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2010年11月29日 (月)

■『新子』本と『08小隊』のこと■

『マイマイ新子と千年の魔法』のムック本が、来年早々に発売されます(一迅社より)。
今日も、声優さんお二人(まさか?というような方が登場します)にインタビュー。ついでに、「うお!?」と思うような新資料も多数発掘してきたので、ページの許すかぎり、掲載します。
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エイベックスさんの熱い要望もふまえながら、後悔のない本にしますからね。資料、ぎゅうぎゅうに詰め込みますよ。
いや、本当に後悔したくないな、この仕事だけは……。

でも、私のための本じゃない。
一緒にスクリーンで見た、あるいはDVDでガツンとやられてしまった、あなたのためにつくります。
一迅社さんのサイトからも、じきに情報が出ると思うので、ぜひブックマークを→こちら

さて、本日の取材前、片渕監督と会ったのですが、「今日この後、イイダウマノスケさんのお通夜なんだよ」……はあ。えっ? 飯田馬之介監督のこと?


1999年の春、『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』の最終話を見終わった翌日、インタビューさせていただいた。媒体は「アニメ批評」創刊号で、誰かが2ちゃんねるに、インタビュー本文を書き起こして転載してくれたので、探せば見つかると思う。

口さがない方で、インタビュー中では、富野監督を批判したりもしている。ほんの10年前だN_story_1104が、おおらかな時代だったから、そんな批判に検閲を入れる人間もいなかった。
同じ頃、『カウボーイ ビバップ』のコンテも切られて、それがまた良くてね……ようは口だけの人ではなかった。『ビバップ』のあのエピソード(スペースシャトルの出てくる話ね)も良かったし、『08小隊』の後半パートも、僕は大好きだ。
数あるガンダムの中でも、Ez-8が一番好きだし、MGでも組み立てたよ。

コンビニ本「ガンダムの常識」シリーズでも、『08小隊』のモビルスーツやキャラクター、名場面は、ほとんど僕が書いている。
僕のような仕事だと、そういうリスペクトの表し方がある。「ゼロハチに関しては、俺に書かせてね」ってことだ。
いちばん、うまく書ける自信がある。


インタビューは、2時間にも及ばなかった。
だが、理想家でらっしゃるのは分かった。「みんなで、若い人たちに見せられる企画を考えている」と、熱心に語ってらした。楽しみに待っていた。『銀色の髪のアギト』で「原案」とクレジットされていた。苦心されたのだと思う。
理想家は、人とぶつかりやすい。だけど、そういう人が好きだ。人は亡くなっても、理想は残る。

次の本では、また『08小隊』のことを書く。飯田監督は嫌がるかも知れないけど、僕は好きなんだ。

(C)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
(C)創通・サンライズ
 

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2010年11月28日 (日)

■徒労感その3■

世界の紛争 12月1日発売
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膨大な資料を読み込み、規定のページ数にまとめるだけの仕事だったが、本当に気が滅入ってくるよ。人間、ここまで残酷になれるのか、と。
資料の中に、反政府組織(というか、重武装したマフィアだね)に取材した人のルポもあって、そういう人は本当に尊敬する。

だからってわけじゃないんだけど、アグネス・チャンは、ソマリアに何しに行ったんだろう。
先日、読売新聞で「ソマリアの子供たちを救いましょう」って言ってたけど、なぜ難民が発生したか知ってるか。国内に武装勢力が跋扈しているからだろ。
どうして結果しかみないんだよ。なぜ、原因に目を向けない? ユニセフ募金で集めた金で、RPG(携帯ロケット砲。『ブラックホークダウン』に出てきた)を買って、武装勢力の拠点に撃ちこんでくればいいじゃん。そっちの方が、パフォーマンスとしては効果的だ。RPG構えたアグネスの写真が、世界中の新聞に載るよ。

あと、難民は子供たちだけじゃねえぞ。


この半年間、有能な仲間たちと、新しいビジネスの相談をしてきた。数え切れないほど多くの人の意見を聞いて、経営コンサルタントと戦略をすすめてきた。

公的金融機関をあてにしていたんだが、ふだん使っている預金通帳、家賃の領収証を提出するように言われ、もう我慢できなくなった。
ようするに「廣田さん、あんた、ちゃんと金持ってるの? 光熱費とか払ってる? 証拠を見せてよ、証拠を」ってことでしょ。よくそこまで、人を疑えるものだな。
家賃・光熱費はおろか、NHK受信料も新聞の購読料も、ライター業についてから一円も滞納してねえよ。

日本政策金融公庫は、政府の100パーセント出資会社だ。市は私の収入源を疑い、国は私の金の使い方を覗き見しようとする。アダマ提督なら「もうウンザリだ」というところだよ。
Rpgまったく、RPGを撃ちたいのは、こっちさ。

あいつらに頭を下げるぐらいなら、銀行強盗でもしたほうがマシだ……って書くと、「リアルで犯罪予告をしている」とか言われちゃうんだっけな。


吉祥寺バウスシアター用に作った、『REDLINE』の特製パネルを、他県の映画館さんが展示してくれるかも知れない。
このパネルに関しては、ノーギャラだったんだけど、役立ってくれて嬉しい。地方でも、地道にアニメ映画を盛り上げようと、頑張っている人たちがいる。

言葉は使う人間次第だが、「理想」って言葉は好きだ。「希望」は、どこか嘘くさいが。

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2010年11月26日 (金)

■徒労感その2■

ウィリアム・アダマ提督が、老朽艦ギャラクティカの艦長職を選んだのは、民間企業への転職Imagescas8vvnaテストに、嫌気がさしたからだった。「もう、うんざりだ……お前らに人格を疑われるぐらいなら、オンボロ艦で一生を終えたほうが、まだマシだ」。

別に私は、食いつめて転職したいってわけじゃない。ただ、公的機関は、人を疑うことしか知らんね。
「出版社から、仕事を依頼され、その原稿料で生活しています」と説明したら、三鷹市役所の職員は信用しなかった。俺の納めた税金で食ってるんだから、もうちょっと勉強してほしい。

――やはり、野に生きるしかないか。理想と心中したほうが、自分らしい。


『それでも町は廻っている』第八話、やっぱり龍輪直征さんがコンテ・演出やってる回がダントツではないか。細かいギャグも、すべて面白かったし。
Gmdx15_no0022mAパートのコインランドリー話は、いまや深夜アニメには欠かせないボカシを、どこかレトロなマエバリ風に表現……って、下着は着てるんだから隠す必要ないんだけど、あえてやってる。
Bパートの学園祭ライブも、「よくある、アレやろうよ」って、わざと深夜アニメの定番をなぞっているように思う。

かと言って、深夜アニメに対する批評性とかはないんだよね(笑)。パロディにした、ぐらいの意識はあるかも知れないけど、新房監督は、別にどの作品に挑戦しようとか、越えようとかは考えない人だと思うので。
次号グレメカにインタビューが載るので、ぜひ読んでほしい。

しかし、挿入歌がメトロファルスとは驚いた。


『海月姫』は6話か。
ようは、原作のコマの片隅に小さく書いてあるセリフも、でっかく書いてあるセリフも、アニメだと同じボリュームで聞こえてしまうんだよな。

漫画は絵だけど、アニメは映像なの。『鉄腕バーディー』のとき、キャプチャした絵を「作画崩壊」って騒いでいて、実にナンセンスだと思ったけど……もっと意識しないといけないんだよ。アニメは流れていく映像であって、たとえ30分、まったく同じ絵を放映しても、その絵は止まっていないんだ。
一方、漫画のコマというのは、絶対に動かない。活字と同じで、読み取らないと意味をなさない。

分かりきったことを書いているようだけど、分かってない人が多い。同じプロットで同じセリフなら、伝わるテーマも寸分たがわず同じだろう、と考えてしまう。
そういう人には、皮肉や諧謔が通じない。ずいぶん話がそれてしまったけど、僕は自分の本能的反射を通過させず、いきなり答えにたどり着けると信じている人たちが、とても怖ろしい。

都条例に対する反対意見を、アニメ・キャラにしゃべらせているサイトがあったけど、意見があるなら、君自身の言葉で語るべきじゃないのか……。
言葉だけでどうにもならなくなったら、ぶん殴るか抱きしめるか、それが人間だろう。

Film (C) 2006/2007 Universal Studios. All Rights Reserved.
(C)石黒正数・少年画報社/それ町製作委員会

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2010年11月25日 (木)

■徒労感■

『談話室オヤカタ』の収録に行って来た。今回のテーマは「谷村美月」と「けいおん!!」。配信2回目は『けいおん!!』の話題なのに、池田憲章さんが、とんでもない作品で話をしめくくってくれました。
両方とも、12月配信予定。ご期待ください。


夢じゃないかと思うような夜景を、船の上から2人で見た。

そのまま帰ってしまえば、今夜の思い出が宝石箱にしまわれてしまう。それはイヤだった。安キャバへ寄って、無為な時間をすごし、「なんてひどい一日だったんだろう」と、そんな徒労感に自分を塗り込めたかった。

セクパブを改造した店内には、ジェームス・ディーンのポスターが貼られている。何人かの嬢に聞いてみたが、誰も彼の名前を知らなかった。ぞくぞくするぐらい、嬉しかった。ここは地の果て。『エデンの東』も『理由なき反抗』も、誰も知らない。
「すみません、ウィスキーが切れて、バーボンしかないって言うんですけど……」。おいおい。バーボンはウィスキーだろ。なんて素敵な店に、俺は金を落としていったんだろう。

始発に近い電車で、東京駅へ向かう。皮ジャンを着て、髪を短くした女の人が、どこかのブランドの紙袋を抱いて、眠っていた。少年のような女性が好きだ。

私の人生は「We」じゃない。「I」で十分なのだ。ひとりぼっちが、好きなんだ。


東京都青少年健全育成条例改定案。
以前、ラノベや漫画、アニメの世界で働いてらっしゃる方に、(この改定案にかぎらず)意見をうかがった。
要約すると、「ティーンだった受け手が成人になり、かつてのティーン文化に性的な娯楽価値を見出した(あるいは付与した)。ところが、そこには社会的線引きがなされていなかったので、通過儀礼を経てきた一般人との間に、認識の差ができてしまった。その落差を語る言葉を、お互いが見つけられないから、一般サイドは法で規制しようとする」。

つまり、養老先生の『バカの壁』のように、お互いが共通認識の上に立っていないから、議論も成立しえないのだと、僕は解釈している。
先日の『海月姫』のように、社会と渡り合いたければ、汚いカッコしてないで、身だしなみから始めよう――実はまだ、そんなレベルなんじゃないか?
『ぼくのエリ』の件で、映倫から返事が来たのは、内容証明で質問状を送ったからですよ。匿名で、ネットで陰口たたくレベルじゃ、それは「無視してくれ」と言っているようなものであって。

当改正案を皮肉った、樋口ヒロユキさんのブログ。たいへん気の利いた文章だと思っていたけど、赤字の部分を読んで慄然とした。
マンガやアニメ以前に、本を読め――って、そんなレベルだとは思いたくないのだが。

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2010年11月22日 (月)

■雨の月曜朝■

『マイマイ新子と千年の魔法』公開から、丸1年が経過した。
昨夜、『新子』を見に行ってくれた女性から「廣田さん、あんなに頑張ったのにね」と言われたけど、頑張ったんじゃなくて、耐えていたんだよね。人に言われて、気がついたよ。

あれから一年、また本業とは関係ない、ややこしい事をはじめてしまって、苦労している。
ほら、『十三人の刺客』の冒頭で、役所広司がのんびりと釣りをしているでしょ。でも、凄惨な現実を知ってしまったから、彼は死に場所を見つけて、武者ぶるいするわけですよね。
安全なところで釣りを楽しんでいるのと、血気にはやって立ち上がるのと、どっちの生き方がいいですか?って話です。
当然、後者のほうが自分にウソをつかなくてすむし、悔いも残らないけど、壮絶にツライわけですよ(笑)。

あの映画で、立ち上がったのは十三人。でも、残りの侍たちは、釣りをつづけていた。それが現実です。


土曜は、『行きずりの街』を見てきた。谷村美月が出てくるシーンで、なぜか涙が出てきた。でも、大丈夫。これで原稿が書けるぞ。

ところで、上映前に定食屋でメシを食おうと思ったら、土曜夜のせいか、カップルが多くて席を探すのに苦労した。そもそもが清潔な店なので、女性の一人客もちらほら。

やむなくカウンター席についたのだが、横では、すでに食事を終えた男性二人が、お茶を飲みながら会話を楽しんでいた。どうやら、携帯の画像を見せ合っているようだ。
「おーっ、こんな画像どうしたの?」「エロゲのサイトで拾った」「そういえば、エロゲ声優って……」「○○(アニメのタイトル)の主演声優が、こっそりエロゲに出てたら、それはそれで萌え」……
よく噛んで、ゆっくり食べようかと思っていたけど、逃げるようにして店を出た。話題もさることながら、会話の合間に入る「ふおおおお!」みたいな掛け声?だか合いの手みたいのが、どうにも我慢できなかった。

……あのなあ。この店、カップルも来るよ? 若い女性客だって、反対側に座ってるよ? 俺みたいなハゲたおじさんが横に座ったから、油断したのかも知れないけど、話題は考えようよ。
エロゲの話を一切するなとは言わないけど、公の場では不快に思う人間が多いんだ。「どこで何を話そうが自由」「偏見をもっているほうが悪い」――果たして、本当にそうなのか?

だって、会話の内容さえ聞こえてこなければ、「仲良さそうな友達」って感じで好印象だったよ?


その少し前のことだが、電車の中でサッカーのユニフォームを着て、音楽のリズムに乗ってるイケメンがいたよ。それだけでもイラつくのに、途中から後輩と合流するや、「○○ちゃんって、彼氏いるのかな?」「あんなの、ヤリマンじゃないですか?」――俺がブチ殺したいのは、そいつらの方なんだよ(笑)。
でも、彼らの趣味やワイ談を規制しようとする法案はないわけ。そんな世の中だからこそ、どうしてオタク趣味に弾圧の目が向いているのか、いま一度、考えてみたい。

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2010年11月20日 (土)

■「生きつづける」とは、「自分が変わっていく」可能性を保ちつづけること■

昨夜は、サンプルDVDで『海の上の君は、いつも笑顔。』を見て(この映画はなぜかソフト化されていないのだ)、今夜は立川シネマシティで『行きずりの街』。初日だけど、たぶん座れるでしょう。それを見て、ようやく原稿に入れる。


『海月姫』は、うっかり原作を読んでしまったばっかりに、脚本や演出で、あれこれ工夫しようとしているのが分かるようになってしまった。
3923663「マンガは、空間的な広がりではなく、飽くまで読み取るもの」と言ったのは、押井守。マンガだと、自分の生理で読みすすめられるんだけど、映像はどんどん先へ行ってしまう。
『海月姫』第5話の「鎧を身にまとえ!」というセリフは、マンガでは、もっともっと痛烈だし、爽快だし、迫力があった。でも、それは演出が悪いのではなく、こっちがどう「読み取ったか」の問題だから。

あの、「着るものひとつで、人間これだけ変われるんだよ」というセリフは、僕、人生で3回ぐらい言われたんだよな。実体験によって、作品の重みは変わる。それぞれの人生ごとに、作品はカスタマイズされるんだってことを分かってない人が、作品を数値化する。自分を永遠不変だと思っているから、作品を採点できるわけであって。
「生きつづける」というのは、「自分が変わっていく」という可能性を保ちつづけることなのに。

話がズレたけど、『海月姫』は、育った環境やそれによって育まれた個性を、服装という「鎧」で、どこまで変えられるか――という話だと思う。「変えられる」という可能性の話であって、「変えろ」とは言ってないところが、小気味いい。
少なくとも、「汚いカッコ」「オタクっぽい服装」と言われつづけた僕にとっては、すごくエキサイティング。


『それでも町は廻っている』第七話、Aパートは学校さぼって河原で平日デート、Bパートは04 眠れない弟をつれて深夜の町を探検。それぞれ、面白かった。千葉繁のおまわりさんが出てきたしね。

どっちの話も、実体験的なんだよな。学校さぼってデート? ありましたよ。多摩川じゃないけど、ちゃんと川にも行ったよ。
遠くまで行けるギリギリの距離がバスの終点であるとか、結局はコンピニに行き着くとか、この地域性、ご町内感覚。「懐かしさ」という囮が待っている気がして、ちょっと怖くはある。
いや、東京にも、こういう商店街って、いっぱい残ってるんだけどね。心地よすぎて、怖いのよ。

――こういうアニメこそ、夕方6時に放映しろよ、という意見は、時代錯誤なのでありましょう。「深夜に乱立している状態こそが、2010年代のテレビアニメのあり方なのだよ、キミ」と言われたら、片足をノスタルジアにとらわれている私は、狼狽するしかない。
テレビの視聴のされ方が、昔とは違うのかも知れない。「昨日の木曜スペシャル見た?」という会話は、もはや過去のものなのでしょう。
でも、このアップデートされたテレビの視聴のされ方や、テレビアニメの居場所というものに、ちゃんと理想は込められているんだよね? みんなが望んで、こうなったんだよね?

『それ町』の原作は、テレビ放映が終わってから読んでみようと思っている。

(C)東村アキコ・講談社/海月姫製作委員会
(C)石黒正数・少年画報社/それ町製作委員会

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2010年11月18日 (木)

■作品に対して何かしてあげたい■

昨年末は、特に仕事もなくてのんびりしていた気がするが、今年はどうかしている。4本同時進行、そのうち二つは今月締め切り。

でも、原稿に必要なので、吉祥寺で『十三人の刺客』、見てきた。谷村美月、今回もまた容赦13assassins5なく「酷使」されている。映画のために、身を捨ててるよなあ……いや、いつものことなんだけど。
じゃあ、ずっとこの路線を行くのか?と思いきや、12月公開の『海炭市叙景』では、十八番ともいえる健気な妹役を、しっとりと演じている。
次に何をやるのか、どうしても気になってしまうのが谷村美月という女優。こんな僕は、果たしてファンと呼べるものかどうか。

『十三人の刺客』を見たかった理由は、もうひとつ。全裸で立ちションしている少年の映像に、何の加工もされていない、という映倫のデタラメさを確かめたかった。
未成年者の性器の描写については、一般の映画館で上映するために修正する必要があると申請者に伝えてあり、修正の方法は申請者にまかせております。」という映倫の嘘が、また裏づけされたというだけなんだけどね。

僕が解せないのは、どうして嘘ばかりついている第三者機関に、すべての映画を密室で検閲させているのかという、システムの部分。
これに関しては、配給に聞いても興行に聞いても、必ずデッドエンドとなり、真相を聞くことができない。
だから、この国では、素直に映画を楽しめないのも事実。国内で何をどう撮ろうが、どの国のどんな映画を買い付けようが、映倫がダメといったらダメなんだもん。

こんなことばかり言いつづけて、足踏みしている自分にも嫌気がさす。


いまや、唯一の娯楽となりつつあるファミリー劇場の『アルプスの少女ハイジ』。
Imagesおじいさんが、村へ下りていってパン屋とケンカになってしまうシーンは、よく覚えていた。
無理解な大人を、悪役ではなく、相対化して描くというだけでも、かなりの筆力だと思う。ハイジのことをよく知らずに「かわいそうだ」「変わった子に決まっている」と噂する大人たちを、単なる愚か者に描くのは簡単なんですよ。でも、彼らがそう言わざるを得ないことを、この脚本は否定していない。
逆に、自分に都合のいい価値意識を無限に絶対化する物語は、いちばん幼稚だと思う。

もうひとつ、ハイジの気持ちが急いているときは、おじいさんの話をろくに聞いていない。これもまた、リアルだ。「雨が降って大変だったろう」「雷が怖かったろう」とおじいさんが心配しても、ハイジは口笛を吹けたことが嬉しいから、その話ばかりしようとする。
小鳥に夢中になったハイジに、どうしてペーターがへそを曲げてしまったのか理解できない…というやりとりにも、唸らされた。
ハイジ、おじいさん、ペーターの善意のあり方が、ぜんぶ違うんですよ。ハイジが山の夕陽の美しさに感動しても、ペーターは「こんなの、毎日のことだよ」と味気ないことを言うし、おじいさんは「太陽が、山に挨拶をしているんだ」と詩的な説明をする。リアリティの階層が最低でも3個あるから、世界がギュッと密度を持ってくる、生き生きしてくるわけです。

こちらが登場人物の心をのぞこうとすると、彼らもこちらの心をのぞこうとする。フィクションって、われわれと心のやりとりをしてくれるものなんだよね。
だから、作品に対して何かしてあげたいという気持ちになる。それは丁寧に見つづけることかも知れないし、「こんな作品があるよ」と、人に教えてあげることかも知れない。

(C)2010『十三人の刺客』製作委員会
(C) ZUIYO CO.,LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

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2010年11月15日 (月)

■日曜夜、某私鉄沿線駅前■

日曜の夜、三鷹駅。部活の練習がえりの女子中学生たち。バス停には、長い列ができている。遊びであれ用事であれ、誰もが休日の一日をかけて何かを終わらせ、家路につく。日曜の夜は、いつも必ず、何かが終わっていく。
そんな終焉の気分のなか、僕はS監督のインタビューのために、混みあったバスに乗り込む。

S監督の取材は、いつだって宴会の片隅を間借りして……という感じだった。
今日だけは、取材を申し込んだルートが、僕から直だったせいか、編集と、あとはS監督だけ。3人だ。
日曜夜の気分のせいか、「今日で、この監督と話すのも、最後だな」という気がする。一人の監督に取材すると、「廣田サン、あの雑誌でもインタビューしてたじゃない」という感じで、同じ人に何度か会うことがある。
だからまあ、依頼がくれば、やるんだろうけどね。

寂しいのは、広い居酒屋に、3人でポツンと座っていたせいかも知れない。監督はビール、僕らはウーロン茶だ。監督お一人に飲ませるのは、もちろん心苦しくはある。「この人には、嫌な思いをして欲しくないな」と、妙にそんなことを思わせる人なんだ。


もう十分にお話は聞けたかな、と思ったころ、ビールを頼んだ。それから先は、天国のように楽しかったよ。
監督も、「ビールやめて、焼酎にしようかな」。そうこなくっちゃ。
「監督、○○○○のメイキングDVD、ご覧になりました?」「ああ、本編は持ってないけど、メイキングだけは買ったよ」。それ、僕と同じだよ(笑)。あれは、本編よりメイキングのほうが面白い。
「俺は、□□監督の作品というより、□□監督の発言が好きだから、著書はぜんぶ買ってあるよ」。ああ、それも同じだ。「アニメ業界」をこんな楽しみ方をしているのは、自分だけかと思っていた。
だから、こんなに楽しいから、今夜が最後だって気がしていたんだ。楽しいことって、ずっとは続かないものだから。

トイレに行って、店を出て、オススメの本をあらためて紹介して、ほんの30秒ぐらい、編集と帰り道の順路を話していると、S監督は消えていた。
「あれ、監督は?」と、編集もキョトンとしている。僕は、閑散とした駅の周辺を見渡した。「スタジオに戻られたか、タクシーでも拾って帰られたんだろうね」。

でも本当は、僕らなんかと仲良くしすぎるのは良ろしくない、と監督はご存知なのだと思う。


格別に寂しい日曜夜のバスに乗って、帰途についた。
僕らのような仕事をしている人間と、取材相手との関係は、なかなか難しい。友達になりすぎてはいけない。馴れ合いすぎてはイカンのだ。

どこでどう屈折したのか、一人は嫌いじゃない。孤独を楽しめるのは、ナルシストだからかも知れない。でも、それで良かったんだよな、とたまに思う。

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2010年11月14日 (日)

■映画に追われ、アニメに甘えて■

『ガンダムの常識』Special 赤い彗星 シャア・アズナブル編 発売中
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名セリフ集とか、けっこう真面目なパートを書いたような気がします。
十年前に出た『シャアがくる!』と、セリフのセレクトや解説が似てるかも知れないけど、同じ人間が書いたんだから、しょうがない。

キャラクターで面白いのは、コンスコンとかシャリア・ブルのように、上層部の思惑で、貧乏くじを引かされた人たち。やりたくないことをやっている大人たちをアニメに出す、ってすごい事だと思うのですよ。


一日、最低一本は映画を見つづける日々。
『十三人の刺客』は、月曜日から上映回数が増えると聞いたので、レンタルで『ハイキック・ガール』。かなり昔、押井守が「そぎ落としていくと、映画の本質はアクションになる」と言っていた。それはアクション映画って意味だったのかな…と最近の押井さんの仕事を見ていて思うけど、当時の僕は「アクション=動き」程度に解釈していた。
映画は2コマあれば成立する。映画の本質は、物語ではない。動きだ。『ハイキック・ガール』は、下世話なようでいて、妙に律儀で潔い映画だった。

もう一本、『ボックス!』。
005メガネ教師役の香椎由宇が良かったけど、どういうわけか1カットだけメガネをかけていないという、考えられないミス。1シーンなら分かるけど、1カットだけ、いきなりメガネが消えるんだよ? スクリプターもそうだが、香椎本人が気がつけよ(笑)。
でも、試合中に「ガードってどうやんの?」と聞かれた香椎が、「ガード? えーと、こうだよ」と戸惑いながらもポーズをとるのは、可愛かった。

そして、この後が『海炭市叙景』。知らない映画を見る前の、このドキドキ感。


本当に辛いことや、本当に悲しいことは、なかなか言語化できない。忘れたい、考えたくない…と思いながら、いつの間にかファミリー劇場で放映していた『アルプスの少女ハイジ』を、愛しんでいた。毎日、本当に楽しみだった。

このアニメは、人の心が読めるのか?とさえ思う。
Untitledハイジやクララが、はしゃぎすぎていると、見ているこちらはハラハラしてくる。「大丈夫なのかな」と思っていると、このアニメの大人たちは、まるで見すかしたように、2歩も3歩も先読みしたことを言い出す。それがたとえ良くない知らせであっても、ホッとするんですね。
ちゃんと大人たちは、子供たちの何倍も考え抜いてくれている。その場その場で、ベストなことを言ってくれる。ちゃんと、物事がいい方向へ向かうように。
大人というのは、立場でも役割でもなく、「その瞬間の言動」のことなんですね。

ロッテンマイヤーさん、最終回に「この調子なら、アルムの山へ行かれますよ」って言ってくれたものね。それまでは単に、立場的に大人である、というだけの人物だったと思う。


15年ほど前――いまは、すっかり偉くなってしまったアニメ業界の方と知り合った頃、僕は実写映画ばかり見ていた。なので、その方は、アニメの歴史のようなことを、丁寧に語って聞かせてくれた。
いわく、「70年代ぐらいまでは、子供たちのためにアニメ番組を放映するのは、文化的に良いことだ、という風潮があったんですよ。そんなに儲からなくても、アニメを放映するのは子供たちのためだ、と寛容だったんです」。
『ハイジ』はカルピスの一社提供、最高視聴率は25パーセントだった。
(ちなみに、その方は当時から児童文学を読み漁っていて……今年一本、映画館で公開されました)

そう言えば、おととし出た本なんだけど、『アルプスの少女ハイジの世界』(求龍社)。本屋で見かけて、なぜだか「これは買っておかなくては」と思って、いま本棚にある。
スタッフ・インタビューや企画書なども載ってはいるんだけど、カラーページはシンプルな構成で、子供が見ても楽しめると思う。――なんか、そういう本がいいですね。どうせ作るなら。

ファミ劇の『ハイジ』は終わってしまったんだけど、月曜から、また第一話から放映するんですよ。今度こそ一本たりとも見逃さずに、すべて見てやろうと思ってね。
それはようするに、これから辛いことがいっぱい待っているからなんだけど、とにかく嬉しい。アニメってやっぱり、自分の中のいちばん弱い部分を支えてくれる。「ああ、アニメが楽しみだな」と思うときは、たいてい精神的に弱ってます。

(C)2010 BOX! Production Committee
(C)ZUIYO
 

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2010年11月11日 (木)

■虚構と現実は、互いに支えあい、溶け合いながら、「私」を形づくる。■

2時間あいたら、その間に見られるかぎりの映画を見ていく日々。
『茶々 天涯の貴妃』、宝塚出身の主演女優がいい。明日は早起きできたら、『十三人の刺客』だ。


2008年版『櫻の園』、これが予想外に良かった。中原俊、まだまだ枯れていない。むしろ、こういうものは若い監督には撮れないのだろう。1990年版が好きとかいうと、なんだか通ぶって聞こえるんだけど、俺は2008年版のほうが好きかも知れない。

Img20081014_p主役の福田沙紀は、バイオリニストへの道を自ら蹴って、名門校へ転校してくる。
この小エピソードのおかげで、福田が強引なまでのリーダーシップを発揮する説明ができている。途中で、『櫻の園』の上演をヤケクソ気味にあきらめる理由も、納得がいく。

映画の中盤、福田は、一度は自らやめると宣言したはずの『櫻の園』上演を、あっさりと再開することにする。そう決意するシーンは、ぽっかりと穴が開いたように描かれていない――が、男友達から作曲の才能を認められ、「俺たちのバンドに入ってくれないか」と誘われるシーンが、直前にある。
彼の誘いに対して、福田は「ありがとう」「でも、がんばるって決めたから」「迷っちゃいけないんだ」と、抽象的なことしか言わない。そこで、シーンは切れる。……でも、これで分かるよね? バンドに入って作曲するより、自分にはもっと大事なことがある、それが『櫻の園』上演だって、福田は気がついたわけだよね。
でもだからこそ、『櫻の園』がどうの、といったことは決して口にしない。

そして、福田は、一度は解散したメンバーを公園に集める。その小さなステージの上で、福田は『櫻の園』の一節を口にする。「あなたを縛りつけている世界から、出ていきなさい。風のように、自由になりなさい!」 
メンバーたちは、セリフが頭に入っているから、彼女が上演を決意したことが、パッと分かるわけです。そして、舞台劇のセリフの数々が、まるで自分のことを言っているように思えてくる。

このシーンで、公園のステージに上がった福田や他のメンバーたちは「虚構と現実の区別」をつけていない。そんな区別は、つける必要がないんですよ。虚構と現実は、互いに支えあい、溶け合いながら、「私」を形づくる。形づくっては、壊す。
この映画を見ていると、何だか人生に必要あるようなないような「フィクション」という不思議なものの効力が、よく分かるような気がする。


この映画は興行的に失敗したそうだが、鬼の首でもとったように、そのことを記事にしているヤツがいたな。そしてまた、作品を見もしないで、付和雷同する連中の多いこと。
その記事によると、この2008年版『櫻の園』は、1990年版の「後日譚」だそうだが、一体どこが? 他人の失敗を笑うのは自由だが、せめて自分の目で見てから書こうな。

ところで、男友達が福田沙紀の家を訪ねてくるシーンで、福田はインスタントの鍋焼きうどんを茹でている。玄関のドアを開けるとき、うどんを茹でていた菜箸を、さっと背中に隠すんだ。「なんて人間くさい芝居だろう」と思って。
たったそれだけの発見が、なんだか嬉しいんだよね。

(C)2008櫻の園製作委員会

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2010年11月 9日 (火)

■届かないかも知れない石■

先週の三鷹市役所の「あなたの仕事は無職です」発言を受け、寝不足のまま、立川某所へ。
「11年も文筆業されてきて、確定申告を出してこられたんですよね? でしたら、それが信用になりますよ」
「いえ、三鷹市は信用してくれませんでした。それどころか、無職と呼ばれたのですが」
「税金を収めてきた人が、無職のわけがない。三鷹市役所には、私から注意しておきます」
よろしくお願いします、と頭を下げて、たぶん次のフェーズに進めそう。

やはり、ある企みを持っていてる知り合いから「自由業って、パチプロみたいなもんなんですかね」と言われた。そうかも知れない。狩猟民族。モデラーのときもそうだったけど、「コレ一個つくったら、自分の口座に、その分のお金が入る」って、分かりやすいじゃん。
下手くそになったら、注文が来なくなる。それも分かりやすい。

でも、17歳のころにモデラーとして初仕事して、友達に「そんなの仕事とは呼べないよ」と言われ続けながら、大学でて、就職もせずにモデラー業だけで貧乏暮らしして……社会と接点、なかったんだよね。
ほんの短い就職期間も、サンライズとゲーム会社のみ。ずーっと揺りかごから抜け出てない。ずーっと、子供のまんま。それじゃダメなんだ、と今回は痛感した。

つまり、「アニメーションの雑誌? そんなもの、あるんですか?」という年配の異業種の人に出会って、それでやっと「アニメ文化」(なんてものがあるとすれば)の社会的認識度が、分かった気がする。説明するの、すごい大変だから。


今月中に片づけなきゃいけない仕事のため、映画を見はじめる。まずは『マリア様がみてる』。
101109_12270001映画館、こんなディスプレイになってた。
平日昼間なのに、30人ぐらいの入り。原作ファンでしょうな。波瑠が目当ての客は、俺ぐらい?

ロケ地(ロケセット)が良かったので、低予算なのは、そんなに気にならなかった。低予算というのは、映画の味わいだから。貧乏をバカにしてはいかんですよ。

波瑠は、三白眼なので、半目びらきになると、すごく妖しい目つきになる。不健康。『女の子ものがたり』の元気な役もよかったけど、まだまだ、いろんな役が出来そう。
あと、滝沢カレンがいいアクセントになっていた。でも、女子高生に見えないよ、あなた(笑)。銀座のホステスだよ。

クライマックスが文化祭の演劇なんだけど、舞台そのものは映さない。古いほうの『櫻の園』だな。
ただもう、あの頃の日本映画のように、無理する必要はないんだ。評論家にほめられなくても、ちゃんと客はいますから。全部で3人ぐらいかと思ったら、前後左右に客が座って、窮屈なぐらいでしたから。


俺の『マリみて』をこんな風にしやがって……という人もいるだろうし、俺もよく分からない箇所が多かったけどさ、「けっこう原作に忠実だった」と語ってる客もいたし、呉越同舟でいいじゃない。
違う意見同士でかたまって、遠くから届かないかもしれない石を投げ合うの、いい加減にやめよう。
「誰得」とか言ってないでさ、自分の知らない価値観が、この世に厳然とあることぐらいは認めなきゃ。

帰りに、新しいほうの『櫻の園』借りてきた。似たタイプの映画はつづけて見たくないんだけど、仕事だからね。

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2010年11月 7日 (日)

■海月姫の原作を■

PCが不調で、完成した原稿を送れぬままに、ケーブルで『おくりびと』。
アカデミー賞受賞作だからといって、これを日本映画の最高水準だとは思って欲しくない。広末涼子の泣きの芝居はよかったかな。涙を流さず、鼻だけ赤くする。上手かった。
どんな映画でも、女優に罪はない。キャスティングしたほうが悪い。


アニメが放映終了してから……と思っていたのだが、『海月姫』の原作漫画を買ってしまった。
Kuragehimeテレビの「痛さ」は薄く、はるかにソフトな感触で、ギャグにも素直に笑えるのだが、どういうわけか、涙が出てきた。

男も女も、肉体という輪郭を与えられているだけで、本質は変わらないんじゃないかと思えてくる。「男という輪郭」を与えられた蔵之介は、女装というスキンをまとうことによって、その限界をこえようとする。さらに、月海を「女装」させることで、見えづらくなっていた「女としての輪郭」を鮮明にしてしまう。

このマンガにおける「女装」は、単なるフェティシズムでも趣味でもなく、拡張現実に近い。男であろうが女であろうが、それぞれの個体の持つポテンシャルを(現実以上に)拡げてしまう。パワード・スーツみたいなものだ。衣類はもちろん、メイクもウィッグも着脱可能で、いつでも拡張された「女らしさ」を脱ぎすてることが出来るのだから。

ただ、だからこそ――クラゲの飼育が好きで、クラゲの絵を描くのが好きなら、無理して「女らしさ」なんてまとわなくていいんじゃないか?と思える。
自分ひとりぶんの楽園を維持するのに、せいいっぱいの人だっているんだよ。だから、僕は泣いたんだ。


ところで、原作漫画では「腐女子」と書かれている部分が、アニメでは「尼~ず」になっている。正しい変換だと思う。「腐女子に聞いてはいけないこと」とテレビで断言してしまうと、作者の主観ではなく、一般化された見解と受け取られてしまうだろう。
小説や漫画では、作者個人の顔が見える。しかし、テレビというのは公に開かれたメディアだ。老若男女、どんな人が見ているか分からない。

実際、「処女?」というセリフは、声優の声で聞かされると、ずいぶん失礼に感じる。ところが、漫画の中の字面だと、いくぶんソフトに読み取ることができる。もちろん、少女漫画誌に掲載、という部分でフィルタリングもされているでしょう。
反面、テレビだと聞くともなしに耳に入ってきてしまう。アクシデント率が高くなる。

メディアごとの影響力の大小について、送り手も受け手も、鈍感であってはならないと思うのです。


どうしても続きが気になるので、『海月姫』の2巻と3巻を買いに、近所のTSUTAYAに行った。領収証を出してもらおうとしたら、レジスターが壊れて発行不能。手書きの領収証は、アルバイトには発行権限がないという。
バイトくんは、あたふたしている。僕はなんだか悪いことをしている気持ちになって、汗が出てきてしまう。彼もつらいが、僕もつらい。日曜の夜、楽園から最も遠い場所。小器用に世の中を渡ってあるく連中には、想像もできまい。

お釣りをもらいそこねた気がするが、それはもういいや。

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2010年11月 5日 (金)

■私の職業、「無職」だった■

ひとつ企んでいることがあって、その用事で市役所に行ってきた。
まず、雑誌や本に記事を書いて、その原稿料のみで10年以上も生きていることが、分かってもらえない。親元で暮らしてるわけでもないし、副業があるわけでもない。スタンド・アローンの一人暮らしで、ちゃんと貯金もある。
でも、そんな仕事にいちばん近いのは「無職」なんだと言われたよ。おいおい。年間、いくら納税してると思ってんだよ。

もうひとつ、詳しくは書かないけど、ある制度を紹介してもらった。
若者と女性向けの制度で、女性は年齢制限なし。男性は年齢制限付きで、俺のようなオッサンは対象外。……ね? 女性は、血縁や地域が生かしてくれる。男性は、「てめぇで頑張れ」と、市の制度までが言っているでしょ。
頼まれなくても頑張っているけどさ、これで「男性が生きづらい世の中」ということが、分かってもらえただろうか。


さて、『海月姫』である。
大金をかけた女装によって、母親不在の父権家庭から距離をおきたい男子大学生・蔵之介。彼は、主人公の月海をはじめとするオタク女子たちを面白がりながらも、彼女たちが団塊ジュニアの30代ニートであることを暴く。暴くだけで、批判はしない……がために、ここには相容れないふたつのコミュニティが並存してしまっている。その光景が、僕には痛々しく感じられる。

蔵之介が真に暴力的なのは、化粧ひとつしない月海を、メイクで「女の子らしく」変身させChara_tsukimiてしまうところだ。月海は、女だからといって、本当にオシャレでなければいけないのか、鉄道オタクや三国志マニアのまま生きていってはいけないのか、激しく悩む。
「男らしさ」から逸脱したはずの蔵之介は、「女の子はオシャレでなくてはならない」という因習にとらわれている。その暴力的矛盾に、蔵之介は今のところ、無自覚だ。
――エキサイティングだ。面白い。おおいに考えさせられる。

僕には、無職を笑えない。20代のころは、最下層のアルバイトを転々として、ひどい貧乏を強いられたものだから。
ニートは「社会性がなく、能力もなく、働く意欲もないごく潰し」のように世間では定義され、ネットでは相手を卑下するときに用いられるけど、でも、僕には笑えない。環境ではなく、心の問題だと思うからだ。

『海月姫』は、蔵之介の「男らしさからの逸脱」に肩入れしながら、「女の子らしさ」にコンプレックスを持つ月海たちを全肯定しない。
大金持ちの政治家の家庭と、親の仕送りで暮らすニートたちの下宿との、どちらがいいとも悪いとも言わない。
それが、こんな社会に生きる若者への、せいいっぱいの誠意だと言わんばかりに。


『それでも町は廻っている』第5話、奇跡的なバランスで笑わせてくれた第2話を越えられないのは分かっているけど、後半の小学生が駄菓子屋デートってのは、きゅんと来た。
Img_20100809t234406281あと、このアニメはオッサンとババアをたくさん出したほうが、面白くなる。第2話は、オッサンがいっぱい出てきたよね。

あと、このアスペクト比、正味23分かそこらの中で、「これがベスト」という密度があるように思える。第2話だと、ときどき、キャラがシルエットになる。それによって、情報量を調整しているんじゃないかな。
あと、小見川千明のトーンの高さに対して、悠木碧の声が抑えめで、すごく聞きやすい。そこへ、櫻井孝宏のババア声。このアンサンブルが、第2話は、とても気持ちよかった。

『それ町』は『ど根性ガエル』の復権と言いたいけど、夜中の2時や3時に放映じゃなあ。夕方5時がぴったりなテイストなのに。

(C)東村アキコ・講談社/海月姫製作委員会
(C)石黒正数・少年画報社/それ町製作委員会

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2010年11月 4日 (木)

■プレゼント■

『ぼくのエリ 200歳の少女』、結局どうなったの?と聞かれました。
まずは、映倫からの回答書→こちら
この回答書現物のコピーを配給会社のショウゲートへ送付し、その上で電話しました(10/25)。ショウゲートさんは、私に文書で返答すべく準備中だったそうですが、長引かせても悪いので、その電話で、お話を聞きました。

結果、映倫からの回答にある「未成年者の性器の描写については、一般の映画館で上映するために修正する必要があると申請者に伝えてあり、修正の方法は申請者にまかせております。」――これは、虚偽だと判明しました。少なくとも、ショウゲートさんには、何の通達もなかったそうです。
ここで、映倫に再度、質問をしたところで「申請者には伝えてあります」の一点ばりでしょう。彼らは、嘘をつくことに慣れている。

それにしても、『ぼくのエリ』にかぎらず、映像作品の不自然な修正は、もう少し疑問視されてもいいんじゃないかと思っていたのですが、実はみんな、たいして気にとめてないんですね。
「モザイクがあるのは、問題があるシーンだろ」「モザイクが入らないなら、問題ないんだろ」程度の認識みたいです。「何か問題なら、しかるべき機関が何とかするだろ」的なスタンス。まして、「なぜモザイクを入れた?」と当事者に抗議するなど、思いもよらないのでしょう。

と、ここへ来て、『ぼくのエリ』に関しては、まったく別の方向から動きが出てきました。来年になってしまうでしょうけど、この問題に一石を投じることが出来れば……。


朝早くから打ち合わせだったのだが、こんなものをもらった。
101104_13270001中身は高級品だし、抱えるようにして電車に乗ったら、こういうものを気にするのは、やはり女性であった。結ばれたリボンは、ただそれだけで、ひとつの物語だ。

萩尾望都の『アメリカン・パイ』を読んだ。深窓の令嬢のくせに、少年のような格好で街をふらつくリュー。性別はもちろん、過去からも自由なリューは、それゆえに死にさらされ、永劫の時という深淵をのぞいてしまう。
リューという個体は滅びても、その存在が忘れ去られても、彼女の想いだけは残りつづける。
自由とは、執着を忘れること。実は、とても死に近いのだ。


『アルプスの少女ハイジ』、ペーターがそりを手作りする話。工具の使い方が、どんどん上手くなっていく。これは、実際に工具を使ってみないと描けないよ。
こんな作品を当時の子供たちが理解し、CS放送とはいえ、いまだテレビで流れつづけているという事実。


たまには、アカデミー賞候補作も見なければ、と思い、編集に教えてもらった『ブラッド・ダImagesイヤモンド』。紛争ダイヤだけでなく、少年兵の問題も扱っている。

すっぱりときれいに終わるんだけど、こういうモチーフは、どこか不合理な割り切れなさを残したほうが、問題意識が残って良いのではないかと思う。その暗いドンヨリ感が、次へと興味をつないでくれるから。

(C)Lonely Film Production,cortesy of WBEl

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2010年11月 1日 (月)

■コミュニケーション■

日本映画専門チャンネルで、相米慎二の遺作となった『風花』。
Archive06_2なんでこんな映画、録画したのかな?と思ったら、小泉今日子と麻生久美子が出ていたからだ。
小泉は、人生に行きづまったピンサロ嬢で、行きずりのアル中若手官僚と故郷を目指す。『ションベン・ライダー』や『台風クラブ』の頃の、暴力的ともいえる難解さはない。相米監督は、ガキ相手に挑戦しなくなった時点で、役割を終えられた気がする。

小泉今日子、当時35歳ぐらい。最近の『グーグーだって猫である』『トウキョウソナタ』より、ひょっとすると大傑作『転々』より、生き生きと楽しそうだった。でも、それはあれだ。相手役の浅野忠信が引き立ててるんだな。


『模型戦士ガンプラビルダーズ ビキニングG』第二話。「ガンプラを初心者向けに売る」という戦略に特化した、いたって健全な番組。
61esp6ipbhl__sl500_aa300_松尾衡監督、マニアックに走ることなく、ガンプラ作成シーンにも戦闘シーンにも、きめ細かく気を配り、がっちりと必然性を与え、いまや数少ない「男児向けマーチャン・アニメ」を、誠実に作り上げている。
変な内輪受けもないし、適度に勧善懲悪なのも好感。

なのに、これが地上波で放映されず、BSとネット配信のみ……逆だろう、それは。

『ガンプラビルダーズ』のあと、録画してあった『アルプスの少女ハイジ』第28話を見た。ええと、これはアニマックスか。子供向け番組には「正解」がある。その正解を子供が日常的に見づらい状況は、やはり間違っている。


ノイタミナ『海月姫』、オタク少女たちとオシャレ女子(実は男子)の、ディスコミュニケーションの話。
「オタクは、価値観の違いすぎる相手の前では、石のように固まってしまう」。自分のことを言われているようで、あぶら汗がでる。オタク趣味を満喫し、会話の通じる狭いコミュニティで固まっている彼女たちに、「誰にでも同じように接しろ」というのは、酷だ。酷だけれど、必要なことだ。

常に重要なのは、コミュニケーションだ。コミュニケーションを安易に描いてはならない。その点、『海月姫』は、なかなか容赦がない。
物語はロマンスを予感させるが、だからこそ、脱オタクの通過儀礼を描かざるを得ないだろう。石のように固まっていては、人は前には進めないのだ。

(C)ビーワイルド/テレビ朝日/TOKYO FM
(C)創通・サンライズ

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