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2010年5月17日 (月)

■帰り道■

片渕監督の舞台挨拶つきの新潟シネ・ウインドは、空席を見つけるのが困難なほどの大入り(今週金曜まで上映中)。
100516_15460001客層はカップルから親子連れ、おばさんの一人客まで、一貫性がなくて、面白かったです。上映後も残っていた女性二人が、美人だった。
パンフもCDも売れて、よかったよかった。

サイン会の後、監督とオッサンたちは、メシ屋で酒や肴。
その後、僕一人だけ新潟にとどまり、シネ・ウインドの支配人さんと二次会。美人店員ぞろいのおでん屋さん。
そうとうアホな話をしてしまったと思いますが、忘れてください。


上映前、美術ボードや原画のコピーの展示を見ていたら、昨年の10月、僕が「アニメージュオリジナル」に掲載させてもらった100516_16110001原画と、再会。
あの当時の、「そこそこヒットするだろうから、映画館で何度か見て、あとはDVD待ちだな」と楽観していた頃の気持ちが、胸に去来する。

飲み会で、監督とプロデューサーに「これだけDVDが売れれば、さすがに赤字は脱したでしょ?」と聞いたら、お二人が同時にうなずいたので、信用していいでしょう(笑)。
――長かったなあ。そろそろ旅の終わり、というか、帰り道だったんだ、と気がついた。

『新子』がらみの話は、もちろん拒まないけれど、もう、僕が草の根を植える必要はないでしょう。
たぶん、満員の吉祥寺バウスシアターで、福田麻由子さんに花束を渡したときが、Uターン地点だったんだね。僕にとってはね。

監督から「公開宣伝会議」のお話をいただいた時、僕は「ちゃんと、映画が成功した時に、同席いたします」と断った。その成功のイメージは、明確に頭に思いえがけた。
まず、地下ではなく、地上であること。福田麻由子さんがいること。昼間であること。光が、ふりそそいでいること。
D隊長がドカンを企画したり、エイベックスさんが福田さんを呼んできたり、監督が「花束は廣田さんが渡しなよ」と言ってくれたり……という偶然が重なり、そのイメージは現実化した。

なので、そこから後は、帰り道なんだねえ。と、帰りの新幹線の中で、思った。


そうそう、吉祥寺といえば、特製巨大ポスター。
O0311045010545290024「使えたら、使ってくれ」とシネプレックス新座に送ったまでは良かったが、なんと、これから先、上映される映画館を、ぐるぐる回ることになったそうで。
他にないぐらい、幸福なポスターだと思う。

このポスターは、配給会社が用意したものでは、ありません。
前岡さんがデザインし、彼の友人が自腹で印刷したもの。だから、名前こそ出さないけど、陰では、多くの異業種の方たちが奔走してくれていたのです。
それを、胸のどこかに、とどめておいてくれると嬉しい。

楽しく、美しい体験もさせてもらったけれど、やっぱり、同じことは起きてはいけないと思う。「お客様の善意」に頼りっきりでは、それは商売とはいえないもの。

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コメント

まだなんともいえないのですが、仕事で東京に行く事になり、ひょ
っとしたら文学フリマに顔を出せるかもしれません。

そういえば、同人誌版「550 miles to the Future」の表紙は、
マリンちゃんですね。

もう10年以上前の話ですが、仕事の都合で青森に住んでいまして
ね。休日なんとなくパチンコ屋に入ったんですね。暇で行く所も無
かったし。そこで出会ったのですよマリンちゃんと。

確かあの頃は、「サンキョウデース、ヨロシクネ!」と、電子合成
音のような声を持つ、社内をふらふら歩いている社員(あだ名はマ
ンガさん)に、「これ描いて!」といって描かせたような女でした。

恐らくマリンちゃんの生みの親、マンガさんの事は、誰も知らない
と思います。さっき何となく浮かんだ人なので、無理も無いのです
が。

「いてもいなくてもどうでもいい」、「いないほうがいい」を通り
越し、「これはこれで。。。」と思ってしまう私もどうかしていま
したが、出ない台だったので、彼女とはそれっきりでした。

それから幾年月。

3Dのマリンちゃんをはじめて見た時、増築と改修を重ねて訳がわか
らなくなった建築物、改造を重ねすぎて奇怪な形になったソ連の戦
闘機、そういうものを思い出しました。

ただ一つ言える事は「俺は昔のお前を知ってるぜ!」

プロでもなんでもない、一介の社員が描いたヘボいマリンちゃんを
ベースに、皆でよってたかっていい女にしようとして、間違った方
向へ全力疾走した3Dのマリンちゃん。

ギャンブルとエロという身も蓋も無いモノなのに、別の意味で目を
そらしてしまうマリンちゃん。

ムチムチボインで何も考えてなくて露出も高くて明るくて、面白い
事は何も言わないけれど、存在自体が面白いマリンちゃん。

体目当ての男が寄ってきて、あっさり捨てられそうなマリンちゃん。

そのマリンちゃんが、なぜか同人誌で綾波レイのコスプレをしてい
る。しかも上手い絵で。

でも、上手い絵になればなるほど、マリンちゃんっぽくならないの
は何故だろう? 

同時にマリンちゃんと知ると、一気にインチキっぽくなるのは何故
だろう?

「届いた同人誌の表紙が、綾波レイのコスプレをしたマリンちゃん
だった」文章の意味はわかるけれど、意味がわからない。

この偶然という名の必然を、「エヴァ破に感動したから」という理
由では納得できません。

エヴァは船や海に関係した名前が多いので、それに掛けたのだとい
う深読みをしたものの、理性がそれを激しく止める。

何故? 何故ポリゴン? 何故アニメ化? マリンちゃんに何故を
問うてはいけない。

これらは同人誌の作者とマリンちゃんの謎掛けであり、答えの無い
問いであり、謎の無いなぞなぞなのでしょう。

はじめてマリンちゃんと会った時、私はボロボロでした。味方は誰
もいませんでした。

かつての「いてもいなくてもどうでもいい」、「いないほうがい
い」者同士が、また出会う。表紙のマリンちゃんは笑顔でこちらを
見つめていて、こちらも笑顔になっている。不思議です。

ありがとう! マリンちゃん。ありがとう! 廣田さん。
そして、ありがとう! マンガさん。
さらに、うっとおしい長文! ごめんなさい。

いつか笑顔で向き合える時が来るといいですね。

投稿: 浜長和正 | 2010年5月17日 (月) 21時08分

■浜長和正さま
これはまた、含蓄のあるコメントを……。

少なくとも、マリンちゃんを最初に描いたのは、一応プロだったと思います……一応、だけど。
その後、現場のルーティン・ワークによって、よく吟味されず、間違った方向へ加工され、しかしメジャーになっていきました。
でも、結果的にメジャーになったのですから、「間違った」わけではなかったのでしょうね。

私の心を揺さぶったのは、とにかく『海物語』のアニメ化でした。あんな洒脱にしちゃ、アカンのです。あれは、間違ってました。
ダサく育てられたキャラは、ダサく表現されるべきなのです。

そういう意味では、同人誌でマリンちゃんを綾波にしたのは、一種の逃げだったのかも知れません。
でも、イラストレーターに「背景をどうしたらいいのか、分からない」と言われたとき、「綾波じゃなくて、マリンちゃんなんだから、南洋にすればいいと思うよ」と即答できたんです。

何かをするとき、正しい判断を下すのは、非常に困難です。
おそらく、人間一人では、何も出来ないのでしょうね。何の責任もない人に「どう思う?」と聞いてみるのが、一番いいのかも知れません。

では、文学フリマでお会いしましょう。

投稿: 廣田恵介 | 2010年5月18日 (火) 00時12分

おかえりなさい。廣田さんがタツヨシに変身して一升瓶持ったまんま迷子になった新子を連れ帰ったんですね、きっと・・「マイマイ新子」消滅という悪夢(最悪のシナリオ)から目覚めた・・もう一つの過激なマイマイストーリーが平行していた。本当に「肝を冷やした」夢でしたね・・廣田さん、前岡さん・・他多くの方々本当にありがとうございました!

投稿: NA○ | 2010年5月18日 (火) 06時58分

■NA○様
おそらく、ラピュタ阿佐ヶ谷が満席にならなければ、今ごろ、『新子』は跡形もなかったと思います。

その後、ファンたちがチラシを自費で刷って配り歩き、映画館に交渉して宣伝イベントを考え……という光景は、やはり正常とはいいがたいです。
ファンが頭を下げて営業するなんて、制作側はどう思っていたんだろう?と。

「ありがとうと言われたくて、やってるんじゃない」と僕が激怒した理由は、そこなんですけどね。
今は、ごんちゃんたちが、新座で泣いたり笑ったり、生き生きと過ごしてくれればオーケー…と思っています。

投稿: 廣田恵介 | 2010年5月18日 (火) 12時45分

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