■6月のメモ「粘土」■
近所のTSUTAYAに行ったら、『ゼーガペイン』が3~8巻まで借りられていた。色あせた背表紙が、4年間の戦いの歴史を物語る。消されるな、この想い。
18日にプレスリリースが送られてきたので、ニュースとしては遅いんですけど、聖地・舞浜でトークショーとブルーレイ上映が行なわれるそうです。
しかし、期日が7月4日。来週です(笑)。取材という形で行こうにも、時間がなさすぎ。応募締め切りは24日(木)なので、注意しましょう。
僕も考えてることあるので、もっとゆっくり、年末にBD発売ぐらいだったら、いろいろ出来るんですけどね。夏の間にサッと終わってしまいそうで、ちょっと不安。
例えば、次号グレメカの発売時には、もうぜんぶ終わった後なんですよ。
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一仕事おわったので、『ヴィンランド・サガ』を買いにいったら、『アオイホノオ』の4巻が出ていた。まだ最初の方しか読んでないけど、トンコさんに接近されたホノオが「もしかしたら、トンコさんは俺のことが、好きなんじゃないのか!?」と勘違いするシーンで、ギクリとした。
だって、キャバ嬢が会話中に、「ん? 聞こえない?」とか言って、顔を近づけてくるのに、よく似てるもの。
で、客はみんな、「俺だけは特別」って思ってるから、好意を持たれていると勘違いしてしまう。
「俺は、そんなことないよ。お前みたいにコロッとだまされやしないよ」というヤツがいたら、ちょっとキャバまで来い。最低でも1セットは、おごるから。
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主人公のホノオは、自分がヒーローである以上、ヒロインが必要だと信じている。
第20章の表紙で、トンコさんがクラリスのコスプレをしているけど、俺に言わせれば、これはキャバ嬢の着ているドレスですよ。
キャバクラというのは、とにかく「男を錯覚させる」「勘違いさせる」サービス。
だから、先日、嬢の方から「カラオケ、行こうよ」と誘われたけど、それって、俺に優越感を抱かせるシステムなんだなーと気がついて、そう思うと、何だか後味は良くない。
お店の後で、どっかへ遊びに行く「アフター」は、お店にお金が入るわけじゃないから、システムとは呼びがたいんだけど、「明け方近い時間に、そこそこ可愛い子とカラオケ店に入る」シーケンス全体に、優越感がある。
だって、店員たちや他の客は、「この2人、付き合ってんのかな」と勘違いするし、そう思われるのが、嬉しいわけだから。
つまり、これは社会ぐるみの勘違いシステムであり、キャバクラは、その一部を間借りしているに過ぎないんだよ。
「騙されている」んじゃなくて、「勘違いさせられている」わけだから、これは厄介だぞお。
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だから……というわけでもないんだけど、ひさびさに粘土を購入。新宿の世界堂まで行かないと、手に入らない「ファンド」だ。
自分で手を動かさないと、何も進まない状態って、必要なんだよ。
怪獣のウロコなんて作っていると、細部へいけばいくほど、辻褄が合わなくなってくる。そういうところは、僕の文章に似ている。
粘土をいじると、自分の欠点も、よく分かるよ。
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コメント
あ、ねんどいいなあw
僕も久し振りにこねるかな。
ある時期からポリパテの塊りを削っては盛りになって、
“こねる”作業をしなくなってたことに気付いたわ。
ファンドなんか20年以上触ってないかも。
フィギュアを作るためにねんどをこねるのでなく、
こねた結果、出来上がってくるものを見るのも大切かもしれん。
むしろ、前者を考えすぎるから、僕は辻褄合せや
整合性にしか「美点」を見出せていないかも。
たまには欠点だらけと思えるものを
「出来上がり」とするのもいいかもしれない。
そんな訳で、近いうちに世界堂かラジ館のボークス行って
ファンド買ってくる。
投稿: 前岡 和之 | 2010年6月21日 (月) 19時06分
■前岡 和之さま
是非とも、アキバで買ってください。あそこは地脈の関係で、いいファンドが売ってますから。
>たまには欠点だらけと思えるものを
>「出来上がり」とするのもいいかもしれない。
人に見せない場合は、それでいいと思う。
でも、「別に見せるわけじゃないから」って、仕上げをおざなりにしておくと、いつまで経っても、自分の欠点が克服できないんですよ。
それは、かえって自分を落ち込ませますね。
なんか、「家には誰も来ないから」って理由で、穴の空いたクツシタを履いてると、知らず知らずのうちに、人前でも、だらしない格好しちゃうようなもんで。
……まあ、目的によりますけどね。リラックスしたいから、粘土に触っているのも、いいだろうし。
今回は、気を引き締めたいので、人に見せる前提で作ります。
というか、あなたにプレゼンするために作るんだよ、今回は!
投稿: 廣田恵介 | 2010年6月21日 (月) 19時33分
うぃっす、うぃっす。
>人に見せない場合は、それでいいと思う。
ちゃうちゃう。
見せるためにつくる。
俺の自己満足のために見せる。
ここまでしかできなかったーとか、
ここはもうちょいこうしたかったーとか
そういうのなし。
人を喜ばせるため、楽しませるためでなく、
俺がつくりたくて、
楽しいだけでねんどをこねる。
で、それを廣田さんに見せますよ。
ああ、コイツ、素はこうなのねってわかると思うし。
あ、コイツ靴下に穴空いてんだ、で、いいのよ今。
こういうことが、
すんなり考えられるようになったんだわ。
これは僕にとって、新しい感覚なのよ。
投稿: 前岡 和之 | 2010年6月21日 (月) 21時28分
■前岡 和之さま
誰にも否定できない強力なモチベーション「自己満足」を出してきましたね?
「自己満足」には、もう世界中の誰も太刀打ちできないよ。最強のコンセプトだよ。
何しろ、「自己満足」は「恥」すら味方につけちゃうから。
そこまで行ったら、もう、「ホビー」でも「アート」でもない。新ジャンル「粘土」。楽しみです。
俺はさっき、二日目の「盛り」を終えました。やっぱり、尻尾はつけることにしました。
あと、作業台は欲しいですね。宙に浮かせて作業するのが、だんだん辛くなってきました。
投稿: 廣田恵介 | 2010年6月21日 (月) 21時41分
私も粘度好き。
子供に付き合って粘度遊びしてたら、途中から本気になってしまって...そうなると子供って絶対に壊して来るんですよ。本気で怒ってしまいました。たしか...あれは、小さなシューマイと餃子を大量に作り、それを大きな皮でさらに包んで大きなシュウマイと餃子を作ったと思う。
>細部へいけばいくほど、辻褄が合わなくなってくる。
まさに、デッサン。細かな描写がしたかったら、軸になる部分も意識しないとできないって、全ての物事に通ずるね。シュウマイは作れるけど。
投稿: ごんちゃん | 2010年6月22日 (火) 05時07分
■ごんちゃん様
>軸になる部分も意識しないとできないって、全ての物事に通ずるね。
まさしく。今日、百均ショップで鏡を買ってこようと思って。鏡に映したら、すこしはデッサンの歪みが、直せるから。
人間も同じで、自分とよく似た人を見れば、歪みが直せるのかも知れない。
>そうなると子供って絶対に壊して来るんですよ。
子供って、親のつくったものを壊すためにいるのかも知れないね。
僕は子供がいないから(?)、今回は、ちゃんと完成させるよ。
そんなわけで、作戦A、進行中。
投稿: 廣田恵介 | 2010年6月22日 (火) 05時31分
>人間も同じで、自分とよく似た人を見れば、歪みが直せるのかも知れない。
自分と正反対な人ではなく、似た人は「鏡」の役割ってわけね。だから歪みが直せる...なるほど。でも、それって難しい。目を反らしたくなるよね、きっと。子供は、まさに親の歪みを直す(=成長させる)ためにある存在なのかもね。
>子供って、親のつくったものを壊すためにいるのかも知れないね。
深い!
投稿: ごんちゃん | 2010年6月22日 (火) 15時14分
■ごんちゃん様
>自分と正反対な人ではなく、似た人は「鏡」の役割ってわけね。
そう。だって、自分の嫌いな相手って、たいていは自分とソックリですよ。
それを認めまいとするから、よけいに苦しいわけであって。
「あいつ、俺と似てるな」と認めれば、自分の何が悪いのかも、見えてくるわけです。
>深い!
いや、『ギャラクティカ』というドラマに、似たようなセリフがあったので(笑)
でも、教師でも何でもいいから、「こんな大人にはなるまい」って存在は、必要な気がする。
それが、生きていく指針になるから。
投稿: 廣田恵介 | 2010年6月22日 (火) 16時56分