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2009年11月22日 (日)

■マイマイ新子、6回目と7回目■

11月21日、『マイマイ新子と千年の魔法』初日。
091121_14250001携帯カメラだけで撮るのは失礼に思え、デジカメ持参するも、ろくな写真は撮れず。最初から最後まで、記者としては失格でした。
新宿ピカデリー、14時40分の回。
前回と同じく、タツヨシが「うわあああ」と叫ぶシーンで涙が流れる。

次の回が(舞台挨拶もないのに)満席だったので、時間をつぶしてから、友達と待ち合わせ、19時00分の回へ。多分、これまでで、最適の視聴環境だった。
重要なのは、同席した小学校の同級生の意見。閉幕後、まず開口一番「深いな」。これは先日、編集者に「どこがいいの?」と聞かれて、僕が答えたのとまったく同じ。「深い、厚い」という意味だ。
もうひとつ、友人は「わざと昔のアニメっぽく、つくっている」とも言っていた。これは、予期しない感想だった。つまり、今ならCGにするところを、手描きの質感で表現している。千年前の舟の幌に、手描きのテクスチャが入っていたのに、6回目で気がついた。「俺らの世代なら、これぐらい白々しい方が、いっそ気持ちいいね」と、アニメ・マニアではない友達は言うのです。
あと、もんしろ蝶に関して、新たな秘密を発見! これは、先の楽しみにとって置く。


帰りの電車の中、「うーん、後を引くなあ」と呟く友達に、自説を言って聞かせる。「ひづる先生」と「金魚のひづる」と「貴伊子の母親」の因果関係。物理的には繋がっていないが、千年前の世界が、まるで未来のようにも思えてくる。いっそ「平行世界」と言ってしまえば、しっくりきそう。
昭和何年だろうが、千年前だろうが、僕らはただ、世界の集積の中にのみ生きている。そうした遺跡発掘のような、『マイマイ新子の~』の多重構造を、もっと理解したい。
昭和42年生まれの僕らも、膨大な堆積層の一部に過ぎない。僕らは、新子たちのように、地面を蹴って楽しむ子供たちであり、いまだ、そうなんじゃないのか。
諸星大二郎の短編のように、大人と子供が別の生物ってのは、ウソなんだよ。繋がってるよね。


エンディング、新子と貴伊子が「ざぶーん、ざぶーん」と言っていた鳥居の向こうが、海にSgmdx060416_001なる。魂が、彼方にもっていかれそうになるカットだ。その海のほうが、千年の過去よりは、むしろ遠い未来に見える。……こりゃあ、7回見ても、足りないね。
「マッドハウス公式チャンネル」が始まったけど、本編の見せ場は、やっぱり本編で見て欲しい。

それと、蒸しパンは思ったより、うまそうな色だった(長子もオフ台詞ではなかったな)。古太郎じいさんに出された魚は、二尾。他の家族は一尾ずつ。じいさん、実は尊重されていた。そう考えると、添えられたたくあんも、どこか贅沢に思えてくる。見るたび、印象はどんどん変わっていくな。面白い。
ちょっと気になったのは、長子の下駄が、やけに大きいこと(あれを履くと、とたんに長子の動きが鈍くなる)。小太郎のお古なのかな? 野良仕事しないから、下駄で十分なんだろうな、とか。


もうひとつ。友達が言っていたのは「スケールが大きい」。
僕も彼も、ほとんど記憶の途切れかけた幼少期、泥道や砂利道で遊んだ記憶がある、と確かめ合った。

『マイマイ新子~』が普遍性を持っているのは、「これは、僕らの話だ」と思わせてしまうから。そう思えない人には、永遠に遠い物語なのだろう。


舞台挨拶後、これまでお世話になった宣伝会社の人たちが、「やっぱり、貴伊子が好きですか?」 ああ、やっぱり奈子さんの貴伊子は最高よ。「なんか、新しい発見は?」 おお、いろいろあったよ。皆様、本当にありがとうございました。俺は死んでも山口に行きますよ。

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コメント

ほんと良い映画ですね。
この映画で、わたしの少年時代とはまた違った少年時代にタイムスリップした気分です。

投稿: シネマDVD・映画情報館 by JIN | 2009年11月23日 (月) 17時11分

■シネマDVD・映画情報館 by JIN様
コメント、ありがうございます。
単純に、「子供の頃は良かった」で終わっていない奥深さが、いいですよね。

投稿: 廣田恵介 | 2009年11月23日 (月) 17時24分

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