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2010年10月30日 (土)

■人は、土を離れて暮らすことは出来ない■

テレビをつけたら、『リンダ リンダ リンダ』やってた。後半40分ぐらいだけど、見るたびに発見のある作品。
D0071553_1365355香椎由宇の夢のシーン、それと彼女たちがライブの時間に遅刻して、友達が場つなぎするシーンが好きだ。体育館の外ではどしゃぶりの雨……というシチュエーションもいい。
タクシーから彼女たちが走りでてくると、ドラムスの前田亜季が片恋している相手があらわれる。他のメンバーは、その二人をおいて、雨の中を走り出す。その走りと同速度にカメラがトラック・バックして、カメラは雨の中の二人だけをとらえる。アップにしないで、逆にカメラが引く、というのがいい。
どっかこう、「カメラ・ワークが人生観を語る」という場合が、こういう予算規模の映画には、ある。局主導の大予算映画ばかり見ていては、決して気がつかないことだ。

香椎由宇は、『パビリオン山椒魚』でのオダギリジョーとのいちゃつきぶりが素晴らしかったが、『リンダ リンダ リンダ』では、身ひとつで挑んでいる気がする。ラストで、雨に濡れた主役4人が、はだしでステージに上がる。そういうディテールが、視覚というよりは身体に染み込んでいく感じがする。
何度も見たくなる、というのは、そういう映画だ。


『マイマイ新子と千年の魔法』のコメンタリーの中で、「児童映画」として挙げられていた『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』、HDマスター版。迷ったけど、DVDにした。
101029_22390001ブックレットは、沢木耕太郎に淀川長治と、なかなか豪華(淀長さんは、もちろん再録だけれど)。まあ、僕は男子と女子のあいだを揺れ動くサガの姿が見られればいいので。
そのサガの吹き替えだけど、川上とも子だって。『ウテナ』かよ。

昨日、女性編集者にこの映画……というか、サガという少女の魅力を語ってみたけど、この分野でも僕は少数派のようだ。


さて、模型に興味があるので、立体物投稿サイト「fg」は、毎日見ている。
ランキング上位には、船舶の模型や折り紙細工なんかもインしてきて、何だかホッとされられるんだけど、美少女フィギュアも多い。「よく出来てるなー」と感心するし、マイリストに入れたりすることもあるけど、流行りのキャラを追う(売る)のに必死な感じもする。

僕は70年代のミリタリー模型ブームに、ぎりぎり間に合った世代。『ヤマト』『ガンダム』も狂ったように作ったけど、それらが児童文化から出発していることは、よく心得ていた。初期のヤマトはゼンマイ動力で走行し、ガンダムはバネじかけのロケット弾を飛ばしたものだった。キャラクター模型は、すべて児童文化とシームレスであり、『うる星やつら』だって、そうだったはず。(当ブログでも、しつこく取り上げた→こちら
ところが、ラムちゃんの下半身にパンツをモールドしたことで、青少年の内なる欲求を児童文化が容認しちゃったんですよ。

当時は、あらゆるジャンルで児童文化発のオタク・カルチャーが、思春期を迎えていたように思う。パンツ、ハダカ、何でもアリになっていった。警鐘をならす大人たちもいた。その潔癖さから、メーカーに苦言を呈する若者たちもいた。
僕はといえば、『うる星やつら』のファンだから――を免罪符に、パンツ・フィギュアの購買層に加わった。その時ですよ。30年後、衣類を外せるようなフィギュア製品に対して、「責任」が生じたのは。

みんなで、よってたかってパンツやオッパイを、児童文化とシームレスな世界へ持ち込んだ。30年かけて、こういう状況をつくってしまったんだよ。


俺は萌えフィギュアも好きですし、ガンプラも好きです。ただ、「それしかない」のは、とてもイヤ。やせてもかれても、戦車とか艦船とか飛行機の模型がつくられつづけるべきだと思う。前者は、飽くまでも児童文化を発祥に進化してきたのに過ぎないので、そのことを誰かが意識しているべきだと思う。
どこかで誰かが、畑を耕していなくてはいけない。

現実から妄想が生まれるのは、当たり前のことだ。しかし、妄想から生まれた妄想は、現実に回帰することができない。宮崎アニメ風にいうなら、「人は、土を離れて暮らすことは出来ない」。
――深夜アニメがパンツとオッパイ主流なら、それは「正す」のではなく、バランスをとればいいのではないか。マクドナルドを食べつづけている人に対して、「他にも、もっとおいしい食事がありますよ」と訴えるのは、ぼくら世代の責任なんだと思う。

(C)2005『リンダ・リンダ・リンダ』パートナーズ

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コメント

廣田さんがまだこの世にいなかった40年以上前に
うちでパンツ一丁やら素っ裸で転がっていたリカちゃん人形の類を思い出しました。
「萌えフィギュア」とはなり得なかった時代?
少数派で目立たなかっただけ?
人形に色気がなかったから?
本物の裸体があふれていなかったから?
とか、いろいろ考えたりして。
「お人形」って一般的に女の子のものだったのに逆転しちゃいましたよね。

投稿: kyasリン | 2010年10月30日 (土) 12時23分

■ kyasリン様
よく、友達が妹を怒らせるために、リカちゃん人形を脱がしてましたよ。スカートめくりの類いだと思うんですけど、いまスカートめくりやったら、小学生でもセクハラで訴えられかねない世の中ですね。

>人形に色気がなかったから?

海外には、バービー人形に欲情する人がいますし、日本にもリカちゃん人形の(性的な意味での)マニアはいるようです。
僕には「何を見て、何に欲情するのも完全に自由だけれど、子供の目に触れないところでやってくれ」としか言えません。
というのは、創作人形などと違い、リカちゃん人形は、児童文化と直結しているからですね。

投稿: 廣田恵介 | 2010年10月30日 (土) 14時41分

少なからず模型屋関係に関わってる立場ですが、今スケール物の模型は売れません。町の模型屋さんは店主さんの高齢化もあってどんどん消えていっています。 
クオリティや作りやすさはもう最高のレベルに来ているのに何故?と考えていて、模型屋さんのご主人なんかと話をしていて僕の中では一つの結論が出ています。

「(本でも映像でも)実物に触れられる機会がなければ興味の持ち様がない」
これはもう一模型屋単位ではどうにも出来ない社会の壁です。

70年代のミリタリーブームの根っ子にあった物がなんなのか考えてみると、テレビでは「コンバット」が何度も放送され、劇場と言えば60年代に始まったオールスター大作の戦争映画がどんどん作られ、TVでもよく再放送されていた時期です。秋田書店や講談社からは児童向けの戦記がいろいろと出版され、学校の図書館にでさえ置いてあるのが普通で、子供ながらにとんでもない知識を持つ子も普通にいる時代でした。
それがいつの間にか消えて行った理由は教育関係者やPTAの間での動きで始まったそういう文化の排除活動ではなかったかと思います。
戦争はかっこいい物ではない、悲惨な物である、目に触れされる事も良くない。この論理で情報そのものを排除してしまったのですね。しかし、大戦は明確に存在した歴史で、それに触れられない事にするという事が歴史の隠蔽、歪曲である事に誰も気付いていない。その結果どうなったか、生まれたのは若年層の無知と無関心です。広島や長崎の事だけは教えられたから知っている。ところがアメリカと戦争をしていた事を知らないという若者がいる。こんな歪んだ状況を作ってしまったんです。

入り口は「戦車かっこいい」でも良いと思うんです。しかし知識を積み重ねれば、そこにある本当の戦争の姿に誰もが突き当たる事になります。それでいいんです。知識の積み重ねによる正しい歴史観と認識を持っている筈だから。今、やみくもに反戦平和を叫ぶ人はどうもその基準が抜け落ちている様にしか思えないんです。その入り口としての本や模型を子供達の前に提示しておく事の重要さが、一つの文化を葬り去った結果として証明されているんですね。

これから僕らの世代がなすべき事はまさにそのバランスを取り戻す為の出版や模型、そういう児童文化の再建ではないかと考えています。「かつて親や祖父母が暮らした歴史を分解して現代の思考の中で再構築する事、それを作品にして世に出すのが僕らの仕事」とマッドハウスの丸山社長は京都のマイマイ上映の時におっしゃっていました。まさにその通りだと思っています。

少なくとも宇宙世紀から本当の歴史を考える子供じゃなくて、本当の歴史の知識から宇宙世紀の世界を想像する子供がいるのが普通になって欲しいと僕は思っています。

投稿: Miya-P | 2010年10月30日 (土) 15時28分

■Miya-P様
私は歴史に対して無知なので、示唆に富んだコメント、勉強になります。
僕は「映像の世紀」で、初めて歴史というものに触れたんですね。決して、日教組の教師が教える歴史の授業ではありませんでした。近代史だって、「BS 世界のドキュメンタリー」がなかったら、興味を持てませんでした。

ミリタリー模型に凝りはじめたのは、小学5年生ぐらいでしたが、はじめにそれを買い与えた祖父や父は、戦争を経験しているんですよ。だけど、反戦の思想と戦車のプラモデルは直結しないんですね。
「宮崎駿の雑想ノート」なんて読むと、兵器へのフェティシズムと反戦意識が、同列に描かれていますね。
でも、それを矛盾に感じますか? 兵器を「なかったこと」にすれば、イコール反戦なのでしょうか。
一方で「ピストルの玩具だけは買い与えたくない」という若いお母さんの気持ちは、実感として、とてもよく分かるのです。

>アメリカと戦争をしていた事を知らないという若者がいる。

これは今、新しい「常識」になりつつあるようですね。「えっ、日本が戦争してたの?」って。それって平和なことなんでしょうか。僕には、分からない。
偉そうなことは言えないのですが、スピルバーグの映画なら『インディ・ジョーンズ』だけでなく『シンドラーのリスト』も見ろよ、と思います。「世界中の映画をたくさん見れば、戦争なんかする気がしなくなるよ」と言ったのは、淀川長治さんでした。
(話は変わりますが、ああやって映画の論法を解説してくれる人も、テレビから消えて久しいですね……五段階評価なんかでは映画は語れないことを、あの人たちが教えてくれたと思うのです)

>これから僕らの世代がなすべき事はまさにそのバランスを取り戻す為の出版や模型、そういう児童文化の再建ではないかと考えています。

僕もこの一週間ぐらいで、一気にそういう気持ちが強まりました。広い意味での教育ですね。……とまあ、こういうことを書くとTwitterで陰口をたたかれるので、道は長いなと思いますけれどね。
今の若い人は、自分が白なら、自分と違う考えの人を、みんな黒にしちゃうんですよ。

投稿: 廣田恵介 | 2010年10月30日 (土) 16時15分

>一方で「ピストルの玩具だけは買い与えたくない」という若いお母さんの気持ちは、実感として、とてもよく分かるのです。

僕もガンだけはダメですね。これもR−18のゲームと同じで判断力のない子供には持たせたくありません。これは常識的な感覚からでる「ノー」じゃないでしょうか

投稿: Miya-P | 2010年10月30日 (土) 23時51分

■Miya-P様
やっぱり、そうですよね。子を持つ親なら、なおさら……。

お台場ガンダムが、ビームライフルを持っていなかったでしょう?
初めは「無粋だなあ」と白けたのですが、今では正解に思えるんです。

投稿: 廣田恵介 | 2010年10月31日 (日) 00時11分

ドラマで、大人を仮想敵とする不良と、それを「確かに俺たち大人は~」と諭す刑事を観るたび、なにその茶番……と思うんです、どの時点で完全変態するんかと。

大人と子供なんて概念でシームレスで妄想で、それをフィードバックさせる常識的な感覚なんて現実で虚構だ!(?)

あとスカートの中の作りこみは、立体造型として当然の帰結とする流れであるので、単にエロ目的と切って捨てるのは黒猫氏と同レベルでありましょう。

投稿: くすぐりマシーン | 2010年11月 2日 (火) 08時04分

■くすぐりマシーン様
コメントありがとうございます。
前半に関しましては、すみません。お話が分かりかねます。もう少しストレートな言葉で言っていただけると、助かるのですが……。

>あとスカートの中の作りこみは、立体造型として当然の帰結とする流れであるので、単にエロ目的と切って捨てるのは黒猫氏と同レベルでありましょう。

『うる星やつら』の模型が発売された当時の話をします。
個人モデラーが趣味でパンツを作りこむことに対しては、「よくここまで作るな~」と笑ってすませられたのです。同じことを社会的影響をもつ大手メーカーがやったから、購買者から反発が起きたのです。
スケールモデル・メーカーである田宮模型は、パンツをモールドしませんでした。「その先を作りたければ、自己責任でやれ」という意味です。「当然の帰結」以前に、世の中に何を出すべきなのか、出さないべきか考えた人たちがいたのですね。
立体造形に最もこだわるべきスケールモデル・メーカーが、「パンツは不要」と考えたのです。

そうした事情も鑑みて、今、市場にあるからといって「あって当たり前」とは私は考えません。

投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 2日 (火) 12時06分

横レス失礼いたします。
以下、できるだけ誤解のない言葉で表現しようとしていますが、もしかしたら気分を害される方がいらっしゃるかもしれません。
あらかじめお詫びいたします。

くすぐりマシーンさんのおっしゃりたいことはつまり「イニシエーションなぞに意味は無い!」ということなのでしょう。
子供は単に歳を重ねるだけで、大人という異質な存在になることなど金輪際無かったのだ、と。
そのような感覚こそがまさに「子供」であり、「大人になる」ということはこの壁を突破する(あるいはトンネルを掘って向こう側にもぐり込む)ということなのだと思いました。
後に続く世代への責任に思い至る時、人ははじめて「大人」になるのであり、その責任を回避しようとする者は「歳を重ねただけの子供」として一生を終えるのかもしれません。

投稿: やや矢野屋 | 2010年11月 2日 (火) 19時28分

徹夜明けで寝ぼけて寝言を書き殴る悪癖が!申し訳ない。今となっては自分ですら微妙に釈然としないコメですが、お詫びに誠意翻訳してみます……
思うに。大御所、一流どころの大人ぶり、「今後は後進の育成で一線から引く」的な諦観にも似た半リタイア宣言とかを常から苦々しく感じていて、それはいい歳なのにまだ無実績の俺の立場は?的な焦燥感が原因かもしれないところに、最近の「俺妹」とかに見られる、オタク世代間の感性の生理的ズレ(非シームレス化)でイラっと来たのも手伝ってなんかこう、「筆者さんの大人目線など、しょせん我々が前世代に受けてきたオタに対する無理解のコピー&ペーストだよーん!フィギュアの自粛も当時の常識的な感覚に日和っただけ。武士道だって江戸太平期の妄想だし、時代なんて最大公約数的妄想がパラダイムシフト繰り返してるだけなんだよ!」という八つ当たり的な長文コメントがしたかった、らしい…冷静になると凡庸なうえに嫉妬丸出しな感じになりそうだったので、不発でむしろ良かった……

投稿: くすぐりマシーン | 2010年11月 3日 (水) 17時05分

■くすぐりマシーン様
>徹夜明けで寝ぼけて寝言を書き殴る悪癖が!

ではまず、その悪癖を直すべきではないでしょうか。本当に「申し訳ない」という気持ちがあるのなら。
あなたが徹夜であろうがなかろうが、私には一切関係ない。違いますか?

>フィギュアの自粛も当時の常識的な感覚に日和っただけ。

ですから、田宮模型はパンツを掘り込まなかったと説明はしましたが、バンダイは自粛なんてしなかったわけです。記事本文にも、そう書いてありますよね?

それと、やや矢野屋さんの痛烈なコメントは、あなた宛てだと思いますよ……。

私のブログを含め、いろいろ苛立っているのは分かりました。八つ当たりでスッと出来るのであれば、どうぞ、このコメント欄を使ってください。
ただ、いつでもお相手できるとは限りません。

投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 3日 (水) 18時06分

重ねて申し訳ない、以後自戒心がけます。
「歳を重ねただけの子供」ごもっとも、本質見抜かれまくり。次世代に思い馳せないのは責任逃れでなく、おこがましいからだけれど。

投稿: くすぐりマシーン | 2010年11月 4日 (木) 03時01分

ああそうか!そうだそうだウフフ、、、大人が嫌い、ガキも嫌いなら、有無にどちらかに帰属する必要は無いんだ!そういう事か、、、アウフヘーベーン! 何度も本当にすみません、でもなにかくびきから開放されたので。

投稿: くすぐりマシーン | 2010年11月 5日 (金) 02時20分

■くすぐりマシーン様
同じテーマ、それも自分なりのテーマを何日も考えられるのは、いいことだと思います。

>有無にどちらかに帰属する必要は無いんだ!

それぐらい流動性があった方が、いいのかも知れません。
あらゆる問題は、現場現場で解決していくより他にありませんからね。こうしてネットで書いているのは、経過報告に過ぎません。

投稿: 廣田恵介 | 2010年11月 5日 (金) 04時28分

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