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2009年10月30日 (金)

■仲里依紗はアンギラス■

アニメージュオリジナル Vol.5  31日発売
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●『マイマイ新子と千年の魔法』
片渕須直監督、主演の福田麻由子インタビューを含む6ページ。

●『化物語』
尾石達也氏演出の第8話にスポットを当てて、演出解析。OP演出の鈴木利正氏、ED演出のウエダハジメ氏のインタビューも。計6ページ。

●『ブラック★ロックシューター』
原作のhuke氏、グッドスマイルカンパニーのプロデューサーお二人のインタビューを中心に、4ページ。

●作家・河森正治の足あと 第4回
『地球少女アルジュナ』から『創聖のアクエリオン』へ。『マクロスゼロ』は好きな作品なのですが、河森監督と「マクロスは避けましょう」と話した上での連載なので。

『マイマイ新子~』で福田麻由子を取材したのは、別にファンだからではなく、アニメ映画で俳優を使うことの功罪を、俳優本人の口から聞きたかったからです。タイアップ記事ではないからお金はかかるし、段取りが大変でしたが、貴重なインタビューになりました。

あとは、やっぱり『ブラック★ロックシューター』。企画の成立過程だけでなく、お金の流れ、付加価値の持たせ方、すべてにおいて痛快です。軽い気持ちで取材申し込んだら、価値観がゴロンと変わっちゃったというヤツですね。


『ブラック★ロックシューター』の存在自体、僕には分からない世界だったんだけど、調べていくうちに、初音ミクの人気に、急に合点がいったりしてね。
初音ミクは、よく言われるようなヴァーチャル・アイドルの実現ではないと思う。時祭イブでも、シャロン・アップルでもないですよ。イブやシャロンを越えちゃってるから、凄いんだよ。天才的なコンピュータなり、人工歌姫なりが「お前ら、これでも聞いてやがれ」って天上から曲を落としてくれるわけじゃないので。
初音ミクは、「○○P」という作者がいないと、歌うことが出来ないわけでしょ。半分は機械だけど、もう半分はユーザーによって出来ている。歌わせ方が下手だと「音痴」とか言われちゃう。機械に向かって「音痴!」と罵る光景が、すでにSFを越えてるよ。

ボーカロイドってウェットウェアなんだよ。そのままでは何も出来ないプログラムを、人間が救い上げて、創作を共にする。未完成なウェットウェア。
「弱い」「一人では何も出来ない」。そこがキュートなんだと思う。シャロンやイブは強くて、世の中を支配しちゃう。ほら、初音ミクとは正反対でしょ。


仲里依紗主演の『時かけ』、ようやく公表されましたね。黙ってるのが、すげえ辛かったで20091028211534す。「いやあ……今の仲さんには無理な役でしょう」と思ったんだけど、あれですよ、ゴジラ・ファンが平成になって「ゴジラだから、一応見ないとなあ」って巡礼する気持ちが、よく分かります。
永作博美がキングギドラなら、仲里依紗はアンギラスかなあ(だんだん丸くなっていくので)。

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2009年10月28日 (水)

■10月のメモ「偶発性」■

『マイマイ新子と千年の魔法』、なんと前回のエントリが片渕監督のブログからリンクされSgmdx06__2ておりました。がっつり「百合」というファイル名のキービジュアルともども、ありがとうございました。
←原画を転用したものだそうですが、新子の表情が抜群です。

覚え書き程度に書いておくと、『マイマイ新子~』は、今風に3Dの背景動画もあります。その他に、作画でマスクをつくって、テクスチャを貼りこんだり、ようするにマチエールが豊富だということ。「乗り物はぜんぶCGで」とか決めてしまったら、それはテンプレであって、表現じゃないと思う。
いろんなマチエールの混じった、カオスな面白さに加えて、すごく気になってるカットがあって……主人公の新子の頭に、サイダーの蓋がコン、と偶然に当たる。3回目までは「当たった」と思ってたんだけど、先日の4回目の試写で「あれ、当たってないぞ?」と気がついた。
で、目の前に監督が座ってらっしゃるじゃないですか。「ひょっとして、サイダーの蓋は新子の頭に当たってないんでしょうか?」って聞いてみたら、「ああ、当たったように見えたでしょ」……やっぱり、当たってないんだ!

もっと深く聞いてみると、ようはアニメという表現は偶然が起きにくい(原理的に起きない)ので、あえて不明瞭な「どっちだろう?」と思わせるカットを狙ったとのこと。
実写では何テイクも同じ演技を撮って、それがNGテイクでも「面白いから、使っちゃおう」という場合がある。それが、アニメではあり得ないわけだよね。はっきり言ってしまうと、「偶然がない」ことは、アニメの欠点でもある。
でも、そのサイダーの蓋が新子の頭に当たったように見えるカットでは、作画や音のタイミングを工夫して、「意図的なNGテイク」をつくったわけだ。どこまでカッコいいんだよ、このアニメ!

……何だか、『マイマイ新子と千年の魔法』は、僕の好奇心や興味を、シャベルカーのようにガーッと掘り起こしてくれるのです。11月21日公開です。


こんなことばっかり書いてると、えらくマニア向けのアニメみたいだけど、『マイマイ新子~』は普通に笑えて泣けて……という人情劇です。
でも、例えば一時期の黒澤明の作品というのは大衆向け娯楽映画なんだけど、現場で何があったのか、何をどう工夫したのか、いくらでも深く切り込んでいけるでしょう。今は、ちょっとでも変わった見方をすると「マニアですね」と言われてしまう。何かにちょっと詳しいと、「マニアックですね」。勉強や努力を放棄した人間の言いぐさだ。
何を見ても「感動」か「最悪」のスイッチしか持ってない。そういう人間の方が、俺は怖ろしいけどね。

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2009年10月25日 (日)

■マイマイ新子、母校で4回目■

某作に、ガッチリくらいついてなきゃいけない時期に、『マイマイ新子と千年の魔法』に浮気。
0085_1_00039何しろ、改築された母校で、監督自らの講演ですからね。何より、試写会に行かなくても、また『マイマイ新子~』が見られる……水沢奈子の貴伊子の声が聞ける。
監督自らつくったキービジュアルが、すごく妖艶なので「欲しい」を連発していたら、いただけることになりました。
講演後、氷川竜介さんもいらっしゃったので、関係者でダラ~ッと雑談していたら、「ちょっと飲みに行こうか」という監督の一声で、駅前の飲み屋に。
ちなみに、上映中は携帯の音ひとつ鳴らず、学生のマナーは、そこいらの試写会より上でした。日芸も、捨てたもんじゃない。


今回で『マイマイ新子~』は4回目だけど、まだまだ発見がある。
気がついてはいたんだけど、例えば、ドアノブをキャラがつかむ。その時、ドアノブはセル。ところが、次カットでは、セルだったはずのドアノブが、背景として描かれている。質感が、ぜんぜん違う。というか、あえて変えている。
昔だったら、崩れそうな岩は、最初からセル描きだったでしょ。その違和感が実は、商業アニメならではのアイデンティティだったんじゃないかと思う。「皆さん、今から、この岩が崩れますのでヨロシク」という予定調和なんだけど、分かってても楽しかったでしょ。制作者と僕らが、イタズラするみたいに「シーッ、黙ってれば分からないよ」みたいな関係だったと思う。僕らとアニメの距離が、近かった。

0263_3_00051今なら、開くドアなんて、CGで整合性を保つでしょ。『マイマイ新子~』は逆を行っている。整合性を無視するところが過激だし、フェティッシュ。セルで描かれたブックエンドが、背景扱いの本を挟んでいるカットがあって、その美しさたるや……息をのむ。
他にも「?」と思うシーンがあったので、監督に聞いてみたら、氷川さんとダブルで解説されて、やけに密度の濃い返答になって、幸せな夜だった。

あと、福田麻由子の演技が、このアニメの「芝居の基礎」をつくっていて、水沢奈子がどんどん追いついていくのが、素晴らしい。この年齢、この時期でないと出せない声だ。
それで、俺は帰りに『シャーロットのおくりもの』を借りて帰りましたよ。日本語吹き替えが、福田麻由子だからね。

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2009年10月24日 (土)

■10月のメモ「リベンジ」■

どうしても、今日しか時間がとれず、『トランスフォーマー/リベンジ』を見に行ってきた(もちろん、仕事のためですよ)。
091023_13400001いやー、予想以上に良かった。やっぱり、クリスマス・イヴに、女にフラれた直後に見たかったな。「俺が俺であることを忘れられる」映画だからな。これを見るために、わざわざフラれる価値ある一本。
3時間近いけど、俺は平気だった。短いとさえ思った。ずーっと戦ってるんだけど、飽きない。

仕事で語らねばならないので、この辺にしておくけど、もう「巨大ロボの悪口を言うやつは、俺が許さん!」という気持ちになれたよ。


先日、コメント欄に貼っていただいたリンクのお陰で、いろいろ考えることが増えた。
「モテない」「彼女いない」が、心に深い影を落としている場合もあるようだけど、恋愛は「社会からの要請によるもの」と「自らの心に必要なもの」の二種類に分けられる。

くだらないのは、前者。つまり、「この歳で彼女もいないなんて、みっともない」ってやつ。「健全な成人男性」という社会規範を想定するから、「みっともない」と感じる。あるいは、周囲の圧力で「みっともない」と感じる。
恋愛は、実はプライベートなものではない。根本に甘えや思慕があったとしても、「周囲に関係を容認させる」作業が大半なんだと思う。俺は、過去にこう言われたよ。「あなたのことを、彼氏として友達に紹介するなんて、考えられない」と。つまり、世間体が悪いというわけだ。
「モテない」「彼女いない」人の多くは、世間体の段階で、悩んでいる気がするんだよな。周囲に「俺にも、ちゃんと彼女がいます」とアピールしたいだけなんじゃないのか。いいじゃないの、愚民どもの視線なんて。意識することないよ。

飲みの席で、「何だ、女もおらんのか?」とか言う上司がいたら、頭からビールかけて目を覚ましてやればいいじゃない。何を我慢する必要がある? もう十分に苦しんだろう?
恋愛というのは、意外に自分を救ってはくれないよ。むしろ、恋愛ごときで救われないほど、大きな絶望を抱えこもう。そっちの方が、大事だ。


明日は、日芸にて『マイマイ新子と千年の魔法』試写会と講義。
一般入場は不可みたいだけど、特別に呼んでいただけたので。俺が在学していた頃は「映画鑑賞批評」というありがたい授業があったんだが、学生どもが不真面目すぎたので、先生が怒ってやめちゃったんだよな。映画が好きで入学してきたくせに、上映中にタバコ吸ってダベってるんだもん。本物のカスだったな、あいつら……。
だから、前から言ってるように学歴は関係ない。童貞でもモテなくても、それは人間性に関係ないよ。

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2009年10月21日 (水)

■なりそこないの義務■

仕事が忙しくなる前、何だかムラムラしてきたので、『地球が静止する日』を借り20080730_505930る。とにかく大破壊シーンのある映画を観たい、という心境はアダルト・ビデオを見たいムラムラと同質であることに気がついた。どっちも「世間と隔絶して、理性を捨てたい欲求」だからな。

『地球が静止する日』ってのは、問答無用で文明を破壊しに来る話ですからね。「もう、我慢ならんよ、俺は」って、とにかくモヤモヤ、ムラムラしているのは、怪獣と変わらない。キアヌ・リーブスが、肉で出来た宇宙服を着て、地球で「生まれる」という設定が象徴的だ。それって、着ぐるみにくるまれた童貞じゃないですか。
警護用に巨大ロボットを連れてくる、というのも童貞ドリームで、良かった。


気軽に「童貞ドリーム」と書いているようだけど、俺は否定語として「童貞」という言葉を使った覚えはないよ。非童貞は、物理的に証明できないから、精神論にならざるを得ない。あとは、童貞喪失体験が甘美であったかどうかという、やはり童貞的な思い出話になってしまう。
童貞語りそのものが、童貞的。そのパラドックスを、僕は愛する。いかにもヤリまくってます、という顔をしているやつは、みっともない。動物として優位に立っているだけで、人間的な迷走がないもん。

俺なんて、「次の童貞喪失は、いつになることやら」って、寄せてはかえす波のようなコンプレックスを20年間、感じているよ。それは、肉体の問題じゃない。朝、セックスをしても、夜には童貞になって帰ってくる。その後、二度とセックスしなかったら、一生童貞ですよ。この感覚、ヤリチンには分からないと思う。
ヤリチンの性別ってのは、男ではなく「オス」ですから。そして、過去に何があろうと、俺の性別は「童貞」。男ですらないんだよ。でも、それが俺のアイデンティティなんだ。


コメント欄にも似たことを書いたのだが、「男のなりそこない」として生まれてきた者には、「なりそこない」なりの義務があるのではないだろうか。
つまり、社会不適合者は、「適合しなくても困らない術」を学ぶ必要がある。会社に属さないフリーランスでも、前後の流れを考えないと、仕事そのものを破綻させてしまう。そこんとこ、「上手く」やらないといけない。上手いこと、組織の外に立っていなきゃいけない。
はぐれ者の作法、ってのがある気がする。

「社会に必要とされる、完成された成人男性ではない」自覚を持ちつつも、社会とコミットしつづけること。メンドくさいけど、必要なことだよ。


今週は『マイマイ新子と千年の魔法』イベント、多数。いま、別作品にがっつり関わっているけど、何とか行きたいなあ……。

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2009年10月20日 (火)

■10月のメモ「当事者」■

先週末は『ストリートファイター レジェンド・オブ・チュンリー』を鑑賞。
A000210200日本語吹き替えの「仲里依紗の映画」として、これは見逃せない一本だよ。
もちろん、期待はアクションシーン。『ハルフウェイ』の「うぉーい!」という腹から出すダミ声が、俺の好きな仲さんの声ですから。
チュンリーが街の不良たちと戦うシーンで、仲さん、「んごぉあああ!」とコブシの効いた怒声を発してくれたので、もう大満足。
女優が大事なんじゃない。女優が、何をしてくれるかが大事なんだ。


コメント欄で、「今は怪獣映画を、『トランスフォーマー』が代替している」と書いたけど、『トランスフォーマー/リベンジ』のDVDは、12月18日発売決定。てことは、クリスマスに一人で見るのにドンピシャなタイミングなわけだ。パラマウントは男の味方! 怪獣とロボットは男を裏切らない!
もうね。「12月18日発売」というだけで、見てもいない『トランスフォーマー/リベンジ』って映画を、大好きになりましたよ。

だけど、やっぱりCGより、着ぐるみ怪獣の方がいいよね。あれは、「着ぐるみさえ着てしまえば、俺もガメラになれる」可能性を示唆しているわけだからさ。
着ぐるみといえば、いい話を聞いたよ。サンリオ・ピューロランドに、キティちゃんの着ぐるみを着ている、男性従業員がいるらしい。「なんで男のくせに」って思うだろ? でも、その男性いわく「キティちゃんになり切って、可愛いポーズをとっていると、本物の自分になれる気がする」。
この人は、着ぐるみマニアの変態さんなのか? そうじゃない。社会の中で奪われた自分自身を取り返せる、天職にありつけたんだ。これほどラッキーな人は、滅多にいない。美しい生き方だ。しかも、彼はキティちゃんとして生きることで、他人を楽しませている。ちゃんと世の中に還元しているじゃないか。

その人がその人でいるためには、ありとあらゆる手段が残されていなくてはならない。それが、健全な社会だ。


先日、エロ小説のことを書いたけど、ようするに僕は、エロ・メディアの当事者になりたいと思っていた。
僕が受信料を払っているNHKで、アグネス・チャンが「日本はポルノ大国で、児童を搾取している」と感情論を展開していたが、彼女が手前勝手に主張できるのと同じ自由を、日本政府は俺たちにも保障してくれるよな?ってことだ。
その権利を主張するためには、彼女が嫌悪し、規制したがっているエロ・メディアの側に立っていたい(漫画・アニメ・ゲームときたら、次は文章さ)。もし理不尽な規制が生じた場合、権利を侵された当事者として発言したいんだ。

つまり、己の自由が危機に及んだ時、第三者に丸投げで反対させる、なんてのは僕はゴメンだ。自分の声で反対したい。

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2009年10月15日 (木)

■男は一人で、怪獣映画を■

『フレフレ少女』って、地上波で放映したのか。今ごろ、DVDで見たよ。
最初の10分はバラエティ番組かと思うくだらなさだが、淡々とした特訓シーンのあたりから、不思議な品のよさが出てきて、新垣結衣がガクラン姿になってからは、もうメロメロですよ。本当はあちこちバランスよくして、シナリオも練りこまなきゃいけないんだろうけど、完成度なんてクソくらえだ。魅力的な箇所がひとつでもあれば、百点だよ。
Photo161092とにかく、ガクラン姿で登校してくるガッキーは「俺の待ってた新キャラ登場!」ってくらい、衝撃だった。性差の垣根をぶち壊しているから。だって、ガクラン姿で高校生活を送らなきゃいけないガッキーに、下級生の「女の子の」ファンがつくんですよ? 何、この倒錯的カッコよさ?
ガクランという抑圧の象徴が、彼女を性から解放するんだよ。

しかもだよ。チアガール部のキャプテンを男優が演じてるんだぜ? チアガールの服装をした男に、ガクラン姿のガッキーが土下座するんだぜ? 何この映画、超カッコいいじゃん……。性差を飄々と飛び越えてる、いやブッ壊してるよ! クライマックスは今ひとつ盛り上がらないんだけど、そんなこととは関係なく、俺はドキドキしながら涙を流していた。

もちろん、僕は応援団なんていう男臭い題材は、好きじゃない。でも、この映画はキャスティングを工夫するだけで、性別を無効化し、「男臭さ」に新しい価値を与えた。監督は「オカマのチアガール」のつもりで、ギャグとしてキャスティングしたのかも知れないが、そんなこと関係ない。映画のテーマなんて、自分で決めていいんだよ。人生の目的を、自分で探すのと同じことだ。


先日のつづき。怪獣のいいところは、出てきたと思ったら、いきなり敵怪獣に飛びかかるか、街を破壊するところだよね。画面に映っている間、ずーっと戦ってる。84年版『ゴジラ』がダメなのは、なんか理屈つけて、ゴジラが寝ちゃうでしょ? 出てるんなら、戦ってないと。怪獣はさ。

84年といえば、僕は高校の生徒会副会長で、規約を無視して文化祭実行委員長を兼任し、生徒会主催で54年版『ゴジラ』を上映したんだ。なんて素晴らしい生徒会なんだろうな。
しかし、何より重要なのは、84年の文化祭当時、僕が童貞だったことだ。それをなぜだか、今では誇らしく感じる。結局、その時に副委員長をやっていた子が、僕の童貞を奪っていった。

怪獣の思い出は、異性と相性がいいのか悪いのか、もうひとつは別れた妻と結Ch070婚する前。平和島に出来たばかりのシネコンに、何か真面目な映画を見に行ったら、『ゴジラ×メカゴジラ』のポスターが貼ってあって、僕はそのダイナミックな構図と「砕け散るまで戦え!」というキャッチコピーに、胸の底を熱くした。
なのに、元妻は「何これ? メカゴジラって……もう、ワケ分からん」と、うんざりした顔をしていた。実際に『ゴジラ×メカゴジラ』を見たのは数年後、妻と別れた後だった。もちろん、すげえ面白かったですよ。

やっぱり、怪獣映画は男が一人で見るものだ。今度、女にふられたら、絶対に怪獣映画を見るよ。ずーっと戦ってるやつね。

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2009年10月14日 (水)

■怪獣の性別は童貞■

EX大衆 11月号 明日発売
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●『ガンダム』登場人物相関図
8ページもあるんですが、これは大変でした。画像は80点もないのですが、とにかく終わらない。何もかも把握したつもりで、ファースト・ガンダムって、いまだに謎だらけで。
調べていて面白かったのは、いいように使われているシャリア・ブルや黒い三連星の立ち位置ですかね。


一日に一本は女優と映画。園子温『紀子の食卓』。これも吉高由里子好きとしては、「今ごろ?」な作品なんだけど、近所に置いてねーんだもん。
Noriko_sub1吉高が、泣きの演技が上手いというのは発見だったし、ラストのくしゃみも可愛かった。つぐみの美しい三白眼と、タンクトップ姿も眼福。女優的には、けっこうお得な一本です。
映画全体、どこか、役者の生理をコントロールしようとしすぎな感じがする。でも、この尺の長さといい、それは監督の作風かな。

この「監督の作風」というのも、無責任な言い方で、印象を述べてるに過ぎないのね。監督の作風じゃなくて、プロデューサーの指示かも知れない。カメラマンの才能かも知れない。監督の発言権がゼロに等しい場合もある。制作のプロセスも知らずに「批評」が成り立つわけがない。技術に分け入った映画批評というのも、少なくともネットでは読んだことないな。『起源の映画』って本は、難しいけど面白かった。

とにかく、僕が書いているのは、推測まじりの感想文。だから、せめて思いを込めるんですよ。それで、僕が一番思いを込められるのが女優だから、たまにそういう仕事をもらって、「男ってバカだなあ、と思える文章を」と女性編集者からオーダーされる時、僕は異性と、最も平和で建設的な関係を築けている、と思う。


ケーブルで、平成ガメラ三部作をやっていたので、三本とも見た。俺は『小さき勇者たち ガメラ』の方が好きなのだけど、怪獣というのは問答無用に素晴らしい存在だ。
1334907665_2なんかこう、捨て鉢な、「お前ら、口で言っても分からんのだろ?」的なヤケクソさ。そこがいいよね。
だから、三作目に出てくるイリスってのは、女に頼っている時点でダメなんだけど、少女に何か期待しちゃうところが童貞っぽくて良いな、と今回は思った。怪獣の性別、それは童貞だから。
あと、二作目のラストで、ガメラがマナを集めるのも良かった。マナなんて、そんなもん、ないから。邪気眼と変わらないよ。幼稚だよなあ、発想が。でも、幼稚なほうが勝つ。そこがいい。

怪獣って暴力的だけど、じつは妄想と自己主張で戦ってるからね。ただ立ってるだけで注目されて、めきめきと美女に成長していく藤谷文子に、最後まで根拠もなく応援されて……中学生の妄想じゃないですか、平成ガメラの設定って。京都を燃やしちゃったりさ。「修学旅行で行った町なぞ、思い出しとうない。燃えてしまえ」と言わんばかりに、もう涙目で必死に燃やす。ヤケクソに。
「大人向け怪獣映画」って、大人の中に封印された童貞性を解放するからね。毎年つくれば、自殺者の数も減るはずだよ。

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2009年10月11日 (日)

■10月のメモ「釣り糸」■

女優強化週間なので、今さらだけど『ユビサキから世界を』。
いくらインディペンデントで無料上映でも、これは困惑・苦笑せざるを得ない。何だったんだろう、この映画。谷村美月が、またしても「情け容赦なく土に埋められる役」で、俺は楽しかったけどね。

その前に、ケーブルで『blue』という映画を見たが、主演の市川実日子はノーマークだった。モデル出身の女2290653895_d01dcc897a優ってのは、たいてい好きなんだよな。その独創的な顔の造形を見た瞬間、「あ、モデルだ」と直感した。背が高いところもいい。

しかも、いっぱい映画出てるじゃない。半分ぐらいは出演作を見ているはずだけど、普通の美人になっちゃったから、印象に残らなかったのかな。だけど、『blue』は市川実日子の顔力だけで、2時間飽きずに見られた。美人だとか綺麗だとかを越えた、規格外の美しさがある。

今週は、いっぱい映画を見るよ。


スクエニ出資のアニメは、原作漫画が売れればそれで回収できちゃうらしい……と、ある人から聞いてはいたのだが、こうして生の声を聞かされるとねえ。「うちは売れてまっせ、ガハハ」以上のことを何も言ってないし、考えてもない。
儲けたら、その金でいい作品をつくって、世の中に還元しようとか思わないかね。落ち込んでる若者を、一人でも多く助けようとは考えないのかな。それが作品の義務だと思うんだが。ユーザーのことを平然と「釣り糸に引っかかる魚」とか言うオヤジは、考えもしないか。セレソン失格だな。


初音ミクは、どんどん才能を発掘して、世の中を豊かにしている。
驚いたことに、俺はついさっきまで、ミクのことを「ツール」だと思っていた。声も嫌いだった。だけど、彼女はユーザーが育てないと何も出来ない。パッケージのままでは、存在しているとすら言えない。彼女が歌うためには、JASRACのような大人のつくったシステムは必要ない。とても優れた才能を持っているのに、無欲で無名な人たちの心が加わったとき、彼女はようやく歌うことが出来る。
初音ミクの半分は、ユーザーの魂で出来ている。既成曲をミクに歌わせている限りは「ツール」でしかないが、ミクのためにつくられた曲を歌うと、そこには明らかに命が生じる。
今まで僕が見て来たミクのイラストやなんかは、みんなユーザーが育てた成果であり、過程であり、彼らとミクの関係そのものだったんだ。だから、彼らはミクを「大人」の手になんか渡したくない。今、曲を聞いていて、やっと理解した。
「魚に向かって釣り糸を垂らす」なんて下卑た思想は、前時代のものだ。焼却炉に放り込んでいい。

僕たちは誰でも、最低9年間は大人社会に飼いならされる。つまり、言いたい事を言う権利があるんだ。いい歳をして、アニメや漫画を好きでいつづけるのは、社会の抑圧があるからだろう。オッサンたちに搾取されるために、漫画やアニメを好きでいるわけじゃないんだよ。

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2009年10月10日 (土)

■必要なのは軟弱さ■

アニメージュ 11月号 本日発売
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●『東のエデン 劇場版Ⅰ The King of Eden』 記事執筆
プロデューサーへのインタビューを含む、新作の情報記事です。
放映前、監督にインタビューを申し込んで以来、何だか付き合いの長い作品になってしまいました。
劇場版は制作快調のようで、ストーリーはすげえ面白えですよ。


先日、「アニメは1ヶ月ぐらいでスパッと終わればいい」と書いたけど、『ゼーガペイン』。あれ、2クールあるんだけど、僕は一日に1話ずつ、違法動画サイトで見て行ったんだ。だから、ちょうど1ヶ月。夕方ぐらいの時間帯に「よし、見よう」と決めて、毎日すごく、充実してたよ。
だから、結局は密度なんだよ。作品によって密度は違うはず。

『ゼーガペイン』、結局はDVDを買ったんだけど、すごく迷った。あのまま、夕方に一話ずつ見ては泣いていた夏の日々が壊されてしまう気がして。今さら陳腐なことを言うけど、作品を見るのって、「体験」なんだよ。
俺が映画を友達と見に行くとき、メインは見た後の酒。映画は、酒の肴。これほど健全な消費のされ方はない。

DVDやブルーレイを買ってもらって終了、というのはビジネスの都合でしかない。違法動画サイトがいまだに無くならないのは、「見たい」という要求の大きさもあるけど、金を払ってまでは……という人が多いからだ。それは「不況で、みんながケチになった」のとは違う。
ニコ動やpixivに「さあ、見てくれ」と作品をUPしている人たちは、最初から儲けようなんて考えてない。reblogされて、一人でも多くの人に見てもらいたいと思っているだけだ。彼らの態度は、とにかく清く貧しい。だから、心に届きやすい。
『カウボーイ ビバップ』のメイキング・ビデオで、南プロデューサーが「よ~し、儲けるぞ!」と冗談を飛ばしていたけど、あの10年前の気分と今のユーザーとはフィットしない。
『ラブプラス』の受け方なんかを見ていても思うけど、みんな、心から癒されたいと願っている。それだけ社会不安が大きいんだよ。自殺率が世界第8位の国で、「カネを出さない人間は、ユーザーではない」なんて、ますます壁をつくるような考え方が通用するはずないじゃない。

ただで作品を共有させてくれる人たちは、気前がいいんじゃない。優しいんだよ。いま必要なのは質の高い軟弱さであろうし、それを許容する寛大さなんだ。

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2009年10月 6日 (火)

■高速化するアニメ■

オトナアニメ Vol.14 10日発売予定
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●カットワークから読み解く『化物語』の演出
絵コンテと場面カットを使って、このブログで書いていたようなことを、具体的にシーンを引用して構成しました。2ページしかないんだけど、かなり思い通りのことが出来ました。

●『エヴァ:破』 感想文
クロスレビューらしいのですが、最終的にどうなったかな。タイトルも編集に任せてしまったし、もし載ってなかったら、このブログに掲載します。 無事に掲載されたそうです。すみません。
僕は左脳が機能してないので、改めて「感想文」しか書けないと思ったし、ヘンに論理的にしようと、無駄なあがきをしない方がいいですね。


大地丙太郎さんは、『これが「演出」なのだっ』(講談社)の中で、最近の耳ざわりな声優ボイスを「息芝居」と揶揄している。
『けんぷファー』も、ちょっと耳ざわりなアニメなんだけど、野村道子さんが出てきたので、びっくり仰天(僕はベテラン声優には、さん付けしてしまう権威主義者です)。そもそも、ストーリーが藤子不二雄の短編みたいだからね。何となくマッチしている。

『けんぷファー』は、超能力や剣で戦うわけだけど、「10代が肉体的成長のピーク」と考えれば、理にかなっている。しかも、社会的には10代は思春期なので、性転換や人格変換といったテーマがフィットしやすい。
俺がアニメ話をすると、結局、「性の話題」に話が落ち着くんだけど(笑)、みんなが「性の話題」を避けているだけだよ。日本のアニメの6割が、だいたい「性の話題」に満ち溢れている(ように、俺には見える)。「セックスがテーマ」とか言うと大人っぽくてカッコいいけど、俺が言っているのは、飽くまで中高校生的・童貞的「性の話題」ですから。10代が主人公のアニメばかりなんだから、そりゃ仕方ないよ。ムラムラした男子高校生が美少女に変身して戦わずして、他にどんなアニメをつくれって言うんだよ。

こういう、無理やりな自説を裏づけてくれる『けんぷファー』には、好感をもったなあ。
……俺が好感を持った作品って、売れないけどね。『ゼーガペイン』が懐かしい。


表紙が『ラブプラス』だから、ひさびさに「テレビブロス」購入。
091005_21170001萌え特集、思ったより面白くなかった……というか、「萌え」なんて、一年前の話題みたい。「一年前」って、もう大昔ですよ。そういう認識でいないと、アカンです。短く愛されることの、何が悪いんだっていうぐらいでないと、少なくともアニメの話は出来ない。
だって、宣伝担当者に「○○の最終回、さっき見終わりました。良かったですヨ!」ってメールしたら、「今は、来期放映の□□に全力投球していますので、そっちもヨロシク!」ですよ。……そういう仕事なんだから、仕方ないし、今はAパートどころか、アバンが面白くなかったら切られちゃう(OPが良かったら、ちょっと延命される)。
それは送り手や受け手がせっかちになったんじゃなくて、見切る能力が高速化したんだと、最近は思うようになった。腰をすえて、ジックリ見るようには出来てないんだ。4コマ原作のアニメが受けるのも、道理というもんだ。一話10~15分ぐらいで十分じゃないか、とたまに思うよ。なんで、いつまでも30分なんだろうって。

「今期」って言葉が普及した瞬間に、アニメの賞味期限は3ヶ月になった(という風に、メーカーが決めた)。僕は、3ヶ月ですら長く感じる。1ヶ月ちょいぐらいで、スパッと終わってくれないかな。メディアに対する、僕らの生理が変わってきているんだから、アニメも変わらないと。

そのことと、押井守さんが「『イノセンス』は10年後に残る自信がある」と言っているのとは、別問題だよ。時間がたてば、見たり聞いたりしたものは個人史に組み込まざるを得ない。たった数秒の場面を、実体験を、人間は一生覚えていられるから。その瞬間に、どれほど感動したかって胸の震えも含めて。
個人史、自分のアーカイヴってのは、ちゃんと充実していくから、大丈夫。
表面的にどんな変化があっても、脳の一番古い部分は変わらないわけで、何も怖がる必要はない。

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2009年10月 4日 (日)

■10月のメモ「同人誌」■

シネコンウォーカー 10月号 たぶん配布中
Cw_10
●『ATOM』座談会
他の出席者は、記事もまとめた神武団四郎さんと赤瀬川たかしさんです。
僕はスケベ担当ということで、アトムのお尻マシンガンや、和登さんのエロさについて語ってきました(『ATOM』に和登さんは出ません)。

しかし「週刊・手塚治虫」でも、和登さんの話題が出ていたし、アニメも放映されたけど、僕にとっては「コレジャナイキャラ」なんだよねえ……。あのスクリーントーンの髪は、セルにしたらブロンドに近い色だと思うんだが。
あと、声。和登さんは、べらんめえ口調なのに色っぽくなくてはいけないから、『ボトムズ』でココナをやった川浪葉子さんは、どうかな。川浪さんが出てるから、最近ずっと、『ミスター味っ子』見てるんだよね。

でも、『ストップ!! ひばりくん!』の間嶋里美さんといい、性のボーダーにいるキャラのキャスティングは難しい。


『マイマイ新子と千年の魔法』、試写3回目。
もう、タイトルの出るあたりで涙が出てくる。次のシーンが楽しみでならない。取材も終わってしまったし、原稿も書いちゃったし、これ以上、どうすれば、この映画に近づけるか悩んでしまう。サントラの発売も、まだ先だ。

新子の声は、もはや福田麻由子ではなく、「新子の声」にしか聞こえない。今回は、貴伊子0328_2_00074の声に注目してみたのだが、前半のボソボソした喋りと、ラスト近くの方言のまじったハキハキした話した方、どちらもいい。特に好きなのは、ほろ酔いで「マイマイって何だ?」と、ややぞんざいな口調になっているあたり。ぼーっとした顔で「ツムジのことかあ」……ダメだ、やっぱり4回目、行こう。

アニメ映画は、ここ数年、一本道を突き進んできたような気がする。『エヴァ』のようなハイエンドな絵づくりでなければダメ、みたいな。それこそ、「擬似実写映画」の究極まで来てしまった。
でも、『マイマイ新子~』は、ちょっと別の方向へ舵を切っている。例えば、『つみきのいえ』みたいなアートアニメーションだと思って見に行くと、ちょうどいいのかも知れない。
一本の太い川から、送水路をつくって、水を逃したような感じ。こういう、チョロチョロ、好きな方へ流れている水の方が、俺は居心地がいいんだ。

17日の一般試写は、やっぱりマスコミと関係ないお客さんに一人でも多く観てほしいから、16日のチャリティー・コンサートに行くかな。


「アニメーションの基礎知識大百科」(グラフィック社)で「黒コマ/白コマ」の説明を読んでみたら、「テレビ放映での多用は禁止されている。細かい規則があるので、これを使うときは手引きを見て確認が必要。」とある。
もっとも、それは爆発表現についての記述なので、『化物語』の黒コマは、意味が違うんだろう。なんか、アイロニーが込められてる感じがする。
参考……になるかも知れない、モデラーのSYUさんのエッセイ「アニメの爆発時における黒コマ表現」について」


同人誌の打ち合わせで、印刷会社に行ってきた。
Kobuta_2_2←こんな漫画も描いてもらったりして……。原作が僕だっていうだけで、僕が描いているわけじゃないので、個人誌とも言い切れないという。

でも、データ入稿の良し悪しで、イラストを描いてくださっている方々に、手間をとらせることになってしまった。最終的に、10人前後の方に協力していただいているんだけど、それゆえに「雑誌感」は出ているような。アニメ評論とか、そういうのは無いです。1ページだけあるけど、それは絶対、誰も見たことのない駄アニメのレビューなので。だからこそ、カラーで掲載しますよ。

本当に好き勝手にやろうとしたら、捕まること覚悟しないと出来ない気がする。この同人誌ですら、訴えられそうな気がしてますからね。冬発売予定、500円。

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2009年10月 1日 (木)

■10月のメモ「ロモ・ランプキン」■

何とか時間がつくれたので、雨の中、メアリー・ブレア展へ。
090930_14580001_2チケット買うだけで、10分待ちという混雑。なので、落ち着いて絵を鑑賞する雰囲気じゃない。こういう時は、自分が何を求めて美術館に来たのか、よく考えないといけない。……ディズニーと関係ない仕事の方が良かったね。混んでいたから、遠くからザッと見ただけだけど。

常設展は、70年代のスーパー・リアリズム・アートなんかが置いてあって、そこそこ面白かった。
だけど、「アート」「現代美術」っていうと、村上隆のうさんくさい顔が頭に浮かんでしまう。


GEOで、中古DVDが半額と聞いて、『シムソンズ』を購入。740円。
女優たちと映画とが、互いの欠点を補い合った、まことに稀有な作品。


「上原多香子 NHK」で検索していたら、「金はなくても夢はあった!  アニメ梁山泊物語」というのに行き当たった。10月24日放映。
スケベ心も、使いよう。


『マイマイ新子と千年の魔法』あれこれ……。
浅井典子さんのブログによると、防府で福田麻由子&水沢奈子、片渕監督と主題歌のコトリンゴを呼んでライブやるとか。防府、ますます行ってみたい。

しかし、サンスポの記事は、ちょっとな……。「イカで絆深まる」って、ぜんぜん『マイマイ新子』に関係ない。なさすぎる。こういう軽い記事が必要なのも分かるんだけど、映画へ興味を誘導するぐらいの仕事はしてくれよ。だから、マスコミはなめられるんだ。
確信を持って取材しないと、記者は、取材対象に振り回される。
『ギャラクティカ/RAZOR』のイベントの時も、しっかり作品に興味を持って取材している記者は、少ないと感じた。というより、作品見ないで帰っちゃう、テキトーな媒体が多かった。

そんな俺は、明日、『マイマイ新子』の試写会、三回目。ぜんぜん飽きない。


ちょっと『ギャラクティカ』の話題が出たついでに、シーズン3の最後にのみ登場した、ロモ・ランプキンのことを書きたい。彼は、人類の裏切り者であるバルター元大統領の弁護士を、自ら買って出る。
彼が登場した時の違和感は、「俺のギャラクティカ」のポンセさんが雄弁に語っている。以下、引用です。
51_02「しかしながらロモには、他のドラマで生み出されたキャラが
『ギャラクティカ』の中にポンッ!と飛び込んできたような不思議な違和感があります。
この「異分子」の登場は、愛着あるキャラクター達のドラマを観続けてきた視聴者に、ある種の“不安定さ”をもたらし、そして結局それが、SEASON3後半の緊張感を高める効果を生み出しているようにも思えます。」
まさに、その通り。本当に見事な考察。

『ギャラクティカ』を見ている人は、たいてい、アダマ艦長のように歳をとりたいと願う。
ロモ・ランプキンは、アダマ艦長と対照的だ。傲岸不遜な態度で人を怒らせ、平然とウソもつく。にもかかわらず、彼は、奥さんの飼っていた猫に手を焼いている。
その猫は、まるでランプキンの心の制御しきれない一部分が、一匹の生き物になったかのようだ。ランプキンは猫に困ってるが、どうしても手放せない。奥さんに未練があるからだ。ランプキンが、どうどうと弱点をさらしてからというもの、彼の尊大な言動のひとつひとつが、信用するに値するものに思えてくる。
「なあ、厄介だろ? だから、この仕事は面白い」「私はウソをつくのがとびきり上手いが、君は下手だ」など、セリフも振るっている。
日本語吹き替えの声優が、また素晴らしい。優等生のアポロを証人席に座らせ、思うような答えが得られないとき、「またぁ……」と愚痴るのがいい。日本語版のスタッフとキャスト、ほんとにいい仕事してる。「DVDが高い」なんて、俺は口が裂けても言えないね。

こういう生命力にあふれたキャラクターに元気づけられるだけで、このドラマは映画百本分の価値がある。多くの人は、作品を「評価」しようとするが、僕は作品に影響されたい。
最近は『ヴィンランド・サガ』の8巻がすごかった。アシェラッドというキャラクターを、一生、忘れられなくなる。

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