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2010年5月31日 (月)

■5月のメモ「世界の本質に触れる」■

明け方、録画してあった『きみにしか聞こえない』を見てから、夕方、立川シネマシティで100531_17050001『書道ガールズ!!』を。成海璃子をめぐる小旅行も、これで一段落。

だけど、『書道ガールズ!!』は、山下リオの映画だった。『シムソンズ』でいうと、藤井美菜がやっていたような「才能はあるんだけど、ネガティブな事情から、仲間とは距離を置いている」役。
いわば、「陰」のヒロイン――いい役だね。
そうすると、もう成海璃子は「陽」にしかなりえない。そのぶん、成海が損してしまうのは、もう仕方ない。

山下リオは目鼻立ちもクッキリして、『魔法遣いに大切なこと』の頃のはかなさは、もう感じられない。
にもかかわらず、『武士道シックスティーン』では、北乃きいの友達役を演じている。北乃と成海の周回軌道に、はさまれたようなもんで、かなり意識してないと、山下リオだと気がつかないぐらい。
そんなチョイ役と同時期に、陰なるヒロイン役をも演じる。そういう時に、女優はグッと伸びるんですよ。

成海璃子を見るため、『武士道~』と『書道~』に行ったのに、山下リオを発見してしまった。
しかし、平日20時すぎの立川シネマシティは、ダメだ。繁華街が煌々と明るくにぎやかで、日曜23時ごろの侘びしさに親しんだ身には、別世界に感じてしまう。


『チェ 28歳の革命』を、ようやくレンタルで見られた。
二つだけ、面白いカットがあった。ひとつは、建物の壁をハンマーで打ち抜くところ。「5軒もあるぞ。とても無理だ」って、ハンマーを振り上げたあたりで、別のシーンへ飛ぶ。
再びシーンが屋内に戻ってくると、4つぐらいの穴の向こうで、さっきの男がハンマーを振るっている。
その省略のしかたが、しびれるほどカッコいい。

もうひとつは、チェがギブスしたまま、ライフルを構えて移動するショット。
123401678280616204790_chelargentin左手のギブスの上にライフルを固定して、そのまま手前の車ごしに、横へ歩いていく。それをカメラが、ドリー移動で追う。車にチェが隠れて、一瞬、見えなくなったりする。――この緊迫感ね。
どちらも、「縦の構図」って呼ばれるカットですね。

こういうカットを二つも見られて、僕はかなり満足。ここで「でも、脚本が……」とか、言っちゃダメなんだよ。映画でしか起こり得ないものを、見たいわけだから。
「そのカットが、作劇の中でどんな効果があったの?」と聞かれても、おそらく、直接の効果はないんだよ。


ひとつひとつのカットが、すべて映画の全体に奉仕しているかというと、そんなことはない。そんな見方をしているから、減点法で映画を見てしまう。
まるっきり意味がないんだけど、心臓をグッとつかまれる瞬間って、あるんだよ。

『書道ガールズ!!』のクライマックスだって、もう何万回も見せられたようなアクシデントが生じるんだけど、それでも思わず息を呑む。
何度となく見てきた演出だし、撮影も編集も、うまいとはいえない。でも、急に「映画」という形式がブッ壊れて、魂のようなものが、こちらに触れてくる。

そういう瞬間を、待ちつづけているんですよ。


『ギャラクティカ』S4、DVD-BOX上巻が届いた。
100530_14320001だけど、シーズンのオープニングとしては、S3の「ニュー・カプリカ脱出作戦・4部作」の悲壮感には、かなわない。

特に、2~3話のアダマとリーの会話かな。
最後まで作戦に反対しつづけるリーに、「センチュリオンは、人型サイロンを個別認識できないらしい。知ってたか?」と理詰めで抵抗するアダマ。
とうとう根負けしたリーを見送るとき、「ペガサス司令官、離艦!」と敬礼するところも、カッコいい。

だけど、最終回まで見ると、やっぱり、スターバックにメロメロになってしまう。罪なシリーズだ。

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2010年5月29日 (土)

■オトコの娘、雑感■

NHK-BS『MAG・ネット』、ようやく「オトコの娘」回に追いついた。
0507_newtype_03(←オトコの娘バー「NEWTYPE」さん)

女装子はもちろん、両声類の方たちを見ていると、「うらやましい」という気持ちが去っていき、あきらめのような心境になった。でも、それは気持ちのいいあきらめだ。

(福)記者も出演されていたクロストークで、桃井はるこさんが「オタクは性別におおから。むしろ、オタクは第三の性かも知れない」と言っていて、深く首肯した。
「オトコの娘」文化は、単なる風俗でもサブカルチャーでもなくて、オタク文化に分類されるべき。もともと、オタク文化というのは、幼児向け番組に文学的価値を見出したり、玩具を評論の対象にしたり、既存の価値観をぶっ壊す暴力的なものだったはずだから。

だって、小学6年生で『ザンボット3』見てるって、友達に言えなかったもの。オタク趣味っていうのは、社会とは相容れない。


それと、オタクってのは、「第二次性徴で発育に失敗した人」だと思うんだよね。異性と同性の視線を意識せねばならない、思春期以前で足踏みをつづけている人たちというか。
だから、僕もそうだけど、醜形恐怖の人は多いと思うし、性的なコンプレックスを抱えている人もいるでしょう。
「オトコの娘」は、第二次性徴の訪れを、拒絶しているように見える。そこが、カッコいい。神様の決めた節理を、天に向かって、つき返している。

たえず、ドロップアウトしつづける。社会に受容されまいとする。これはエネルギーだ。


『サマーウォーズ』のカズマの声を、谷村美月がやっていたでしょ。あのキャラには、性差Cast4_2をキャンセルしてしまう、爽快感と背徳感があった。

カズマ役の谷村美月が、実写の『銀河鉄道の夜』で、少年役を経験ずみであったことも、特記しておきたい。
『武士道シックスティーン』で、少しも女らしいところを見せず、男口調で通す成海璃子。『フレフレ少女』で、男装のまま学園生活を送る新垣結衣。特に後者は、大人の決めた「男らしさ」を身にまとうことにより、少女がアイデンティティを確立していく点で、重要な映画だ。

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』で、女だと思われるのが嫌で、ふくらんできた胸を必死に隠そうとする美少女・サガ(メリンダ・キンナマン)。

『マイライフ~』は、公開当時は女性向けに売ったらしいが、むしろ、ヒロインのサガにガツンとやられてしまったのは、われわれオタク指向を持つ、男性陣だったはずだ。


初音ミクも、プロデューサーが男性であるかぎり、性を越境するツールだと、僕は思っている。
女の子の恋心を歌った『メルト』には、「うp主は中二病」というタグが、つけられている。「中二病」の定義はさておき、やはり第二次性徴を受け入れられたか、失敗したかが、その後の生物学的人生を決定づけるのではなかろうか。

思春期につまずいた人間は、社会に受容されないがゆえに、独創に走る。
芸術は、犯罪の友。性にも神にも反抗する者だけが、文化をつくりつづけていく。

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2010年5月28日 (金)

■5月のメモ「新宿彷徨」■

ようやく喉がよくなってきたので、テアトル新宿で『武士道シックスティーン』を見て、そのあと、マルイアネックスの「天神英貴WORKS 出版記念展」へ。
100528_16150001こんな狭い会場?と思った人、騙されたと思って、来てみるといい。
モニター内の画像は、無限大だよ。ものすごく寄った、ほとんど筆跡が輪郭線からはみ出してるぐらいのアップから、ちょっとずつ引いていく。

これは、絵を描いたことのある人間なら、「分かる」感覚じゃないかな。
立ち上がって、カンバスから離れて、出来具合を確認する感じ。すごく手描きっぽいニュアンスを、デジタル技術で体験できます。


個展の素晴らしさはもちろん、何人かの方と知り合ったり、再会したり……と、濃密な時間だった。
天神さんとは、ややブラックな話題。今度は、もうちょっと明るい話、しましょう(笑)。
あと、『メガゾーン』同人誌にも参加した、エイドリアン氏。もう3度目ぐらいだと思うけど、今日は『アクエリオン』の話してたよ。

隣接している「模型ファクトリー」も、マニア臭の薄い知的な空間。いきなり、動物の骨の写真集なんかが、売ってる。かっちょいいです。


さて、『武士道シックスティーン』。
『山形スクリーム』と『罪とか罰とか』を見てから行って、大正解だった。成海璃子、新境地開拓。
100528_16060001劇場入り口にサイン入りポスターがあったけど、成海のサインは、仲里依紗と別の意味で、ぐちゃぐちゃ(笑)。なんか、こういう人は信用できる。

徹頭徹尾、アイドル顔でアイドル芝居の北乃きいに比べ、成海はキッチリと、映画に食われている。映画のために終始、無表情。映画のために、ドスのきいた声でしか話さない。

そこに立っているのは、「成海璃子に似た誰か」であって、成海璃子ではない。


ようするに、『武士道シックスティーン』という物語の展開する日本には、「成海璃子という女優」は、いないんですよ。『ガメラ』の世界に、亀という生物がいないのと同じ理屈。
O08001118104566196361怪獣映画が、怪獣の実在を観客に信じさせなければならないのと同じ原理で、女優は役を実在させ、撮影された映画の中から、自分自身を消去せねばならない。

だから、僕は、「見て見て、私の演技、すごいでしょ」って顔してる女優には、興味ありません。技術にしか、興味がない。
成海璃子の視線の険しさは、技術であり、技能だから。
「自分を殺し、役を生かす」。もう一度いう。「自分を殺し、役を生かす」。それが、女優という仕事であって、僕は映画を見るというよりは、女優たちのお仕事ぶりを見に行っているんだと思う。


もっともっと語りたいのだが、『マイマイ新子』関係の原稿を書かねばならない。
たった400字だけどね。

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2010年5月27日 (木)

■5月のメモ「気持ちよく、騙されたい」■

アカデミー賞受賞作を見ようと思い、『ミリオンダラー・ベイビー』を借りてきた。
Real絶望的なのに、腹の底から力がわいてくるような……なんと、主客倒立したドラマなんだ! こんな異様な映画が作品賞なんだから、アカデミー賞、なめられん。
イーストウッドの監督作は、『グラン・トリノ』も素晴らしく良かった。

もう一本は、『のんちゃんのり弁』。
……タイトルに、「ちゃん」がつく邦画って、ちょっと怖いかも。
『ちーちゃんは悠久の向こう』、『いけちゃんとぼく』。怪作しか、ないような気がする。


吉祥寺、新座と渡り歩いてきた『新子』の巨大ポスター。
ごんちゃんと相談の結果、ラピュタ阿佐ヶ谷へ行くことになった。
多くの人の手で完成されたもので、それだけに複雑な立場のポスターなのだが、今後の行方については、責任を持たせてほしい。

そんなこともあり、ラピュタさんにご挨拶に……と思うのだが、あいかわらず喉が腫れていて、声が出ない。
医者に言わせると、声枯れは、治癒に時間がかかるという。困ったもんだ。


先日の話のつづきだが、僕より長く、『新子』と付き合っている方とも、意見・情報を交わした。

そこで気がついたのは、ブロック・ブッキングや団券販売といった、邦画特有の悪弊の歴史を(そこそこ)理解し、適切な嫌悪感をいだいていなければ、「映画もビジネスでしょうから……」ですまされてしまう程度の話題なのだ、ということ。

そこで、考えた。
これから、ラピュタさんでも上映が始まる。有志によるオールナイトもある。水を差すようなことは、したくない。
とにかく、今は話すべきじゃないんだ。
それに、僕が「怒ってほしい」「怒るべきだ」と願った人たちは、とっくの昔、ずっと前から怒りつづけてくれている。そこに、まずは満足だ。救われた気分になる。


でも、こんな事態(興行不振とその後のアレコレ)が起きたがために、僕は、最高にややこしい人間関係を、引き受けつづけている。毎日毎日、右から左へ聞こえないふりをし、誰かを説得しようとしたり、誰かを無視しようとしたりしている。
やはり、こんなことは、二度と起きてはならないのだ。

署名でも、有志による行動でもなく、プロの巧みな戦術によって、映画はヒットすべきだ。
そして、「くっそお、広告に踊らされた!」と、元気よく地団駄を踏みたいではないか。「何というダメ映画なんだ!」と、友達と中ジョッキをあおる。
それが、正しい映画の消費のしかただ。1,800円の価値だ。


地上波放映中の『ギャラクティカ』S2、傑作エピソードの呼び声たかい『傷跡』。たしかに、28_051_2の一本さえ見れば、『ギャラクティカ』の面白さが分かる。

でもやっぱり、誰がなんと言おうと、スターバックの繊細さに心惹かれる。アポロにふられた彼女は、一人でガン・カメラの記録映像を見ている。酒のボトルを傾けながら、泣きながら見ている。
誰もが秘密にしておきたい、たった一人の、無為な時間。

前にも書いたが、『ギャラクティカ』が素晴らしいのは、こうした日常のささいな瞬間を、決して見逃さず、丁寧にすくいあげるところだ。

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2010年5月25日 (火)

■5月のメモ「The Face of the Enemy」■

プラモデルのボックスアートや、『創聖のアクエリオン』『マクロスF』の特殊効果で知られる天神英貴氏の個展が、来週月曜(31日)まで、開催されています。
1496524319_73私も、風邪さえ治ったら、すぐに駆けつけます。
(いま、喉が腫れていて、会話すらできない状況なのです)

テアトル新宿へ『武士道シックスティーン』を見に行くついでに、行ける会場だしね。待ってろ、天神さん。


夏のアニメで気になっているのは、『みつばちハッチ』。
T0008601q何しろ、チラシのデザインとキャッチコピーの一体感が、すばらしいもの。
(←ぜひ、クリックして拡大して見てほしい)

横書きのコピーは、視点を左から右へ誘導する。その視点移動に、絵を絡ませ、さらに物語をも含ませている。

チラシ一枚の力に、ねじふせられた。
他の人がどう感じようと、この映画と僕との関係は、こうして始まる。

心配なのは、配給会社が「梅」なんだよね。また「朝一回のみの上映」にならなきゃいいんだけど。


先日、「オヤヂ酒場」収録のとき、藤津亮太氏に教えてもらった『エリン・ブロコビッチ』を、借りてきた。
B000r8x9zs3人の子供をかかえたママが、ある小さな事件をキッカケに、何の専門知識も経験もないくせに、巨大な不正と対峙する。

もちろん、僕は即座に、新座での上映活動を重ね合わせた。
社会的・歴史的意義や規模は違っても、その過程で出会う理不尽さは、とてもよく似ているのだ。

この映画を、活動をはじめる前の彼女たちに教えなくて、よかった気がする……いろんな意味で。
一方で、僕が見るには、遅すぎる映画であった。
(アカデミー賞受賞作も、偏見をもたずに見ておかないとね。心の奥から勇気の出る映画だった)

つまり、主人公のエリンは、はっきりと「敵」の輪郭を、うきぼりにした。
僕は、戦うべき相手の顔すら、直視しようとしなかった。


なぜ、我々は「誰かのかわりに」頭を下げたのだろう。「誰かのかわりに」貯金をつかって、宣伝費にあてたのだろう? 「誰かのかわりに」怒鳴ったり、怒鳴られたりしたのだろう。

失敗し、誤算し、シッポを巻いて逃げ出した連中のかわりに。
彼らは、私の携帯電話に、ぬけぬけと電話してくるくせに、自分のメールアドレスすら、教えようとしない。
「こちらから、うかがいます」と申し出ても、「会社の中で話すようなことじゃない」と、訪問をつっぱねた。
今になっても、波のように心がざわめくのは、あの時、狂犬のように、食らいつくことが出来なかったからだ。

その後悔だけが、ナイフのように薄く、だが深々と、心臓を貫いている。
そのことに気がついたのは、彼らがあの映画に何をしたのか、ようやくヒントらしきものをつかんだからだ。

少なくとも「宣伝がふるわず……」などという、単純なことではない。


池田憲章さんが、先日の「バラエティ」誌の記事を、カラーコピーして送ってくださった。
100525_16210001蝶々や草花まで切り抜いてある。とても美しい誌面だ。

何枚か余分に入っていたのは、どなたか関係者に……という、池田さんのお心遣いであろう。

私は評論家ではないが、いい作品を埋もれさせることなく、世の中に伝えていきたい。眠らせていい作品など、この世にあるはずがないから。

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2010年5月24日 (月)

■5月のメモ「文フリ翌朝」■

昨日は、文学フリマに立ち寄っていただき、ありがとうございました。
Imgp227360冊もっていって、44冊、売れました。ギムレット氏が心配していた「フェスティバル・タイムズ」も、10冊以上、売れました。
あ、フィギュアやカニ缶など、差し入れ、ありがとうございました。

印象的だったのは、綾波の表紙だけ見て、「これ、カワイイ!」「カワイイ、カワイイ!」ときゃっきゃ笑いながら、一人一冊ずつ買い求められていった、女性二人組。
カワイイのは、あんたらです。

この本も、残り少なくなりましたが、「COMIC ZIN」新宿店さんで、店頭販売しているそうです。月内には、通販もスタートするとか。

何人かの方に「次回作、ないんですか?」って聞かれたんですけど……なんかもう、ネタがキャバクラしかないんだよね。


なんかね、どうせ死ぬんなら、キャバクラで豪遊しているときに、ソファの上で、ポックリ逝きたい。そういう時って、他の客についている嬢たちも、「どうしたの?」「大丈夫?」って、寄ってきてくれるんですよ。
――いや、死んだことはないけど、そういう場所なんですよ。キャバクラって。

地相とか、風水をとりいれたキャバがあったら、結構いいと思う。キャバクラってのは、眼に見えないものに対して、お金を払っているわけだからさ。
……とまあ、キャバの話だったら、無限に出てくるわけだ。


土曜ドラマ『チェイス』最終回。後味の悪さが、絶品。
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『ギャラクティカ』S4、14話。ゲータ中尉が寂しそうに言う。「いつの日か、僕のことを、人々が分かってくれると嬉しい」。
僕はサンプル版で、いちばん苦しいときに、このセリフを聞いた。
ゲータ中尉の、このセリフだけが、僕を支えつづけてくれた。

『ゼーガペイン』第7話は、ファストフード店での会話が絶品。ハヤセに片思いのミズキが、ウシオのつっこみに、いらいらしていく。だけど、だいぶ後で、ミズキとウシオの2人がデートしてるってのが、何だかギョッとするほど、リアル。
人間関係のあいまいさ、愛らしいデタラメさを、サラリと描いている。

次号のグレメカも『ゼーガ』のページがあるんだけど、編集者が「ちゃんと『ゼーガ』の設定資料も載せてあげるから、ね?」と、なぜか慰めるように言う。
そうやって、『ゼーガ』で慰められてる自分は、ちょっとカワイイかも知れない。


池田憲章さんが、米バラエティ誌の『新子』評を、FAXしてくださった。
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ニューヨーク国際児童映画フェスティバルの時の評論なんだけど、かなり高く評価している(ようだ)。
複雑なストーリーも、深いところまで理解している(らしい)。
でも、こういう記事をみると、初心にかえってしまうね……しみじみ。

新座の皆さん、お疲れ様でした。若いママさんたちとの飲み会、いつにしましょうか。

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2010年5月21日 (金)

■5月のメモ「T-02」■

日曜日(23日)は、文学フリマに出店します。
ブース番号はT-02、サークル名は単に「廣田恵介」です。
67153621販売物は、池田憲章さんにも「談話室オヤカタ」で、ご紹介いただいた同人誌「550 miles to the Future」。40過ぎても思春期マガジン、一冊500円です。

他に『メガゾーン23』トリビュート・マガジン「フェスティバル・タイムズ」のバックナンバーも、各数冊ずつ、持っていく予定です。

当日は、不眠不休でブースに立っていますので、何でも話しかけてください。


先日の、明け方の風俗店の話題、電話やメールで、いくつか反応をいただいた。
……そもそも、明け方に普通の風俗店がやってるわけ、ないですからねえ。全部は、ブログに書けないよ。

それでも、僕にとっては人生観が変わるような体験であったことは、確か。
愛情というのは、物理的なものだと分かった。

愛とは、体温である。愛とは、触れた指の感触である。愛とは、抱いた肩の冷たさである。愛とは、背中に回しても疲れない腕の長さ、その比率である。
肉体と肉体の間で生じる、熱や量こそが、愛の正体である。

愛情は、計測可能、数値化可能だ。
トム・ザレック風にいうなら、「愛とは、理念ではない。一秒一秒の行為こそが、愛なのだ」。
一刹那にしか、愛は発生しない。だからこそ、永遠に記憶できるのだ。脳ではなく、汗と香水のかおりの混じった、この皮膚の上に。

それでもまだ、僕は五感では知覚しえない、崇高な何かの存在を信じている。


こんな流れでなんですが、『マイマイ新子と千年の魔法』という映画とは、もうちょっとだけ、関わることになりそうです。

ごんちゃんのブログの「でも辛かった…」を読んで、僕の心の痛みの理由まで、分かった気がする。泣きたいような、嬉しいような、不思議な気持ちだ。
あと2日、みんな、がんばれ。

新潟シネ・ウインドさんの上映は終了。一度も上映されたことのない地に、ファンを増やすことが出来た。
誠意のみで戦いきってくれたシネ・ウインドさんに、あらためて感謝します。


それでは、文学フリマで会いましょう。
あ、『ゼーガペイン』好きな方は、本買わなくても、声かけてください。先着数名様に、プレゼントあり。

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2010年5月19日 (水)

■5月のメモ「放蕩の春」■

驚愕のオーパーツ&超古代ミステリー99 26日発売予定
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前回のムック本につづいて、「ナスカの地上絵」について書きました。
「そういうのも、専門範囲なの?」と聞かれるけれど、これはオーパーツだの超古代文明などについて、そこそこ書ける「技能」であって、専門とかいう話ではないと思う。
「技能」というのは、単にテクニックであって、今回は、そこのみを求められた仕事だったので、非常に楽しかった。

編集者も、喜んでたしね。


しかし、本当にめっちゃくちゃな生活をしている。
夜、友達と待ち合わせて、『第9地区』の2回目を見に行った。
その後、知り合いの映像ディレクターも合流して、酒。午前3時には、自宅近くで解散したはずだった。

その後、タクシーで繁華街に舞い戻ったんだよ。
翌朝には、風俗嬢に向かって、「俺と付き合わないか」とコクってましたからね。
相手は風俗嬢ですよ。カラダを売ってる人ですよ。その日、初めて会った相手だよ。
だけど、キスが、とても上手かったものだから。

恋愛に関しては現役を退きつつある俺だけど、決め手は、趣味だの性格だのではない(という気がしている)。キスを楽しめれば、それで足りるのだ(と確信しつつある)。


「そんな店で働いている女は、汚いよ」と言われるんだろうけど、彼女たちは明るかった。もちろんお金目当てなんだろうけど、それ以上に、自分の肉体的欲望に素直というか。こっちが頼んでもないのに、やりたいことは全部やっちゃう感じ。

山下洋輔が「やりたくないことをやっているヤツの顔は、歪んでいる」という意味のことを言っていたと思う。
風俗を美化するつもりはないけど、ニコニコと楽しそうにセックスする嬢たちには、何か教えられたような気がした。――すげえ高い授業料を、払わされたけど。今月はもう、高い買い物、できないな。


というか、原稿も溜まってるというのに、何をやってるんだか。

『罪とか罰とか』は、お下劣なジョークが連発されるけど、成海璃子にとっては、いい経験48e8a0bcになったんじゃないだろうか。
『武士道シックスティーン』とか『書道ガールズ』の前に、こういう寄り道、それもブラックでシュールな道を歩いておいて、芸域が広がっただろう。

明らかに、ねじ曲がったハッピーエンドなんだけど、それをよしとしてしまう。それは、成海璃子の笑顔でないと、「よし」とはならない。
どんな思想の映画であっても、女優は、それを受け入れていかねばならない。下手すると、監督より重責を負っているんですよ。

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2010年5月17日 (月)

■帰り道■

片渕監督の舞台挨拶つきの新潟シネ・ウインドは、空席を見つけるのが困難なほどの大入り(今週金曜まで上映中)。
100516_15460001客層はカップルから親子連れ、おばさんの一人客まで、一貫性がなくて、面白かったです。上映後も残っていた女性二人が、美人だった。
パンフもCDも売れて、よかったよかった。

サイン会の後、監督とオッサンたちは、メシ屋で酒や肴。
その後、僕一人だけ新潟にとどまり、シネ・ウインドの支配人さんと二次会。美人店員ぞろいのおでん屋さん。
そうとうアホな話をしてしまったと思いますが、忘れてください。


上映前、美術ボードや原画のコピーの展示を見ていたら、昨年の10月、僕が「アニメージュオリジナル」に掲載させてもらった100516_16110001原画と、再会。
あの当時の、「そこそこヒットするだろうから、映画館で何度か見て、あとはDVD待ちだな」と楽観していた頃の気持ちが、胸に去来する。

飲み会で、監督とプロデューサーに「これだけDVDが売れれば、さすがに赤字は脱したでしょ?」と聞いたら、お二人が同時にうなずいたので、信用していいでしょう(笑)。
――長かったなあ。そろそろ旅の終わり、というか、帰り道だったんだ、と気がついた。

『新子』がらみの話は、もちろん拒まないけれど、もう、僕が草の根を植える必要はないでしょう。
たぶん、満員の吉祥寺バウスシアターで、福田麻由子さんに花束を渡したときが、Uターン地点だったんだね。僕にとってはね。

監督から「公開宣伝会議」のお話をいただいた時、僕は「ちゃんと、映画が成功した時に、同席いたします」と断った。その成功のイメージは、明確に頭に思いえがけた。
まず、地下ではなく、地上であること。福田麻由子さんがいること。昼間であること。光が、ふりそそいでいること。
D隊長がドカンを企画したり、エイベックスさんが福田さんを呼んできたり、監督が「花束は廣田さんが渡しなよ」と言ってくれたり……という偶然が重なり、そのイメージは現実化した。

なので、そこから後は、帰り道なんだねえ。と、帰りの新幹線の中で、思った。


そうそう、吉祥寺といえば、特製巨大ポスター。
O0311045010545290024「使えたら、使ってくれ」とシネプレックス新座に送ったまでは良かったが、なんと、これから先、上映される映画館を、ぐるぐる回ることになったそうで。
他にないぐらい、幸福なポスターだと思う。

このポスターは、配給会社が用意したものでは、ありません。
前岡さんがデザインし、彼の友人が自腹で印刷したもの。だから、名前こそ出さないけど、陰では、多くの異業種の方たちが奔走してくれていたのです。
それを、胸のどこかに、とどめておいてくれると嬉しい。

楽しく、美しい体験もさせてもらったけれど、やっぱり、同じことは起きてはいけないと思う。「お客様の善意」に頼りっきりでは、それは商売とはいえないもの。

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2010年5月15日 (土)

■5月のメモ「外と中」■

浜松での上映が終わり(200個の手づくりカンバッジ、お疲れさま!)、本日朝より、シネプレックス新座で『マイマイ新子と千年の魔法』が、上映開始です。
(ガンバ春雨さんによる、シネプレ新座への道が便利)

まったくの徒手空拳、知識も経験もゼロからスタートし、シネコンでの上映を実現させてしImage2171まったごんちゃん、おめでとう。9日間、楽しんでください。
「地元のママ友のために」と、狙いも計画も綿密で、「宣伝になるなら」と顔まで出しちゃいましたからね。

草の根上映といえば、聞こえはいい。でも、実際に草を植えていった側は、タダではすまないんですよ。楽しく、やりがいある反面、「……?」という思いもしますから。

ごんちゃんは、本当につらいところは、表に出してません。何もかも、育児や家事の合間にやっていたんですよ。何かをサボったわけではない。
だけど、「主婦と子供」という初公開時のコンセプトに、ポンと戻したでしょ? キング・オブ・シンコですよ。女だけど、キングだよ。


そして、明日16日は、新潟シネ・ウインドさんへ、監督が向かいます。
今日15日と明日16日は、半年間の紆余曲折を語る貴重なノベルティ「マイマイ・エコバッグ」を、先着10名様に贈呈。
シネ・ウインドさんは、あと1週間のラスト・スパート!

私は新幹線に乗って、ホテルで一泊という、夜遊びコースで行きます。不謹慎で、ごめんなさい。


原稿が3日早くおわったので、『女の子ものがたり』を借りてきた。
Sub5_large波瑠が、なかなか良かった。
『夕映え少女』のキリッとした和装姿が印象づよいが、まだ、ぜんぜん女子高生の役ができる歳なんだよな。

「波瑠をもうちょっと見なければ」と思い、『山形スクリーム』も借りてきたが、チェーンソーで落ち武者と戦うシーンがあり、けっこう良かった。成海璃子も見ておかねば……と思い、『罪とか罰とか』も借りてきた。

あ、『女の子ものがたり』の話か。


いや、波瑠の役どころは、よかった。主人公の深津絵里にキッカケを与え、映画を「内側」から駆動させる役だったから。
Onnanoko_monogatari3これは脚本の出来・不出来なんて、いっさい関係ない。その役を、誰がどう演じたかが問題であって。主人公を凌駕する重要な役を、波瑠に演じさせた時点で、もう、この企画は成功したといっていい。

波瑠に対して、主演の深津絵里なんていうのは、いわば映画の「外側」に属する女優。企画を通したり、映画館に人を集める役なんだよ。
『ゼブラーマン2』の客足が鈍いのは、仲里依紗って女優が、そういうメジャー感・大作感は持ち合わせていない(笑)、ということだよね。俺は大好きだけどね。


映画の「外」ではなく、「中」で何をしたかが、女優の価値を決める。

『リアル鬼ごっこ』のパート2が公開されるけど、前作で谷村美月がやっていた役は、やはり、新人に置き換わっていた。まあ、それはいい。映画の「外」の事情だから。
080200oni2前作で、谷村が何をしたかっていうと、冒頭で放心状態のまま、乳をもまれ、ラストでは「私はレジスタンス。この平行世界で戦ってるの」とか言って、ライフルを構えてニヤッと笑うんですよ。頭がおかしいよね。
でも、それが『リアル鬼ごっこ』という映画の準拠する、リアリティなわけです。谷村美月が、ライフルを構えて真剣に演技しないと、この映画は終われない。
いや、ひどい映画かも知れないよ? でも、女優は「ひどい映画だ」って思っちゃいけないんだよ。谷村美月の素晴らしいところは、どんな映画に対しても、どんな滅茶苦茶な役に対しても、責任を負うところ。決して、投げ出さないところ。

それは、世の中で仕事している大人たち、みんな見習うべきだよ。

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2010年5月13日 (木)

■千年後■

ややフライング気味に、『マイマイ新子と千年の魔法』の週末予定。

15日(土)は、いよいよシネプレックス新座で、連日10時からのモーニング・ショー開始!
O0800060010536266393先着限定プレゼントは、「マイマイ新子お楽しみセット」(チロルチョコがイカすぜ)。
土日は「マイマイ缶バッジ実演イベント」もあり、盛りだくさん。初日は、片渕須直監督の舞台挨拶もあり!

新潟シネ・ウインドでは、半年前に制作され、悪夢の興行不振をくぐり抜けた英雄的ノベルティ「マイマイ・エコバッグ」を、15日(土)と16日(日)、先着10名様にプレゼント!
さらに、16日の上映終了後には、監督の舞台挨拶もあり!


16日の日曜日は、ちょっとしたいきさつで、新潟まで、監督に同道することになった。
僕らが新潟へ行っている間、新座では、ごんちゃんや早房さんたちがイベントをやっていると思うと、とても勇気づけられる。
結局、僕らは、抱えきれないほど大きな物事を、手に入れてしまった。

今後、どんな幸福がやって来ようと、この映画をとりまく一連の出来事――無論、まだ解けない理不尽な思いも含めて――を越えることは、ないように思う。

この先、もし絶望したら、くり返しくり返し、吉祥寺の青空を思い出すことになるんだろう。
イベントを手伝ってくれた人が、こんな言い方をしたと思う。「映画の中と、同じ青空だ」。


『新子』のDVD、Amazonでは、ランキング4位にまで昇ったという(製作側の公式見解では20100512_1000amazondvdranking 5位)。

だけど、僕が聞かされていた、 微々たるプレス数では、そんなに行けるわけがない。絶対にない。断言する(笑)。
なので、これは完全に予想外の事態だろう。メーカーも大慌てのはずだ。
業界の友人が言うには、「4,500円なら、見てなくても買っていいかな、という新規のユーザーがついた。そういう時代になったんだよ」。ひょっとすると、ペイしちゃうかも知れない。
勝ったじゃない、この映画。逆境、のりこえたよ。

――この勝利を、素直に喜んだうえで、僕は、DVDを買わずにおこうと思う。
この巨大な体験は、本棚の中には、収まりきるものではない。あの孤独だった試写室の日々、応援と批難にさらされた続映署名、阿佐ヶ谷で怒鳴った夜、吉祥寺で泣いてくれた同級生の顔、道端に咲く花々……すべてを含めて、『マイマイ新子』だから。


どうしても見たくなったら、上映会を開くと思う。今度は、満席にしなくてもいい。
いま現在、子供にも見られるよう、上映会を開こうと四苦八苦なさっている方がいるようだし、今後も、各地で上映会が開かれるだろう。
DVDを買うと決めても、「やっぱり、また映画館で見たい」という方も、おられるようだ。

10年後、僕はまだ、この映画のことを好きでいるだろうと思う。それを信じたい。自分の気持ちに、賭けてみたい。
53歳なら、私は、たぶんまだ生きている。子供はいないだろうが、友達の子供が来てくれると、嬉しい。
上映会に来てくれた子たちが、また10年後に、上映会を開く。大丈夫、フィルムなら100年は持つからね。

そうやって、この映画の完結を、無限に留保しつづけたい。
俺の寿命なんて、軽々と越えてってほしいんですよ。それが本当の宝物だろうし、この映画は、きっとそうなりますよ。

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2010年5月12日 (水)

■5月のメモ「オヤカタ、二週目」■

先週につづき、今日も「談話室オヤカタ」に出演しています。
67153621今回は、『マイマイ新子』のマの字もなく、同人誌版「550 miles to the Future」について、語ってます。
これを聞いて「欲しい」と思う人は少ないかも知れませんが、5月23日の文学フリマで売ります。一冊500円です。

……あ、ごめん。俺、最後のほうで『マイマイ新子』って、言ってるわ。

twitter見てたら、新潟在住の漫画家、古泉智浩さんがシネ・ウインドで『新子』を見たそうで、とても嬉しい。
DVD化で盛り上がってるけど、公開中・公開前の映画館が、損してしまうんじゃ、本末転倒でしょう。



『ギャラクティカ』SEASON4、第12話。
アダマ提督が、軍服のまま、書類に埋もれて目覚めるカットから始まる。歯を磨きながら、シャワーの温度を確かめる。新しい軍服に着替えて、書類にサインしている。立ち上がりぎわ、咳をする。――この一連のカットの、さり気なさ。

つづいて、提督は廊下に落ちていた紙くずを拾う。
Nup_107046_0686このエピソードでは、提督が紙くずを拾うカットが、三つある。二つ目は、ゲータ中尉がスターバックを脅す直前。最後は、トム・ザレックから、姿を消した船の座標を聞き出すところ。
ありふれた日常を「紙くずを拾う」芝居で演出し、同じ芝居が、少しずつ緊迫感を増し、意味を獲得していく。(特に、二つ目のシーンでは、搬送中の囚人が、提督を遠くから睨んでいる)

結局、胸に残るのは、そういう地味で丁寧なシーンだ。


「パトレイバー」特集のラフを、切り直すことにした。編集者が「なんか、違う」と言ったから。彼は、アニメにはちっとも詳しくないが、それゆえに、信用に値する。
また、私の専門外である「オーパーツ」だの「超古代文明」だの、そんな仕事を振ってきた編集者も、ありがたい存在だ。

自分と異なる直感で生きている人たちを、僕は信じる。「専門」なんてものを捨てて、ただ、風のように自由でありたいから。

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2010年5月10日 (月)

■5月のメモ「仲さんのこと」■

やっぱり、レイトショーの立川シネマシティは、侘びしくて最高。
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『ゼブラーマン』の客は、カップル二組ふくむ、計7人だったかな。

仲里依紗の衣装、けっこう良かった。やっぱり、動いているところを見ないとね。
最後に出てくる、黒ゼブラだかゼブラクイーンだかの衣装は、仲さんのクォーター体形に、ガッチリとマッチする。
表情も声も、衣装に食われてない。この歳で、こういう役やっといて、良かったと思うよ。ようは、仲里依紗が、仲里依紗でなくなる瞬間を見たかったわけで(『非女子図鑑』で、その兆候はあった)。

ただ、この決定版コスが出るまでが、長い。1時間ぐらいかかる。それまでは、寝ててもいい映画だと思う。ストーリーなんて、どうでもいいじゃん。そんなところで、映画の価値は決まらない。

前半の歌とか踊りも、うまいとは思うんだけど、まだちょっと、作為的なんだよな。
後半の「衣装と競演(共演ではない)」するのが、何より凄かった。「役が降りてくる」なんてレベルじゃないだろう、これは。


あと、エイリアンに憑依された少女を演じる、永野芽郁。ちょっと奇形的な美しさがあって、三池崇監督のフェティッシュは、むしろ、この子のほうにあるのでは。
あと、仲さんのライバルとして、スザンヌが出てきた。こっちはもう、ベタベタのアイドルで、嬉しくなっちゃう。

……まあ、全体の7割ぐらいは、寝ててもいい映画だけどね。そのくせ、「寝てるヤツは起きろ!」と言わんばかりの、仲里依紗。女優は、しばしば、映画とケンカするのである。


新潟シネ・ウインドさんでは、今週末の土日(15・16日)、「伝説のマイマイ・エコバッグ」をプレゼントします(両100510_13360001日とも、先着10名様)。
マッドハウスさん直送、最後の放出となりそうです。

広げると、すごくいいデザイン。このデザイン流用して、レターセットつくろう、なんて話もあったんだよね、吉祥寺では(ポストカードの裏面は、その名残りです)。

新潟シネ・ウインドでは、16日に監督舞台挨拶、21日まで上映中。


ねむようこさん、『午前3時の危険地帯』。
100510_10460001よくある手法なのかも知れないけど、『~無法地帯』の続編でありつつも、主人公は新しい。先読みできない展開で、前作より厚みは出たけど、胃にもたれない。

恋愛感情について、示唆に富んだシリーズなのだが、それって、俺とはほとんど関係ない。
43歳だから当然かも知れないけど、恋愛って、卒業できちゃうもんなのかも知れない。

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2010年5月 9日 (日)

■5月のメモ「ダウンサイジング」■

今夜は『ゼブラーマン』行くので、早めにUPしておこう。


新宿バルト9での『マイマイ新子と千年の魔法』、盛況なようで良かった。
しかし、「ピカデリーじゃないんだよな」というモヤモヤした気持ちは、晴れない。ピカデリーで凱旋できれば、さぞかし爽快だったろう。

それと、静岡CINEMAe_raと、新潟シネ・ウインドでも、まだ上映されていることを忘れてほしくない……もちろん、本気で見たい人なら、ちゃんと調べて、見に行くとは思いますが。
新潟では、16日の監督舞台挨拶の日、「懐かしのアレ」を数量限定で配布するかも。


吉祥寺での、福田麻由子の舞台挨拶で、彼女が「こんなことになってるなんて」と戸惑ってGnj1005080502004p1いたのは、完全に正しい。
彼女は受験や仕事など、リアルな15歳の戦場、彼女が本来立っているべき第一ラウンドで、ヒリヒリするような実感とともに、戦いつづけていたのだから……。
(←またも、サンスポさんから拝借。DVDは7/23発売とのこと)

昨年12月19日のラピュタ阿佐ヶ谷以降、この映画に関して起きたすべての現象に、僕は( )をつけねばならないように感じている。
(満員御礼)であり、「満員御礼」ではない。(ロングラン)であり、「ロングラン」ではない。

本来ならば、他の多くの映画と同じように、
「当たらなかったね、ハイ、DVDまでサヨウナラ」
となるべきところを、留保してもらった。だから、( )が必要だと思う。
少なくとも僕は、( )をつけることで、あらゆる理不尽を、胸におさめられる。もちろん、そこで生起した人の感情・感動にまで、( )をつけたりはしない。作品にも。

しかし、この「本来、なかったはずの第二ラウンド」で、僕は怒ったり、泣いたりしていた。
さぞかし、滑稽に見えたろう。


以上のこと、『ゼーガペイン』の世界観に置きかえれば、かなり分かりやすい。

つまり、本当の人類は滅びてしまっていて、データに置きかえられた人類が、ダウンサイジングされた仮の世界を、何も知らずに生きつづけている――。
その世界で起きる感情はリアルだが、あらゆるものがダウンサイジングされていることには、かわりがないのである。

「どちらかの世界が本物なら、もうひとつの世界は夢なのよ」というセリフがあった。
今の僕には、全国のシネコンで不入りで終わっていった『新子』の世界が本物であり、それ以降の現象が、夢であるように思えてならない。


『パトレイバー』見てたら、泉野明が、コップ酒を一気呑みするシーンが出てきて、嬉しくなった。
Anime_manga149943_1しかも、「女を描けない」と言われつづけている押井さんの脚本。他のアニメや映画はさておき、野明の女っぷりに関しては、押井さんが一番わかってるんじゃないの?

女優が、うまそうに酒を呑むシーンが出てきたら、その映画はすなわち傑作。
『好きだ、』の永作博美とか、『大停電の夜に』の田畑智子とか。いや、映画がどうとか言うより、酒に強い女が好きなだけかも知れないけど。

それにしても、野明の呑みっぷりは、「色っぽい」の域に達していた。アニメを見るんでも、こういうところを見なきゃあ。

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2010年5月 8日 (土)

■HEAVEN CAN WAIT■

新潟へ行っていた、D隊長から、郵便が来た。
100507_15290001 「お父さんの机にはなかったけど おみやげです」――なんか、『新子』にかかわってから、こういうネタっぽい郵便物が、激増した。
これで何のネタかわかる人は、かなり、やられていると思う。


荷物には、「新潟日報 5/3号」も同封されており、「17面に注目」とメモしてある。
「ん? 松尾プロデューサーのインタビューでしょ?」と思ってみてみたら、確かにそうなん100507_21290001 だけど、どちらかというと、D隊長は、ゼブラクィーンの記事を、僕に見せたかったらしい。
(『ゼブラーマン2』の記事だけ、二つも載っていた)

じゃあもう、日曜の夜にでも、立川シネマシティへ見に行こうかなあ……。
第一期・仲里依紗は、前作『時をかける少女』で、きれいな終わり方をしたと思う。

立川なら、98席のスクリーンで、上映している。客は6人ぐらいが、ちょうどいい。俺はいつものように、前から3番目の通路側に座る。
帰るころには、売店も閉まっていて、実にいい雰囲気だよ。


新宿バルト9で、『新子』の上映が始まるけど、「再上映」じゃなくて「初上映」。
『新子』を上映してたのは、松竹直営の新宿ピカデリーであって、バルト9では、一度も上映されたことがない。15日から上映のシネプレックス新座も、松竹系ではない。

梅田ブルク7には、松竹の資本が入っている。だから、『新子』は上映しない――ということらしい。
それを考えると、新座にあったのがシネプレックスで、本当に、本当にラッキーだったね、と思う。


うまい言い方が見つからないが、僕たちの得たラッキーは、神様のおこぼれみたいなものなのだ、と思う。
51qb6pw144l天国での第二ラウンドだからこそ、僕みたいな者でもハンデをつけてもらえて、あれこれ、首をつっこめたのだ。
だからこそ、勝っても負けても、不問にしてもらえるのだと思う。

それに気がついた者だけが、それぞれの第一ラウンドを戦える。
いま思うと、たとえば『MAG・ネット』のスタッフさんたちは、それを分かっていたような気がする。
僕が、不思議な距離感をおぼえた人たちは、これが「ハンデ付きの戦い」であることを、最初から知っていたんじゃないだろうか。

ともあれ、天国だろうと、殴られれば痛いから、僕はもう何歩か、がんばる。
それから、本当のリングに立とうと思う。たぶん、立てると思う。


『ギャラクティカ』S4で、スターバックは、自分の遺体と向き合った。
彼女は、爆死する寸前、こう言っていたはずだ。「向こう側で、また会おう」と。
この「向こう側」の意味が、急に分かったような気がする。


ねむようこさんの『午前3時の無法地帯』、3巻であっさり終わってしまったと思ったら、主100507_23130001人公を変えた、第二部が出る。
またしても、第二ラウンドか。

今の僕は、病み上がりみたいなもんだから、これぐらいサラサラした漫画じゃないと、喉を通りそうもない。

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2010年5月 7日 (金)

■5月のメモ「野明のブラ紐」■

明日8日土曜、新潟シネ・ウインドでは「くみたてひづる」ポストカードを配布!
Hizuruこれは、国内どころか、世界最後のプレゼントですね。二度と刷る予定は、ありません。
組み立て方は、作者である我流切紙人さんのブログに、掲載されていますので、志ある方は、ぜひ組み立てて下さい。
『マイマイ新子と千年の魔法』、20時の回のみ、限定配布です。

ほかに、新潟シネ・ウインドさんでは、16日の17時05分の上映後、片渕須直監督の舞台挨拶あり!
原画や美術ボードも、お見逃しなく!


本日は、藤津さんと呑みながら(だって仕事だもん)の雑談後、フラフラフラ~ッと、吉祥寺バウスシアターへ。
バウス1に貼られていた、『新子』特製大型ポスターを回収。「これ、シネプレックス新座に送ってあげましょうか?」と提案したのは、イケメン担当者さんだった。

ちょっと仮眠してから、新座へ宅急便で送る。なので、シネプレックス新座も、賑やかになるよ!

Original結局、7月まで、あちこちで上映するそうで、僕が女の子と『王立宇宙軍』を見に行った、川越スカラ座でもやるじゃない。

『王立』の時は、場内に10人も客がいなかったけど、そんなの、当時は、まったく気にしなかった。その子に、『王立』を見せられたってことの方が、圧倒的に大事だったんだ。
フードコートで、タコヤキの乗った焼きそばを分けたりしてな。子供だったんだ。

そういう恥ずかしい思い出を忘れると、頭でっかちな大人になっちまうぜ……。


少しずつ、僕の手元に、孤独がもどってきたと感じる。
100506_10550001なので、吉祥寺ちかくで、花の写真など撮ってみる。
誰に贈るあてがなくとも、花束ぐらいは、持っていたい。

半袖の女の子が、交差点の後ろから、自転車で僕を追い越していった。


こういう気持ちのとき、アニメはフィットする。もちろん、一人で見るにかぎる。

『パトレイバー』、着替え中の泉野明のアップ。肩に、白いブラジャーの紐が描いてある。
その“当たり前さ”に、目まいにも似たエロチシズムを感じる。描線がエロチックなのではない。ブラ紐が描かれているという事実、少年のような野明でも、ブラジャーをつけざるを得ない摂理に、クラクラするのである。

同じ話に、入浴シーンも出てきたと思うが、そんなものはどうでもいい。2本のブラ紐には、及ばない……と、こんな話は、ブログにでも書くほか、どうしろというのか。

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2010年5月 5日 (水)

■5月のメモ「16ミリ」■

今日5/5から、ポッドキャスト「談話室オヤカタ」で、「廣田恵介の語るマイマイ新子」が配信されます。(復旧しました。聞けます)
『MAG・ネット』で、カットされた分を話したつもりだけど、これじゃ、吉祥寺の上映を何もかも、僕がやったように聞こえる――。その辺りは、話を要約してるんだと思って、聞いていただけると、ありがたいです。

明日、「オヤヂ酒場」の収録で、藤津亮太氏と話すけれど、それでもう、公の場で『新子』について語るのは、終わりでしょう。
あ、あと「署名TV」のインタビューがあったか……。5月中に掲載されるらしいけど、署名活動も、もはや昔話だよね。

新潟シネ・ウインドさんの上映を見届けたら、今度こそ、本当に役割は終わる。


今日、熊本の図書館で『新子』の上映、あるんでしょ。35ミリではなく、16ミリなんです。「16ミリ版を焼く」という話は、以前から聞いていたけど、いよいよ来ましたか。
ようするに、公民館やホールで、上映しやすくなった。もう、映画館に高いリスクをしょわせる必要は、なくなった(しかも今回は、無料上映)。
DVD発売は、ビジネス的には「上がり」かも知れないけど、作品は、まだまだ広がる可能性がある。

まだ見ていない人に、これから、見てもらえるかも知れない。この作品が獲得したのは、「今後、日本中のどんな僻地でも見てもらえる可能性」なんですよ。
16ミリ映写機さえあれば、どこでも上映できちゃうわけだから。
これはもう、『マイマイ新子』さん、勝利宣言してしまっていいのではないだろうか。


「BDが出てないじゃないか」というのは、まるで問題が違う。
Newsheadline_1238551521_image1_1『崖の上のポニョ』って、VHSが発売されてるんですよ。DVDすら見れない環境が、まだ日本にはあるわけです。
『トトロ』のVHSだって、いまだ現役で売られているし。

より多くの人に見られつづけることが、作品の幸福だと思うので……『新子』に関しては、これで良かった、と思う。
(制作費が回収できたかどうかは、まったく別のお話。とにかく、知らない人が、どんどん見ていくことの方が大事)


仕事用に、テレビ版『パトレイバー』を視聴。以前にも、仕事のために見た記憶があって、あまりいい印象はなかったのだが……。
20070523114329_60_0泉野明の「小僧じゃなくて、お姉さんだ!」というセリフが、良かった。
ボーイッシュな女の子が、自分のことを「お姉さん」、つまり、成熟した女と呼ぶ。エロチックといってもいい倒錯美を感じる。

何度も書くようだけど、美少年ぎりぎりの美少女といえば、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のサガね。もともと、好きではあるんだよな。

しかし、この歳で泉野明か。「婦警」っていう役職が、またいいね。社会人である、というところが。……うーん、いかんな。

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2010年5月 4日 (火)

■5月のメモ「プラモデル・絵本・ラーメン」■

現地メディアで、こつこつと『マイマイ新子と千年の魔法』の話題を提供しつづける、新潟シネ・ウインドさん。
20100503_01_2「新潟日報」に掲載された、松尾プロデューサーのインタビュー記事です。
(←クリックで拡大)
日本海側では初上映のシネ・ウインドさん、全86席中、30~50名と「そこそこ」入っているそうです。(去年の11月に比べれば大入り)

ドカン隊長は、シネ・ウインドの支配人さんからも「ドカン隊長」と呼ばれていて、笑いました。
そのD隊長からの情報だと、シネ・ウインドさんに展示してある原画は、かなり充実してますね。

最近、取材のたびに、あちこちで聞いてるんですけど、原画をパラパラってやって見るのには、コツがあるそうです。だって、「中割りすらないのに、どうして原画だけでタイミングがわかるの?」って思うでしょ。
94939441_2「ここは2コマで」「ここで3枚入る」とか、頭の中で補正かけてるんだそうです。
(←撮影:D隊長@新潟)

俺、『もののけ姫はこうして生まれた』の、QARのシーン見ても、分かんなかったなあ。あれも、中割ってなかったもんな。
新潟の日本アニメ・マンガ専門学校の人たちは、貴重な原画、よく見ていってください(おおきなお世話だけど、アニメを目指してて、『新子』を見てないのは「多大な損失」だと思う)。

どうでもいいけど、俺が「中割り」っていうと、ホッピー割るみたいだよね。


さて、「バウス欝」中の私は、ご近所の「一圓 三鷹北口店」さん、絵本・児童書の「りとる」さんに、チラシを置いていただいた、お礼に行ってた。
「一圓」のご主人は、「カミさんと娘とで、見に行ってきたってさ」「あんまり人が多いんで、ビックリしたみたいだよ」。
「りとる」の、美しい店主さんは「見たいけど、見られなかったってお客さんが、行かれたそうですよ。良かったわ」とニッコリ。

お二方にとっては、『新子』の上映も、長い長い日常のヒトコマ。それでいいと思う。
一般の方に、のびのびと見られてこそ、「知る人ぞ知る」という窮屈な牢獄から、この作品は解き放たれる。
この作品のたどってきた運命は、これから新たに見る人にとっては、一切関係ないでしょう。

バウスではね、「前に見たアニメっていえば、『ポニョ』ぐらいかなあ」って、そんな普通のカップルが、行列の中にいたのでね。すごく、嬉しかった。
ずっと、そういう人たちに見て欲しかったし、これからも、見られますように。なぜって、どこの誰に見てもらっても、恥ずかしくない作品だから。

(……と言いつつも、http://isparade.jp/で「maimai_shinko」と入れると、ちょっと呆然としますね……。私はtwitterやってないから、なおさら感激した)


『ギャラクティカ』は、S2もS4も、ちゃんと見てます。『ゼーガペイン』も、毎週、見てます。
仕事に疲れたら、スザンヌのtwitpic見てます(このタレントはよく知らないけど、見てるとバカ幸せになれるので)。

でも、何かが欠けている。金魚のひづるが、見つからない。


「文学フリマ」公式サイト、気がついたら、いろいろ変わってた。出店サークルのT-02、「★67153622評論::プラモデル・絵本・ラーメン★」って、どれだけ俺が投げやりか、よく分かる。どこが、「評論」なんだよ。
当日のポップとか、販売の段取りとか、まったく何も考えてない。ようするに、俺は文フリをなめているのではないか(笑)。

でも、先日、石黒昇監督が、こうおっしゃってくれた。
「廣田さんの文章は面白いね。なぜなら、屈折しているから。そうでなければ、面白くないですよ」。――これ以上、ありがたい言葉はありません。

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2010年5月 3日 (月)

■5月のメモ「月下の人」■

ドカン隊長が、いきなり新潟シネ・ウインドへ、旅立ってしまった。
Scan20001そのシネ・ウインドさんから送られてきた、「新潟日報」の『マイマイ新子』評。評者は、大久保賢一さんです。
(←クリックで拡大)
「確かに、広い年代の観客を動かすだけの質を、この作品は持っている」「画面の細部まで、目と身体全体でそれを受けとめる楽しみを与えてくれる」――よし。

何が「よし」だ。
予想はしてたけど、「アバター欝」ならぬ「バウス欝」になりつつあるよ。
『新子』は新潟へ見に行く予定だから、いいんですよ。でも、輝いてたバウスの2週間は、もう戻ってはこないから。

2203最終日に「マイマイ新子クレープ」をオーダーする私。
私がカウンターに手をつくと、クレープ屋じゃなくて、立ち呑み屋だよね。

もともと、僕は、そっちの世界の人間。
離婚するときに、知り合いのカメラマンが「廣田君は、月下の人であったか」と言ったけど、その通り。
昼間の世界の人間ではない。――あ、だから「レイトショー上映」で、バッチリだったんだな。呑み屋に直行できるし。


何しろ、『アリーテ姫』のDVDを、キャバ嬢に貸してしまった男なんです。
「自慢じゃないが……俺は、最初にそのアニメを見て、3度寝た!」
「あ、私、そういう映画でも見れちゃう人だから、平気ですよ?」
手練れですね。こう即答できて、ちゃんと見てしまうのが、プロのキャバ嬢ですね。

この嬢と話していると、「ああ、俺はボラれている」と感じる。
美人じゃないけど、そこはかとなく薄幸オーラを発散し、「指名してやらないと、かわいそうだな」「メール無視したら、落ち込んじゃうかな」という気持ちを、客に起こさせるのが、うまい。だって、他の客からも、指名かかってたもん。
プロですよ、この嬢は。
プロの技によって、ボラれていく、この快感ね。

だって、女優の素晴らしい仕事を見せてもらったら、1800円でも高いとは思わないじゃない。同じことですよ、キャバクラも。


連休が終わったら、打ち合わせやらで時間がなくなるし、47本もあるアニメ・シリーズを見なくてはならず、女優への飢餓感が、ひどい。
100502_05170001代償行為として、仲里依紗が表紙の「TV Bros」を買う。

三池監督も仲さんも、「仕事」として映画を語っているので、いい対談でした。

デフォルトの状態では、世界は面白くない。どうやったら面白くなるかな、と考える。
昨夜、メールで「恋愛には期待してないけど、ときめきは必要」みたいな、やりとりをした(キャバ嬢じゃなくて、普通の人と)。

「でも、恋愛って、いつ始まるか分からないから、毎日、メイクだけはしっかりしている」と。
そういうアイドリング状態が、いちばん楽しいのかも知れない。

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2010年5月 1日 (土)

■2週間■

出かける前、先週の『新子』同窓会で、グスグスと泣いてた主婦から「新子やきいちゃん、それと、あの頃の私たちに、よろしくね」と、メールが届いた。

わたしの町、吉祥寺。100430_18340001 100430_18400001
たっぷり時間をかけて歩いていったら、もう行列が出来ていた。94名、ほぼ満席。
シガレットシーワズのかわばたてるゆきさんに、「今日で『マイマイ新子』、終わっちゃいますから、ご夫婦で見に来ませんか」とメールするつもりで、やめた。
そしたら、場内に、かわばたさん夫婦がいて、「こっちもメールするつもりで、やめたんです」。そのうえ、「非公式 マイマイ新子 イメージソング」というCDを焼いてきてくれた。
二日酔いの昼、そのCDをエンドレスで聞いている。


石黒昇監督、さべあのまさん、来場。
石黒監督と片渕監督、まさかのヤマト対談を、生で聞く。石黒監督、セルに指で爆発のエフェクトを描いたって。
『パッテンライ!!』の、少女が電柱に耳を当てて、風の音を聞く官能的なシーン、モデルになった女性の体験した実話だったと知る。
どこまでもお優しい石黒監督の背中を、深夜の吉祥寺に見送る。

「貴伊子が諾子に同一化するのは、“おめでとう、ひづるちゃん”の前後なんですよね」と言うと、片渕監督、肯定も否定もせず、「むう」とうなる。
しかし、私は、金魚のひづるが死ぬシーンで、これまでになく、胸がしめつけられるような痛みを感じた。


100430_19330001起床すると、防府在住の「庶務課の藤原さん」から、メールが来ていた。
いわく、「公開日以来、私たちは夢を見ているのかも知れません」。その夢は、きっと、死ぬまで覚めないんだと思う。
静岡でも大入り、新潟では前売り券、完売。信じられない。


夢といえば、バウスシアターのイケメン担当者さんが、すごくいい話を聞かせてくれた。あの話、なかったとは言わせない(笑)。俺だって、「すごくいいなー」と思ってたんだから。
具体的に、どういう話かは、俺に不利になるので、ここには書かない(笑)。
とにかく、「あの話は、廣田さんを喜ばせるためのウソでした」とか、そういうの絶対ナシで。セッティング、よろしく。

カーテンを開くと、春の空気。

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