■マイマイ小史■
天気もいいので、ラピュタ阿佐ヶ谷さんに、ご挨拶に行って来た。
前岡和之さんデザイン・発案による、巨大ポスターを掲示していただいているので、主に上映後の段取りを話し合うためだ(製作委員会のものではないため、誰かが管理しなくてはらない)。
ラピュタに着いた15時半が、ちょうど『新子』の上映時間だった。
子供連れのお客さんが入場するのを見て、何だかホッとする。
石井支配人がおっしゃるには、今は客層も変わってきて、かなり、女性客が増えているとのこと。
それに、朝から並ばなくても、チケットがとれるようになった。
健全な状況だと思う。
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署名の成果がラピュタでの上映、と誤解している人もいたようだが、それは違う。
ラピュタに話を持っていったのは、マッドハウスの松尾プロデューサーであり、それは署名活動開始前の話だ。
石井支配人から、その前後の経緯もお聞きしたが、かなり戸惑われたそうである。
僕は、「ラピュタは“情”で上映している」と、この映画館を責めた。だが、その後、新潟シネ・ウインドさん、吉祥寺バウスシアターさんと話を詰めていくうち、「お金」だけでは、とても立ち行かない、ミニシアター経営の厳しさも、少しずつ感じられていった。
静岡のシネマe_raさん、シネプレックス新座(および角川シネプレックス本社)さんも、上映に踏み切った動機の半分は、“情”であったろうと推察する。
そこから照らし返すと、情け容赦なく、興行2日目で上映短縮を「英断」した配給会社へ、矛先を向けざるを得ないのだが、ここではさておく。
僕は400字で「私の見たマイマイ小史」を書いたが、石井支配人にも、同じ課題が出されているはずである。
「どうしよう、本音を描くべきかしら」と苦笑されていたので、「ぜひ!」と、僕は念を押しておいた。
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最後に「このポスターは、とても頑丈なので、これから先、どこへ行っても、ずっと持ちますよ」と、石井支配人は、励ましてくださった。(←こちらは、新潟で展示されていたもの)
こんな言い方を、彼は嫌がるかも知れないが、文字通り、前岡氏は「心血を注いで」このポスターを作製した。
個人が時間を削り、貯金を切り崩して、宣材をつくる(何しろ、配給会社が、チラシ70枚しか支給してくれない場合すらあったのだ!)。
われわれの理不尽な献身の中には、さまざまな、相反する意味や感情が込められてしまった。
映画は、商材である。本来は、情や献身によって、助けられるべきではない。
「我々は、いったい何をしたのか、あるいは“させられたのか”」。自らやったつもりで、実は「させられていた」点が、厄介だ――それを解き明かすには、膨大な時間を要するだろう。
しかし、当事者たちが放置してしまったら、必ずまた同じことがおきる。
ともあれ、しばし時間をおこう。
阿佐ヶ谷は快晴、きれいな空だった。
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コメント
ポスターの件、ほんとに有難う...
>上映に踏み切った動機の半分は、“情”であったろうと推察する。
だとしたら、また色んな事を思い返しては涙が出そうになります。角川シネプレックスさんには本当に感謝しています。かといって、本来映画は、情や献身によって、助けられるべきではないというのも、その通りですね。
投稿: ごんちゃん | 2010年6月 4日 (金) 03時08分
■ごんちゃん様
ポスターの行方は、もう僕らではなく、ポスターが決めることだから。
次は川越へ行くかも知れないし、行かないかも知れない。
今回は一部の人や映画館が「やりましょう」と話し合い、上映を繋いでいく以外、「見たいときに見られる」環境をつくれなかった。それだって、不完全なものです。
美しい思い出でもあるけど、本来、そこで頑張るべきプロの方たちは、どこで遊んでいたのかな、と思います。
投稿: 廣田恵介 | 2010年6月 4日 (金) 05時21分