■『新子』本、制作日誌20■
早起きして、ラフ2ページを終わらせる。
仮眠して、栄養ドリンクを飲んでからテキストを書けば、とりあえず、カラーページは形になるはずである。
『新子』本の制作は、一日も休まない!
昨夜、ある友人と「去年の今ごろ、同人誌で『新子』の資料本を出そうなんて話してたよね~」と、しみじみ。
一年前は「大人のためのマイマイ・ナイト」に毎日通っていたのだから、よっぽどヒマだったんですね。あ、防府巡りの同人誌は買いに行かないとなあ。
今日はカラーページのテキスト終わらせて、明日からモノクロ・ページに戻る予定。
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仕事の合間を縫うようにして、キネカ大森へ。
デジタル版『ぼくのエリ 200歳の少女』。2本立て1,300円とお得なので、未見の方はどうぞ(明日24日まで)。
何も引かない、足さない、水のような映画。
エリの内面からほとばしる生命力に、震えるほど圧倒される。ラストの列車のシーンには、何か肉眼で見ているものとは別の、つまり、「今の私」がそこに映っているような気がした。「作品と関係を結ぶ」とは、このような体験をいうのだろう。
二度目のせいか、ディテールの繊細さにも、目を見張った。どうやら旅立ちを決意したらしいオスカーが、部屋に飾ったミニカーのドアを、ひとつひとつ閉めていく。
それが、どんな意味なのか説明はできないよ。でも、それがどうしても欠かせないカットであることだけは、なぜか分かる。
この映画を見た以上、「何かをあきらめる」とか、「生きることに消極的になる」とか、そんなことは許されない気がしてくる。エリの、あの瞳に凝視されてしまった以上は。
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さて、肝心のモザイクですが、フォトショップの「ぼかし」ツールで消したような処理になっており、初見の方は、何が映ったのもかも気がつかなかったと思います。事実、同行したお姉ちゃん(キャバ嬢ではない)は「えーっと、どこにモザイクが?」と首をかしげていた。
この処理なら、僕も見逃したと思う。
しかし、忘れてはいけません。映画倫理委員会は、性器さえ映っていないのに、このカットの処理を配給会社に命じたのです。回答書には「事前に申請者に伝えてある」という意味のことが書かれていますが、これは事実ではありません(配給会社に電話で確認済み)。
実写映画においては、すでに表現規制は始まっています。そして、日本に映倫を止める機関・団体は存在しません。
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コメント
あー、やっぱりあのシーンなんですか。
かなり自然にぼかしてましたから、相当気にしてみてないと、見逃しちゃうだろうと思います。
フィルムの方は見たことありませんが、酷かったのですね。
しかし、あのシーン、エリはだいぶ遠くに立っていて、一瞬ですから、何か写っていたとしても、よほど気にして見てないと判らないだろうと思います。
そういえば、シュワルツェネッガー主演のターミネーターでも、ぼかしが入っていたのを思い出しました。
ターミネーターが、タイムスリップしてきた後に、すっぽんぽんで歩いてくるシーンです。
暗がりの逆行なんで、よく見えないのです。
確か、VHSのビデオソフトでは、その股間がぼかしてありました。
その後にDVDになったら、ぼかしが無くなってました。
逆行でよく見えないけど、歩いてくるターミネーターのおちんちんらしき物がプラプラしていたみたい。
確か、映倫などの基準が緩和されたのでしたっけ?
そういえば、mixiの友人のアクティビティというので、数日前に、えっ、廣田さん今頃>>と驚きました。
投稿: 鷲 | 2010年12月23日 (木) 21時25分
こんばんわ。
ぼくのエリ、先月やっとこさの静岡上映で見ました。
自分がしびれたのは、エリとオスカーのルービックキューブをわたす二回目の出会いと、エリがとってもキュートになっている三回目の出会い。完璧なスタートじゃないですか。
ふたりは凍った世界の中でとにかく瑞々しい。
しかし、閉塞感のある場所と映像。徹底的に近づけない瞬間に存在する窓。
見えているのに、近づけず、見えているのに触れられない。
切なすぎます。そして、ラスト、ですね〜。
モザイクの件は、あのラストシーンに感じることができれば、入れることが決してできないはずなのだけれど・・・。
新子本、とにかくたのしみにしております。
投稿: ユキサダ | 2010年12月23日 (木) 21時33分
■鷲さま
全体に、この映画はワンカットが短すぎ、「分からないなら、分からないでいいや」という作り方をしていますよね。
でも、エリは二度目のときに「ガールフレンドにはなれない。女の子じゃないから」と明言しています。そのセリフを念頭におくと、「傷跡」があるというのは、けっこう引っかかるんじゃないかと思うんですよね。
>確か、映倫などの基準が緩和されたのでしたっけ?
『ターミネーター』の件は寡聞にして存じませんでしたが、映倫の審査基準がDVDやネット配信などにも拡大された(ビデ倫と方針を一にしたのは06年から)のは、実は去年からのことです。
それ以前にも91年の『美しき諍い女』で、基準が大幅に緩和されたと言われましたが、しょっちゅう基準を変えているように思えます。
『ぼくのエリ』に関しては、(配給会社の口ぶりも考慮に入れると)明らかに児童ポルノ法の規制強化を意識しての圧力ですね。
>廣田さん今頃
ああ、『ぼくのエリ』のコミュですか? やっぱり忘れてはいかんと思い、入ったんです。
■ユキサダ様
僕も、ルービックキューブのシーンで心をギュッとつかまれました。オスカーが授業中にキューブを触っているカットが、ちらっと入るんですよね。
>エリがとってもキュートになっている三回目の出会い。
キューブを触りながら「コツがあるんだよ」と説明するシーンですか? 確かに、あそこは良かったです。
どうも、最初のうちは血を吸っていない(体力がない)ので、メイクで老けさせているみたいです。だんだん、あのクセの強い顔が愛らしく見えてくるんですよね。
最初から誰が見ても美少女、ではあの効果は出なかったように思います。
>モザイクの件は、あのラストシーンに感じることができれば、入れることが決してできないはずなのだけれど・・・。
映倫だけが悪いのではなく、日本中の映画館(全興連)が映倫の奴隷でしかないことも、大きな阻害要因です。
高名な映画評論家も映画雑誌も、抗議の声を上げませんでした。「この役立たずどもが!」と怒鳴りつけたい。
MPAAに抑圧されたアメリカより、日本のほうがひどい状況です。なんたって、ボカシが入ったのは、世界中で日本だけなんですから。
やっぱり、もう一度見に行ってよかったです。こんなクソな状況は、僕が生きているうちにひっくり返してやる。
>新子本、とにかくたのしみにしております。
いま、僕が命をかけて取り組んでいるのは、この本だけです。寝起きのとき、いつも「あのページどうしようか…」と考えながら起きます。
投稿: 廣田恵介 | 2010年12月23日 (木) 22時42分
>>廣田さん今頃
>ああ、『ぼくのエリ』のコミュですか? やっぱり忘れてはいかんと思い、入ったんです。
いや、「マイマイ新子」の方のコミュですよ。
『ぼくのエリ』のコミュも覗いてしまいましたら、ついアマゾンにて北米版のブルーレイを。
だいぶ、ディスカウントになってました。
売れなくて、余っているのかな。
投稿: 鷲 | 2010年12月25日 (土) 10時00分
■鷲さま
ああ、『新子』コミュ。最初、まだ100人にも満たない頃に応援のつもりで、入っていました。今回は、本の宣伝用に(笑)。
>『ぼくのエリ』のコミュも覗いてしまいましたら、ついアマゾンにて北米版のブルーレイを。
国内配給してくれたショウゲートさんには悪いけど、僕も手元に置くなら、ボカシなしの北米版ですね。あの映像美なら、BDでしょう、やっぱり。
>売れなくて、余っているのかな。
ハリウッドでリメイクされるぐらいだから、供給過多ってことはないと思います。
国内では、まだ知名度が低いですけどね。
投稿: 廣田恵介 | 2010年12月25日 (土) 10時55分
定価 $24.98が、割引価格$9.99でした。
送料と合計で、$17.97
日本円で1550円だそうです。
価格が半値以下なんで、余ったのを投げているのかと思いました。
投稿: 鷲 | 2010年12月25日 (土) 18時09分
■鷲さま
国内版の洋画DVD&BDセットでも1,500円を切っていますので、まだ投売りという感じはしません。700円とかだと、さすがに(笑)
でも、国内版が売れないとしたら、確実に映倫の責任ですよね。営業妨害でしょう。
投稿: 廣田恵介 | 2010年12月25日 (土) 18時40分
「ぼくのエリ」観てきましたよ。
原作は上巻の真ん中あたりまでしか読んでませんが…
(カタカナの名前が覚えられなくて「誰だっけ?」と後戻りするから(笑))
モザイクシーンは描画ソフトの白い鉛筆でガシガシ消したかのように見えました。
一瞬というよりはかなり長い時間(しかもドアップだし)だったような気がしますが、
映画館毎で違うんですかね??感じ方が違うだけ?
なぜ傷跡がだめで硫酸(たぶん)をかけた顔の長いシーン(目を背けて観てないので長さの意義がわからないままですが)や
ちぎれた腕はOKなんだ?と思ってしまう造形技術でした…
ぎょえーっと顔を背けるたびに、心の中のいろいろがぶっ飛んでしまいました(泣)
が、ラストシーンだけが美しく心に残っています。
ふたりが交わしたモールス信号の内容はなんだったのでしょうね(字幕出なかったですよね?)
オスカーがいずれ「パパ」の役割を果たす事になるのかと思うとせつないですね。
投稿: kyasリン | 2010年12月26日 (日) 11時29分
■kyasリン様
>モザイクシーンは描画ソフトの白い鉛筆でガシガシ消したかのように見えました。
ああ、それは日本に7本しかないと言われる、シネカリ・バージョンですね。僕が最初に銀座で見たのは、それでした。
線がチラチラ動くので、すごく長く感じますよね。でも、映倫の人は「うむ、これでよし」とか思ったんでしょうね。
1800円を払う観客のことを考えたら、断腸の思いのはずなんですけどね。
>なぜ傷跡がだめで硫酸(たぶん)をかけた顔の長いシーン(目を背けて観てないので長さの意義がわからないままですが)や
ちぎれた腕はOKなんだ?と思ってしまう造形技術でした…
溶けた顔や、ちぎれた腕が「PG-12」の理由です。
手術跡は、単に部位が「少女の股間」だから、問答無用で審査不可能、日本では上映不可能なんです。ほかの国ではOKです。傷跡なんて規制してるのは、世界中で日本だけ(笑)
>ふたりが交わしたモールス信号の内容はなんだったのでしょうね(字幕出なかったですよね?)
詳しい人は、解明したらしいですよ。映画系のブログを検索すれば、出てくると思います。
だけど、僕はそこまで知りたいとは思わないし、規制反対の理由は「ストーリーの整合性が合わない」からではないし、「原作を尊重してない」からでもありません。
単に「少女の股間」というだけで過剰反応する映倫、世間の空気を「怖い」、と感じたからです。
ちぎれた腕はOKで、股間の手術跡はNGって、映画も人間も、松坂牛や神戸牛じゃないんですけど……。そこまでして「少女の股間」のみを隠蔽したがる態度そのものが、問題なのです。
そして、映倫を監視できる機関・団体が存在しないこと。映倫に恭順するだけの腑抜け組合しかない、という脆弱性。これが最大の問題です。
投稿: 廣田恵介 | 2010年12月26日 (日) 13時24分