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2009年12月 1日 (火)

■アニメ映画バブルの片隅で■

『フランダースの犬』。風車小屋の風車だけがセル、というところが、たまらなくカッコいい。とまっている時は、もちろん風車も背景と化す。「世界って、そういうもんだよなあ」と思う。
001_mainあと、アロアのレース編み。完成した瞬間は、おそろしく緻密に模様が描いてあるが、カットが切り替わって引きの絵になると、当然のことながら、そこまで細かくはない。でも、最初に細かく描いてあるのを見せられているので、その印象は持続している。
今だったら、テクスチャを貼るとかして、破綻をなくそうとするんだろうけど、「隙を見せまい」とする発想そのものを、つまらなく感じる。

『赤毛のアン』のOP、冒頭では地面が背景の置き換えなのに、馬の頭がワイプがわりになって、セルの背動になるところが好き。質感はつながってないんだけど、映像に弾みがつき、広がりが出る。
同じ被写体なのに、いきなり質感を変える。それは、実写映画には絶対に真似できない、セルアニメだけの特権だ。その特権を、今のアニメのほとんどは、手放してしまったように見える。


新宿ピカデリーへ『マイマイ新子と千年の魔法』を見に行こうと思ったら、一日3回に減らされていた。12月5日以降は、なんと午前中2回に変更される。夜一回にした方が、確実に集客を見込めるのに、映画館って作品の中身は見てねえんだな、と痛感する。
テレビの人気番組を映画化……それは、かつて邦画バブルの辿った道じゃないか。いまブームのアニメ映画は、全部そうなってる。つまり、数字だけで、実質がない。

せっかくブロックブッキングがなくなったのに、今度はコンビニのように「売れる商品だけ大量入荷」という事態になってしまった。アメリカから来たシステム(シネコンのこと)は、結局、ロクなもんじゃねえな、と思う。
しかし、どういうわけか、この作品が酷な目にあえばあうほど、愛情は増す。なんとしてでも、見に行ってやろう。


すでに『マイマイ新子~』を見た方、今さらだけど、Minako“mooki”Obataさんライブの映像です。お馴染みのメロディが流れるのは、2:55あたりから。

この映像を見ていると、『マイマイ新子~』は、さまざまな「重なり」から出来ていると感じる。考えてみれば、アニメというのはセル(レイヤー)を重ねて、絵をつくるものだ。
過ぎ去っていく時間より、重なり合う場所、意識。そういうものに抱かれていると感じるから、『マイマイ新子~』は安心するし、何度も見る=重なり合わせると、さらに心地よい作品なのだと思う。


明日は、またもや押井守監督の取材。もう毎週会ってるよ、あの人とは。

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