■彼らは、われわれの倫理につけ込む■
EX大衆 11月号 発売中
●西田麻衣 グラビアポエム執筆
今回は、袋とじ。だったら、もうちょっとエロいポエムにしたのに、見本誌が来てから分かった。
ポエムを書くときは、自分を「下賎なケダモノ」にする必要があるから、気分をそっちへ持っていくのに、数時間かかる。執筆自体は、10分ぐらい。
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『ぼくのエリ』のその後。ショウゲートの配給担当さんに、映倫からの回答書のコピーを送りました。話を蒸し返すようで、本当に気が引けるのだが、関係者全員が沈黙してしまった以上、やむを得ない。
コメント欄にも書いたけど、「黙っている」ということは、つまり映倫の方針に賛成なんですよね、皆さん?
全興連が、映倫に付和雷同するだけの形骸であることは分かった。それでも、このボカシは異常ではないかと、声をあげる映画館主の一人さえいないとは……。
観客にここまでさすなよ、情けない。
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電車の中で、ひさびさにゾッとする広告を見た。
ビール酒造組合が05年からやっている「STOP! 未成年飲酒」キャンペーン。過去の広告ギャラリーを見ると、とにかく必死で無理やりなキャッチコピーに苦笑してしまう。しかし、今年の広告コピーは笑えない。
「10代の飲酒。どんなに価値観が多様化しても、全員一致で×です。」「社会がNO! ルールだからNO!」「お店がNO! メーカーがNO! STOP!未成年飲酒!」
……笑えない。だって、10年後、いや5年後の日本って、いやひょっとしたら今現在、部分的には、もうこういう国になってるよね? 野暮なことは言いたくないけど、映画業界がすでに、映倫ファッショ体制でしょ?
映倫の大木圭之介委員長は、映倫のHPで「言論・表現の自由は民主主義の基盤をなすものですが、近年、メディア規制の動きが加速しています。残念なことに、市民も規制を望んでいるといっても過言ではありません。」なんて言ってるぞ?
市民が規制を望んでいる? いつ、誰が望んだ? でも、誰もつっこまないでしょ。このビール酒造組合のキチガイ広告には、さすがに抗議のメールを出した人がいるそうだけど、言論って、こうやって統制されていくんです。
だって、心の中では「確かに未成年の飲酒は、法律で禁止されてるもんなあ」とか「いくら表現の自由でも、未成年の性器を映画に出しちゃマズイかもな」とか、すでに抗えない倫理観が刷り込まれてるでしょ? その倫理観の上に、彼らは自分たちの都合を「乗っける」んだよ。みんなの心の中に漠然とある倫理の上に、自分たちの思想を、さも直結しているかのように「上乗せ」する。絶対に逆らえないように。
アグネス・チャンが「子供の裸を見なくても、死なないでしょう」と、国会で恫喝したのと、まったく同じ。彼らは、われわれの倫理につけ込む。利用する。
ああ、いつかのBOOK-OFFの強制参加ボランティアも同じだね→これ。「だって、子供たちがかわいそうじゃないんですか?」という脅迫だったからね、あれは。
こちらが黙ったら最後、「全員一致で×」「ルールだからNO」で押し切られてしまう。
沈黙は、権力者への恭順を意味する。怖れずに発言しつづけることだ。
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第一期『けいおん!』の再放送を見て、あらためて、戦慄すべき珠玉のカットをいくつか発見した。『それでも町は廻っている』は、音を聞いているだけで、多幸感につつまれる。またいずれ、そんな話もできたらいいなあ。
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コメント
> 「未成年の飲酒。どんなに価値観が多様化しても、全員一致で×です。」「社会がNO! ルールだからNO!」「お店がNO! メーカーがNO! STOP!未成年飲酒!」
> ……笑えない。だって、10年後、いや5年後の日本って、いやひょっとしたら今現在、部分的には、もうこういう国になってるよね?
……なってます……
少なくとも「自分たちに都合の悪い発言を封じる努力を怠らない人々」の活動は、一昨年見事に実を結び、社会のあちこちに顕現し始めた異様な光景を多くの人にスルーさせることに成功しています。
気付いた人が気付いたところで声を上げていくしかないのでしょうけど、組織対個の戦いはどうにも分が悪いですね。
だからといって諦めるわけにはいかないので、自分のエリアで細々と悪あがきを続けています。
五年後は収監されてるかもなあと思いつつ。
(映倫問題について共闘できず、申し訳ありません)
それにしても、「どんなに価値観が多様化しても、全員一致で×です」ってスゴイですね(汗笑)
未成年の飲酒は、むしろ「時代と場所によって対応が千差万別である好例」でしょうに。
というか、こういうのはプロパガンダじゃなくて身近な大人の観察と指導によってコントロールしていくべきものではないかと。
「宣伝を打てばいい」と考えている時点で「本気で解決する気無いんだな」と思ってしまいます。
投稿: やや矢野屋 | 2010年10月16日 (土) 20時14分
■やや矢野屋様
映倫の件は、具体的に何もできなくとも、ちょっと友達に話してみるとか、できるだけ広めてください。
>組織対個の戦いはどうにも分が悪いですね。
そうは思いません。そう思ってしまうことこそ、彼らの思うツボですよ。
個人が安価に出来ることは、思ったよりたくさんあります。自分が一般人であることをチャンスぐらいに考えなければ。
私も収監されるかも知れませんが、脱獄して、戦います。
あ、「だからといって諦めるわけにはいかない」と書いてらっしゃいますね、すみません(笑)
とにかく今は、「ちょっと度がすぎている」と思われるぐらい、懐疑的になったほうがいいです。後から「あの時、何かしていれば」と思っても、遅いですから。
>「時代と場所によって対応が千差万別である好例」
まったくその通りで、時代と国によって、まるで扱いが異なるのがドラッグですよね(酒もドラッグです)。
ようするに、「未成年にアルコールで死なれては俺らのせいにされるから、とばっちりの来ないように警告しといたぞ」という証拠づくりなのでしょう。
まったく車が通ってなくて、誰も死ぬ危険性がなければ、赤信号でも渡っていいのです。ただ、子供がいるところでは、ちゃんと赤信号を守る。そういうバッファを持っていない大人が、一番危険なわけですね。
投稿: 廣田恵介 | 2010年10月16日 (土) 21時53分
「個人=一般人」であることで、フットワークが軽いってのがいいです。(すげー単純で、恥ずかしいけど)
私は子供の手前、やらないが普通にしていること沢山あります。そういうのが通じない大人がほーーーんとに多いですもん。「知ってるけど行わず」と「知らずして行わず」と意味がちがう。
赤信号は「止まれ」と教えないと、子供は危険だから、大人は教えないといけない。だけど、「絶対」なんてことは世の中無いんだってことも、教えていかないといけない。
投稿: ごんちゃん | 2010年10月16日 (土) 23時04分
■ごんちゃん様
俺は子供どころか、家族すらいないので、「普通の人はブログにこんなこと書かないで、まっとうに生きてるんだろうな」と思っているけどね……。
映画にボカシが入ってたら、「まあしょうがない」で済ませるのが大人の男なんだろうし、だからコメント欄も女性しか書き込まないよね……この手の話題だと。
まともな男性は、こんな話題にかかわってられないってことだろう。
また自虐的なことを言うようだけど、「人間のオス」として社会から必要とされてない俺みたいのが、やるしかないんだ。
投稿: 廣田恵介 | 2010年10月17日 (日) 00時50分
何もしないのに、応援してるとは言えないけど気持ちでは応援してるよ。
本当に自分しか出来ない事をやってるわけだから。凄いよ廣田さん...私の子供達のためでもあるわけだから有難う。うまくいってほしいです。
投稿: ごんちゃん | 2010年10月17日 (日) 07時29分
■ごんちゃん様
そうですか?
同じ『ぼくのエリ』を見て、僕のブログにリンクを貼っておきながらトラックバックもせず、それでいて「違和感がある」なんて人もいますけど。
http://grantorino.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/index.html#entry-65470075
上の方は、問題を狭義にとらえて勘違いな解釈をしているから、まだマシ。俺に向かって言うならともかく、他の人のブログで「廣田氏の行動は甘い」なんてことまで仰る人までいる。
人の行動をネットで知り、それをネットで採点するのが、いちばん楽なんだよ。それで何かした気になれるんだよ。
投稿: 廣田恵介 | 2010年10月17日 (日) 08時11分
こんばんは、廣田様
「日本は文明國家間に位置を占める権利を容認されてゐない、敗北せる敵である。諸君が國民に提供して來た着色されたニュースの調子は今も最高指令官が日本政府と交渉してゐるやうな印象を與へている。交渉と言うものは存在しない。さうして國民が聯合國との関係における日本政府地位について誤った観念を持つことは許されるべきでない。最高司令官は日本政府に対して命令する。しかし交渉するのではない。交渉は対等のものの間に行はれるのである。しかして、日本人は彼等が既に世界の尊敬や或いは最高司令官の命令に関して折衝することが出來る地位を獲得したとは信じさせてはならない。。。 日本國民に配布される総べてのものは今後一層厳重な検閲を受けるやうになるであろう。。。」
これは、昭和20年9月17日の朝日新聞に載った、マッカーサー元帥の言葉だそうです。
GHQは、検閲制度そのものの存在について、出版、映画、新聞、雑誌等が間接的にも言及してはならないことにしていたそうです。
検閲するけれど、「検閲している事」を秘密にする事を、おのおのに義務づけしていた、と。狡猾ですね。GHQはもうありませんが、「なっていた」ではなくて、まだ「なっている」のが凄まじい。
映倫のwebサイトの間抜けツラを見ていると、「昔からそうだったから、今もそうしている」以上のものが、あるようには思えませんが、戦後できたシステムを都合のいいように利用しているのかも。
ただ、今回のこれも、ちっとも「変だ」と思わない人が、大勢いるような気がします。GHQにしろ映倫にしろ、やってることは同じ。わいせつかどうかは、映画を見た客が決めることであって、あの連中が決めることではない。あの連中は客を対等のものと思っていない、バカにしているんですよ。
それと、 ・・・無責任なことを書くようですが、大丈夫ですよ。なんとかなりますって!
投稿: 浜長和正 | 2010年10月18日 (月) 03時01分
■浜長和正様
>「昔からそうだったから、今もそうしている」
実際に、映倫や全興連(映画館の組合)とやりとりしてると、現代の日本って感触がしないんですよ。「上からの命令だから」「ルールだから」「昔からそうだから」って匂いが、ぷんぷんするんです。
この気持ち悪さは、実際にやりとりしてみないと分からない。
Twitterで「映倫」を検索すると、みんな映倫が何かすら分かっていない。テレビアニメやゲームソフトを審査しているのは、映倫だと思っている人までいる。
もっと怖いのは、映倫の規制を「当たり前のこと」としている人が、あまりにも多すぎる。これはTwitterだけでなく、業界の人間までそうです。誰も反発しない。
僕は、児ポ法規制強化も都の育成条例改正も、通ると思っています。騒いでいるのはネットの中だけで、国民の大多数は、その存在すら知らないであろうからです。
投稿: 廣田恵介 | 2010年10月18日 (月) 07時14分