■コミュニケーション■
日本映画専門チャンネルで、相米慎二の遺作となった『風花』。
なんでこんな映画、録画したのかな?と思ったら、小泉今日子と麻生久美子が出ていたからだ。
小泉は、人生に行きづまったピンサロ嬢で、行きずりのアル中若手官僚と故郷を目指す。『ションベン・ライダー』や『台風クラブ』の頃の、暴力的ともいえる難解さはない。相米監督は、ガキ相手に挑戦しなくなった時点で、役割を終えられた気がする。
小泉今日子、当時35歳ぐらい。最近の『グーグーだって猫である』『トウキョウソナタ』より、ひょっとすると大傑作『転々』より、生き生きと楽しそうだった。でも、それはあれだ。相手役の浅野忠信が引き立ててるんだな。
■
『模型戦士ガンプラビルダーズ ビキニングG』第二話。「ガンプラを初心者向けに売る」という戦略に特化した、いたって健全な番組。
松尾衡監督、マニアックに走ることなく、ガンプラ作成シーンにも戦闘シーンにも、きめ細かく気を配り、がっちりと必然性を与え、いまや数少ない「男児向けマーチャン・アニメ」を、誠実に作り上げている。
変な内輪受けもないし、適度に勧善懲悪なのも好感。
なのに、これが地上波で放映されず、BSとネット配信のみ……逆だろう、それは。
『ガンプラビルダーズ』のあと、録画してあった『アルプスの少女ハイジ』第28話を見た。ええと、これはアニマックスか。子供向け番組には「正解」がある。その正解を子供が日常的に見づらい状況は、やはり間違っている。
■
ノイタミナ『海月姫』、オタク少女たちとオシャレ女子(実は男子)の、ディスコミュニケーションの話。
「オタクは、価値観の違いすぎる相手の前では、石のように固まってしまう」。自分のことを言われているようで、あぶら汗がでる。オタク趣味を満喫し、会話の通じる狭いコミュニティで固まっている彼女たちに、「誰にでも同じように接しろ」というのは、酷だ。酷だけれど、必要なことだ。
常に重要なのは、コミュニケーションだ。コミュニケーションを安易に描いてはならない。その点、『海月姫』は、なかなか容赦がない。
物語はロマンスを予感させるが、だからこそ、脱オタクの通過儀礼を描かざるを得ないだろう。石のように固まっていては、人は前には進めないのだ。
(C)ビーワイルド/テレビ朝日/TOKYO FM
(C)創通・サンライズ
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コメント
こんばんは。
「ビキニングG」私も見ました。子供の頃「プラモ狂四郎」などを見ていた世代からすると懐かしさを感じます。懐かしいと感じた事は、子供の琴線に触れる内容なのかもしれませんね。いやそうだと信じたいです。私も「ビキニングG」はより広く見られる媒体で展開してほしかったですね。
あと海月姫におけるコミュニケーションのお話は完全に同意ですね。コミュニケーションで逃げた場合、傷つく事を避けるだけで後は何も生まれませんね。
投稿: おはぎ | 2010年11月 1日 (月) 21時37分
■おはぎ様
こんばんは。『ビキニングG』は、短い時間に対して、お金がかかってしまっているのは分かるんです。でも、だからといって「ほとんどの子供が見られない」ような露出の仕方は、やはり間違ってますよね。
>懐かしいと感じた事は、子供の琴線に触れる内容なのかもしれませんね。
確かに、そうかも知れません。「懐かしい」という感覚は落とし穴にもなりがちですが、レーダーとしても機能しえますね。ナルホドです。
>コミュニケーションで逃げた場合、傷つく事を避けるだけで後は何も生まれませんね。
おっしゃるとおりです。「別に、閉じたコミュニティの中で小さく生きてもいいんじゃないか」と、ほんの少し前まで思っていました。
だけど、そんな人たちが、あまりにも増えすぎてしまって、当人たちにも社会にもマイナスにしかならないと気がついたんです。つい最近のことですよ。
投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 1日 (月) 22時40分
自分の感じている印象は正反対です
社会のためにという正義のポジションに立って
攻撃するような文言があまりにも多く
窮屈で死にそうになります
現実でもネットでも
どこに行ってもそうです
ほおっておいても
常にその軋轢の中に有るのが人だと思います
そして「大人になれ」という言葉が
人を救うことは無いと思っています
そんな言葉が流通しようものなら
よりガードが固まり絶望感が強まるだけなのです
社会との関係は
最低限の接点の確保で充分だというのが自分の考えです
それをどうにかやりくりするのは本人自信の力です
成長・挑戦することの素晴らしさは言うまでもありませんが
それを促すならば、願わくば
縮こまっている人に対して危険な突付き方をしないで下さい
そして社会化せよとの正義を傘に着て
暴力を振るっているだけの人には騙されないで下さい
(そこを見分ける力については
廣田さんはエキスパートなので大丈夫だと思いますけれど)
正直言って
自分はもう不安でいっぱいです
多分、メガ80の頃から、ここに依存していたんだと思います
耐えられなくなったら見なければいいだけだと思うので
そんなに心配は要らないのですが
実は今もガクガク震えております
甘えんぼう野郎で済みません
健闘を祈ります
投稿: 北島 | 2010年11月 2日 (火) 00時56分
■北島様
>耐えられなくなったら見なければいいだけだと思うので
いいえ。耐えられなくなったら、こうして私に対して意見なり、不満なりを述べればいいのです。そのために、コメント欄を開放してあるのですから。
私は、一ヶ月前とまるで正反対のことを言っていると思います。一年前は、もっと違うことを言っていたでしょう(「成長なんてしなくていい」と書いたはずです)。
矛盾だと思われるでしょうが、私にもいろいろ感じるところがあり、今は「縮こまっている人に対して危険な突付き方」をしてしまっているのかも知れません。
少し前なら、弱者を無条件に擁護したでしょうし、今だって、少し心は揺らいでいます。
>社会との関係は
>最低限の接点の確保で充分だというのが自分の考えです
>それをどうにかやりくりするのは本人自信の力です
茶化すわけではなく、それはそれでひとつの生き方です。
今の社会に、全面的に組しろとまでは言いません。猶予期間があっても構わない。私はうつ病などで、部屋にこもらざるを得ない人を、無理やり連れ出そうとまでは思いません。アニメに依存せざるを得ない人から、アニメを取り上げようとも思いません。
私自身、見知らぬ人とのコミュニケーションには、日々苦労しています。
このレス自体が、あなたを追いつめているのではないか、と不安を感じつつ、書きます。
私は、あなたが甘えているとは微塵も感じません。出来れば、もっと話を聞きたいと思っています。メールはYIV00571@nifty.com
です。コメント欄に書きづらければ、どうぞ。
人と接するためには、強さと同等か、それよりも少し多く、優しさが必要なのでしょう。そのことを思い出しました。
勇気をもってコメントしてくださり、ありがとうございます。
投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 2日 (火) 11時38分
お返事ありがとうございます。
先の投稿は、心配させすぎだったと思います。夜の力が働いたというか。
とくだん危険な状態にあるわけではないのでご安心下さい。
周囲のイヤな物事と廣田さんが同一化するような妄想で頭がおかしくなっていたのかもしれません。
今は全然健康です。
>私は、一ヶ月前とまるで正反対のことを言っていると思います。
ハッキリと言って貰えて良かったのかもしれません。
ちょっと前まで泣きそうでしたが今はスッキリしています。我ながら極端です。
カッコ悪いダダをこねたのも良かったのかも。
とにかくいい機会になったと思います。
自分の武装は自分でしなくちゃいけないんだと思います。
何故それほどに入れ込んできてしまったのか。
自分にとって怖い圧力に抗する言葉を、ここ以外で見つけることができなかったからだと思います。
ギャングみたいなことを言う場所は沢山有るのですが、それらは常識の前にすぐ吹き飛ばされてしまうことが分かるもので、全く安心には繋がらないんです。
自分の視点では、このサイトはポッカリ浮かんだ浮島みたいなもので、オアシスでした。
厳しいときは日に何回も見に来ていました。(お恥ずかしい)
慰めだけでなくガッツを貰っていました。
しかし、ちょっと使い方が間違っていたのかもしれません。
このサイトや同人誌でいただいた金言の数々に感謝しています。
廣田さんのジェンダー論、大好きです。
ただ、自分にとって都合よく解釈していたのかもしれず。
これからは注意深く考えて、自分の糧にしていきたいと思います。
優しい言葉をいただいて大安心した上で言うのもなんですが、社会との関係の中で良い作品が生まれる。間違っていないと思います。
とりあえず、読むのは止めなくとも、姿勢を変えることができそうです。
勝手に心の師だと思っております。
真剣なお返事を、ありがとうございました。
投稿: 北島 | 2010年11月 2日 (火) 16時47分
とても元気になれました。ありがとうございました。
投稿: 北島 | 2010年11月 2日 (火) 16時55分
■北島様
とりあえず、元気になれたようで、良かったです。
今さら、返事を書くのも無粋かも知れませんが……人は変化の連続であり、ここに書いているのは、途中経過に過ぎません。
ただ、だからといって昔の日記を消そうとは思いません。その時その時、感じていた本当の気持ちですから。
>周囲のイヤな物事と廣田さんが同一化するような妄想で頭がおかしくなっていたのかもしれません。
そういう状態は「頭がおかしくなった」わけではなく、それこそ、いつ私があなたの敵になるとも分からない。私だって、何度、裏切られてきたことか……。
自分の考えが、音を立てて変わっていくことに、私自身もショックを受けています。少し怖い気がするくらいなのです。
>廣田さんのジェンダー論、大好きです。
>ただ、自分にとって都合よく解釈していたのかもしれず。
どんな文章も表現も、一枚岩ではありません。読んだ人の中で変容するものだと思うのですよ。私がよく、「映画はスクリーンではなく、見た人の心の中にある」と言っているのは、そういう意味です。
あなたは、少しも間違っていません。
だんだん偉そうな口調になってきたので、ここらでやめておきましょう。
私は、あなたの繊細な感覚が好きです。こんなにも素晴らしい読者に恵まれていたのかと、胸が震えています。
嬉しいような、哀しいような、不思議な気持ちです。
しかし、何かひとつ得るときには、必ず何か失うものです。失うことは、マイナスではありません。恐れないでください。
航海の無事を、心より祈ります。
投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 2日 (火) 19時19分
20代の頃、私は、ウツになって、働けなくなったんですね。家から出られないどころか、布団からも出られなくなったことがあって。
私は「薬を飲んででも社会に適応しなければならない」という、洗脳じみた考えから目が覚めるのに、しばらくかかりまして。社会のルールなんてデタラメ。人が作った社会って、いい加減で適当で、それにまともに適合しようとすると、おかしくなって当たり前。と、いうことに気がつくのに、時間がかかったんですね。って、ちょっと言い過ぎですね。
現代では、脳科学や遺伝研究などが進み、フロイトやユングの考え方が古くなってきたのも知っています。
ですが、リタリンやデパスにすがった私の心の中が、どうなったか。それを人に説明するのは、難しい。言葉を重ねても、わかってもらえないでしょう。
でも、その体験から、アニメ、というより内面の物語や世界が必要だと思うようになったんですね私は。他人の物語や世界ではなく、自分のそれを。
自分の心を領域とするなら、体の外にも自分の世界があるわけで、例えば、テレビのアニメも、ただのRGBの光の点滅ではないんです。
それらは神話や民話に似ていて、領域の中にいる連中は、自分の身体を出たり入ったりしていて ・・・って、ちょっと抽象的で、わかりにくいですね。
あるロボットアニメで、操縦者が気絶した時、電気を流して起こす場面がありました。昔の、ボロボロなのに薬飲んで、しのいでいた頃を思い出して、生理的にダメですね、ああいうのは。
そのアニメが悪い、というのではなくて、あの頃、自分自身にそういう事をやっていたのだ、と感じて、振り返る事が辛かったのでしょう。今は、だいぶ距離を置いて見られますが。
イギリスの心理学者によると、心の機能とは、相手の気持ちを写す鏡を自分の中に持つこと、だそうです。私がそうだと言いたいわけでは決してないのですが、繊細な人ほど、その鏡が綺麗すぎて、映りすぎるのかもしれません。
投稿: 浜長和正 | 2010年11月 2日 (火) 22時04分
■浜長和正さま
あいかわらず、さり気なく難しいことをおっしゃいますね(笑)
>心の機能とは、相手の気持ちを写す鏡を自分の中に持つこと
気の合う友達と話していると、そんな気分になりますね。
でも、「気の合う友達すらいないんだ」という人のことが、僕は今、気になってしまう。少し話がズレますが、言葉の扱いの難しさを感じた今日一日でした。
>でも、その体験から、アニメ、というより内面の物語や世界が必要だと思うようになったんですね私は。他人の物語や世界ではなく、自分のそれを。
いい言葉です。今日の僕は、恵まれている。
「現実とフィクションの区別がついていない」と、誰もが警鐘のように口にします。私は『さらば宇宙戦艦ヤマト』で泣いて以来、現実とフィクションは溶け合っているのだ、と確信するようになりました。
現実とフィクションの区別を厳密にする人は、映画を五段階評価しますね。映画を見たのは、あなたの心だというのに。
>自分の心を領域とするなら、体の外にも自分の世界があるわけで
面白いです。その通りですね。ちょっとした光景の中に、物語を見つけられる人がいますよね。一種の才能なのでしょう。そんな人に、私もなれたらいいのに、とずっと思っています。
やはり、現実と虚構の区別などつけないほうが、豊かな人生を生きられる気がしてなりません。
投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 2日 (火) 22時56分
廣田さま
自分も『海月姫』を観ています。
僕自身はあまり難しいことを考えずに、ただ楽しく観ているのですが、廣田さんの今回のエントリーと、それにレスされた方々のコメントを読み、色々と考えさせられました。
僕は幼い頃から両親に、常に社交的で朗らかな人間になるよう教育され、自身もそのような人間であると信じきって生きてきましたが、20代後半の頃より、「どうも生きづらいな」と感じはじめ、イライラした日々を過ごすようになりました。
ただ、幸いなことに、あるきっかけで、自分を見つめ直す機会があり、結果「自分は内向きな人間」だと気付きました。
当初はなかなか受け入れ難かったですが、それを乗り越えてからは、内向きであることを逆手に居直り、「俺はこういう人間だから」というスタンスで人と接するようになってからは、だいぶ楽になりましたね。
もともと社交的に育てられたので、トーンダウンするのは楽でした。その点では両親に感謝です。
不器用な自分は、コミュニケーション能力の高さ=自分を殺し、他人に合わせる事ができる能力、と考えてしまいます。
自分らしさを押し殺す人付き合いなんて、コミュニケーションでもなんでもないんですがね。
まぁよくこれで結婚できたもんです^^;
今更、アニメ本編の話に戻しますと、主人公の月見って、花澤香菜さんの声ですよね。
上手くなったなぁ・・・と、しみじみしています。
カミナギリョーコのときは何故か分かりませんが、彼女の声にハラハラしてましたからね(笑)
下手だなぁと思いつつ、この妙な緊張感がゼーガの世界観には大変マッチしていて好きでした。
明るく話している場面ほど切なくなるんですよねぇ・・・
ああ、またゼーガ観ようかしら。
切なくなりたいからゼーガ観るなんて、不純ですかね(笑)
投稿: かまタロウ | 2010年11月 3日 (水) 01時41分
自分の言ったことが
ちょっと引っかかるのでもう一度だけ書きます
すいません
やっぱり、あの自分のコメントはちょっと無理してました
あんまり頑張ろうとしないで
「優しい言葉をいただいて
すごく楽になりました」
と素直に言えば良かったです
これが本音です
ですが、頼りきっちゃあいけないので
うまく距離は取っていこうと思います
>浜永様 かまタロウ様
とても参考になりました
アニメはやっぱりすごいですよ
そういうものが有るから大丈夫だというのは本当だと思います
アホなことでも考えながら気楽にジョギングでもします
なんとも色々ご面倒をおかけいたしました
失礼いたします
投稿: 北島 | 2010年11月 3日 (水) 13時24分
■かまタロウ様
たとえアニメであろうが……というより、表現の直接的なアニメだからこそ、コミュニケーションの描き方はストレートに伝わってきますね。そこに、作り手の人間観も、すべて乗っかってきてしまう。
かまタロウさんは、いい育てられ方をしたと思います。社交的であるに越したことはありませんもの。そうではない人間が社交的なフリをすると、もう致命的な結果を招きますから。
ただ、それでも……オタクならオタクで、「自分は、このままでいいのか」とあがいている人間のほうが、僕は好きですね。コミュニケーションに苦労した、悩んだという人は信用できる気がします。
「人生はリセットできない」と言いますが、挫折したら立ち直れますからね。「リセットできない」も脅迫的なキャッチコピーだよなあ……
花澤香菜さんは、勝手なことをいうと『ゼーガ』の頃のほうが良かったですね。カミナギは、代えの効かない役柄でした。だんだん、代えの効く役柄が増えてきてしまいましたね。
■北島様
大丈夫ですよ。
私は43歳ですが、まだ迷走しています。しかも、何もあきらめてはいません。
やはり、「理想」というのは、追求するだけの価値があるのです。
現状を容認して、ニヒリストになるのが、最も楽な道だと思います。そういう人間が、爆発的に増えた気がします。
私に出来るのは、なるべく正直でいつづけることぐらいです。信用できなくなったら、いつでも見捨ててください。
投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 3日 (水) 14時13分
緊迫しすぎるとヤバいと気付いたので
小さな積み重ねで行きます
理想は忘れず持っていきます
時間はまだまだあるので大丈夫だと思います
ありがとうございます
投稿: 北島 | 2010年11月 3日 (水) 15時48分
私は、自分の考えていることを、相手に伝えるのが苦手です。「わかってもらえるだろうか?」「誤解されたらどうしよう」「不快に思うかも……」
「お前の話は、わかりにくくてクドい」と友達からいわれます。そういわれてしまう原因は、自信のなさのような気がします。
コミュニケーションって、とても面倒くさいし、怖いし、不安ですよね。「俺のいいたいことが、伝わるか伝わらないか、それは俺が決めることじゃない。読んだ相手が決めること」と、開き直ってますが、この書き込みも、ロープつけないで飛ぶバンジージャンプみたいな気持ちです。相手が見えないと、不安は倍増しますね。
だから、北島さんのコミュニケーションを必要最小限にしたい、という気持ちはわかります。でも、廣田さんや、他の皆さんのおっしゃることも理解できるのです。
でも、自信があったり不安だったり、上手くいったり失敗したりと、そういう波があるほうが自然だと思います。今は嫌いな波だとしても、時が経てば変わっていく。
偉そうな事をいうつもりはないのですが、でも、例えば、ヨットに乗っているとすると、天候が悪いから港にいる事も、今日は風も波もいいから遠くへ行こうか、どちらも考えは、おかしくない。流れが悪くなったり、見えなくなったら、停まるのも手段のひとつです。人の身体も、自然の一部だと思うのですが、どうでしょうかね。
>でも、「気の合う友達すらいないんだ」という人のことが、僕は今、気になってしまう。
確か「けいおん!」の感想で、「さびしいけれど、ああいうアニメがあるから助かった」というような書き込みを読んだ事があります。でも、「学生の頃一人ぼっちだったから見るのが辛い」という書き込みも読んだことがあります。それがどういうことなのか、想像しか出来ませんが、それをテーマにしたマンガかアニメが、求められているのかもしれませんね。
「海月姫」というアニメは、よく知りません。ですが、「自分のコミュニティから出て、違いすぎる価値観のコミュニティへ行くこと」が、今時の冒険なのかも、と記事を読んで妄想しています。昔の冒険は「白イタチを倒すため、悪魔の歌を歌うカモメがいる島へ行く」などでした。でも、とするなら、自分の知らない冒険の世界、フロンティアは、意外と身近にあるのかもしれません。
アニメは、風が吹いて枝が揺れるのも、誰かが作らないと存在しません。乱暴な意見ですが、アニメは現実のような不条理は少なく、理路整然としていて、わかりやすいのです。なので、不安定な時は、見ていると落ち着くのかもしれませんね。
以前勤めていた職場に、他人とのコミュニケーションが上手な同僚がいました。性格は明るいし仕事も出来るし、誰とでもすぐ仲良くなれる人物だったのですが、ある時、私にこう言ったんです。
「仕事が終わると、ニュークラに行って、クラ嬢をナンパしている。(すすきのではキャバクラの事をニュークラといい、キャバ嬢のことはクラ嬢といってます)今まで数え切れなくらいナンパしてエッチしてきたけれど、楽しいと思った事が、ほとんどない。中毒みたいだ。なあ、俺はおかしいんだろうか? 」
当てこすりや自慢を言っているようにも見えますせん。明るいけれど、乾いた口調。
答えのない問いに答える、と書くと禅問答みたいですが、それは難しいです。自分の内面や人生と直結していて、人により答えは違います。模範解答がない、というか。でも、だから面白いのかもしれません。
投稿: 浜長和正 | 2010年11月 3日 (水) 22時05分
■浜長和正さま
私がレスすべきかどうか迷いますが、「ニュークラ」には笑いました。何であれ、私は自分を疑うぐらい、バッファのある人が好きです。
前半は、北島さんへのレスでしょうね。
>「さびしいけれど、ああいうアニメがあるから助かった」
どしゃ降りの中、雨宿りするような感覚でアニメを見る気分は、分かります。そんなものは甘えだとか逃避だとかいうほど、私は冷たい人間にはなりたくない。
何にも依存しないで生きていける人間なんて、いるんでしょうかね。
>「自分のコミュニティから出て、違いすぎる価値観のコミュニティへ行くこと」が、今時の冒険なのかも、と記事を読んで妄想しています。
『海月姫』は、今後はロマンスへと発展していくのでしょうけど、コミュニティ以前にコンプレックスありきでスタートしています。
「自分は、自分のままでいいのだろうか」という疑念が、最も苦手とする人種の前では露呈してしまう。それが怖い…という感覚は、身に覚えがあるので、見ていて快適ではないんです(笑)。
もしかすると、「テレビ漫画なんて、そろそろ卒業しなさい」と親から言われていた時代のほうが、幸せだったのかも知れません。その親の説教が正しいがどうかは、まったく別として、考える契機にはなりましたからね。
周りの友達が、どんどん音楽やファッション、恋愛に目覚めていく中、自分だけが取り残されて、はじめて「俺って何者なんだろう?」と苦悶するわけですね。
自分の場合、恋愛していたから、「アニメとマンガと特撮しかない」世界から一歩、出られたんですね。そこで自分の趣味やファッションのことを、改めて問いただされる。相手には相手のコミュニティがありますから。
無条件、無制限に自分が肯定されつづけるというのは、幸せとは違う気がするのです。
そのニュークラの彼も、「自分が肯定されつづけるだけの世界」に嫌気がさしたのかも知れませんよ。
投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 4日 (木) 00時29分