■10月のメモ「釣り糸」■
女優強化週間なので、今さらだけど『ユビサキから世界を』。
いくらインディペンデントで無料上映でも、これは困惑・苦笑せざるを得ない。何だったんだろう、この映画。谷村美月が、またしても「情け容赦なく土に埋められる役」で、俺は楽しかったけどね。
その前に、ケーブルで『blue』という映画を見たが、主演の市川実日子はノーマークだった。モデル出身の女優ってのは、たいてい好きなんだよな。その独創的な顔の造形を見た瞬間、「あ、モデルだ」と直感した。背が高いところもいい。
しかも、いっぱい映画出てるじゃない。半分ぐらいは出演作を見ているはずだけど、普通の美人になっちゃったから、印象に残らなかったのかな。だけど、『blue』は市川実日子の顔力だけで、2時間飽きずに見られた。美人だとか綺麗だとかを越えた、規格外の美しさがある。
今週は、いっぱい映画を見るよ。
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スクエニ出資のアニメは、原作漫画が売れればそれで回収できちゃうらしい……と、ある人から聞いてはいたのだが、こうして生の声を聞かされるとねえ。「うちは売れてまっせ、ガハハ」以上のことを何も言ってないし、考えてもない。
儲けたら、その金でいい作品をつくって、世の中に還元しようとか思わないかね。落ち込んでる若者を、一人でも多く助けようとは考えないのかな。それが作品の義務だと思うんだが。ユーザーのことを平然と「釣り糸に引っかかる魚」とか言うオヤジは、考えもしないか。セレソン失格だな。
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初音ミクは、どんどん才能を発掘して、世の中を豊かにしている。
驚いたことに、俺はついさっきまで、ミクのことを「ツール」だと思っていた。声も嫌いだった。だけど、彼女はユーザーが育てないと何も出来ない。パッケージのままでは、存在しているとすら言えない。彼女が歌うためには、JASRACのような大人のつくったシステムは必要ない。とても優れた才能を持っているのに、無欲で無名な人たちの心が加わったとき、彼女はようやく歌うことが出来る。
初音ミクの半分は、ユーザーの魂で出来ている。既成曲をミクに歌わせている限りは「ツール」でしかないが、ミクのためにつくられた曲を歌うと、そこには明らかに命が生じる。
今まで僕が見て来たミクのイラストやなんかは、みんなユーザーが育てた成果であり、過程であり、彼らとミクの関係そのものだったんだ。だから、彼らはミクを「大人」の手になんか渡したくない。今、曲を聞いていて、やっと理解した。
「魚に向かって釣り糸を垂らす」なんて下卑た思想は、前時代のものだ。焼却炉に放り込んでいい。
僕たちは誰でも、最低9年間は大人社会に飼いならされる。つまり、言いたい事を言う権利があるんだ。いい歳をして、アニメや漫画を好きでいつづけるのは、社会の抑圧があるからだろう。オッサンたちに搾取されるために、漫画やアニメを好きでいるわけじゃないんだよ。
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コメント
ご無沙汰しております。
僕はひょんなことからCMをやっているわけですが、(僕が関わっているローカルな範囲では)まさに、釣り糸をたらす仕事なわけで、「釣り糸に引っかかる魚」とか言うオヤジの手先をやっています。それが、とてもつらくなるときがあります。
映画とCMでは、同じ道具を使ってるだけで、まるで違います。
代理店での打ち合わせで、
CMでありながら、世の中に還元しようとする姿勢を見せようとすると、だいたい、スルーされるか、「クライアントはそういうことはのぞんでいないから」と、ボツになります。
そのくせ、クリエイター面をしはるから、耐えられません。
ところで、「化物語」よかったですね! 戦場ヶ原を待っている自分がいました。
投稿: ユキサダ | 2009年10月11日 (日) 13時02分
■ユキサダ様
仕事というものは、すべて「世の中へ還元すること」です。ティッシュ配りのバイトも、世の中の役に立っているはずなんです。
現場で問題を感じたら、現場で解決するしかありません。僕の業界は「賢い」人が多いので、皆さん黙ってらっしゃいます
そういう姿勢を、後輩たちは見ていますから、若い連中も、どんどん「賢く」なっていくんです。
相手が言うまで黙っとこう、とかね。「賢く」立ち回ってますね、若い子たちも。
『宮本から君へ』にありましたが、「清い正論まかりとおる世の中にしようと努力しなかった人間が、しょせん世の中変わらんと言ってはあかん」のです。
『化物語』は、要所要所で良心が機能していたんだと思います。フリーランスの記者からすれば、ちょっと心を痛めさせられた作品でした。
投稿: 廣田恵介 | 2009年10月11日 (日) 15時02分