■トッカータとフーガ ニ短調■
シネマガールズ No.6 発売中
●愛しの仲里依紗 大特集 執筆
いったい何が起きたんだ?というぐらい、大胆にイメージを変えた「シネマガールズ」6号です。中身のデザインも、すごくいいですよ。
さて、私の記事。仲さんの出演作をすべて見て、『アイランドタイムズ』から『ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲』までの4年間を、6ページに構成しました。
転回点となった『純喫茶磯部』は、仲さんの演じた主人公の感情曲線を図示。ストーリーの盛り上がりと、主人公の気持ちがシンクロしているとは限らない、ということです。
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自宅待機の時間ができたので、中野レコミンツさんで買った『ファンタジア』を見る。最初に見たとき、「春の祭典」に出てくる恐竜を「これは『ジュラシック・パーク』じゃないか!」と思ったので、93年以降のはず。
しかも、映画館で見たはずなんだけど、どこで上映していたのかな。
途中、サウンドトラックが画面中央に出てきて、さまざまな楽器の音をビジュアルで表現するのを見て、「やっぱり、ディズニーはドラッグをやっている」と確信したものだった。
ただ、『ファンタジア』は1940年公開なので、やはりLSDの前なんです。ということは、ぺヨーテ・サボテンか、マジック・マッシュルームじゃないかな……なんて邪推するのが、ディズニー映画を見る楽しみのひとつ。
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僕も、この映画のように、「音を見た」経験があります。ソニック・ユースのライブ盤だったけど、音が遠ざかっていって、黄色い線が、目の前でメチャクチャに動き回っていた。あんまり、きれいなものじゃなかったね。
『ファンタジア』では、「トッカータとフーガ ニ短調」が、まさに「音を絵で表現する」極致でしょう。具体的な物体は、楽器の一部だけで、あとは抽象的な模様のみ。目玉というより、皮膚や身体の奥で、びりびり感じる映像。
視覚と聴覚が交わるような感覚があるので、気分が悪くなった人もいるんじゃないかな。実際、『ファンタジア』は大衆には支持されず、大赤字でした。
だけど、具象的なキャラクターが出てくるより、抽象的な模様のゆらめきを見ていたほうが、僕は純粋に幸せだけどな。
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「トッカータとフーガ ニ短調」は、光や描線のようなものが画面をなでていくだけで、キャラクターは、一切登場しません。
にも関らず、私はそこに「物語」を感じる。つまり、映像が決定した「ルール」があり、そのルールに則して小さな動きから始まり、やがてルールの限界いっぱいまでダイナミックな動きをするのであれば、それはやはり「ドラマ」としか呼びようがない。
われわれが「物語」「ドラマ」と呼んでいるものの実相は、ある「ルール」によって並べられた、映像の連なりにすぎない。
「物語」は、目には見えない。観客が、頭の中で組み立てるもの。だから、映画が自分の身体の外部にあると思ったら、それは大間違いです。
どんなボロクソな評価の映画であっても、あなたが見たら、感動できるかも知れない。それは、あなたの身体に蓄積された経験がリアクションするということ。あなたがあなたである証拠なんですよ。
(C)Disney
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コメント
1978年頃日比谷辺りの劇場で見た覚えが有ります。
初めて指定席券と言うのを貰って見に行きました。
魔法使いの弟子が良かったなぁ。
今思えば、指定席じゃなくてもガラガラでした。
でも大好きなのでDVDも持ってます。
投稿: イルカのおかげ | 2010年9月 3日 (金) 20時15分
■イルカのおかげ様
>指定席じゃなくてもガラガラでした。
そうでしょうね(笑)
長いし、キャラクターは喋らないし、実験作ですからね。
>魔法使いの弟子が良かったなぁ。
『ファンタジア』に出てくるミッキー・マウスは、可愛いのです。
他の楽曲に出てくるキャラクターは、ほとんどリアルタッチなんですよね。それが、観客の期待したディズニー映画のイメージと、マッチしなかったんでしょうね。
投稿: 廣田恵介 | 2010年9月 3日 (金) 21時54分