■1月のメモ「女優は、顔やスタイルじゃない」■
長く引っ張っていた原稿が終わったので、ようやく、志田未来の『誰も守ってくれない』を見られた。
フジテレビ製作だから、分かりやすい美談にせざるを得なかったんだろうけど、冒頭の警察とマスコミの動きは、ドキュメンタリックで圧巻だった。
志田未来も、映画初主演がこれで、良かったんじゃないかな。
僕が「志田未来目当てで見た」と言うと、「ああいうタイプが好みですか」って聞かれるんだけど、この映画を見るまで、彼女の顔なんて知らなかったよ。
映画というプロジェクトに対して、女優がどういう役割を果たしたかが問題であって、好みとか、そういうんじゃないんだ。
だから、谷村美月は、出演する映画に最大限に奉仕しているという点において「好き」なわけです。女優は、顔やスタイルじゃない。どう働いたか、で評価しよう。
この後は、『非女子図鑑』を見ます。
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「ライターは、自分を殺して書け」と言ったけど、それは意志も主体性もなくていい、という意味じゃない。
だいたい、メーカーさんやプロダクションが「こういう取材をセッティングできますけど、いかかですか?」と持ちかけてきたら、それは「新番組、宣伝してね」という意味。だけど、持ちかけられたプランを、そのまま鵜呑みにするんだったら、やっぱりライターはいらない。
「こうすれば、読者は喜ぶし、メーカーさんも結果的に得をしますよ」という、改善案ぐらいは持ってないと。
ごくまれに、フリーランスのライターなんてアルバイト程度に思っていて、バリバリと原稿に手を加えてくる版元もあるけど、そういう会社や担当者とは、二度と仕事しなければいいだけのこと。収入が減っても、ストレスを抱えるよりはマシだから。
そういうところは、ほっといても自滅します。
話がそれたけど、「この記事は、ようするに宣伝なんですね」と噛んで含めた上で、なおかつ、「こうすれば、もっと良くなる」という向上心がないと、本当に外注宣伝マンに堕してしまうよ。
いいプランを出せば、編集者も広報担当者も、みんなが安心する。スタッフさんも「取材に時間さいて、良かった」となる。
で、俺はどの仕事が、そういうパターンで出来たのか、自慢したりはしないよ。「あの記事、面白くなかったぞ!」と言われるのが恐いから(笑)。
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こまめに、ブログ「未完の映画評」で、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映リストを更新している、かみぃさん。
こういう人は、もっと評価されるべきだよ。自分が得するかどうかなんて、考えないで行動しているんだから。
あと、たまごまごさんとウエダハジメさんの同人誌を、片渕監督が舞台挨拶で紹介したのって、あんまり知れ渡ってない? それは、ちゃんと監督に手渡した、陰の功労者がいるんですよ(笑)。
彼らが、『マイマイ』史をつくっているんだなあ、と思います。
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