■コトバのない冬■
録画してあった『天使の恋』を見ていたら、ドカン隊長から「ラピュタに来ませんか」という電話があり、一度は「まあ、また次回でいいでしょ」と断った。しかし、以前からお会いしたくても会えなかった方が上京中と聞き、「これも縁かな」と阿佐ヶ谷へ。個人的には、いくつか驚く話も聞いたけど、それは『新子』がどうとか言うより、誰がどの会社に移ったとか、そういうレベルの話なので……。
『新子』本については、どの記述を直したらいいのか、何点かポイントが分かりました。7月のDVD発売時は、なんとなく悲壮感があったんだけど、昨夜は「来年も、まだまだ続きますよね」的なごやかムードで、お開きとなりました。
「今回、初めて見た」というお客さんが、まだまだいらっしゃったそうで、それは我がことのように嬉しいです。
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『天使の恋』の前に、高岡早紀の『コトバのない冬』を見ていた。高岡早紀、38歳。僕ら世代にとっては、『バタアシ金魚』の人。いい感じに、色気がにじみ出てきた。
映画は、『ハルフウェイ』のような、『好きだ、』のような即興メインの撮り方。テレビドラマでいうと、『四季・ユートピアノ』風。あのドラマ、1980年なんだ。確か、再放送で見たはず。
もともとは、ジョン・カサヴェテスが『アメリカの影』で始めた手法じゃないかな。役者に最低限のシチュエーションだけ説明して、あとはヨーイドンでカメラを回す。
『コトバのない冬』は、それぞれの役者の演技よりは、映像がよかった。雪の中、光量がとぼしくて、ほとんど、画面が鉛色に染まってしまっている……とか。まるで、この世の果てだよ。
ときどき出てくる遊園地は、雪に埋もれて、誰もいないしね。こういう、わびしい風景を見るのも、映画の楽しみだよね。そこに、高岡早紀がはかなげに立っているだけで、もう十分。
「お話」ってのは、映画が戯曲から導入したものに過ぎないので、実は、本質ではない。いやおうなく映画につきまとう、「3秒」とか「24コマ」とか、機械的な制約。その刹那を味わわないと。
年末に、しんみりとするには、ふさわしい映画だった。
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