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2010年9月18日 (土)

■卒業式■

『けいおん!!』最終回、何かを見落とした気がして、消せないでいた。
印象的だったのは、卒業生に花をつけるシーン。梓が、楽しそうにしている唯たちを見つ2めている。トラック・アップしっぱなしで、抜けが空。この構図が、孤独感を引き立てる。後ろで生徒たちがガヤガヤしてたら、台無しだからね。
こういうカットの「適切さ」が、『けいおん!!』は突出している。きちっと「正しい」構図を選んでくる。

で、梓目線の唯たちは、バストショットで画面にぎゅうぎゅう(彼女たちの声は聞こえない――つまり、梓とは距離がある)。その次のカットが、また同ポジで梓。やっぱり、トラック・アップしっぱなし。
次のカットで、梓のスカートが風に煽られ、髪が舞い上がって、額のバンソウコウが見える。
それをキッカケに、梓のもとへ友人が走ってきて、会話をかわす。彼女たちの声は聞こえない――つまり、さっきの唯たちと同じ「距離感」の中へ、梓も遠ざかってしまった。

そのあと、もう一回、唯たち4人が映る。今度は、梓の目線ではない。その証拠に、さっきより小さくフレームに収まっている。小さくなったことにより、もっと距離感が生じてしまっている。
つまり、最初、梓は思い入れたっぷりに唯たちを見ていた→ふたつのカットには関連性があった。
だけど、風が吹いたこと、梓のおでこの傷が見えたことで、ふたつのカットの関連性は切れてしまう。
だから、梓たちの会話は無音だし、唯たちの会話も無音なわけです。ふたつのグループは断絶し、それぞれ、視聴者から等しく距離をとってしまう。
――残酷ですね。このアニメは、親しさよりも孤独や孤立を描いたシーンのほうが上手いのでは?とさえ思ってしまう。

●梓の「一人」の構図と、唯たち「4人」の構図の対比
●カメラが梓に寄る、トラック・アップの効果
●風が、梓のおでこの傷を見せることの暗喩
●「会話が聞こえない」ことによる距離感の強調
●唯たち4人のサイズを変えて、「梓の視線が外れた」ことを演出

わずか、20秒のシーンです。


僕はこの最終回を見て、感動したり泣いたり……といったことはなかったけれど、「ラストがよくない」「ストーリーが把握できない」なんてことは、映画を見ていても、しょっちゅうあることです。
だけど、上のシーンに関しては、先輩たちに対する愛着と、それを吹き飛ばしてしまう、残酷な時の流れを表現したかったわけでしょ。
それは十分に達成できているから、「正しい」と言えてしまう。「あ、ここは頭いいな」「上手くやってるな」という発見はあるわけです。

僕が21話のことを書いたとき、「いいストーリーあってこその、いい演出」と言っている人がいたけど、そんな教科書的な見方をする必要は、まったくない。
いいシーンがひとつでもあれば、その発見を喜び、満喫しようじゃないか。トータルバランスなんて気にしてると、映画を★印で採点するような人間になっちまうぜ……。


さて、『ぼくのエリ』表現規制問題。映倫への質問状の「配達証明書」が、郵便局から届きました。
Scan20001平成22年9月15日配達。
質問状への回答は「一ヶ月以内」とさせていただいたので、10月15日までに、映倫から回答がくるはずです。
……が、委員長の大木圭之介先生のホームグラウンドは、名古屋の女子大なので、まだ質問状をご覧になってないかも知れません(ちなみに、元NHK記者だそうです)。

「何の話題?」という方は、「談話室オヤカタ」#270を聞いてください→こちら
番組を聴かれた方から、いくつか質問や情報をいただいたのですが、それはまた後日。

(C)かきふらい・芳文社/桜高軽音部

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