■5月のメモ「ダウンサイジング」■
今夜は『ゼブラーマン』行くので、早めにUPしておこう。
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新宿バルト9での『マイマイ新子と千年の魔法』、盛況なようで良かった。
しかし、「ピカデリーじゃないんだよな」というモヤモヤした気持ちは、晴れない。ピカデリーで凱旋できれば、さぞかし爽快だったろう。
それと、静岡CINEMAe_raと、新潟シネ・ウインドでも、まだ上映されていることを忘れてほしくない……もちろん、本気で見たい人なら、ちゃんと調べて、見に行くとは思いますが。
新潟では、16日の監督舞台挨拶の日、「懐かしのアレ」を数量限定で配布するかも。
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吉祥寺での、福田麻由子の舞台挨拶で、彼女が「こんなことになってるなんて」と戸惑っていたのは、完全に正しい。
彼女は受験や仕事など、リアルな15歳の戦場、彼女が本来立っているべき第一ラウンドで、ヒリヒリするような実感とともに、戦いつづけていたのだから……。
(←またも、サンスポさんから拝借。DVDは7/23発売とのこと)
昨年12月19日のラピュタ阿佐ヶ谷以降、この映画に関して起きたすべての現象に、僕は( )をつけねばならないように感じている。
(満員御礼)であり、「満員御礼」ではない。(ロングラン)であり、「ロングラン」ではない。
本来ならば、他の多くの映画と同じように、
「当たらなかったね、ハイ、DVDまでサヨウナラ」
となるべきところを、留保してもらった。だから、( )が必要だと思う。
少なくとも僕は、( )をつけることで、あらゆる理不尽を、胸におさめられる。もちろん、そこで生起した人の感情・感動にまで、( )をつけたりはしない。作品にも。
しかし、この「本来、なかったはずの第二ラウンド」で、僕は怒ったり、泣いたりしていた。
さぞかし、滑稽に見えたろう。
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以上のこと、『ゼーガペイン』の世界観に置きかえれば、かなり分かりやすい。
つまり、本当の人類は滅びてしまっていて、データに置きかえられた人類が、ダウンサイジングされた仮の世界を、何も知らずに生きつづけている――。
その世界で起きる感情はリアルだが、あらゆるものがダウンサイジングされていることには、かわりがないのである。
「どちらかの世界が本物なら、もうひとつの世界は夢なのよ」というセリフがあった。
今の僕には、全国のシネコンで不入りで終わっていった『新子』の世界が本物であり、それ以降の現象が、夢であるように思えてならない。
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『パトレイバー』見てたら、泉野明が、コップ酒を一気呑みするシーンが出てきて、嬉しくなった。しかも、「女を描けない」と言われつづけている押井さんの脚本。他のアニメや映画はさておき、野明の女っぷりに関しては、押井さんが一番わかってるんじゃないの?
女優が、うまそうに酒を呑むシーンが出てきたら、その映画はすなわち傑作。
『好きだ、』の永作博美とか、『大停電の夜に』の田畑智子とか。いや、映画がどうとか言うより、酒に強い女が好きなだけかも知れないけど。
それにしても、野明の呑みっぷりは、「色っぽい」の域に達していた。アニメを見るんでも、こういうところを見なきゃあ。
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コメント
「本来、なかったはずの第二ラウンド」が、もし無かったら、
DVDの発売も無かったし、なにより沢山の方々が
劇場で観られることもなかったのでしょうね。
だから、感謝こそすれ、滑稽に見えるなんてことはありません。
少なくとも、僕はそう思っています。
投稿: silver_copper | 2010年5月 9日 (日) 15時59分
■silver_copper様
僕も「タイトルすら知らなかったよ」という多くの方たちが、この作品に触れることが出来て、その点については「第二ラウンド」が与えられて、幸いだったと思っています。
しかし、動員にしろ、DVD発売にしろ、本来は「第一ラウンド」で完了されねばならなかったはずではないでしょうか。
吉祥寺で舞台挨拶を企画したとき、製作委員会から「ちょっと待ってください。そこから先は、われわれが」とバトンタッチを言い渡され、僕はそこに、送り手の一縷のプライドを見ました。
だけど一縷だったよなあ(笑)、と苦笑している僕がいます。
投稿: 廣田恵介 | 2010年5月 9日 (日) 17時23分
「マイマイ新子と千年の魔法」という映画を通じて「現実世界で友人の輪が広がる」という稀有な体験が出来ました。
廣田さんをはじめ皆さんの「本来、なかったはずの第二ラウンド」が無かったらそういう稀有な体験も無かったと思い感謝しています。
行動を起こした人を滑稽と見る人はこの映画のファンには居ません、と断言します。
投稿: 早房一平 | 2010年5月 9日 (日) 19時39分
■早房一平さま
すみません、ちょっと言葉足らずでした。
「滑稽に見えただろう」というのは、僕がこのブログで、罵詈雑言わめき散らしたことです。
早房さんもそうですし、作り手側から積極的に楽しんでしまおう、とした方たちは、いちばん得をしていると思います。
僕も、吉祥寺の2週間で、一生残る美しい体験を、させてもらいました。
でも、そういう状況をつくらせた根本的原因は、必ずしも美しいとは限らないのではないか……と(笑)
最近、また熱烈なファンが出てきたし、もう2回転、3回転ぐらいすると、面白いですね。
投稿: 廣田恵介 | 2010年5月10日 (月) 00時09分
>しかし、動員にしろ、DVD発売にしろ、本来は「第一ラウンド」で完了されねばならなかったはずではないでしょうか。
確かに今後の為に検証されねばならない事ではありますが、もうそれは今言っても・・。あの頃はみんななんとかしなきゃで必死だったですし、廣田さんが辛かったのもみんな理解していたけれど、ホントにどうすればいいんだって感じで行き詰まっていた。ラピュタで盛況、という事以外の光は、地方シネコンは相変わらずの状況でほとんど何も見えていなかった。
たった3ヶ月前の事なのに。でもその時の頑張りで生まれた新潟や浜松、上映会でいつしか普通にお客さんが入る様になった第3、第4ラウンドにいつの間にか入ったような今の状況は素直に誇っていい勝利(利益的な事はまだまだ別にしてでしょうけど)だと思っています。だって昨今のアニメでみんなの力でここまでの逆襲をやってのけた作品は他に無いんですから。もちろんまだまだこれからも、ですけれどね
>滑稽
私もMixiであんまり新子の事ばかり書きすぎたせいかいつしか一部から相当ウザがられる存在になっていた事を最近知りました(苦笑)一人でで踊り狂っててさぞ滑稽に見えたんでしょうね・・・。ま、影でどう言われようが、そんな事はどうでもいいし屁とも思っていません!悔いなく一生懸命やって多くの仲間やいろんな心の宝を手に入れたのならそれに勝るものなんてないですし。つい最近前岡さんから「戦友」と言って頂けたのは最高にうれしかったです!
いつかみんなで祝杯をあげたいですね。
>バルト9
きのうは「かみちゅ!」や「宇宙ショーへようこそ」の舛成監督も見に行かれてて、良かった、大好きな映画とおっしゃってくださっていました。廣田さん的にはちょっとひっかかる所もあるのかもしれないですけれどこうして劇場で普通に見てもらえる場があるという事がうらやましい限りですよ。近畿圏などは惜しい今のチャンスを逃しつつあるという気がして仕方ありませんねー
投稿: Miya-P | 2010年5月10日 (月) 22時28分
滑稽というか…終わりよければすべてよし。と、いうことで。
(まだ終わってないですが)
そして、当人だけが苦い思い出を時々思い出し、
「あ〜あ。」と大きなため息をひとつ、つけばよいのです。
長い人生、ひとつやふたつ、
どころか、行動の数だけため息があったって仕方ないんですよね。
でも、ため息ですむ後悔(?)なんて、自分だけしか覚えてないんですよ。
(なのに、廣田さんが書くからそのたびそんなことあったねって思い出します、
と笑っていいのか汗をかくべきか)
と、他人には言いつつ、
未だに20年以上も前の事を思い出してため息をひとつつき、
しかも時々恨んだりしている私ですが…
福田麻由子ちゃんの新子の声、最初は低くてえっ?と思ったのですが、
また聞きたくなる声なんですよね。
合間に入る「あはっ」とか「んぐふっ」なんてのが、特に好きです。
投稿: kyasリン | 2010年5月11日 (火) 00時44分
■ Miya-P様
いま、浜松と新潟で上映していますが、新宿とは比較にならないぐらいの入りで、やはり地方興行での難しさを感じています。
でも、その痛みを生のものとして、感じなきゃいけない人たちは、やっぱり他に居るんじゃないの?と、僕は思います。
だから、
>今後の為に検証されねばならない事
これは、僕たちではなく、当事者たちが受けとめねばならないことですよね。
受け手は、これからも素直に見たいアニメを見て、楽しめばいいのだと思いますよ。
>ま、影でどう言われようが、そんな事はどうでもいいし屁とも思っていません!
頼もしい、いい言葉です。
一度だけ新宿ピカデリーでの上映に付き合ってくれた友人が、吉祥寺では多くの人に声をかけてくれて、結局、彼一人で10人以上を集めてくれました。
アニメ・ファンでもない彼が、最近、「新座に見に行ってもいい」とさえ言ってくれて、「あれあれ、まあ」という感じです。
彼はブログもtwitterもmixiさえも、やってないのですが、そういう広がりや出会いもありました。
それは「なかったはずの第二ラウンド」の功罪の、功の部分ですね。
>バルト9
業界の方も一般の方も、普通に見えられているそうで、良かったです。
だからやっぱり、新宿のシネコンに戻ってくるまでの半年間は( )でくくった方が、僕はしっくり来ますね。
『マイマイ新子』は、自分でも普段は絶対にやらない(危険な)ことをやったし、皆さんもそうでしょう。
だから、「例外中の例外の幸運な作品」ですね。いつもいつもこうでは、ちょっとマズイんじゃないか、と(笑)
そんな感じですかね。いつか、ゆっくり、お話したいですね。
投稿: 廣田恵介 | 2010年5月11日 (火) 00時51分
■kyasリン様
そういえば、いつかのお礼に、あなたにいろいろ、送らねばならないものがあります。
>そして、当人だけが苦い思い出を時々思い出し、
>「あ〜あ。」と大きなため息をひとつ、つけばよいのです。
いやいや、まさに。
「やめときゃ、よかった」とかね(笑)
この映画って、ストレスを軽減し、「生きててよかったじゃん」と言ってくれる映画だと思うんです。
「この映画で、自殺者がだいぶ減るなあ」なんて思ってるんです。
でも、映画の外でやってしまったことは、自分が引き受けるしかないんですね。
ふと気がつくと、「どこから飛び降りようか」と考えてる自分がいたりして……(笑)
福田麻由子さんは、不思議と「難病で死ぬ役」「死を見とどける役」ばかりで、こんな明るい役は珍しいと、ご本人も言っていました。
でも、もし新子が彼女じゃなかったら……と思うと、ゾッとしますよね。
僕はやっぱり、この映画が好きなんですね。
というか、いろいろ関わってるうちに、特別な映画になっちゃったんです。
投稿: 廣田恵介 | 2010年5月11日 (火) 01時02分
>あなたにいろいろ、送らねばならないものがあります。
ねえ、なんの?なんのー?(みつこ風)
押し付けただけなのにお礼など申し訳ないですが、
楽しみにお待ちしています♪
投稿: kyasリン | 2010年5月11日 (火) 11時19分
■kyasリン様
今週中には、届くと思います。
浜松で終わる前に、届けばなあ……。
投稿: 廣田恵介 | 2010年5月11日 (火) 13時34分
この2-3日、佐々淳行氏の「重大事件に学ぶ危機管理」という本を読んでいるのですが、この中に「自助と互助」という話しを阪神淡路大震災の時の事例を引き合いにして説明されております、それをマイマイ新子に置き換えて見ると、まったく同じ「助け合い」の構図が見えて来ました。
私がやらずに誰がやる、の精神で自発的に動く市民の話しです。
そのきっかけを廣田さんが作ってくれたのだと思っています。
投稿: 早房一平 | 2010年5月11日 (火) 23時26分
■早房一平様
ラピュタで出会った「缶バッジのおじちゃん」こと早房さんに、そう言っていただけると、多少は気持ちが軽くなります。
「署名なんて必要なかった」というのが、大方の見解でしょうから。
ファンは、確かに助け合い、互いの能力を出し合ったと思います。
一方、「市民発の上映」などど宣伝文句に使われましたが、いま目の前で、金銭的リスクを背負っているのは映画館さんです。
(だから、早房さんも立ち上がったのでしょうし、また、楽しまれてもおられるのだと思います)
「重大事件に学ぶ危機管理」……なかなか、意味深長なタイトルですね。
11月末~12月初旬は、確かに「重大事件」だったと思います。
投稿: 廣田恵介 | 2010年5月12日 (水) 00時37分
署名活動は、この作品を知らなかった人に存在を知らせるという役割を果たしたと思いますよ。
活動を応援しようとする人たちが、あちこちに呼びかけたはずですから。
署名はしてないけれど、署名をした人から話を聞いた人は多くいると思うのです。
Twitterやmixiで情報が広がったとされていますが、
私が最初に署名活動のこと知ったのは、どちらでもなく、友人のブログでした。
本来の目的とは違う役割を果たし、最終的には効果につながるケースが多々あるものなんですよ。
投稿: kyasリン | 2010年5月13日 (木) 02時53分
■kyasリン様
ありがとうございます。
確かに「署名活動から、この作品を知った」という方もいらっしゃるので、まったく役に立たなかったとは、思いません。
署名以前、11月末、ネットで呼びかけた人たちの熱さと誠実さは、今も忘れられません。
しかし、さらにそれ以前、この映画を送り出す立場の人たちは、いったい何をしていたのだろうか、とも思います。
そこが追求されないかぎり、また同じことが起きます。
投稿: 廣田恵介 | 2010年5月13日 (木) 03時47分