■人は、土を離れて暮らすことは出来ない■
テレビをつけたら、『リンダ リンダ リンダ』やってた。後半40分ぐらいだけど、見るたびに発見のある作品。香椎由宇の夢のシーン、それと彼女たちがライブの時間に遅刻して、友達が場つなぎするシーンが好きだ。体育館の外ではどしゃぶりの雨……というシチュエーションもいい。
タクシーから彼女たちが走りでてくると、ドラムスの前田亜季が片恋している相手があらわれる。他のメンバーは、その二人をおいて、雨の中を走り出す。その走りと同速度にカメラがトラック・バックして、カメラは雨の中の二人だけをとらえる。アップにしないで、逆にカメラが引く、というのがいい。
どっかこう、「カメラ・ワークが人生観を語る」という場合が、こういう予算規模の映画には、ある。局主導の大予算映画ばかり見ていては、決して気がつかないことだ。
香椎由宇は、『パビリオン山椒魚』でのオダギリジョーとのいちゃつきぶりが素晴らしかったが、『リンダ リンダ リンダ』では、身ひとつで挑んでいる気がする。ラストで、雨に濡れた主役4人が、はだしでステージに上がる。そういうディテールが、視覚というよりは身体に染み込んでいく感じがする。
何度も見たくなる、というのは、そういう映画だ。
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『マイマイ新子と千年の魔法』のコメンタリーの中で、「児童映画」として挙げられていた『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』、HDマスター版。迷ったけど、DVDにした。ブックレットは、沢木耕太郎に淀川長治と、なかなか豪華(淀長さんは、もちろん再録だけれど)。まあ、僕は男子と女子のあいだを揺れ動くサガの姿が見られればいいので。
そのサガの吹き替えだけど、川上とも子だって。『ウテナ』かよ。
昨日、女性編集者にこの映画……というか、サガという少女の魅力を語ってみたけど、この分野でも僕は少数派のようだ。
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さて、模型に興味があるので、立体物投稿サイト「fg」は、毎日見ている。
ランキング上位には、船舶の模型や折り紙細工なんかもインしてきて、何だかホッとされられるんだけど、美少女フィギュアも多い。「よく出来てるなー」と感心するし、マイリストに入れたりすることもあるけど、流行りのキャラを追う(売る)のに必死な感じもする。
僕は70年代のミリタリー模型ブームに、ぎりぎり間に合った世代。『ヤマト』『ガンダム』も狂ったように作ったけど、それらが児童文化から出発していることは、よく心得ていた。初期のヤマトはゼンマイ動力で走行し、ガンダムはバネじかけのロケット弾を飛ばしたものだった。キャラクター模型は、すべて児童文化とシームレスであり、『うる星やつら』だって、そうだったはず。(当ブログでも、しつこく取り上げた→こちら)
ところが、ラムちゃんの下半身にパンツをモールドしたことで、青少年の内なる欲求を児童文化が容認しちゃったんですよ。
当時は、あらゆるジャンルで児童文化発のオタク・カルチャーが、思春期を迎えていたように思う。パンツ、ハダカ、何でもアリになっていった。警鐘をならす大人たちもいた。その潔癖さから、メーカーに苦言を呈する若者たちもいた。
僕はといえば、『うる星やつら』のファンだから――を免罪符に、パンツ・フィギュアの購買層に加わった。その時ですよ。30年後、衣類を外せるようなフィギュア製品に対して、「責任」が生じたのは。
みんなで、よってたかってパンツやオッパイを、児童文化とシームレスな世界へ持ち込んだ。30年かけて、こういう状況をつくってしまったんだよ。
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俺は萌えフィギュアも好きですし、ガンプラも好きです。ただ、「それしかない」のは、とてもイヤ。やせてもかれても、戦車とか艦船とか飛行機の模型がつくられつづけるべきだと思う。前者は、飽くまでも児童文化を発祥に進化してきたのに過ぎないので、そのことを誰かが意識しているべきだと思う。
どこかで誰かが、畑を耕していなくてはいけない。
現実から妄想が生まれるのは、当たり前のことだ。しかし、妄想から生まれた妄想は、現実に回帰することができない。宮崎アニメ風にいうなら、「人は、土を離れて暮らすことは出来ない」。
――深夜アニメがパンツとオッパイ主流なら、それは「正す」のではなく、バランスをとればいいのではないか。マクドナルドを食べつづけている人に対して、「他にも、もっとおいしい食事がありますよ」と訴えるのは、ぼくら世代の責任なんだと思う。
(C)2005『リンダ・リンダ・リンダ』パートナーズ
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