■表現の自由■
夜中の2時から、なぜか『アリエッティ』と『カラフル』の特番。
『アリエッティ』の方は、ちょっと貴重かも知れない、ジブリ内の貼り紙が映った。
「レイアウト用紙 18円 原画用紙 8円 動画用紙 5円」。これ、以前に他のスタジオのアニメーターさんに聞いたけど、「知らない」と言われたもんで。
『カラフル』は、日本映画専門チャンネルの特番から、インタビューを一部流用。
麻生久美子が、原作本を朗読しているバージョンのCMが、良かった。映画を見れば分かるけど、アニメが現実と溶け合ったような感触がある。それを上手く生かしたCM。
こういう試みによって、それまでアニメを見なかった人が、映画館に足をはこぶかも知れない。「抵抗なく、アニメを見てくれる人の数を増やす」。それは、今のうちにやっておかないと、マズイという気がする。
「大人になると、他人と違う部分が求められる」という、原恵一監督の言葉が、鮮烈だった。
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日曜夜は、吉祥寺バウスシアターで『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』。女性の一人客が、大半。
50席のバウス2での上映だったけど、半数ぐらいの入りで、見やすかった。観客の、くすくす笑いが聞こえるぐらいが、ちょうどいい。
例によって、フリースタイルで本音をぶつけ合うんだけど、ようするにミュージカルですね。キモとなる部分を、歌にするというのは。
で、前作同様、「こんな田舎で朽ちていくのか」という不完全燃焼感がキモなわけだけど、北関東に住んでるから恥ずかしい、体裁が悪いというのは、いかにも日本的。横並び意識ですね。
だけど、東京が一度も出てこない、ずっと北関東を舞台にしているというのが、ひとつのメッセージなのかも知れない。
前作で、AV女優であることがバレたみひろは、東京へ「都落ち」しましたからね。
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コメント欄で、『ポケモン』事件のことが、ちょっと話題に出ました。
あの事件の怖いところは、光の明滅なんかではなく、シナリオや演出に規制が加えられたことです。
『カウボーイ ビバップ』は、第一話が放送できず、ナイフが映ったら消され、「ジプシー」というセリフが消され、ドクロが映るカットも駄目、流血も駄目、ギャグで「みんな、お亡くなりになりました」と言っても駄目……と、原型をとどめないぐらい、改変されました。
テレビ東京とWOWOWに取材を申し込んだところ、テレ東は無回答。WOWOWは、暖かく取材に応じてくれました。サンライズも好意的でした。2号でなくなった「アニメ批評」という雑誌に、詳しく載っています。
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つまり、何かキッカケがあると、表現の自由なんて、あっさり規制されてしまうということ。
『ぼくのエリ』のボカシ問題も、そうですね。
僕らは、誰かが設けた基準に、パスしたものだけを見せてもらっている。窮屈な世界に住んでいるし、どうやら、これからもっと、窮屈になりそうです。
隙あらば、規制しようとしたがっている連中がいるからですよ。
例えば、僕はコミケで「オエッ」と思うような同人誌が売られていても、とがめたりしません。自分が自由でいたいなら、どこの誰の表現にも、寛容であるべきだからです。
映画に対する採点、特に★印評価も、もちろん彼らの自由です。ただ、それが目にしたくないのに入ってくる、というシステムの部分が、本当の問題です。
そう、システムなんですよ。僕らは管理されているんだ、ということを、もっともっと自覚すべきです。
(C)2010「SR2」CREW
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コメント
>あの事件の怖いところは、光の明滅なんかではなく、シナリオや演出に規制が加えられたことです。
ああなるほど、あの事件がそっちにリンクするんですね。ぼくらは事件の原因特定と逆に無関係と思われる表現手法に対しての過剰な制限への危惧の方に目が行ってしまいがちですが、「自主規制」の名の元に行われる表現の自由へ規制に注意しなければならないって事ではありますね。
ただ、これは放送する側からの制限ばかりと言い切ってはいけない気がします。
一つの例として、先日まで放映されていた「閃光のナイトレイド」という作品がありました。まあ、あまり話題になりませんでしたけど、満州事変の頃の中国を舞台にした作品です。ここで中国の国民党と共産勢力との内戦状況を描くシーンのある回で過剰なまでに歴史解釈に対する見解のテロップが出されたり、満州事変勃発の経緯を描いた7話はオンエアされず配信のみに切り替えられました。ここに書く為に改めて参考の為に調べたら7話のみ製作委員会からテレ東が外れているとの記述がありました。この時代の事ばかり見てる様な人間から見てる限りでは、極めて客観的な視点に立って丁寧に描かれているにも関わらず、です。
歴史解釈の場合はいろんな視点があるのでこれ以上深くは書きませんが、多くの規制が、「まだ聞こえても来ない誰か(社会)からの声」に過剰に怯えた結果起っていると感じます。自主規制と言えば聞こえが良いですが放送局が過剰な制限を行い自ら表源の自由の首を絞める様な状況を作ってるのも我々の社会自身に蔓延しつつあるオープンな議論を許さない歪みそのものの反映じゃないかという気がして仕方がないんですね。ここ数日話題にされてる☆印の絶対評価の事も、結局は大声をあげた物、マジョリティの下した価値観のみが正しい、みたいな暴力と言っていいと思いますし、全てがそこで結びついている様な気がします。
投稿: Miya-P | 2010年8月24日 (火) 08時58分
■Miya-P様
自分の身を振り返っても、そうなのですが、日本人は議論が下手なのだと思います。だから、なるべく議論のおきない方を、選択するのでしょう。
『ナイトレイド』の件は、まったく知りませんでした。1話だけ製作委員会から外れるとは、ただ事ではありませんね。
アニメの違法アップロードの第三位まで、すべて中国のサイトですから、それに屈したことになります。
そんな異常なことが「大人の事情」とかいう決まり文句で、流されてしまう。
ただ、おっしゃるように細かな事例について話しても、あまり意味はなく、
>我々の社会自身に蔓延しつつあるオープンな議論を許さない歪み
これだと思うんですね。
特に、インターネットが普及してから、一方的に不満を書いて、終了――という人が多くなりました。★印マニアの人たちにしても、採点システムがデフォルトなんだから、仕方ないといえば仕方ない。
そういう、優越感を満足させる簡易なシステムに、また弱いんですよ、皆さん。
ちょっと、自主規制から話が逸れましたが、「おかしい」と思ったら、然るべきところ(アニメ会社、映画会社)へ連絡するのが第一歩です。何らかの答えを、得たいとするならばね。
実名と連絡先を告げれば、ちゃんと相手にしてくれます。ネットで嘆いていても、何も始まりません。
投稿: 廣田恵介 | 2010年8月24日 (火) 11時20分