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2010年2月11日 (木)

■読解力■

『ゼーガペイン』を、1話から、丁寧に見直している。
種の絶滅の危機に瀕した人類、再生技術を持った敵……『ギャラクティカ』との共通点の多さには気がついていたが、もっと濃く重なるところがある。でも、それは『ギャラクティカ』ファイナル・シーズンのネタバレになるから、書けない!

262_060626191339あとは、死生観ですね。『ゼーガ』に於ける「死」の在り方。在り方というか、「死」が不在である。敵にも味方にも、「死」が設定されていない。人の形をしたデータが、消えるだけなんだ。
だから、「確率的に低い」という意味での「奇跡」しか、起きない。肉体的な痛みも、データでしかない。悲しみですら、サーバー内のデータである。
この寒々しさは、『寄生獣』にも通じる。

『ギャラクティカ』シーズン4では、死生観が変化していく。詳しくは書かないけど、はっきりと「死後の世界は素晴らしい」と言っているように聞こえる。だけど、『ゼーガ』が「死」を美化せず、ブレーキを踏み込めたのは、セルアニメだったからだと思う。
それはアニメの限界ではなく、特性なんですよ。セルアニメの質感というのは、希望を提示するのに向いている。というか、希望しか描けない気がする。だから、『ゼーガ』のラストは「光でいっぱい」で、正解だったと思う。

ついでに言うと、『メガゾーン23』のラストも、主人公がボコられて終わりなんだけど、悲しくはない。それは演出効果だけじゃなくて、人が手で描いたものって、結局は体温を帯びてしまうということ。あの無人の渋谷の街は、暖かいもの。
さらに余談だけど、河森正治さんが「アニメでは貧困は描けない」と悩んでいたのも、セルの質感のせいだと思うんだよな。


セルアニメの人物というのは、「線で囲まれた色の面」。だけど、記号以上のものを、そこに感じてしまう。欲情すらしてしまう。
100211_12490001(←『ゼーガ』のキャラ表では、このミナトさんの絵が、最高に気に入っている。迂闊な表情と、スカートのなびき、右手の小指が絶品)

アニメのキャラ表、しかも色指定入りのキャラ表が神聖視されはじめたのは、やはり70年代後半のヤマト・ブームの頃ではないかと思う。
キャラ表は、別にムック本の4Cページを埋めるためにあるのではなく(笑)、誰にでも描きやすくするためにある。
だからです。だから、pixivを見れば分かるように、日本人って、こんなにいっぱい「アニメ絵」を描ける人が多いの。キャラ表が、本に載るようになったお陰なんですよ。
ミナト役の井上麻里奈さんまで、『ゼーガ』のEDイラストを描いたんだから(笑)。

だから、この国では、セルアニメという「絵解き」が受け入れられる。「線で囲まれた、色の面」が、物語りはじめるわけです。記号が、記号ではなくなっていく。
『ゼーガ』を見ていると、物語が進むにつれて、薄っぺらな絵柄(失礼!)が、少しずつ強度を獲得していくのを、感じる。あの絵が「苦痛」だというのも分かる反面、これが「絵解き」であることも理解して欲しい、それが読解力なんだ、とも思う。

物語の強さが、薄味な絵を支える、という意味では、やっぱり『寄生獣』に行き当たるなあ。


谷村美月は女優というより、ミッション・スペシャリストである。
100211_06310001単に、映画というミッションに挑むスペシャリストとして素晴らしいよね、という意味なんだけど。

『おと・な・り』は、見ていて辛かった。あまりにも、まざまざとミッションの意図を反映してしまう役柄だから。つまり、監督が人間をどう見て、どう描きたいのか、谷村美月の挙動が明らかにしてしまう。

やっぱり、谷村は、もっと危険なミッションに挑んだ方がいいんだよ。丸坊主になった『おにいちゃんのハナビ』は、楽しみにしてる。

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コメント

普通の意味では既に死んでいるキョウ達だからこそ、「生きて、成長して、子を残して、死ぬ」という普通の生き方を強く求めたし、ラストの新しい命も明るく輝いて見えるのでしょう。

ゼーガには、普通に生きることがこんなにもエネルギッシュなんだと気づかされました。
思い出していると、また観たくなってきましたよ。

希望と絶望の繰り返しで揺さぶられながら、一気に観たくなる作品ですね。
TV放映時は、本当に次回が待ち遠しくてしかたなかったなあ。

投稿: にひと | 2010年2月12日 (金) 01時54分

『ゼーガペイン』は途中までしか観ていないので内容に関して何か言う立場にはないのですが、
カミナギの部屋に、フィルム編集機のステインベック(でいいのかな?)があって、
自分も一瞬は映画監督を志した身として、
「高校生がステインベックを持っているなんて、うらやましい!」って思ってました。

投稿: bokusatchii | 2010年2月12日 (金) 08時07分

■にひと様
あのラストは、最初は蛇足じゃないかと思ったんですけど、やっぱりあった方がいいんですよね。下田監督のアドリブで付け加えたそうです。

>希望と絶望の繰り返しで揺さぶられながら

僕は、韓国の動画サイトで、1日1話ずつ見ていたのですが、涙でぐしゃぐしゃになってましたよ、毎日。
TV放映……本放送は、一回きりですからね。もし本放送で出会っていたら、さらに人生変わっただろうな、と思います。

しかし、この作品も人に説明するのが難しいアニメであります。

■bokusatchii様
スタインベックなんて、出てきましたっけ。というか、カミナギの使っている映像機器って、微妙に古い感じがしてるんです(笑)。ハイテクすぎても、実感がなくて困ってしまうのですが。

そもそも、今、「映研」ってあるんでしょうか? いま調べてみたら、PFFって、まだあるんですねえ。

投稿: 廣田恵介 | 2010年2月12日 (金) 13時22分

面白い!と思う作品ほど、どの言葉をどれだけ費やしても面白さをうまく説明できなくて、結局「とにかく観て!」としか言えない気がします。

ゼーガを薦める場合は、「とりあえず最初の6話まで」の枕をつけていました。
TVシリーズは早々にフックとなる話数を持ってこないと切られかねないところもあるのでしょうが、ゼーガのように後半の盛り上がりに向けた助走が序盤に必要な作品もあると思います。
そういう意味でも、BD化をきっかけに一気に観る機会が増えたのはいいですね。

話はズレますが、究極的には、どんなアニメもネット上でオンデマンドに観られるシステムができれば、放映時間帯に縛られず、またシリーズ構成上の制約も少なくなって、多様な作品が観られる幸せをファンは享受できるのですけどね。もちろん、権利者側をも利するシステムでないと実現不可能ですが。

投稿: にひと | 2010年2月13日 (土) 00時14分

■にひと様
はいはい、「最初の6話まで」。僕も、枕詞のように使います(笑)。
ふと、「あの6話の絶望感を、第1話に持って来られなかったの?」と思うのですが、実は3~6話にかけて、ずぶずぶと底なし沼にはまっていく構成になっている。その仕組みを「読んでくれ」と頼むしかないんですね。

見る機会が増えても、今のワンクール・アニメに慣れた人たちに、受け入れてもらえるのかしら、と不安はあります。いまや、26話だと「大作」ですから。
一話あたりの情報量は、ちょうど肩の凝らない「軽さ」だと思うんですよね。ストーリー的には、どんどん重くなっていくわけですが。

>どんなアニメもネット上でオンデマンドに観られるシステムができれば

『ゼーガ』を薦めてくれた、大学の後輩が、似たようなことを「理想」としていました。彼は、ガンで亡くなってしまったんたですけど……。

ファンが、「共有する」状態が理想である、と彼は言っていました。世界中、日本の裏の国からも、誰もが無料でアニメを見られる未来が、作品にとっては、究極的幸福なんだよ、と。

僕は、見て良かった作品なら、余計にお金を払いたくなります。終わって欲しくない番組の関連商品は、せっせと買います。
作品の価値を理解している人は、黙っていても、お金のことを考えます。子供じゃないんだから、「儲かって欲しい」と考えますよ(笑)。

そういうファンのいることを、送り手の方たちは、信じて欲しいんですよ。

投稿: 廣田恵介 | 2010年2月13日 (土) 00時55分

実は最近ゼーガペイン観だしました。
友人に貸してくれと言った時そういえばニヤニヤしてたなぁ。
5話まで観て「面白いじゃん!」て友人にメールを出したら
「ちょ、6話まで観てからメールしてこいよ」
と返されました。なるほど今ならわかります。
自分は「ロボット」というものに対して特別に想いいれが沸かなかった人なんで
スルーしてたんですが…思いっきり人間ドラマじゃないですか。
やっぱ何でも観てみないとな~。
今12話くらいです。とっても面白い…というか
SFって切ないものだったんですねぇ。この歳になって知りました。

投稿: nene | 2010年2月13日 (土) 01時00分

■nene様
>友人に貸してくれと言った時そういえばニヤニヤしてたなぁ。

いい話じゃありませんか。
そんなニヤニヤ笑いとともに、作品が広がっていく。人に薦める、薦められるって、外れる場合もあるけど、当たると嬉しさも倍増ですよね。

『ゼーガ』って、僕はロボット物だとは思ってないんです。「もう、戦うのもゼーガタンクだけでいいじゃん?」とまで思ってます(笑)
ロボットというより、やっぱりSFなんでしょうね。僕もSFに詳しいわけじゃないんですけど、星雲賞の候補作に挙げられたのも、納得しますね。

>今12話くらいです。

えっ!?
13話は、覚悟して見てください……。僕は、ラストで叫びましたから。

投稿: 廣田恵介 | 2010年2月13日 (土) 01時20分

>いまや、26話だと「大作」ですから

そういえば、昔は50話や100話を超えたアニメももっとたくさんありましたね。1クールのアニメが増えているのは、長大なシリーズを作って失敗した時のリスクを製作側が考えているから?それとも視聴者側の関心がストーリーよりキャラの魅力に向かっているから?色々考えてしまいます。

>世界中、日本の裏の国からも、誰もが無料でアニメを見られる未来が、作品にとっては、究極的幸福なんだよ

これは、ファンにとっても理想ですし、製作者にとっても部分的には理想なんですよね。作品を多くの人に観てもらえるわけですから。
ただ、製作者側は同時に利益も出さなければならない、そして、まさにこの点でファンの理想とは両立できないんですよね。

ファンは無料で観られて、製作者は制作費を回収できる、これはとても無茶な話です。けれど、もしもこの話を実現できるうまいやり方さえ見つかれば、後輩の方がおっしゃっていたような究極的幸福も、単なる夢物語ではないのかもしれない、と最近思います。

多くの場合違法ですが、技術的にはネットでいつでも観ることが可能です。これはとても大きいですよ。実は、どこにいても観たい作品を自由に(そして合法的に)観られる、というパラダイスの一歩手前に僕達はいるのではないか、という気もするんですよね。今のところ、多分に妄想ですけれども。

投稿: にひと | 2010年2月13日 (土) 01時58分

■にひと様
1クールアニメが増えたのは、単にビジネス的な理由です。DVDを売り切ることを考えたら、短気決戦しやすい方がいい。だから、わざと一期と二期に分けて、同一コンテンツで二度売ったりするわけです。

>ファンは無料で観られて、製作者は制作費を回収できる、これはとても無茶な話です。

かつては、制作費を払うスポンサー各社が、関連商品を売ることさえ出来ればいい、という時代でした。
『サザエさん』は複数スポンサーになりましたが、別にDVDで回収しなくてもいいわけです。企業イメージ向上のためにアニメを放映する、という社会貢献的な意味合いがあるんですね。

一方、『サザエさん』は版元がメチャクチャうるさいことでも有名です。ちょっとしたパロディも禁止で、自分たちのところから作品を一本立ちさせようとは、夢にも考えない。
「ウチのコンテンツを勝手に使いやがって」という体質は、確実に時代遅れだと思うんですよ。
「写真一点につき、3万円」とか言われたら、僕ら本をつくる側も「もう二度と、あんたらの作品は扱わないよ」となってしまう。いい事、ひとつもないんですよ。

僕は『ゼーガ』を韓国の無料サイトで見ましたが、結局はDVDを全巻、購入したわけです。『ギャラクティカ』も同様です。
送り手と受け手が、互いのことを思えば、もっといい出会い方を実現できます。
違法にアップロードされた動画だって、それでアップロードした本人は儲けてるんですか? お金のためにやっているとは、僕には思えません。

投稿: 廣田恵介 | 2010年2月13日 (土) 03時13分

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