■7月のメモ「夏紀」■
『宇宙ショー』、2回目、行って来た。どうして、こんなに心惹かれるかというと、前回、立川シネマシティの226席に行ったとき、あまりにもグッズが売れてなさそうだったから。反対側にカフェがあって、すごくいいスクリーンなのに、グッズを物色している人がいない。
その光景が、あんまり寂しいので、ずっと胸にひっかかっていた。
映画を見る動機って、「評判がいいから」とか「広告を見て」とか、そういうことばかりじゃないんだよ。
それで、「どうせなら、夏紀モノを」と思い、1,000円のタンブラーを買った。でも、絵が違うじゃない。夏紀ともあろう人が、セーラー服なんて着てるよ。「これは、俺の『宇宙ショー』じゃない!」
でも、パンフと合わせて1,800円だからね。売店のお姉ちゃん、喜んでた。
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昨日の、「製作委員会は、どこだ?」の件。この映画に、仕事としてかかわられた方からのメールで判明しました。アニプレ、A-1、あとは電通。それだけ。これは、苦しい戦いだ。
立川シネマシティは、98席中、3~4人だったかな。でも、今週いっぱいは、昼~夜のフォーメーションを続行するようです。会社帰りにも、行けます。
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それで、やっぱり2回目のほうが理解しやすかったし、作劇的なポイントも、明瞭になりました。でも、そういうことは、このブログには書きません。もっと優れた評論が、ネットにいっぱいありますから。
ヒーローに憧れる夏紀が、「女の子なのに」とたしなめられる、その一点なんです。その一点のみが、この作品を、特別なものにしてしまっている。明らかに中高生向けにつくられたこの作品と、43歳のオッサンの接点は、夏紀という性のボーダーを飛び歩くキャラクターのみ……ではないけど、はっきり「俺が2度も見た理由は、夏紀だよ」と言えます。
「少女とは、自分の心の中に飼っている、もう一人の自分」。宮崎駿の言葉です。
夏紀が、ありとあらゆるシーンでドジをやったり、すらりと伸びた足で敵を蹴ったりするとき、僕は自分の欠けたピースが埋まり、彼女と僕とで、ひとつの「なにか」なのだと実感する。
「作品の内容と同じ重さで、受け手である観客が、どのような精神状態にあるかが作品の意味を決定づける」。これも、宮さんの言葉だ。
自分が、何者であるかを見なくてはいけないんだよ。作品ってのは、自分のハートの中にある。スクリーンの向こうにあるわけじゃ、ないんだよ。
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正直、僕は実写映画のほうが、本数を多く見ていると思う。実写にしか起きない、偶発的瞬間や、年齢とともに変わっていく、女優の仕草を見るのが、何より好きだ。
仕事で、アニメばかり見ていると、さすがにゲップが出る。「終わったら、すぐさま実写をレンタルだ!」と、いつも思う。
でも、夏紀を見ている間は、こんな自分でも、完璧になり得るのだと思える。それは、アニメが人の手で描かれたものだから…としか説明できない。
絵、とくにセル画には、何か精神医学的な魔法がかかっているように思えて、ならない。
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コメント
>でも、絵が違うじゃない。夏紀ともあろう人が、セーラー服なんて着てるよ。
この自転車に二人が乗ってる絵は「宇宙ショーへようこそ」のビジュアルが初めて雑誌にニュースで載った時の絵ですから仕方ないかもしれませんね。>絵が違う。
もうかなり前の2007年の末くらいだったと思います。初めて絵の情報キターって喜んだ記憶が。タイトルもまだ「ザ☆宇宙ショー」でした。
投稿: Miya-P | 2010年7月12日 (月) 15時58分
■Miya-P様
あいかわらず、お詳しい。
この絵は、初期のものだったんですね。なるほど。
でも、それってマーチャン展開としてはどうなんだ?と疑問です。
アーリー・デザインはマニアにとっては嬉しいかも知れないけど、このタンブラーは限定品でもないし、一瞬、「別の映画か?」と思ってしまいました。
投稿: 廣田恵介 | 2010年7月12日 (月) 20時19分
>マーチャン展開としてはどうなんだ?
そうなんですよね。あの草薙さんの美術画集とかお高いのにけっこう売れてたみたいでしたけどそれはまたちょっと違うし。
やっぱりこの映画ならクライマックスの夏紀とポチが乗ってるインクのロケットトイ(タンタンの冒険風で)とか
自分が模型/おもちゃ者とかいうのを別にしても、あの素晴らしいヴィジュアルを生かした気持ちがワクワクする様なグッズとか作ったらいいのにとか思ったりしました。
投稿: Miya-P | 2010年7月12日 (月) 21時04分
「MOVIXさいたま」に行ったんだけど、
人は三分の一くらいは埋まってたような....グッズがなくて、置いてなかったみたいだね〜残念。
ヒーローに憧れる夏紀..ちょっとその気持ちわかるんだよね。それに女の子特有のめんどくささが苦手でね〜夏紀もきっとそういうタイプだと思う。
>「作品の内容と同じ重さで、受け手である観客が、どのような精神状態にあるかが作品の意味を決定づける」。
絶対にそうでしょ。優れた作品ってようするに...100人いたら100人の意味を見出す力があるって気がする。それは、出来るだけ説明的でないほうがいいかな〜。
「宇宙ショー」は、もっと省略(台詞)をしてもいいと思った。でも面白かったから、もう一度観たいなあ〜。
投稿: ごんちゃん | 2010年7月12日 (月) 22時20分
■Miya-P様
お金がないから、刷り物が多くなるのは、仕方ないにしても、もうちょっと選びどころがあるだろう?と思いました(初期ビジュアルは、もう一点、流用してますよね)。
パンフにしても、なんでもっと子供向けにしないんだろう?
僕は買わなかったけど、インクの限定ストラップとか、「マニアも子供も、両方うれしい」グッズが、もっとあっても良かったですね。
>夏紀とポチが乗ってるインクのロケット
ガレキに期待します(笑)
あれは、エンジンの形からして、よかったですね。
■ごんちゃん様
じゃあ、昼間に行くと親子とかいるのかな? 次は昼間に行ってみようかと思って。
>女の子特有のめんどくささ
今回、なんとなく、その辺のニュアンスはわかった……気がする。
男の子2人が、物分りよすぎるのかも知れない。
>「宇宙ショー」は、もっと省略(台詞)をしてもいいと思った。
ぶっちゃけ、「この要素は完全にいらない」と思っている部分もあるんだけど、何だかクリスマス・ツリーみたいな映画なんだよね。余計なものまで光ってるから、楽しいんだ、みたいな。
投稿: 廣田恵介 | 2010年7月12日 (月) 23時06分
こんばんは。
>「少女とは、自分の心の中に飼っている、もう一人の自分」。宮
>崎駿の言葉です。
ある人は「あなたの中の女の子」といっていました。男性が女性を
知る手がかりは、その女の子が握っていると。
中の女の子(達)の性格がいいと、メイクを落として素顔になった
女性を見て、思わず顔をそむけそうになっても、「そんな顔するも
んじゃないの!」とたしなめるそうなんですが、性格が悪いと、女
性と喧嘩したり、嫉妬したりするそうです。
私は架空人物の性格判断という趣味があるのですが(ええ変人です
よ)、彼らは、ひとりだけ見ていても、わからないことが多いです。
「自分が知っている自分」は、モノローグで語ることができますが、
「自分が知らない自分」は、できません。彼らを深く知るには、他
者(他のキャラ)が必要です。
相手の立場になって考えないキャラは、自分の中にいる相手が、よ
くわかっていない。なので、自分がよくわかっていないキャラが多
い気がします。例えば涼宮ハルヒとか。まあ、あの年代で自分がわ
かっているのも、ちょっと怖いのですが。
自分の中の他人、私の中にいるあなた。心の中にいる彼らを通じな
いと、他人がわからないのだとしたら、「汝、己を知れ」という言葉
は、重いですね、人として。
投稿: 浜長和正 | 2010年7月13日 (火) 01時38分
■浜長和正さま
こんばんは。文フリの時は、ありがとうございました。
>中の女の子(達)の性格がいいと、メイクを落として素顔になった
>女性を見て、思わず顔をそむけそうになっても、「そんな顔するも
>んじゃないの!」とたしなめるそうなんですが、性格が悪いと、女
>性と喧嘩したり、嫉妬したりするそうです。
面白いですね。飽くまでも、男性の心の中の女性たち、の話ですね?
だったら、僕をテストして欲しいぐらいです(笑)
オタクの精神分析というと、斎藤環さんぐらいしか、思い浮かびません。
>相手の立場になって考えないキャラは、自分の中にいる相手が、よ
>くわかっていない。
作劇的なテクニック以前、もっとドロドロした作家(原作者)の無意識の中に、何らかの答えがあるのでしょう。
そう考えると、非実在青少年(この言葉は、どんどん使って空洞化させましょう)の心理学…という、新しいジャンルが浮かんできますね。
それは、作家や脚本家にはできない気がしますね。オタクな精神科医と、真面目に研究してみたい気がします。
投稿: 廣田恵介 | 2010年7月13日 (火) 02時15分
宇宙ショーで、夏樹と従姉妹は何故「姉妹」でないのか。そのあたりも私にははっきりと理解できます。
>今回、なんとなく、その辺のニュアンスはわかった……気がする。男の子2人が、物分りよすぎるのかも知れない。
そのへんの、話はいつもママ友の中でも話題になる。
そのうちに、廣田さんが「アニメと精神医学」についてオタクな精神科医と、真面目に研究することになったら、協力しますよ。育児真っ最中のママ代表として!
投稿: ごんちゃん | 2010年7月13日 (火) 05時04分
■ごんちゃん様
>夏樹と従姉妹は何故「姉妹」でないのか。
家庭を持っておらず、親戚づきあいも皆無な僕には、正直、分からない。
セリフから想像しようとしたけど、やっぱり実感がないんだよね。
>そのうちに、廣田さんが「アニメと精神医学」についてオタクな精神科医と、真面目に研究することになったら
いま、斎藤環さんほどでなくても、誰か探しています。
最終的に、アニメを見ることで、鬱病や対人恐怖を克服するプログラムが出来ないか、本気で考えてるよ。
まず、トークショーみたいな形で出来ないか、考えている。
投稿: 廣田恵介 | 2010年7月13日 (火) 05時35分
心の治癒を含めてのアニメや特撮と向き合う事の議論をされてる人というと、村瀬学さんがいますね。
ただ、村瀬さんの専門は児童文化なので、直接の方向性としては、ずれる気がしますけれど。
あと『宇宙ショー』は私は「短い」と思った(笑)。
投稿: zapo | 2010年7月13日 (火) 16時55分
■zapo様
素晴らしい情報、ありがとうございます。
村瀬学さんは、宮崎駿について書いた本が一冊、ありました。ついさっき、注文しました。
>あと『宇宙ショー』は私は「短い」と思った(笑)。
僕も、2回目は「えっ、もう終わり?」という感じでした。
つまり、何が起きているのか理解が深まると、長いとは感じなくなっていくのでしょうね。
投稿: 廣田恵介 | 2010年7月13日 (火) 17時13分
いえ、こちらこそ、あの時はご迷惑をおかけしました。
>いま、斎藤環さんほどでなくても、誰か探しています。
>最終的に、アニメを見ることで、鬱病や対人恐怖を克服するプロ
>グラムが出来ないか、本気で考えてるよ。
「危ない恋愛 恋しても幸せになれない存在分析 名越康文 著」
より、少し長いですが、写します。
<<ぼくが個人的にも時々、一緒に飲んだりさせてもらっている
東京大学の伊藤俊治先生と朝日カルチャーセンターで対談したとき
に、彼はちょっと驚くようなことをおっしゃったんですね。
つまり、「アートというのは、結局セラピーに包含されていく。
アートがどんどんなくなっていって、全部セラピーになっていく」
と。
これはね、当然つまらない意味で言っておられるんじゃない。
「アートはセラピーですよ」という意味じゃないんですよ、たぶん。
つまりそれは、アートというものは人間にとっては非常に必要なも
のになってくるというか、生きるとか生き抜いていくとか、人間ら
しく生きるとか、自分を取り戻すというようなこととすごく重なっ
てくるという意味だと思うんですよね。「アートをセラピーにしよ
う」とかではないの。>>
著者の名越さんは、漫画「ホムンクルス」の原案をしている精神科
医で、たまにテレビにも出ていますね。
心理・精神の本は、結構読みましたが、この本は読みやすくて考え
させられました。以前、男性が描きにくいという話題がありました
が、それを読んでいて、この本に書かれている<<女性のほうが、
近しい人生目標の中で満足できる方法を知っているんです>>を、
思い出しました。
何かの参考になれば。
投稿: 浜長和正 | 2010年7月13日 (火) 22時01分
■浜長和正さま
>アートというのは、結局セラピーに包含されていく。
ハッとしましたね。
そうそう、そういう感覚なら分かる。
『ホムンクルス』の原案の方なんですね……あの漫画、精神医療がテーマなのは分かるけど、ちょっと危険な領域に、足を踏み込んでいますよね。
実は『宇宙ショー』も、似た感覚だったんです。「ちょっとヤバいんじゃないの、この映画?」って。
1時間以上も、日常とは大きくかけ離れた、異常な物理法則ばかり見せられて、ところどころ、デジャ・ビュを喚起させられる。ちょっと怖い感じがするんですよ。
(大きな声では言えませんが、LSDやると、こういう感じなんです)
だから、『宇宙ショー』は、極端に精神医学的な世界だと思います。
ひいては、アニメで可愛いキャラクターや、綺麗な景色を見るというのは、アニマル・セラピーに近い、同質なものだと思います。
いや、我がことだけに、非常にエキサイティングです。本当に、ありがとうございます。
(そちらでは、『宇宙ショー』やってませんよね。すみません)
投稿: 廣田恵介 | 2010年7月13日 (火) 22時25分