花屋へ寄った。スイートピーは一週間もがんばってくれているが、もう一種類、欲しくなったんだ。
花屋のおばちゃんが、名前を教えてくれたのだが、ちょっと忘れてしまった。しかし、こういう小さなお店は、花が好きで働いてくれているので、どんなに忙しそうでも、親切だ。
「葉は弱いんですけど、お花は持ちますからね。お花を楽しんであげてください」と、おばちゃんは言った。

ピンクの、明るい色を選んでいる。
玄関の電球も交換して、我が家は、すっかり明るくなった。


若い頃は、女にフラれただけで、世の中が無味乾燥なものに思えた。まるで、価値のないものに。
Cakbx6vd俺は未練がましい男であったから、部屋で憂鬱そうにしているか、泣いているか、どっちかだった。そんな時、母はサガンの小説を貸してくれた。
もう、タイトルすら覚えていない。何しろ、あれはひどくお門違いの内容で、俺はどう反応すればいいのか、困ってしまったものだから。

でも、読書家でね。歴史にも詳しかった。「ハプスブルク家」という言葉は、彼女から習ったんだ。
笑っているか、テレビを見てもらい泣きしているか、ベッドで本を読んでいるか。何にせよ、優しい人だった。
あなたが、どこの誰であろうと構わない。俺の母は優しい人であったと、覚えておいてくれないか。


人の心は、水と炎でできている。
今の俺はメソメソしているが、仕事をするときの勢いは、衰えてないよ。でなきゃ、『新子』本のブログで、制作の実況なんてするもんか(笑)。あれは、楽しいからやってるんだ。

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2011年1月11日 (火)

■アンヴィル!■

連休の間に、犬が二匹とも、もらわれて行きました。
朝早くから、「散歩に連れて行け」と騒ぎ出したと聞いて、一安心です。それぐらい、元気ならば。

僕も今日は、ひさびさに電話にわずらわされることなく、家で仕事ができた。朝から夜まで、ゆっくり仕事できたのなんて、何日ぶりだろう。


異色のドキュメンタリー映画『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』。50歳をすぎても、しぶとく「ロック・ス334913view004ター」を目指すオッサンたちの悪あがき。
ヨーロッパ・ツアーに出たのはいいけど、マネージャーの段取りが最悪で、電車に乗り遅れたり、仲間同士でケンカは始めるし、「そんなんじゃあ、売れないよ」と批判的な気持ちも起こる。

僕も20代のころは映画監督を目指していたけど、自分より明らかに才能のある友だちがデビューして、それで満足してしまった。彼の努力を認めていたから、ジェラシーも起きなかった。むしろ、企画や脚本を手伝ったり、援護射撃に回ったよね。
「俺は、こんな程度の人間じゃない」と思っていた20代のころが、最も苦しかったし、はたから見ても、醜かったと思う。夢を持つというのは、膨れ上がった自意識との戦いなんです。

『アンヴィル!』のおじさんたちも、自分たちのことしか考えてないんだけど、でも、売れている人たちを妬んだりはしない。満足点をどこに持っていくか、どうすれば自分たちの気持ちがおさまるのか。それだけを考えつづけている。
その点、だてに歳とってないんですよ。見得も嫉妬も名誉欲もそぎ落とされて、「どうすれば、幸せを感じられるか」という一番シンプルなテーマだけが残った感じ。

何も失ってない人間は、何も生み出すことが出来ないんですよ。彼らは彼らなりにスジを通していると思う。「要領が悪くても、勇気があれば何とかなるんだ」って、身をもって証明してくれたしね。


僕の尊敬する友人たちは、みんな、少しずつ不幸だ。不幸といって失礼ならば、それぞれ、少しずつ損をしている。我慢している。皆、理不尽な怒りを飲み込んで、笑顔をつくっているんだよ。

アメリカで、民主党の下院議員が撃たれたでしょう。そうすると、大新聞の時評欄が、まるで自分が撃たれたかのように「痛がる」わけですよ。あれは醜いよ。
怒りというエネルギーこそ、最もスマートに、清潔に使わねばならない。それだけは、気をつけたいな。

(C) Ross Halfin / ANVIL! THE STORY OF ANVIL (C) Brent J. Craig / ANVIL! THE STORY OF ANVIL

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2011年1月 8日 (土)

■『新子』本、制作日誌24■

シネマガールズ 7 発売中
Isbn9784575452013
●恋する制服映画
●日本映画が渇望する谷村美月という女優


図表もこみで、計15ページ。
自分の記事以外では、田畑智子が出ていて、嬉しかった。前号では、星野真里が載っていたし、「邦画を分かっている」本だと思う。
なおかつ、読者の方に「俺の考えと、全然ちげーよ」とつっこんでいただくのも、こういう本の役割だと思います。

私の文章は、相変わらずヘタクソなのですが、一部に「徹底的に同時代を少々欠いていた」という意味不明の一文が……。徹底的なのか、少々なのか、どっちなんだよ?と。
これは、編集さんが気をきかせて「少々」を入れたまでは良かったけど、「徹底的に」を外しわすれた結果でございましょう。読者の方は、「少々」か「徹底的に」のどらちかを、修正液で消してください。すみません。


昨日は、『メイキング・オブ マイマイ新子と千年の魔法』のデザイン打ち合わせでした。
Cawvd615デザイナーさんが加わると、「あきらめるしかないのか」と思っていた難問が、思わぬ方向から解決されます。
「そんなの、やめちまおうよ」ではなく、「こうすれば、掲載できますよ」と前向きに考えてくれるデザイナーさんで、本当に助かりました。こういう方と仕事すると、元気が出ます。

さて、一迅社さん公式の制作ブログ。なんと、私が書くことになりました。ここのブログと同じ内容では意味がないので、ちょっと別の視点から書きたいのですが……まずは、発売延期のお詫びかなあ。


初めて、母に花を供えてみた。
玄関の照明が切れているので、花瓶は白いのにして、明るい色の花を選んだ。店員さんに「なんていう名前の花ですか」と聞いたら、「スイートピーです」と答えた後、「春の花ですよ」とつけくわえて、ニッコリ笑った。

春が来るということは、やっぱり、母は死んでない。星々の運行が途絶えぬかぎり、何も失われはしないのだ。


一昨年、『どこでもいっしょ』のカレンダーくださった方、昨年末もコミケに持ってきていただいたそうで、ありがとうございます。
去年のカレンダーは、すごく役に立ってくれたので、何だか捨てるのが可哀相で、本棚に保存してあります。

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2011年1月 6日 (木)

■Greenback Jane■

オトナアニメ Vol.19  8日(土)発売予定
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●シャフト☆ワークス 2010-2011
この特集の中で、『それでも町は廻っている』の4ページ記事を書きました。
「番組を見ていない人にわかりやすく、見た人も、うなずけるような内容で」というオーダーでしたが、やはり梅津泰臣さん演出のオープニング、あれに文字数をいちばん使いました。

『それ町』も終わってしまうと、寂しいものですね。
『海月姫』は、オリジナルの最終回がつくのかと思ったら、あれで終わりってのも、なんか打ち切り感があって、いいよなあ。

すでに正月から、『新子』本の制作も再開してます。発売が延びた分、丁寧な本に仕上げますので、じっくりお待ちください。


録りためてあった『ブラックラグーン』。
Black_lagoon_sb_cover1_2一番すきなのは、偽金づくりのお姉ちゃんが出てくる話。
とにかく、セリフが素晴らしい。原作のセリフそのままじゃん、と言われそうだけど、俺に言わせると「洋画の吹き替え」なんですよ。すごくよく翻訳・演出された洋画の吹き替えってあるでしょ。ああいう感じ。
(というか、外画の声優さん率、高いよね)

あと、ラグーン商会ではなく、レヴィとエドのバディ物として成立している。掛け合いを見せるだけで、「彼女たちは、いつもこうなんです」と説得できるんですよ。
バディ物ならば、主人公の性格や立場を、ゼロから説明しなくてすむ。観客は、「よく分からない部分もあるけど、とにかく、こういう連中なのか」という納得の仕方をするから、敷居がグッと下がる。

そこへ長沢美樹さんのゲスト・キャラとロックが入ると、観客が依拠すべき常識レベルが提示できる。レヴィとエドが無茶をやっても、観客はロックさえ見ていれば、迷子にならずにすむわけです。
あともうひとつ、カメラワークなんだよね。『ブラックラグーン』全体に言えるけど、気がつかないぐらいの速度のPANで、マンガを「映像」に置き換えている。

このエピソードは3話つづくので、編集して90分の映画にすればいい。


余談なんだけど、『ギャラクティカ』の宣伝チームからのメールに『マイマイ新子と千年の魔法』というタイトルを発見したとき、俺はすぐ「このアニメの試写会、行きたいんですけど」と電話した。
即座に「どこに興味もちましたか?」と聞きかえされたので、「だって、『ブラックラグーン』の監督じゃないですか!」 『アリーテ姫』の名前は、とっさには出なかったのです、私の場合。
相反するテイストの作品をつくっている人なら、絶対に信用できると踏んだわけです。


ちょっと見たいと思っていた『酔いがさめたら、うちに帰ろう』。22日からバウスシアターで上映するじゃないか。その頃には、一仕事おわっているといいな。

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2011年1月 4日 (火)

■「吉」■

母の遺した犬たちについて、Twitterやmixiで、情報を広めてくださった方たちへ。
この度は甘えさせていただいたお陰で、二匹とも何とか、新しい暮らしを歩み出せそうです(フェローくんにも、何人か「引き取ってもよい」という方たちが現れてくれました)。

この場を借りて、お礼申し上げます。顔も知らぬ私のために、ありがとうございました。
このブログは、もともと無作法で野蛮な場所ですので(笑)、その点、ガッカリなさらないよう、お願いします。


今日の昼間、母の葬儀だった。僕が小学校のころ、彼女がくり返し読んでいたサガンのCafzeb4p 『悲しみよ こんにちは』を、棺に入れた。

葬儀に来てくれた友達の車で、お骨を家に運び、玄関を掃除して、安置した。花と酒で飾ってやろうと思う。
母は「お前と暮らしたい」とワガママを言っていたので、これでいいのだ。
ちょっと遅くなったけど、願いがかなったろ? もう怖いことも、痛いこともないからさ。


新年、いろいろバタバタしている中、借りてきた映画は『宇宙へ。』というドキュメンタリー。
あの大傑作『宇宙からの帰還』は越えられないだろう、と思っていたら、あにはからんや。
T0007662aアポロ計画までは、実は布石にすぎない。「ハイハイ、この後、アポロ13号の奇跡の生還が出てくるんでしょ」と思ったら、一切でてこない。
その後の、スペースシャトルの就役が泣かせるんだよね。

シャトルの事故の映像なんて、知っているつもりなのに唖然としますよ。絶望感のただよう管制室で、「シャトルとは、いつ連絡がとれるんだ?」「……1分前の予定でした」 未来形の質問が、過去形で返される。見ているほうが絶句するよ。
レーガン大統領が言います。「事故の映像を見ていた子供たちへ。このような悲惨な事故は、時として、避けられずに起きるものです。乗組員たちは地上の束縛をとかれ、神の御顔に触れられた――大丈夫です、希望は、受け継がれていくのです」。


そして、スペースシャトル「ディスカバリー号」が発進する。管制室からの声が船内に響く、「ディスカバリー号へ。ハッブルを放出せよ」。そうです。ハッブル宇宙望遠鏡の登場ですよ! なんて美しくて静かな、優しい機械なんだろう……。

そこから先、もうボロ泣きですよ。「これら、悠久の時をこえた宇宙の深遠を見つめるとき……私たちは、自らの存在に思いをはせるのです」というナレーションが、知的で詩的で素晴らしい。

マニア的には、シャトルのジンバルがぐりぐり動く映像に、しびれました。

えーと、実写版『ヤマト』の監督は、この『宇宙へ。』、見てないよね? 見てたら、ああなるはずがないもんね(笑)。


葬儀の帰り、ようやく初詣して、おみくじを引いたら「吉」と出た。

(C) NASA

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2011年1月 3日 (月)

犬、もらってください!

いつまでも悲劇のヒーローぶるつもりはありませんが、今回は、皆さんの善意におすがりします。
母の死で、二匹の犬が、露頭に迷ってしまいました。どちらも、室内で飼っていた犬です。
今は、東京・立川にある、ペットショップに預けてあるのですが、1月6日までの契約です。どなたか、もらってくれませんでしょうか?


一匹目は、イタリアン・グレーハウンドの「フェロー」くん、1.5歳です。
110102_14280001フェローくんのことをよく知っている人に言わせると、「しばらく見つめていると、ゆっくり、もたれかかってくる」ような、ツンデレな甘え方をするそうです。
40センチぐらいの小型犬です。
【フェロー、里親が決まりました。皆様のご好意に、感謝いたします】

二匹目は、ジャック・ラッセル・テリアの「エルモ」くん、2歳です。
110102_14270001とても人なつっこいヤツで、誰にでも尻尾をふるのが特徴といえそうです。嬉しいときは、じっと黙って、尻尾をふっています。
大きさは、40センチぐらい。触ると、ふわふわしています。
【エルモは、引き取り手が見つかりました。ご協力くださった皆様、大変ありがとうございました!】

どちらも、トイレのしつけはしてあります。
ご興味のある方は、メールをください。詳しく、お話します。
遠いところにお住まいの方でも、車でお届けします。


私が、ひさびさに彼らを見たのは、警察署の裏口でした。
二匹とも、カチカチ震えているので、なぜだろうと思ったら、「暖房中につき、開放厳禁」と書かれたドアが、開きっぱなしなんですよ。
私は、ドアを閉め、二匹のケージの前に座り、自販機のミネラル・ウォーターをやりました。ところが、また警官が「開放厳禁」のドアを開け放っていくのです。
――なぜ、人間は、自分たちで決めたルールを破ってしまうのでしょうね。私は、十回以上、ドアを閉めましたよ。

話がそれましたが、私は、飼い主を失った二匹を、凍えさせたくない。
しかし、ペットショップに預けつづけるだけの財力がありません。環境的・心理的に「飼えるよ」という方、何卒、ご一報ください。
心より、お待ちしています。

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2011年1月 1日 (土)

■ラブリー・ボーン■

身内に急な不幸があり、新年のご挨拶は、失礼させていただきます。
お請けしている仕事は、つつがなく継続しますので、ご安心ください。


大晦日の深夜に見た映画は、『ラブリー・ボーン』という、今の私にとって、たいへん象徴的な映画でした。ピーター・ジャクソン監督は、『乙女の祈り』でも独特の死生観を披瀝しましたが、この映画では主人公の少女が、変質者に殺されてしまいます。
Thelovelybones03_3それが映画の中盤です。そこからあとは、生と死の間にある世界から、少女が「自分のいない現実」をえんえんと見つめるだけです。
まずは、その映像が不気味なれど、美しい。ディテールはグロテスクでも、ぜんぶ同じ画面に入れると、不思議に綺麗というか。
金色の草原が、だんだん泥沼になっていくとか、怖いんだけれど、ずっと見ていたいような光景ばかり。

そして、この映画はファンタジーではあるけれど、少女がよみがえったりはしません。ずーっと、死んだままです。
では、殺人犯が捕まるかというと、そういう分かりやすい解決もありません。
少女が、自分の遺体のはいった金庫が埋められるのを見ながら、「自分のいない現実」を受け入れて、幕となります。


こういうストーリーを「理屈に合わないから、納得しない」という人もいますが、映画を、自分の身体の外に置いている採点マニアは、いつもそうですね。
その後に、『色即ぜねれいしょん』というのを見たのですが、面白くないとかいうより、「身体が受けつけない」という表現がピッタリ。

見ているときに、必ずパッタリと寝てしまうような映画は、実は、身体に合いすぎているのかも知れない。だって、タルコフスキーの映画は、寝てしまうけど、つまらなくはないもの。


葬儀屋さんに、母の名前を教えるとき、あらためて「私の名前は、母の名の一部から取られているのだ」と気がつきました。

だから、私が生きているかぎり、母は死んでいないんです。
手続きを終え、ひとりで食事をしたとき、「さあ、チャーハンが来たよ。おいしそうだね」「ギョーザが熱いから、気をつけてね」などと心の中で語りかけていたのは、私が母の名を継ぎ、ともに生きているからです。
腹が立つぐらい、私は元気です。

(C)2009 DW STUDIOS L.L.C. All Rights Reserved./piaphoto/title/240/150886_1.jpg

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