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2010年7月30日 (金)

■『私の優しくない先輩』、すごい■

ヤマカンが監督だからというより、川島海荷が主演だからというより、脚本が『シムソンズ』100729_11580001『阿波DANCE』の、大野敏哉だから……という動機で、新宿武蔵野館へ。

帰りの電車で、セールで買ったシャツ(数千円相当)を忘れてしまった。それだけ、ショックだった。『ぼくのエリ』といい、今年はどうかしている。
新人監督ならではの野心と、みずみずしさに溢れた傑作であり、怪作。


メイキング番組を見たら、ヤマカンが川島海荷と金田哲に、怒鳴っているわけですよ。「演技が記号的すぎる」って。
でもね、映画の8割がた、記号的な演技なんです。川島は、目で見れば分かることまで、子細にナレーションで説明するしね。

で、川島が片思いの彼に幻滅して、金田のほうが好きだって言い出すんでしょ?と思っていたら、まんまと、そっちへストーリーが動き出すし、もう何度、寝落ちしそうになったか。
ずーっと、ナレーションで説明してるし。

ところが、どっこい。片思いの彼に、川島が思わぬ形で告白し、何だかわからない理由でフラれてからが、すごい。別の映画になる。演技が変わる。
ヤマカンが怒鳴っていたのは、このシーンなんですよ。
ワンシーン長回しになって、川島が、やけに生々しいことを言い出す。マジ泣きしてるし、ナレーションしなくなるし、明らかに矛盾したことを言うし、言葉づかいにも一貫性がなくなる。怖いぐらい、リアル。記号的なものが、一切、映画から姿を消してしまう。

いわば、記号的なストーリーと記号的なキャラクター設定、記号的なセリフに閉じ込められていた川島が、一気に肉体を取りもどして(しきりに汗の匂いを気にするのが象徴的)、「先輩、私って誰なの? ここって、どこなの? 一体、どこからどこまでが本物なの?」 「お前がここまで、と思ったところまでが、本物だ!」
うわあ!と叫びそうになるよ。いつの間に、そんな凄いストーリーになってたっけ?って。

それだけじゃない。そこから先、川島のイメージシーンが続くんだけど、「夢オチでハッピーエンドか?」と思わせておいて、「これは夢なの? …違う、私が本物と信じれば、夢じゃない!」 つまり、冒頭のミュージカル・シーンから何から、「どれが本物か」という課題によって、巻きもどされる。つまり、すべて白紙になる。

結局、川島と金田がどうなったかなんて、具体的には、一切、出てこないよ。もう、そういう問題じゃないから。ストーリーのオチとか、そういうレベルを越えちゃうんだよ。


「物語って何なの、映画って何なの?」ってところにまで、昇りつめてしまう。だから、エンドクレジットは、ミュージカルにするしかないわな。
で、その「何なの」の答えは、観客が持ってるんだよ。観客が信じるところまでが、映画。観客が信じる範囲までが、物語。虚構。

いつも言っていることだけど、映画は、スクリーンには存在しない。観客の心にある。もっと言うと、『私の優しくない先輩』で何度も強調されていた「汗臭い身体」、それは我々のものだ。実際、今日の観客全員、汗と雨で、べたべただったはず。

だから、知らんぷりは出来ないはずなんだ。少なくとも、川島海荷がマジ泣きして以降、この映画は、映画であることをやめる。映画じゃなければ、何なのか。それは、あなたが考える。僕も考える。

いやはや、そりゃあ、セールで買ったシャツも忘れるわけだ。まだ、呆然としてる。

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2010年7月29日 (木)

■ビリッケツは腐った卵だよ■

『ガンダムの常識』 宇宙世紀モビルスーツ大百科 連邦軍篇 本日発売
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●RX-78系、RGM-79系を主に担当
連邦軍は、難しいのです。
なぜなら、ジオン側に比べて、後付け設定の数が、ハンパでないから。

たとえば、宇宙世紀0079年を描いたはずの『第08MS小隊』に、宇宙世紀0083年を舞台にした『スターダストメモリー』に出てきたGM改が出てくる。これ、設定画をトレースして、流用したんです。
でも、「4年後につくられるはずの機体が、タイムスリップでもしてきたのか?」と笑い飛ばすことが出来ない。なので、「生産拠点が他と違うので、外観が似ている」ことにしてしまう。
この綱渡り的な設定遊び、ほとんど芸術だと思う。


映画『ぼくのエリ』の原作小説『モールス』。映画と同じぐらい、気に入ってしまった。

「ショーレンに行く?」
「どこ?」
「キオスクだよ。新聞を売ってるとこ」
「うん。ビリッケツは腐った卵だよ」

オスカルとエリの、この会話が稲垣足穂っぽくて、気に入っている。最後のセリフはエリのもので、彼女の中性的な魅力が、よく出ている。
少年愛は出てくるし、『モールス』は足穂っぽい。

映画『ぼくのエリ』は、原作者自らの脚色だが、文章で「表現できない」シーンを「表現しなくていい」形に置き換えるテクニックが、実に冴えている。
小説を、効率的に可視化する、というのかな。


やってみれば分かるが、世間は「大人」しか信用してくれない。

大人になるチャンスは、二度あった。
ひとつは、結婚。結婚によって得られる信頼は、確かに大きかった。
その前に、一年間、2歳の子供と暮らしていた時期があった。あれは、何がうまくいかなかったんだろうな、と今頃になって、思う。

どっちにしても、僕はその両方を手放した。
彼女の子供を預かったり、妻を養ったりすると、いやおうなく「大人」のチームに入れられる。部活に放り込まれるようなもんだ。それが嫌だったんだ。

(別れた妻に感謝している一言は、「あんた、イビキがすごいからね!」 おかげで、人の家に泊まるのが、すっかり億劫になった)

いずれにせよ、「大人」に擬態しなければ、この難局は乗り切れない。
あと、本物の大人の方たちの手も、ちょこっと借ります。


立川シネマシティでの『宇宙ショーへようこそ』は、8月6日まで。なんと、3回目を見に行けるではありませんか。

何だろうな、あのアニメを見ているときの一体感、多幸感は。

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2010年7月28日 (水)

■B★RS■

友人がメールに貼ってくれた、「業界が“先祖返り”している――『ハルヒ』『らき☆すた』の山本寛氏が語るアニメビジネスの現在」→これ
Brs03_2今月のホビージャパンには、『ブラック★ロックシューター』本編が、付いてますからね。ひさびさに、買わないと。

アニメ誌初掲載の『B★RS』の記事は、私が書いたんだけど、このアニメは、hukeさんとryoさんの友情から成り立った企画なので、本編をタダで配ることには、何の違和感もない。
美しいとさえ、思う。思春期的だから。


まだ、この世のどこかに美しいもの、尊いものがある、と信じるから、アニメを見るんでしょ? 
砂漠にたどりついた大人は、アニメを見ない。砂漠に井戸のないことを知ってしまった者は、それでも、生きるために井戸を掘る。それが、大人という生き物だ。

僕も、生物学的には大人だ。43歳なんて、オッサンに決まってるじゃないですか。キャバクラでは、パパって呼ばれるしさ。「大人は汚い!」とか心で思っていても、お前が、その大人なんだって。
社会に出れば、「いい歳をして」って、絶対に言われるの。同窓会に行くと、「結婚しないの」って、聞かれるの。それが、43歳の宿命なんだ。これから、もっと重くなる。それぐらい、覚悟しなくちゃいけないの。

にもかかわらず、いまだ上映中の『宇宙ショーへようこそ』を、「もう一度だけ見たい」と思っている、この僕の病理については、エンターテイメントの形で、解き明かしたいと企てている。
そういう時には、大人が井戸を掘るスキルを、ほんのちょっと真似るんだ。


ちょうど、『ぼくのエリ』の件で、このブログを見に来ている人が、多いようです。
こういうとき、専門家のような人たちは、意外と、何もしてくれません。なので、何か文句があるのなら、然るべきルートで、筋を通して訴えれば、相手は聞く耳、もってます。
「糞」だとか「最悪」だとか、そんなお子様な言葉でネットを満たしても、空気が汚れるばっかりで、何の答えも得られません。

僕は、大人のスキルをちょっと借りて、出来るだけ、世の中をクリアに見渡せるようにしたいと思っています。


さて、『B★RS』に関しては、歌和サクラさんのバージョンがお気に入りです。

歌和サクラさん、この当時、14歳だったと言われてますが、それを疑うのも、またバカバカしい。
信じたほうが美しい気持ちになれるなら、美しいほうを選んだほうがいいよ。

(C)huke / B★RS Project

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2010年7月26日 (月)

■納得のいく、やさぐれ方■

徳島で、ちょこっとだけど、動画を描かせてもらった。
「その中」に入らないと分からないことは、無限にあるぞ!


その前夜。「ちょっと変わったエリアがあるから」と誘われて、繁華街から離れた、とんでもないゾーンへ遊びにいく。
確かに、人生観が揺らぐぐらい面白かったんだけど、そういうことはブログに書きません。飲み屋で話すから、面白いのであって。

「じゃ、ちょっと飲み屋へ入ろうよ」となり、けっこう立派な居酒屋に入ったつもりが、なぜか客はキャバ嬢の団体と、目をギラつかせた男性の一人客ばかり。
同じビルに、キャバクラがたくさん入っているようだ。やがて、キャバ嬢の団体と男性客たちは、お互いに引き寄せられるようにして、店の中で騒ぎはじめた。
店員たちも、苦笑しながら見守っている。胸糞が悪くなり、どうせやさぐれるなら、史上最低のキャバクラで、「納得のいく嫌な思い」をしたいと思った。

ワンセット3,000円、店の内装はボロボロ、女の子も可愛くなければ、話も面白くない。
飲み物が切れると、嬢がつくってくれるのではなく、ウェイターが店の奥から運んでくる。水道水でつくったのであろう、異様に生ぬるい、水割り。
まあ、これ以上に最悪なキャバクラは、滅多にありますまいよ。
……よし。これで、すっきりイヤな気持ちになれた。

シメは、ちょっとお洒落なカフェで……となり、深夜にコーヒーを飲む。


確かに、凝った内装のカフェだった。
面白いのは、店の奥、窓に向かって、大学の先生が使うような、大きな机と椅子が置かれていたこと。
その椅子の上に、長い髪にキャスケットをかぶった女の子が、あぐらをかいて座っていた。手足が細っこく、まるで16~17歳ぐらいに見える。
だが、アルコールも置いてある店だし、そもそも午前1時をまわっている。少女という歳ではないのだろう。

黄金色のランプの明かりの下、彼女は、せっせとノートに文字だか数字だかを、書き込んでいる。そして、時おり、机に積まれた分厚い本と照らし合わせて、目の前のドリンクを一口。
そしてまた、細い足であぐらをかいたまま、ノートへ向かうのである。

僕は、ある小説の一節を思い出す。「今は、こんな美しいものを手に入れる余裕はない……」。
そんな光景を、まぶたの裏に印画されたまま、まだ熱の残る夜道を歩き出した。

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2010年7月24日 (土)

■マイマイ・ノット・ファイナル■

このシールは、昨晩の「大人のためのマイマイ・ナイト・ファイナル」最終日のため、友人のギムレット100724_21400001氏が手づくりしたものです。
彼が一人で100枚プリントし、そのシールをラピュタ阿佐ヶ谷のスタッフが、使い捨てコップに手で貼って、上映後に、観客とスタッフ、みんなでカンパイ。

で、阿佐ヶ谷から帰ってきたのが、翌朝の7時ぐらい。
最後に残ったのは、男ばかり5人。うなぎの寝床のような居酒屋で、もう高くなった太陽のもと、「まだまだ」と杯をかたむける宣伝スタッフ、ほうふ日報のN記者。

結局、こういうしぶとい人たちが支えてるんだよなあ……。
監督は、カンパイの前に「僕らが、どんなにフラフラになってもリングに立っていられるのは、僕らの力じゃありません。観客の皆さんの力です」とおっしゃったけど、決して、それだけではないです。
エイベックスさんもマッドハウスさんも、事あるごとに、上映の場に足を運ぶんですよ。何しろ、吉祥寺のドカン実演のとき、机運んでくれたのが、岩瀬プロデューサーでしたから(笑)。

彼らが、もし観客を見捨てたり、現場に立ち会わなかったら、結局、僕らも白けてしまって、「もういいや」となっていたと思う。
そして、それが彼らの「仕事」であることも大事。何というかね。観客の熱意や善意だけでは、ここまで来られませんよ。いつでも、作品と観客に「仕事」として付き合っているスタッフがいるんだよと、そのことを言いたい。
この目で、彼らが働いているのを、見てきたましたからね。


それと、現在になっても、「今日、初めて『新子』を見た」という人が、まだかなりいたことが、驚きでした。リピーターばかりだと意味ないんで。

広島のサロンシネマでも上映がはじまりましたが、各地の公民館などでも、いくつか上映されるみたいですね。
そうやって、どんどん追いきれなくなっていく……というのも、健全なことだと思うし。責任を持つのも大事だけど、作品は一人歩きしてナンボとも思うし。

ただ、いろいろなものを蕩尽したり、消費したりするだけでなく、頭で考えるだけでなく、世の中を見て歩かなければ。ちゃんと、世の中と問答しなければ。――何だか、この作品の端っこに関わってみて、そんなことを学んだ気がします。
というわけで、明日は徳島へ飛びます。飛行機は2年ぶり。


『ギャラクティカ』は、シーズン4の第二巻発売をもって、しっかり完結。
100724_223700019月4日には、スピンオフ『THE PLAN』が放映されます。ということは、DVDも当然……で、こちらも、しばらく続きそう。
(←外箱のデザインがいいので、捨てられない)

僕は、この作品の感傷的なところが好きです。というより、作品でも何でも、感傷的な方が好きです。

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2010年7月23日 (金)

■正しい者を、こっそり入れて■

なんと! 『マイマイ新子』と『化物語』が夢のコラボ企画!→こちら
なんかもう、何でもアリだな……「まよいマイマイ」篇は、『化物語』の中でも、一番見ごたえあるかも。未見の方は、ぜひ。
今から、一風呂あびて、ラピュタ阿佐ヶ谷です。


その前に、『ぼくのエリ 200歳の少女』の、モザイク(ボカシ)について。
配給のショウゲートさんで、1時間半ほど、事情を聞いてきました。まず、強調しておきたいのは、「オリジナル版のまま、上映する」前提で、ショウゲートさんは奮闘されたこと。

ところが、映倫が審査にかけてくれなかったんだそうです。
「当該カットにボカシを入れないかぎり、審査はしない」。これでは、国内上映そのものが、成立しなくなってしまう。
なので、原作本の記述、劇中でのエリのセリフ、設定や物語上での意図などを、何度も説明したそうです。ところが、「法に抵触するから」と、審査にかけてくれない。
どんどん、時間がなくなっていきます。

そして、国内にはネガが存在せず、わずかにポジがあるのみ。デジタル的な加工など出来ませんから、プリント自体に手を加えるしかない。本国でも、その手法でOKが出たので、あのようなボカシ(というかシネカリといった方が、ぴったり来ますが)を入れました。
それで、ようやく審査にこぎつけ、PG-12で通過。
ちなみに、もし、オリジナルのままで上映できるのなら、R-18も覚悟していたそうです。


気になるソフト化ですが、さすがにシネカリ手法は使わないにしても、何らかの形で、手を加えざるを得ないでしょう……とのこと。なぜなら、当該カットに手を加えないと、またしても、審査を受けさせてもらえないからです。

また、ハリウッド版に関しては、今のところ、配給する予定はないとのこと。

なるべく、プレーンに書いたつもりですが、ほぼ、以上のような説明でした。ですから、映倫との間にトレードオフがあったとか、本国に無断で手を加えた……という事実は、一切ありません。
「姑息にも、勝手に自主規制したんじゃないか」などと疑ってしまい、大変お恥ずかい。ショウゲート、ご担当様の丁寧な説明に、あらためて感謝します。

関連→映倫からの返答


以下は私の意見ですが、理不尽に思える表現規制には、敏感であるべきだと思います。「まあ、しょうがないね」「そういう時流だもんね」などと、思考停止してほしくない。
100723_20530001この映画には、ひどく残酷なシーンはありますが、ひどく猥褻なシーンはありません。見れば、分かります。
ただ、原作小説には、「さすがにこれは……」というシーンがいくつかあり、それは映画化にあたって、原作者の手によって、周到にカットされています。

話がそれますが、原作小説は、前半のオスカルとエリの子供らしい会話が、弾むように生き生きと書かれていて、陶然としてしまいます。
反面、救いがたい絶望や怖れも、あますところなく描かれています。そして、「絶対に実写では見たくないな」と思わせるような残虐シーンが、映画では、実に詩的に処理されており、思い出しても、驚くばかりです。

当該カットも、その「詩的な処理」のひとつだったのだなあ、と気づかされるのです。だから、全体を見渡さないといけないんですね。何か、問題にぶつかった時には。
そして、ネットの情報をかき集めて、分かったつもりになってはいけないとも思います。
「でも、そんなこと言っても、近くで上映してないし」という方。『マイマイ新子と千年の魔法』のときには、そういう人たちが、地元映画館と粘り強く交渉し、あちこちで上映が実現したんです。

理想的な状況をつくるには、ひとつひとつ、具体的に行動を起こしていくしか、ないと思います。
私も、「地元で、『ぼくのエリ』を上映してくれないかなあ」などと考えはじめています。大変気にはなるけれど、モザイクひとつで曇りのかかる映画でないことも、また事実ですからね。

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2010年7月22日 (木)

■11ヶ月前■

『マイマイ新子と千年の魔法』 DVD 明日発売
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●ブックレット、一部執筆
初めて見たとき~ラピュタ阿佐ヶ谷のマイマイ・ナイトの直前あたりまでの状況・心境を書きました。

僕が、初めて『新子』を見たのは、昨年9月5日のことです。もう、11ヶ月前。そろそろ、一年たちますね。
公開までの2ヶ月ぐらい、なんとな~く楽観的ムードの中で、監督や宣伝チームと、だらだら話していた時期があり、実は、その頃がいちばん楽しかったですね。試写室は、いつも空いてたし(笑)。

ところで、レコミンツさん特典の原画集がヤバいですね。これは卑怯ですよ(笑)。やっぱり、貴伊子は可愛い! 初見のときにも書いたけど、俺は貴伊子が見たくて、『新子』を、何度も見たんですよ。
もし、この世に水沢奈子がいなかったら、この映画、どうなってたんだ?と、本気で思ったし。
あ、そうそう。こないだ買ったDVD『pieces of love』の第1話に、水沢奈子が出てたんですよ! しかも、チア・ガール姿で。

でも、「貴伊子が可愛い」とか、そういう売りがなかったら、アニメって駄目だと思う。やっぱり、通俗性がないとね。

しかし、レコミンツさんの原画集は、表紙はシンプルだし、レイアウトがいいです。ちゃんと3f48bc20 「見せるべき絵」を選び、物語風に構成しているというか、見る人を楽しませようとしているというか。
変に、マニアックにしてないところが、すばらしい。
これは是非、ドカン隊長に見せてもらおう。


明日は、ショウゲートさんに行ってきます。『ぼくのエリ』について、どうして不自然なボカシが入ったのか、説明していただけそうです。
僕は、なにか特別なコネやルートを使ったわけじゃ、ありません。普通に、ショウゲートさんのサイトの「お問い合わせ」アドレスに、メールを送っただけです。

映画がつまんなかったら、監督なり映画会社なりに「つまんなかったですよ」と、メールや手紙を送ったっていいんですよ。意外や、そこから関係が始まったりするもんです。

その後、仕事ではなく、雑談のため、あるアニメ会社さんへ寄って、『新子』上映後のラピュタ阿佐ヶ谷へ。映画見ないのに、すみません。

(C)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会

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2010年7月21日 (水)

■映画館と話そう■

アニカン FREE Vol.86 配布中(掲載はVol.87へ延期とのこと)
Main   
●『フリクリ』 鶴巻和哉監督インタビュー
ひさびさに「アニカン」の仕事が来ました。『フリクリ』ですよ? 鶴巻監督ですよ? 断る理由、あるわけないじゃないですか。
もちろん、BD化に関する記事なんですが、まず、パッケージがすごいことになっています。ぶっちゃけ、「お菓子の箱」なんですよ。ビリビリ破らないと、中身が取り出せない! (業界初だそうです)

10年たっても、先鋭的なものは、先鋭的。そのことに、いたく感動した。


『ぼくのエリ 200歳の少女』のモザイク問題。
ショウゲートさんからの回答は、まだ得られないのですが、むしろ新聞の映画評で「無粋なボカシ」と書かれたことのほうが、効果が大きかったかな、と冷静になりつつあります。
【追記】ショウゲートさんから連絡がありまして、金曜日に事情説明のため、うかがうことになりました。

友人は面白い分析をしていて、「R-15に指定されて集客が落ち込むのを避けるため、モザイクいれる代わりに、PG-12を獲得したのだろう」と。つまり、配給と映倫の間でトレードオフがあったのでは、との推測。

表現の自由を保証してくれるはずの映倫のおかげで、ソフト化のさいにも、モザイクはかかったままでしょう。
海外でご覧になられた方によると、モザイクで隠されていたのは、特殊メイクされた女優の局部ではなく、どうやら「人形」だったとのこと。


地方へ引っ越した友人から、ちょっと面白いニュースが届いた。
この冬、大ヒットしたアニメ映画が、地元の映画館でかかることになった。ついては、宣伝などについて、映画館から相談を受けているのだが……との話。
まだ公式サイトに載っていないので、タイトルと映画館の名前は、伏せておきます。でも、「なぜ、わざわざその場所で、そのアニメを上映するか!?」という、ちょっと異色な取り合わせなんです。

『マイマイ新子と千年の魔法』の上映をはたらきかけた時、あちこちで面白い話を聞けました。東京から離れるにしたがって、どんどん集客が落ちていく、と。「うちの場合、東京の10分の1ですね」とか。
大都市圏ではヒットしたけれど、地方、それもアニメ文化の根づいていない場所では、むしろ苦戦してしまう。「大ヒットシリーズ、ついに映画化!」であっても、その地域で、テレビ・シリーズが放映されていなければ、「何のこっちゃ?」となってしまう。

それを補うのがレンタル店だったり、違法アップロードだったりするのでしょうけど、地方によって、アニメ濃度にムラがあるのは、確かなことでしょう。


吉祥寺バウスシアターで、『RED LINE』が上映されます(10/9から)。
T0007908ちょうど、『新子』上映している頃、映画館向けの試写があって、「どう思いますか?」「それこそ、レイトショーにぴったりなアニメですよ」なんて会話をかわした記憶があります。

それで、バウスさんは、『新子』を20時から上映したいと希望していました。でも、昼間の番組の都合で、21時からになってしまったんですね。
唯一、福田麻由子さんの舞台挨拶は、20時からだったんですけど、昼間の番組(韓国映画『息もできない』)の上映回数を、ひとつ減らしたんです。もちろん、『息もできない』の配給会社には、頭を下げたそうです。その分、配収、減りますから。

面白かったのは、「とにかく初日を盛り上げないと!」と僕が言ったら、イケメン担当さんが「いえ、吉祥寺のお客さんはスロースターターですから」と苦笑するんです。「むしろ、2週目が大事なんですよねえ……」と。
それで、初日ではなく、2週目に福田麻由子さんを呼ぶように設定したんです。果たして、2週目のほうが、成績よかったはずですよ。

こういうのは、映画館さんと話してみないと、わからない。
なので、某地方で、某アニメの上映に巻き込まれそうになっている某氏、とりあえず、深入りしてみたら? ネットには書いてない情報が、いっぱい得られますよ。

(C)2010 石井克人・GASTONIA・マッドハウス/REDLINE委員会

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2010年7月20日 (火)

■しつこく『ぼくのエリ』■

立川シネマシティ(正確にはシネマ・ツーの方)の最終回、『借りぐらしのアリエッティ』。
100719_19470001連休最後の夜の回だから、席は余裕。ネット予約するまでもなかった。

……『マイマイ新子と千年の魔法』って、やっぱり、すげえ映画だったんだなあ。ラピュタ阿佐ヶ谷で、23日まで、やってます。
『宇宙ショーへようこそ』って、本当にエンターテイメントに徹した、力作だったよなあ……立川でも、まだ夜の回なら上映しています。
あと、『カラフル』は8/21からか。東宝配給だ、フジも出資してる。けっこうイケるのではないのか?

あと、『アリエッティ』は夜の回なら空いていますが、十分に仮眠をとってから、行きましょう。


『ぼくのエリ 200歳の少女』のモザイクには、ご立腹の方が、かなり大勢いらっしゃいますね。

ショウゲートさんは、東芝エンタテイメント時代からお付き合いがあり、大変好意的な印象を抱いております。なので、誠意ある回答をお待ちしています。
誤解してほしくないんだけど、僕は好きになった映画に裏切られた気分なので、納得のいく回答なり、言い訳が欲しいだけ。何か「運動」を起こそう、なんて考えてませんよ。

――それでも、僕が「誤読させられた感動」は、二度と戻ってこない。
Twitterやブログで言ってるだけじゃ、何も変えられないんですよ。この国のどこかに、あの映画を汚した人間がいる――それが、やむを得ない措置であれば、釈明ぐらいしていただきたい。

もう一度、見に行きたいんだけど、またあの意味不明な、観客を煙に巻くためのモザイクを、見るはめになってしまう。またもや、腹が立ちそうで、怖いんですよ。
Pn2010070601000254___ci0003平日でも満席という人気作ですが、これからご覧になる方は、「日本では不良品を上映している」ぐらいの認識を、お持ちになったほうがいいかも知れません。
それでも、切なく、美しい映画にかわりはないんだけど……。


『ぼくのエリ』とは関係ないけど、映倫の審査を逃れるため、「公開」ではなく「上映イベント」という形式をとるパターンも、最近は出てきたそうです。
それだけで、映倫がどういう団体か、よく分かりますね(笑)。

それで、映画評論家の方たちも、今回のモザイクにはご立腹なのですが、おしなべて「映倫が悪い」とおっしゃっています。それでも、映倫の暴挙は、お許しになるんですね。


今日も明日も、人に会います。会って会って、とにかく話す。仕事が忙しくなる前に。

(C) EFTI_Hoyte van Hoytema

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2010年7月19日 (月)

■配給会社と映倫、どっちへ先に聞こう?■

先日、紹介したスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』。
335935_005現在、全国7館でしか公開されておらず、東京では銀座テアトルシネマのみです。観客数が少なく、見られない映画のことを話題にされて、迷惑だとは思います。
しかし、予想を越える「改変」が為されていたことに、ついさっき、気がつきました。

映画の根幹にかかわる部分なので、非常に説明しがたいのですが、最初に私は「少女の性器がモザイクで隠されていて、不自然」と書きました。
ですが、それは「児童ポルノに該当するから」などという、曖昧な思い込みからではありません。
映画の中で、エリという少女(もちろん、女の子が演じています)が、「私は女の子じゃない」と2度も発言しているからです。

その謎めいた言葉の回答は、ちゃんと原作小説に書かれており、パンフにも明記されているそうです。(ネットでも「ぼくのエリ モザイク」で検索すると、容易に回答を得ることができます)
どういうわけか、当該カットは、日本ではモザイクで消し潰された。
それは、想像するだにグロテスクな光景かも知れませんが(特殊メイクかCG処理のはず)、主人公のエリへの気持ち、映画のテーマ自体を根本から、ひっくり返してしまう重要なカットです。
だから、僕は二度目に書いたとき「恋愛だか、友情だか」と、濁した書き方をしました。何か、釈然としなかったからです。

果たして、私は映画に描かれたはずの真実を知らされないまま、「感動して」帰途についた、いや、つかされたのです。


でも、配給会社(ショウゲート)と映倫は、真実を見た上で「隠そう」と決めたわけですね。激しい議論があったものと信じたいのですが、とにかく「観客に見せる必要、ないよ」と結論したわけですね。
これでは、推理小説で、犯人の名前だけ印刷しないようなものですよ。いつまで、われわれは、こんな目に合わされるのでしょう?

しかも、問題のカットが未成年の性器「かも知れない」ため、反論を封殺しているとも受け取れます。また、物語の根幹に関わるカットのため、公に議論もできない。それこそ、「ネタバレ」と言われてしまう。姑息ですね。

――僕の見た映画は、いったい何だったんだろう?

ちなみに、表現の自由を護る映倫の審査結果はこうです。「肉体損壊等刺激的な暴力描写がみられるが、親又は保護者の助言・指導があれば、12歳未満の年少者も観覧できます。」
いや、だからボカシが入っているってことは、「観覧できない」ってことでしょ? 
(とりあえず、配給のショウゲートさんに、メールで質問してみました。映倫のサイトには、電話番号しか書かれていませんので)

(C) EFTI_Hoyte van Hoytema

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2010年7月18日 (日)

■歌舞伎町という泥沼のほとりで■

離婚したばかりのころ、僕は歌舞伎町界隈を、明け方まで、野良犬のように散策していた。どんなヤバそうな呼び込みにくっついて行っても、そうそう危険な目に合うわけではない。

彼女は、一畳ぐらいの部屋に、鏡台とペットボトルの水だけを置いて、客を待っていた。
僕は酔っ払っていたので、そういう気持ちになれず、話をすることにした。彼女は上海生まれで、打ち解けてくると、本名を教えてくれた。
年のころは、20代後半といったところだろう。美人だった。名前は、仮にイーフェイとでもしておこう。

イーフェイが、ぽつぽつと話すことには、家族がないから、上海に帰る理由がない。何かやりたいこともない。どこか、行きたいところもない。
僕は酔っていた。だから、「それでも、がんばって生きるんだ。元気を出して」と繰り返し言って、その怪しい店をあとにした。

僕の気に入るキャバ嬢はたいてい、何らかの目標があって、金を貯めている。資格がほしいから、昼間は専門学校へ通っているとか。
イーフェイには、何もなかった。本当に、何も欲しいものがない。枕もとの、ペットボトルの水だけだ。

ある日、歌舞伎町の店で、飯でも食おう、と誘った。中国人の経営する、豚料理の店に入ったのだが、とにかく、イーフェイは水しか飲まない。
「肉が嫌いなら、サラダでも……」。いや、野菜も食べない。でも、病的にやせているわけじゃない。普段着のイーフェイは、高そうな皮のパンツに、形のいいヒップをつつみ、流行りのニーハイブーツも、長い足に似合っていた。
そんな身なりで、僕の腕に手を回し、歌舞伎町を一緒に歩いてくれた。

「お店には内緒だよ」と、本番をさせてくれたが、そんなことを望んでいたんじゃない。そのうち、僕らには会話もなくなった。ペットボトルの水だけが、残った。

ある日、大阪へ取材に行くことになった。出発日の朝まで、イーフェイの店(というより、そこは簡易宿泊所みたいなものだった)で、時間をつぶそうと思った。
その日にかぎって、彼女は「日本にはオオカミ、いる? どんな字を書く?」と、熱心に聞いてきた。その日のことは、4年前、このブログに書いた。
店が終わると、始発の時間までマクドナルドで過ごし、東京駅まで、彼女はついてきてくれた。「もう、私、帰ろうか? 一人がいい?」と、彼女は何度か聞いた。「君が眠かったら、帰っていいよ」。イーフェイは、午後1時に寝るようにしているから、まだ平気だと言う。

新幹線の出る時間になると、彼女は僕のコートの襟をなおし、「うん」とうなずいた。
それっきりだった。僕は残酷な男だ。商売ぬきで付き合ってくれたイーフェイに、何の義理も感じない。いつだって、夜の世界を捨てられる。本当は、愛しちゃいないんだ。

あれから5年、彼女には、劇的な人生が訪れたかも知れない。上海に帰って、あの美貌でもって、玉の輿にのって……そんな人生だといいな、と僕は願う。
低くてもいいから、何か目標がなくてはいけない。たぶん、そうなのだ。一日に一ミリでもいいから、何か達成していくこと。

『ぼくのエリ』のことを考えていたら、歌舞伎町の放蕩の日々が、よみがえってきた。
このブログも、もうすぐ、現在の形のままではいられないと思うので、こんな些細なことも、メモ的に書いていこうと思う。


『BRUTUS』のジブリ特集。
100718_20450001人選も、デザインも、紙の質もすばらしい。
こんなことやられたら、アニメ誌はかなわないよ。

片渕監督が、最後の最後に『マイマイ新子と千年の魔法』と言ってくれたので、ホッと一息。タイトル長いから、プロフィールに入らないのだ。

映画は、明日の夜に予約してある。友達を誘ったら、「宮さん監督じゃないから、見ない」と断られてしまった。

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2010年7月17日 (土)

■7月のメモ「Let the Right One In」■

仲里依紗のイメージDVD。仕事の役に立つと思い、中古で購入。
100717_21550001一応、短編映画が何本か収録されているのだが、途中に仲さんが江ノ島へ旅する――というドキュメント・パートがあったので、驚いた。
あたかも、90年代AVのように、インタビューが挿入されているのも、違和感。

確かこれ、企画から2年もかかって、発売されたのが09年。07年時点では、まだアイドル扱いだったわけだ。
ホントにこの人、いろんな目に合ってるなと思う。


それでも、一本目の短編映画は、なかなか出来がいい。無論、シンプルな物語なのだが、完璧な必然性に支えられている(脚本は、一般公募)。

全編、ハンディで撮影されているのだが、そのせいか、演技がうまく繋がっていないところがあった。でも、それがとても綺麗。
仲さんが、背後に置いてあるペットボトルをとりながら、セリフを喋る。これを2カットに割る。セリフ優先で編集したらしく、ペットボトルをとる仕草が、つながっていない。2回、同じ芝居をしているように見える。
ところが、ここのセリフがけっこう重要であるため、シーン自体、非常に美しい印象をのこす。狙ってやった演出だとしたら、見事というしかない。

映画の「生っぽさ」は、こういうところに現れるのだと思う。映画の本質は、決して「ストーリーのオチ」になど、存在していない。
自分でたくさん見て、発見していくしかないんだよ。


『ぼくのエリ 200歳の少女』のことが、頭から離れない。
Poster_lettherightonein_1主人公は、まだ12歳なのに、一生の生き方を決めてしまった。それは、修羅の道だ。
相手につくすことが無上の喜びならば、この生き方は悪くない――どうしても、言葉にすると陳腐になるのだが――全世界を敵に回してでも、2人の関係を維持する。そんな恋愛だか、友情だかなら、残りの人生をすてる価値がある。

先日の記事では誤解を招いたかも知れないが、『ぼくのエリ』は、そんな映画です。

ハリウッド版は、『クローバーフィールド』の監督がリメイクするそうで、単なるホラー映画にならないか、非常に心配。
たとえ同じロケ地、同じカット割りで、同じ俳優を使っても、同じ映画にはならない。映画というのは、そういうもんです。


25日は、ワンダーフェスティバル。今回こそ行くつもりだったのに、その日は徳島へ取材。何かに遠ざけられ、自らも何かを遠ざけつつ、残る人生はすり減っていく。

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2010年7月16日 (金)

■7月のメモ「シネカリ」■

ドカン隊長のブログで写真が紹介され、このブログのコメント欄でも秘かに発表されたのですが、プレスリリースが届きましたので、あらためて。
_0712_sample_sml7月23日が「マイマイ新子の日」となり、同日、山口県防府市から、青木新子に『特別住民票』が授与されるそうです。
同日から、防府市内各地で、一人一枚ずつ、もらえるそうです。

7月23日って、DVDの発売日じゃないですか。だからまあ、宣伝ですね(笑)。
実際には、熱烈なファンであるsilver_copperさんたちの尽力で実現した企画だそうなので、プレスリリースにも、その事情を書いといたほうが、好印象ではないでしょうか。

――とはいえ、「商品」になっていく、お金が絡んでいくって、こういうことなのかも知れません。
明日17日から、ラピュタ阿佐ヶ谷で、DVD発売記念レイトショーが始まります。


早起きして、銀座テアトルシネマへ。
100716_1333000112歳のいじめられっ子の少年と、永遠に12歳の吸血鬼の少女の、恋愛とも友情ともつかない切ない関係を描いた『ぼくのエリ 200歳の少女』。

スウェーデン映画。北欧特有の、寒々しい風景が、陰惨なのに慈愛に満ちた物語に、よくマッチしている。

2人はマンションの中庭にある、とても小さなジャングル・ジムを、待ち合わせ場所にしている。
少年は、少女にルービック・キューブを貸す。しかし、少女は、何しろ人間ではないので、遊び方が分からない。なので、少年が教えてあげる。
すると翌朝、完璧に面のそろったルービック・キューブが、ジャングル・ジムに置いてあるのだ。少年は飛び上がらんばかりに喜んで、キューブを学校に持っていき、ずっと手で触れている。――もう、これだけで、少年が恋したことが、分かるでしょ? 少女が、普通の12歳でないことも分かるでしょ?

さて、少女は人の生き血を飲んで生きる、吸血鬼。じゃあ、2人はどうやって生きていくのか。後半、少女が少年を口説くんだけど、そのセリフは、哀しいまでの力強さにあふれている。あんまり美人じゃないけど、この娘を、とても好きになるよ。


上映前、「途中、フィルムに縦線のキズが入っており、お見苦しくなっております」と、しつこく言われたんだけど、そんなのは、まるで気にならなかった。

それより、少女の性器がうつるシーンで、懐かしのシネカリ・モザイクが入っているのが「?」でしたよ。
そもそも、少女が「私、女の子じゃないかも知れないわよ」って、謎めいたことを二度も言うんですよ。その答えが、着替え中に、少年が性器を見るシーンなんだよ。別に猥褻なシーンでも、なんでもない。少年は、少女の性器を見て、納得した顔をするんだけど、観客は見られない!
(追記:原作やパンフを読むと、モザイクの下に何が映っていたのか、分かるそうです。そのカットによって、この映画の印象は180度変わるといってもいい。テーマもストーリーの方向性も、すべて。「ぼくのエリ モザイク」で検索すれば、ネットでも分かります。ファンの皆さん、激怒してらっしゃいます。詳しくは、後日)

日本って、まだこんなことやってんだ……と、情けなくなった。
この映画はPG-12指定で、12歳以下は保護者同伴が望ましいとのことだけど、映画の上映中、保護者が子供に目隠しでもするのかよ(笑)。
残虐なシーンは確かに多いけど、エロチックなシーンは、皆無です。女性客が大半だし、そんなもん期待してくる客、いないってのに。

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2010年7月14日 (水)

■7月のメモ「夏紀・2」■

EX大衆8月号 15日発売
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●ガンダム「一年戦争」のすべて
順調にアンケート上位に食い込み、この雑誌の『ガンダム』ページも、3回目。今回も4C、フルカラー!
一年戦争のさまざまな作戦を取り上げたけど、「アプサラスの基地は日本だ」と監督に聞いた覚えがある……街並もそうだし。高速道路あるし。
だけど、最近の資料を見たら「チベットのラサ」だって。いつから、そんな設定になったっけ。『ガンダム』は難しい……。

そして、9月発売号では、ついに「あのアニメ」を特集します。白をやりすぎたので、次は黒、ということで……。


しつこく、『宇宙ショーへようこそ』の夏紀のこと。
僕は初見時、彼女を中学生だと思ったし、小学5年生とわかった後でも、わざと「14歳」と書いた。
小学5年は、思春期には早すぎる年齢だが、夏紀の葛藤は、思春期的だと思う。

●彼女はいい歳をして、変身ヒーローに憧れている。
●彼女は従姉妹にたいして、お姉さんらしく振る舞うよう、演技している。

これは「かくありたい自分」と、現実の自分との間に、ギャップを抱えているということだ。
1008102_02そして、彼女が葛藤を克服し、従姉妹と仲良く出かけるシーンが、この映画のラスト。つまり、彼女の成熟、あるいは前向きな妥協をもって、この映画は「完」となる。
(夏紀の部屋の変身ヒーローのポスターは、現実のヒーローであるポチのイラストと入れ替わっていたはずだ)

小学5年生という設定はさておき、夏紀の思春期的葛藤が、僕の思春期的欠落と、うまく結びついたのだと思う。

物語が、「夏休み」というモラトリアムのまま、終わる点にも、注意しておきたい。


浜長和正さんの、非常に興味深いコメント。「アートというのは、結局セラピーに包含されていく」。
商業アニメは、アートではなく娯楽だと思うんだけど、表現物であることには、かわりがない。

だから、ざっくり言ってしまうと、アニメで可愛いキャラを見たり、綺麗な背景美術を見たりするのは、セラピー(心理療法)じゃないか。
「ふざけるな、俺は病気じゃない!」って人が多いだろうけど、アニメを見て「救われた」って人、けっこういるんじゃないだろうか。

少なくとも、僕はいま、自分とアニメの内面的関係に、気がつきはじめている。
なんかね。頭の悪い萌えアニメがやってても、腹が立たなくなった(笑)。それで、救われる人が、いるのなら。

もっと言うと、特撮などの児童文化に熱中したり、超合金などに何万も出してしまう大人たちも、自分の子供時代と和解しようとしているんじゃないか――そんな風に、思える。
じゃあ、なんで男性のほうが多いのか。さっきの浜長さんのコメントにあったように、「女性のほうが、近しい人生目標の中で満足できる方法を知っているんです」。
僕も、そう思う。

女性は、いきなりホームランを打てる。男性は、ヒットを打ってから、一塁、二塁……と回っていかなきゃ、ならない気がする。


今は、「アニメはセラピーになり得る」と言うと、反発のほうが大きいと思う。セラピストの方たちには申し訳ないけど、「セラピー」という言葉自体に、やや胡散臭さがあるから。
それに、「セラピー用アニメ」をつくる!とか、誤解されそうだし(笑)。そうではなく、アニメには、まだ大きな可能性・有用性があるんじゃないか?という話です。


本日は、あるアニメ誌の編集長(というか、今は経営者?)にお会いして、夜は悪だくみの仲間と酒。飲みながら、悪だくみ。

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2010年7月13日 (火)

■7月のメモ「子ども扱い」■

M大学のR講師を誘って、『RED LINE』試写へ。
100712_23080001Rさんは、外国人のくせに(外国人だからか?)、日本の古いOVAにやたら詳しい。試写が終わってから、「うん、この映画は『カリフォルニア・クライシス』に、絵の感じが似ている。北米で受けるかも知れません」などと、言う。
その一方で「でも、キムタクが出てるから、日本でも、そこそこ受けるんじゃないですか?」とニヤリ。

ただひたすら、偏執的にオタクな外国人は珍しくないが、Rさんは、そこはかとなく皮肉の混じるところが、抜群に面白い。


2回目の『RED LINE』、初見のときはゴチャゴチャして見えたシークエンスが、ぱっきりとキレイに見えて、102分、あっという間だった。
(シークエンスとは、シーンが集まって「ひとつの意味」を形成している部分のこと。「シーン」の高級な言い回しを、「シークエンス」だと思っている人がいるようだが、それは間違い)

今回は声優名を公表しての上映だったが、驚いたのは、蒼井優。『鉄コン筋クリート』のとRedlinemainきとは、わけが違う。生っぽさがない、というか、ものすごいアニメ声なのだ。
ぜんぜん、蒼井優の声に聞こえない。十分、アニメ的にセクスィーだ。

それで思ったんだけど、アニメって、線と色から成り立ったファンタジーなんだよね。どんなに写実的に描いても、どこまで行っても「絵である」ということ。孤高のジャンル。
だから、アニメ・ファンは、アニメというファンタジーに、俳優のような「リアル」が混入することを、嫌がる。

俳優嫌いのファンたちの気持ちも、分からないでもない。


それに、前よりもアニメを好きになれたのは、確かだな。『宇宙ショーへようこそ』以降……もちろん、夏紀と僕の関係は、いずれ精神科医に見てほしいぐらい、密接なものだ。
だけど、何だか、『宇宙ショー』のことを考えると、涙が出てくる。理由は、分からない。語弊のある言い方だけど、気がねなく、幼稚な気分になれるから…かも知れない。

僕は『かみちゅ!』も好きではないし、監督や脚本家にも、思い入れはないです。この映画のどこが優れているか――むしろ、欠点のほうが多いと思うので、周囲の友達にも、すすめていない。
だけど、祖父がクリスマス・ツリーを飾ってくれて、叔父がディズニー映画に連れて行ってくれた頃……つまり、自分が「子ども扱いされていた頃」に、戻れるような気がする。
43歳になっても、そういう気持ちに戻ってもいいんだ、と気づかせてくれたのは、このアニメなんだ。


次の仕事のために、何本か実写のDVDを買った。
100711_23380001『pieces of Love vol.2』、これは谷村美月、仲里依紗、星野真里が、それぞれ主演しているオムニバスだ。特に、2本目は仲さんと吉高由里子の夢の競演が見られる。
1本目の監督は、『渋谷区円山町』の永田琴!

だけど意外にも、星野真里がよかった。何度見ても、「こういう顔の女優です」と言い切れない。これといった特徴がない。特に、大きな役に恵まれているわけでもない。
なのに、女優をつづけている。それが本物の女優だ、という気がするのだ。

(C)2010 石井克人・GASTONIA・マッドハウス/REDLINE委員会

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2010年7月12日 (月)

■7月のメモ「夏紀」■

『宇宙ショー』、2回目、行って来た。
100711_23390001どうして、こんなに心惹かれるかというと、前回、立川シネマシティの226席に行ったとき、あまりにもグッズが売れてなさそうだったから。反対側にカフェがあって、すごくいいスクリーンなのに、グッズを物色している人がいない。
その光景が、あんまり寂しいので、ずっと胸にひっかかっていた。

映画を見る動機って、「評判がいいから」とか「広告を見て」とか、そういうことばかりじゃないんだよ。

それで、「どうせなら、夏紀モノを」と思い、1,000円のタンブラーを買った。でも、絵が違うじゃない。夏紀ともあろう人が、セーラー服なんて着てるよ。「これは、俺の『宇宙ショー』じゃない!」
でも、パンフと合わせて1,800円だからね。売店のお姉ちゃん、喜んでた。


昨日の、「製作委員会は、どこだ?」の件。この映画に、仕事としてかかわられた方からのメールで判明しました。アニプレ、A-1、あとは電通。それだけ。これは、苦しい戦いだ。

立川シネマシティは、98席中、3~4人だったかな。でも、今週いっぱいは、昼~夜のフォーメーションを続行するようです。会社帰りにも、行けます。


それで、やっぱり2回目のほうが理解しやすかったし、作劇的なポイントも、明瞭になりました。でも、そういうことは、このブログには書きません。もっと優れた評論が、ネットにいっぱいありますから。

ヒーローに憧れる夏紀が、「女の子なのに」とたしなめられる、その一点なんです。その一点のみが、この作品を、特別なものにしてしまっている。
1006wss033_1明らかに中高生向けにつくられたこの作品と、43歳のオッサンの接点は、夏紀という性のボーダーを飛び歩くキャラクターのみ……ではないけど、はっきり「俺が2度も見た理由は、夏紀だよ」と言えます。

「少女とは、自分の心の中に飼っている、もう一人の自分」。宮崎駿の言葉です。
夏紀が、ありとあらゆるシーンでドジをやったり、すらりと伸びた足で敵を蹴ったりするとき、僕は自分の欠けたピースが埋まり、彼女と僕とで、ひとつの「なにか」なのだと実感する。

「作品の内容と同じ重さで、受け手である観客が、どのような精神状態にあるかが作品の意味を決定づける」。これも、宮さんの言葉だ。
自分が、何者であるかを見なくてはいけないんだよ。作品ってのは、自分のハートの中にある。スクリーンの向こうにあるわけじゃ、ないんだよ。


正直、僕は実写映画のほうが、本数を多く見ていると思う。実写にしか起きない、偶発的瞬間や、年齢とともに変わっていく、女優の仕草を見るのが、何より好きだ。
仕事で、アニメばかり見ていると、さすがにゲップが出る。「終わったら、すぐさま実写をレンタルだ!」と、いつも思う。

でも、夏紀を見ている間は、こんな自分でも、完璧になり得るのだと思える。それは、アニメが人の手で描かれたものだから…としか説明できない。
絵、とくにセル画には、何か精神医学的な魔法がかかっているように思えて、ならない。

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2010年7月11日 (日)

■7月のメモ「製作委員会」■

「オトナアニメ」の見本誌が届いたんだけど、驚いた。
100711_05190001カラー2ページで、『マイマイ新子』の記事が載っている! 右ページは、ウエダハジメさんの連載なんだけど、さすが、昨年12月に『新子』の同人誌を、最速で出した方だ。
これは、何回も何回も映画を見てないと、描けないよ。だって、場面カットとして切り出されてないシーンばかりだもん。
「阿佐ヶ谷、行った?」「また行った」という会話が、すみっこに書かれているけど、まさに何度も行かれたのでしょう。

今後の上映は、17日からラピュタ阿佐ヶ谷、24日から広島サロンシネマ。あと、本日11日、高知県立美術館ホール。


『借りぐらしのアリエッティ』特番。
N0021318_l鈴木敏夫が、最初の30秒だけ出てきて「キーワードはケルト」と一言だけ。ケルトとジブリの関係は、3つの国へ行けば分かる、という。

で、「まさかな」と思っていたら、レポーターは本当にイギリス、アイルランド、フランスへ旅してしまった! こんな1時間番組つくれるなんて、どんだけ宣伝費あるんだよ、と。教会なんかへもカメラ入れてたから、交渉だって大変だったろう。
在京キー局が出資してると、やっぱり無敵だな。
(どうでもいいことですが、ジブリ作品のBGMを多用するのは分かるけど、『アクエリオン』から曲を持ってきたのは、何の間違いだろう)

じゃあ、『宇宙ショーへようこそ』は、局は出資してないの?と思って、ちょっと調べてみたけど、製作委員会の座組みが分からない。
TOKYO MXは出資してるんだろうか。てことは、放映権はMXが持ってるの? 株式会社パルコは、単なるタイアップだよね? じゃないですね。株式会社パルコ・シティか。


こんな具合に、僕も勉強不足ではありますが、「宣伝が足りてる」「足りてない」というのは、戦略以前に、ひとえに出資会社の体力じゃないかと思うんです。

以前、局の映画部を取材していた頃、企画について聞くと「これは脚本家の持ち込み」「これは、幹事会社から誘われただけで、うちは内容にはノー・タッチ」とか、いろいろなんですよ。
そんな風に突っ込んでいったら、実はアニメ映画の見え方も、変わってくるんじゃないかなあ……などと考えています。


今夜は、仕事が早く終われば『宇宙ショー』行って、明日は『RED LINE』試写会2回目……というか、前回は未完成版だったので。
でも、公式サイトには、製作委員会各社の名前ぐらい書いてちょ。『アリエッティ』はぜんぶ書いてあるよ!

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2010年7月 9日 (金)

■7月のメモ「さよなら、カーラ」 ■

スーパー!ドラマTVで、ついに『ギャラクティカ』が、最終回を迎えた。
艦としてのギャラクティカと、アダマ艦長の別れが、最大の見せ場だ。アダマが、どうしてギャラクティカに着任したのか、その理由が回想で語られる。その回想のつなぎ方が、またカッコいい。

もうひとつは、ロズリン大統領の最後のセリフ。バルターが「農業には詳しいんだ」と泣きながら言うシーンも、よかった。

だけど、何より「さよなら、カーラ」。これに尽きる。物語に、完璧な合理性や整合性を求め00050dpwる人には、我慢ならない“逃げ”なんだろうけど、「理屈より情感」の僕は、声を出して泣いた。
あれで分からなければ、何も分かんねーよ、とさえ思う。というか、具体的にあんなシーンでなくとも、似たようなことが、人生にありませんでしたか?と。

作品を「対象」として見る人が、あまりに多い。違うの。作品を見たとき、あなたとの間に「関係」が、生まれてしまうんだよ。責任の半分は、あなたが持っているんだ。
作品を見て腹が立ったとき、怒るに値する因子は、あなたの中にある。作品を見ていく、というのは、自分を探す旅なんだよ。


『ギャラクティカ』全体について、何か語ろうかと思ったけど、もう、このドラマは心の一部なので、特にないです。好きなシーンも多いし、好きなキャラクターも多いし……。
僕はネタバレっぽいことも書いてきたけど、これから見る人、大丈夫ですよ。あまりの情報量の前に、僕が書いたことなんて、忘れてるはずだから。


昨日の「萌えとは、コンプレックスを埋めるための自己投影ではないのか」という話。
Chara_photo03_2よく考えたら、アニメでは、活発な女の子が好み。『けいおん!』なら、律。『ひだまりスケッチ』なら、宮子。

もちろん、学生時代、ああいう快活な女子も、クラスにいたんだけど、彼女たちから、俺は「もやしっ子」と呼ばれてましたからね。
俺も、彼女たちには、まったく興味なかった。いつも、教室のすみで、マンガばかり描いていた。明朗快活な性格とは、ほど遠い(笑)。

ただ、少なくとも、自分が無口で引っ込み思案なことには、いつも悩んでいた。正直、今も悩んでいる。
だから、律や宮子を見て、「安心」している自分がいる。
「絵」という倒置、「女子化」という倒置が、効果的に作用しているから、彼女たちに自分の願望を投影して、とりあえず満たされている――だから、あの世界に、男子は、いてほしくない!

あーっ、やっと分かった。あの世界に男キャラが出てきたら、俺、かなりイヤだもん! 色恋沙汰なら、女同士でいいじゃん! それで、百合か!
――仮説だけどね。ほかの人は違う考えをしてるいだろうけど、私は、私という者の正体を知りたい。

なんか、色んな意味でさ……俺、アニメがなかったら、今ごろ死んでたわ。


『宇宙ショーへようこそ』、立川では、狭いスクリーンに移されはしたが、午後~夜のシフトへ。「朝一回」などという、「梅」なシフトにはなってません(笑)。
自社作品は、大切にしないとなあ。

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2010年7月 7日 (水)

■7月のメモ「43歳の精神療法」■

オトナアニメ Vol.17  9日発売予定
O0800113710619335182
●『世紀末 オカルト学院』 伊藤智彦監督インタビュー
表紙、『おお振り』なんだ……『宇宙ショー』じゃないんだ。まあ、いいか。

実は『宇宙ショー』の特集でも、「ひょっとしたら関連してるかも知れない映画」を一本だけ、あげときました。今の僕だったら、『がんばれ!ベアーズ』とか『天然コケッコー』とかあげて、没にされていたと思います。

それで、『オカ学』の取材は、企画内容聞いて、「もう、絶対やります!」と。だって、『水曜スペシャル』だもんね。今回は、執筆者プロフィールも『オカ学』仕様にしてありますからね。奥付も、見てね。
ところで、『オカ学』のエンディングは、橋本カツヨさん。お見逃しなく。


『宇宙ショー』の話が出たついでに、夏紀の何がいいのか、復習してみる。
たぶん、生足は「記号」であって、スポーティなところがポイントと思う。ベースボール・キャップをか12945ぶられると、もう降参だね。ホームラン、打ちそこねたりさ。
(←説明は省くが、このコスチュームも最高だった!)

僕、小学4年生の頃、少年野球をやっていた。ところが、このブログで再三再四、書いてきたように、スポーツは大の苦手だ。
だから、僕は夏紀が「好き」なのではなく、夏紀に「なりたい」。「スポーティな女の子になりたい」というのは性倒錯ではなく、男子としてのコンプレックスを刺激されないための「手続き」なんですよ。
この同一化願望が、あるいは、「萌え」の正体なのかも知れない。同一化するには、相手に実在してもらっちゃ、困る。
非実在――線と色から成り立った抽象存在だからこそ、同一化できるわけ。


だから、「萌え」って、自分の肉体的・精神的欠損と、切っても切り離せないんだよ。単なる「好み」じゃないんだ。
だから、43歳の精神療法かも知れないな。夏紀に萌えるってことは。

そう考えれば、離婚してまで、アニメを見に行く自分を許せる(俺の離婚理由は、妻のアニメ嫌いが原因だったからさ)。
だったら、今みているアニメが、僕の少年期のときのまま、セル画であることにも、納得がいく。――うん。何か、すっきりしたな。
うーん、病んでるけどね(笑)。スタッフには、「ありがとう」と言いたいな。


「仕事の参考になりそうだな」と思って、買っておいたアニメ・ムックを、大量に売りにいく。
先入観を捨てるためだ。
自分の、過去の仕事への誇りや愛着も、ちっぽけなものに思えてきた。僕はいま、真っ白なノートが欲しいんだ。そのためには、捨てるものが、いっぱいある。

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2010年7月 6日 (火)

■7月のメモ「未成熟」■

Goods  Press 8月号 本日発売
Image_prof
●緊急特集 RX-78-2 ガンダム
僕の担当は、皆河有伽さんのRX-78-2機体解説のページのみです。

「グレメカ」もそうなんだけど、アニメの制作(スケジュールや予算など)の都合で矛盾してしまった設定に、無理やりに整合性をつける「設定遊び」は、もはや芸術の域に、たっしている。
この文化に、外部から言及した例は、少ないと思う。もっとも、作品の「内部」のことだから、面白いのかも知れないが、「こんな屁理屈、よく考えたな」と、本気で感心してしまう。


レンタルで、星野真里の『私は猫ストーカー』。これ、鈴木卓爾の長編初監督なんだ……PFFで、彼の自主映画を見たのって、20年前ですよ?
Original_2特にこれといったドラマもなく、星野真里が、森ガールぶりを振りまきながら、下町を猫ストーキングする。
江口のりこ、坂井真紀、そしてまさかの麻生久美子(麻生美代子、でした・笑)と、女優的には充実の一本。飼い猫がいなくなって、取り乱す坂井が、生々しくて良かった。

星野真里は、イラストレーター志望で、普段は古本屋でバイトしている。彼氏はいない。そんなんで、東京で生きていかれるわけ、ないじゃん。「でも、こんな女の子がいてくれたら」という監督の妄想を、投影しやすい女優なのかも知れない。


麻生久美子といえば、『カラフル』の特番、とても綺麗な番組なので、消せないでいる。
20091217_colorful_m唯一の不安だったアッキーナも、援交女子中学生の役なら、意外なリアリティが出るかも知れない。

原恵一監督は、「自分と同じ時代を生きた人たち」に見てほしい、と言い切る。つまり、オジサン世代に見てほしい、と。
うーん、でもなあ……「どうして俺、43歳にもなって、アニメ見てるんだろう?」と自問したとき、あまり明るい答えは、出てこない。


自分も、つい先日までそうだったんだけど、まだまだ若いつもりでいる。もっと言うと、自分を「未成熟だ」と言い切れてしまう(未熟じゃなくて未成熟。子供だってことです)。
自分の子供の部分を、過保護にしすぎてるんじゃないか。
自分の中の幼稚さを、許してしまっている。子供の頃の習慣を、大事にしすぎているんじゃないか。

飽くまでも、社会におけるアニメの地位なんてことではなくて、自分がアニメという文化と、どう向き合うべきか、という問題。そういう意味では、原監督の一言は、挑戦的だし、痛烈だった。


同人誌版「550 miles to the Future」、COMIC ZINさん委託分は23冊中、22冊まで売れたそうです。残りは、まんだらけさんにある分のみ売り切れました。COMIC ZINさんに冊あるかどうか?という状態です。
この本も、なんちゅうかねえ……「いい歳こいて、思春期じゃねえよ、くそったれ」って感じですが。買ってくださった皆さんも、そんな気分で、読んでいただけると、気が楽です。

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2010年7月 5日 (月)

■立川で宇宙ショー■

家で『チェ 39歳 別れの手紙』と『ぐるりのこと。』見てから、立川シネマシティ、行って来た。
100704_22090001『宇宙ショーへようこそ』、すまん、面白かった。
(写真ピンボケですが、19:45の最終回に行ってきた。なので、映画が終わったら、売店は終わっており、ひとつもグッズが買えなかった)

テレビで冒頭22分、見ていたはずなのに、もうぜんぜん印象が違う。
特に、夏紀だっけ。「おい、中学生の生足は卑怯だろ!」と思ったら、「みんな、小学生だし……」というセリフが出てきて、ビックリ。

夏紀の野球のユニフォームとタンクトップ、そしてデニムのショートパンツ。「よし、2時間以上、がんばろう」と思ったね。忘れてはいけないが、髪がショートなのも良かった。
性格は、だらしなくも勝気。もう、最高ですね。

アニメって、キャラクター、特にヒロインが、脚本・演出・作画と同じぐらい、場合によっては、それ以上に大事だと思う。それは、アニメが通俗娯楽だからですよ。


でも、視点は最年少の女の子(夏紀の妹ではない、という設定は、最後まで分からなかった)に寄るでしょ。
あのトゥー・マッチな世界観も、子供を飽きさせない工夫だと思うよ。『ダンボ』の「ピンク・エレファンツ・オン・パレード」みたいなシーンもあったし、ちょっとディズニーっぽい。
しゃべるイヌが出てくるあたりは、カートゥーンっぽいし、本気で低年齢に向けてつくったんだと思う。その信念は、あっぱれ。

というか、ピクサーあたりが、やりそうなプロットだよね。小学生が、大人に内緒で、社会体験してくる。そこから、話はブレてないもんね。だから、ラストの窓から降りてくるあたりで、「あ、ちゃんと(テーマを)語り終えたじゃん!」と。
そこに14歳の生足が出てくるあたりが、日本のアニメなんだけど……(笑)、でも、今までの日本のアニメでは、珍しいテイスト。似たようなアニメがあるのか、と聞かれたら、やっぱりピクサー作品じゃないかなあ。

駅への帰り道、思わず夜空を見上げてしまった。外国映画を見たような、不思議な気分。


お客さんは、アベック含めて20人ちょっとかな。一人で来ているのは、俺ぐらいだった。
でも、僕はまだ楽観している。アニプレックスが、自社作品を見捨てるわけがないから、どこかしらで上映はつづけていくと思う。

あまり、比較しても意味ないと思うんだが……『マイマイ新子』は、配給会社に見捨てられたも同然だったから。ラピュタ阿佐ヶ谷に話を持っていったのは、マッドハウスなんですよ。

そういう意味では、配給会社としてのアニプレさんを、僕は信用しています。
万人には勧められないけど、俺はもう一回、見ると思うよ。

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2010年7月 3日 (土)

■7月のメモ「紅の豚」■

さべあのま先生から、「フリースタイル12」を贈っていただきました。
100703_18340001『マイマイ新子と千年の魔法』をめぐる、これまでの流れを追っているようでいて、後半にけっこう、「ギクリ」と思わせるくだりがあります。

「フリースタイル」、取り扱っている本屋さんは少ないのですが、この際、近くの本屋さんに注文してみましょう。僕も、地元の本屋さんで30分ぐらい、探してもらい、間違って前号を手に入れたくらいです。


日テレの『紅の豚』。
まだ、セル画時代なので、ポルコの歩きに合わせて動く石畳が、セル。背景はBGをスライドさせている。このカット、好きだな。「セルと背景の合わせ技で、背動」というのが、カッコいい。

シーン転換でいいのは、旅客船に艦載されていた護衛機を、カーチスが襲うところ。護衛機のパイロットのアップまで寄ったところで、ポルコ機のエンジンがうなっているカットへ、飛ぶ。
常套的なんだけど、護衛機が落とされたことを暗示している。絵よりも、音でつないでる感じかな。
その他、フェードアウトするところ以外は、ロング→アップでのシーン転換が多い。教科書どおりなんだけど、なんか安心する。

あと、水の表現でよかったのは、ジーナの飲むワイン。ワインごしのジーナの肌と服が、ちゃんと光が屈折して、ズレて描かれている。これ、すごくオシャレ。

でも、何よりも、フィアット・フォルゴーレのテストをやるシーンね。カットが寄るたび、どんどん全セルに近くなっていく。小屋全体が動いてるんだから、そりゃ全セルにもなりますわな。
「ああ、アニメは楽しいなあ」と、ストーリーなど、どこへやら、ため息が出てしまう。


東京MXで、『私の優しくない先輩』特番。
100316_senpai_main1ミュージカルはあるし、合成ショットはあるし、大林宣彦っぽいかも。それも、尾道三部作じゃなくて『青春デンデケデケデケ』あたりの(笑)。それなのに、かなりの勢いで女性ターゲットな売り方をしているのが、意外だった。
主演の川島海荷に、主題歌もうたわせるんだけど、原曲は広末涼子のデビュー曲。てことは、アイドル映画の装いもあるわけだよね。

……なんかこう、ひさびさに「ターゲットから外された」感のある邦画なんだけど、山本寛という人の仕事は、ちゃんと見ておきたい気がする。

製作に、グッドスマイルカンパニーが入っているのが、ちょっと驚き。まさか、フィギュア出さないよね。
配給はアニプレックスではなく、ファントム・フィルム。『リアル鬼ごっこ2』配給したところだ。

ああ、やばい。『さんかく』、もう一回見たい……。


あ、そうそう。山下リオの『RIZE UP』。盲目の少女の役…というと山下リオっぽいんだけど、性格が悪い。わがままで、傲慢。年上の男に、タメ口をきく。いい役柄ですね。
2~3年して、女子高生役ができなくなってきたあたりで、どうなるか。それまで、映画には出つづけて欲しい。

明日の夜は、ようやく『宇宙ショー』です。

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2010年7月 2日 (金)

■7月のメモ「失恋まぎわの悪あがき」■

5月に『マイマイ新子と千年の魔法』を上映した、新潟シネ・ウインドさんが、「月刊ウインド」を送ってくださった。
100702_21000001 表紙が『武士道シックスティーン』だからといって、喜んでいる場合ではない。
片渕監督の舞台挨拶の様子が、詳細にレポートされているのだ。新潟限定ポストカードや、展示物の写真まで載っていて、本当にこの映画は、ほかにない運命をたどっているよなあ……と。


山下リオ主演の『RISE UP』を借りてきたので、それを早く見たいのでありますが、いまだ『宇宙ショーへようこそ』を見に行ってない私は、なにやら戦犯扱いされているようで。

前にも書いたことだけど、「いい映画だな」と思ったら、友達に宣伝しまくるとか、大声で応援するのが基本じゃないの? 「無知蒙昧な劣化オタクどもが、萌えアニメにしか興味を示さないせいで、不入りなんだ」という論調は、陰謀説にしか聞こえない。

僕、『新子』をまったく知らない人たち、20人以上、劇場へ連れて行ったよ。そういう、個々の行動を重ねないと、状況なんか改善されないよ。
僕が気になるのは、『宇宙ショー』の現状を嘆いている人たちが、「他人のせい」にしがちなところです。映画に感動しようが退屈しようが、すべては、あなたと映画の関係なんですよ。

「良かった、感動した」って心の動きは、他人からは、見えないんです。あなただけのもの。
あなたにしか見えないなら、あなた自身が、行動で示すしかない。


僕、ブログで映画のこと書いてるけど、本当につまんなかった映画は、タイトルすら書かないよ。内容も、どんどん忘れていく。
悪口が好きな人は、「星半分です」とか「最悪、金かえせ」とか書くんだろうけどね。僕は、別に映画に答えがあるとは思ってないし、答えを求めてもいないので。

仕事が一段落した日、ダッシュで見に行ったのは『さんかく』だった。でもこれ、2週間のレイト336066_001ショーで終わっちゃうんですよ。お客さんも、20人前後。
でも、その20人は、本当に『さんかく』を見たくて、時間をつくって来たお客さんなんだよ。「見るべき人は、ちゃんと見ている」ということ。

それが分かるから、『さんかく』は、これでいいんです。
『マイマイ新子』の時はね、「俺と『新子』の関係は、こんなもんじゃねえぞ!」って思ったから。失恋まぎわの悪あがき、みたいな気持ちが沸き起こった。やっぱりそれは、自分の心の中からしか、出てこないんですよ。

問題がどこか別のところにある、と考えてしまうのが、そもそもの問題だと思います。 

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2010年7月 1日 (木)

■7月のメモ「小野恵令奈」■

いかん、いかん。小野恵令奈が出ているから…というだけの理由で『ひぐらしのなく頃に 誓』Higurashichikai01を、レンタルしてきてしまった。
というか、前作にも出てたっけ。覚えてないや。
あと、『ICE』に出てた鼻声声優って、小野恵令奈だったのか。そう思うと、なんだか憎めない。

しかし、『さんかく』に比べると、声も体形も、まるで違う。女優の変わり方、というよりはアイドルの変わり方、なんだろうな。
アイドルは、女優とちがって、ステージで歌ったりするものな。職域が、違うんだ。俺はやっぱり、「映画女優」ってのが好き。

映画女優という基準からすると、麻生久美子も江口のりこも、僕の中では、そう変わらない。決して、ルックスではない。谷村美月の顔だって、愛着こそあれ、好みではないもの。
それで、小野恵令奈は、芝居というよりはルックスが好きなんだ、と『ひぐらし~誓』を見て、気がついた。

小野が、女優として化けてくれたら、それはそれで面白いと思う。
でも、『さんかく』一作で、伝説的な役柄をこなした……という方が、美しいのかな。
それを考えると、20年後も30年後も、『さんかく』という映画に残っていてほしい、と思わずにいられない。

ところで、『ひぐらし~誓』は、松山愛里が、かわいそうになるぐらい、一人で頑張っていた。あれだけ演技の幅があるんだから、もっと使ってあげればいいのに。
『ひぐらし』シリーズだけで、もう20歳って、ちょっとかわいそうだよ。


映画に「残ってほしい」ということで言うと、三重県で『マイマイ新子と千年の魔法』、やるんですよ。
三重県教育文化会館で、「夏休み子供映画会」というのがあって、昨年は『河童のクゥと夏休み』。今年は、『新子』です。
7月22~24日の三日間のみ、とのこと。DVDの発売日とか、別に意識してないところが、いい(笑)。

こういう形で残っていくのが、いちばんいいんじゃないかなあ。
なんかこう、僕なんかが捉えていたのは、まったく別の文脈で、上映されていく。別の受容をされていく。「広がる」っていうのは、そういうことだと思うから。

(追記:7/11に高知県でも上映されるそうです→こちら)

自分の中には、ない価値観が必要なんですよ。特に、大きな仕事をやるときは。
だから、今月は、なるべく多くの人と会います。


スーパー!ドラマTV版の『ギャラクティカ』は、ついに最終回のひとつ前。
老朽艦が、四方八方から撃たれながらも、満身創痍で敵艦に突入……って、『ヤマト』だよね。

回想シーンで、艦隊から民間企業へ、アダマ艦長が引き抜かれる話が出てくる。
悪酔してしまったアダマ艦長は、道端で嘔吐し、何気なく空を見上げる。すると、そこには、満天の星がきらめいている――その星空が、最終作戦に挑むギャラクティカへとOLする。美しいシーンだ。
硬派に見えて、どこかセンチメンタルなところが、このドラマを気に入っている理由だと思う。

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