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2010年10月 1日 (金)

■髪色各種■

まずは、『マイマイ新子と千年の魔法』の話題。明日2~3日にかけて、山口県防府市でイベントが行われます。
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まあ……場面カットも、ひさびさに見ましたね。
なるべく映像の記憶をぼやかして、何年後かのスクリーンでの再会を、最高のものにしたい。なので、実はDVDは一度も再生してません。映画館に来られなかった友達に、貸してあります。

その一方で、思わぬところで「署名やってた人ですよね」と声をかけられたりして、そういう有機的な関係も大事だし、DVDが出たことで友達に見せられるようになったし……で、遠くから小さな声で応援してるほうが、自分らしいとも思うし。

吉祥寺での上映イベントでは、防府や他県の方たちから、応援していただきました。
今度は、私のほうから、聖地でのイベント成功をお祈りさせてもらいます。


『化物語』最終話、レンタルでやっと見終わった。
Cat15_04_3真宵の出るシーンだけ、背景が「まよいマイマイ」と同じく、ル・コルビジェ調になってる。そういうところに、感心する(この絵は違うけど)。
ラスト近くの忍野の廃墟も、ちょっとコルビジェ風になってた。あのシーンには真宵がいないから、せめて背景だけでも……という配慮だったら、素晴らしい。
ストーリーは最後まで難解だったけど、尾石さんの次回作が楽しみ。次はもう、いきなり映画やってほしい。

あと、『けいおん!』もそうだけど、キャラの瞳のハイライトが小さいと、ハイティーン向きというか、男性向きになる。
ハイライトの面積が大きいと、女児向け、女性向けになるようです。『会長はメイド様!』なんて、ハイライトでかいですよ。
『とらドラ!』『ハルヒ』も、ハイライトは小さい。その代わり、グラデーションに力を入れて、艶っぽくしている。彩色時は仮色でベタ塗りして、撮影でグラデーションをかけるという、デジタル時代ならではの、一種のトレンドでしょう。

あと、『プリキュア』のマスコット・キャラの黒目にはグラデーションがない…というのはピカチュウも同じ。塗り絵とか、グッズの関係でシンプルにしてあるのかな、とも思う。


もうひとつ、髪の毛の色。黒か茶系の、渋い彩色が増えてきたけど、どう割りふっているのか。
Ga08_2『ギャラクシーエンジェる~ん』を取材したとき、5人なら5色の色相を割りふる、と聞いた。赤、青、紫とか。ところが、『エンジェる~ん』の主人公は、イエローオーカー。青紫の補色だから、こいつは脇役の髪色である、主人公にしては地味すぎたかも、と。
いま見ると、けっこう派手だけど、ピンクや紫のキャラに混じると、これでも地味なわけです。宇宙空間だと、かなり地味な髪色である。
――それだけ、今は日常を舞台にしたアニメが増えたってことなんでしょうね。

『ひだまりスケッチ』も『けいおん!』も、鮮やかな髪色は、主人公から外してます。やや彩度の低い地味な髪色を、主人公に割りふっている。
デジタル化によって、使える色の数が増えたって理由もあるんでしょう。口で言われるほど、美少女キャラ(死語)は記号化も類型化もされてない、と僕は感じる。

そう考えて見ると、『新子』は、けっこうトレンドですね(笑)。

(C)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
(C)西尾維新/講談社・アニプレックス・シャフト 
(C)ブロッコリー・バンダイビジュアル

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コメント

『新子』に関しては、あまり他作品と比較して優れてる事を強調するのは、信者の自己満足と言われるだけか、場合によっては贔屓の引き倒しにすぎず、もっと状況と同時代的な部分を指摘する方が有意義ではないかと思っています。ただでさえ、ある種の文脈に対してねじれてて、人によっては入りにくい作品でもありますから。

投稿: zapo | 2010年10月 2日 (土) 08時38分

■zapo様
このブログのコメント欄でもそうなのですが、何か別作品の問題を話しているときに「だって、『新子』だってそうですよ?」と、「あんたなら『新子』を否定できまい?」的に説得しようとする人がいます。
――それは甘いです(笑)。もっと多様な見方をしているし、公開時に何がマズかったのか、現時点で赤字なのはなぜなのか、いくらでも「悪い例」として欠点を言えてしまいます。

だから、通俗的なものと、どんどん乱交すべきなんです。清濁併せ呑むのが人間であって、清い部分だけでは生きられませんから。
富野由悠季さんが「アニメを見るな」「身体を使え」と言ってるのは、そういうことだと思います。
(僕が表現規制を決して許さないのは、人間の汚れた部分を奪ってしまうからです)

勘違いしたことを書いてるかも知れませんが、信者とアンチしか存在しないネットの世界がいやになったら、電源を落とせばいいのに…ぐらいに考えています。

※補足です。昨年12月ごろ『新子』をプッシュしていた人たちは、『新子』に全力投球するしかなかったと思います。あれから10ヶ月が経過して、状況も変化したので、当時の人たちの意見がバラけてくるのは、ごく自然な流れだと思います。

投稿: 廣田恵介 | 2010年10月 2日 (土) 09時50分

防府での野外上映会、無事終了いたしました。
前日までは素晴らしい天気でしたが、当日の午後から崩れ始め、開場まで2時間を切ったところで会場準備中に激しい雨になりました。
ですが、開場時間には雨はあがりました。わずかですが晴れ間すらのぞきました。おそらくお客さんで雨具を使われた方は、ほとんどいらっしゃらなかったのではないかと思います。
公開からもうすぐ1年。国衙の地で、多々良山の山影をバックにこの映画を観ることができたのも、廣田さんをはじめ様々な方々のおかげだと思っています。

投稿: silver_copper | 2010年10月 3日 (日) 23時42分

■silver_copper様
すると、吉祥寺のドカン・デーと同じ奇跡が起きたわけですね。
そういうツキだけは、とことんいい映画ですね(笑)。配給会社に恵まれなかったり、いろいろありましたが……。
そういう意味では、11月21日は「記念日」にして欲しくはありません。あー、でも話題性という意味では「一年も上映してる映画」と言い得るので、いいんでしょうかね。

でも、レンタル屋の棚に並んで、他のアニメや映画と並列に見られて、その上で「つまんなかった」と言われるのは、それはそれで幸福なことだと思っています。
何だか、文化的に難しい文脈で語る人もいますが、ごく当たり前に消費されて欲しいですね。

投稿: 廣田恵介 | 2010年10月 4日 (月) 00時02分

廣田さんへ

お返事何度か読みましたが理解できない展開があるので、話がかみ合ってないのでしょう(笑)。

議論をする気は毛頭ないので、私が念頭においてる事だけもう少し書くと、『新子』の商業的問題は、観客の通俗的な作品受容の文脈から外れてる、もしくはねじれてる事に尽きると思います。タイトルやメインビジュアルから受ける印象、初見での物語的物足りなさ、もちろんそれは意図的であり美点でもあるのだけど、この期に及んでも商業的に不振なら、その敷居を越えられない人が多いといわざるを得ない。だから「ごく当たり前に」消費されることが理想とおっしゃってましたが、それはまさに理想論で、作品自体が普通に消費されることを拒むことで特異性を持ってるといえるし、宣伝でどうこうなる問題ではないと思われます。
一方で、「物語的・ドラマ的な弱さ」があるのに作品としては出来てる、というのは『けいおん』のような作品を念頭に置くと時代的な必然性があるようにも思える。2作品の違いを指摘する人が多いけど、それは瑣末な問題に過ぎなくて、私には同時代性の方がはるかに重要だとずっと思ってました。何だったら、これに『宇宙ショー』を加えてもかまいません。他にもあるでしょう。こういう作品群に対し、昔の観点から物語的充実が作品の質を上げる事になるという指摘があるとして、それがどれだけ有効になるのか、議論に値すると思います。
冨野氏の指摘が出ましたが、それは昔からある「現実の虚構への優位性」ですよね。それは一定の題目としては有効ですが、今は昔と違い現実の方が虚構より場合によっては酷い事になってると言えます。むしろ、そういう状況が、虚構の中の物語の弱さに密接に関係してるのかもしれない。
「昔」は無敵なので、「今」は必ず負けます。そういう負けのない所から語る人が多いですが、そうした議論から生まれるものは少ないですね。

投稿: zapo | 2010年10月 4日 (月) 17時43分

■zapo様
こちらの理解が悪く、お手間をとらせます――この言い訳は『鉄腕バーディー02』の作画崩壊騒ぎのとき、よく使いました。
あれも「昔」の作画の良さを論拠にするしか、戦いのようのない議論でした。

何がおっしゃりたいのか、だいたい把握できてきた、と思います。
つまり、『けいおん!』的物語が、「今の」私たちに何を果たしてくれているのか、もっとよく吟味したほうがいいのではないか……ということでしょうか。
それに対し、「昔」に依拠し、さらに「昔」への想像力を肯定する『新子』は、実は、「今の」物語としては脆弱なのではないか?――だとしたら、私も納得します。
公開前から、「誰に向けてつくったのか」「難解」「当たらない」という風評は耳にしていました。それを噛んで含んだ上で、『新子』をサルベージしたかったのですが、詳しい動機を書くと、論点がズレそうですね。

>2作品の違いを指摘する人が多いけど

そうなんですか? だとしたら、『けいおん!』と『新子』を比較する動機が、ちょっと分かりかねます。
若手女優を配したテレビドラマと、通好みのヨーロッパ映画を並べて、「後者のほうがドラマ的に優れている」と言っているようなものだと思います。
レンタル店に行けば分かりますが、単館系の映画よりも、連続ドラマのほうが、棚を多くとっていますよね。その理由は「客層が違う」だけであり、両者の売り上げを比較しても、無意味だと思います。

「今の」私たちが考えるべきは、どうして『新子』がいまだに受容されないのか……ではなく、『けいおん!』が広く容認されている理由は何か、なのでしょう。
私が『けいおん!!』のカット割りについて考察してみたのも、「萌え」で切り捨てるには、もったいないほど丁寧につくられている部分があると、気がついたからです。『新子』は、いっさい関係ありません。どちらが上でも、下でもありません。

物語を読みとくコードは、無数にあります。それは、個々人が、体験的に獲得していくしかないのです。
『けいおん!』と『新子』の比較――それは、さっぱり分かりません。私にとっては、どちらも別々の意味で興味深い作品なので。

投稿: 廣田恵介 | 2010年10月 4日 (月) 19時06分

長引かせるつもりはないので端的に書きますと、おっしゃるとおりで、関係ない2作品を単純
に比較するだけでは無意味なので「信者」という言葉を使わざるを得ないし、アニメの物語の
あり方が決定的に新しいものに変容しつつあるのではないかという問題意識の中で捉えなおす
なら、必ずしもこの2作品に限らず、いろいろと見えてくるものがあるのではないかと言うと
ころですね。

投稿: zapo | 2010年10月 4日 (月) 22時00分

■zapo様
私の理解が悪くて、お手間かけました。

しかし、一体、どういう流れで「信者」とか『新子』と『けいおん!』との比較とかいった話題が、そんなことを書いてもいない私のところへ来たのか(笑)
いきなり、別のところで起きている議論に巻き込まれた感じがして、かなり戸惑いました。

>関係ない2作品を単純に比較するだけでは無意味

だったら、そんな論争(?)に無理に参加する必要はないと思いますよ。

なぜ、この話題が私にふられたのか、よく分かりませんでしたね……。

投稿: 廣田恵介 | 2010年10月 4日 (月) 23時44分

はじめまして。コメントさせて頂くのは初めてですが、以前より拝見させていただいております。
さて、「新京極シネラリーべ」とゆう映画館のイベントで マイマイ新子 が(17日と20日の2回ですが)上映されます。これまで映画館で見逃し(京都はすぐ昼間のみの上映になった)、各地でのイベントを指をくわえて見てるだけだった私にとって、大きなスクリーンで見れるのは、廣田さんを始め、これまでマイマイ新子を応援されてた皆様の力だと思い感謝しております。
廣田さんもよくおっしゃられてますが マイマイに限らず、情報が氾濫している時代で受動的に生きる必要なんてどこにもないのに つい目の前の情報に満足してしまう。私も声をださなければ、と思います。

投稿: えみぞう | 2010年10月 5日 (火) 19時55分

■えみぞう様
はじめまして。コメント、ありがとうございます。
「第9回 新京極映画祭 夢 Dreams」ですね。http://www.shinkyogoku.or.jp/event/mfesta10.html

けっこう最近まで、「京都で、もう一回できないだろうか」という話は聞いていました。一般ファンだけでなく、業界の中にもプッシュしてくださる方がいるとも聞いております。

今年の正月明けだったと思いますが、私も京都の映画館にも「上映してくれませんか」と電話してみたのです。
しかし、例によって業界のダークな約束事が理由で、断られてしまいました。それが、こういう形で実現するのは、私の知らない、どなたかの尽力のたまものだと思います。

夏休みは上映会、秋は映画祭で、ずっと上映されている。子供向けとアート作品、両方の顔を持つ『新子』ならではのサバイバルぶりだなあ…と心強く思います。


投稿: 廣田恵介 | 2010年10月 5日 (火) 21時16分

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