■3年目の真実/シリーズ「人類は、いかにしてプラモデルの金型にパンツを彫りこんできたか」第3夜■
マクロスエース Vol.002 26日発売予定
●飯島真理 インタビュー
4ページ、カラーのインタビュー記事です。聞き手は別のライターの方ですが、文章のまとめは、テープを受け取って、僕がやりました。
「フィギュア王」とダブる部分は、なるべく避けたのですが、あっちは内容的にディープすぎたかも知れないので、読みくらべてみていただけると、面白いかと。こちらは、写真も撮り下ろしですし、けっこうテイストは違うと思います。
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「おい、いつ連載が始まるんだ? 掲載される雑誌の名前ぐらい教えてくれ」と、友人に言われましたが、この「萌えフィギュア考古学」は、あちこちで没にされてきたので、今さら連載なんかしません(笑)。
さて、今日は忌まわしい話から始めましょうか。
今でも僕は、『プリキュア』のような女児向けアニメを、大人が真剣に見るという行為は、ちょっと照れながら、こっそりやるべきだと思っている。その思いは、バンダイが「1/12 魔法のプリンセス ミンキーモモ」を発売した83年から、変わらない。
だから、このキットの発売は喜べなかったし、当時も忌避していたね……(買ったのは、つい最近)。だって、パンツに貼るためのマークまで付いてるんだよ? そして、説明書にはそのマークをどこに貼るか、一言も書いてない!
バンダイからのメッセージは、ますます意地悪になっていくね。「君なら、このマークをどこに貼るべきか知ってるんだろう? 知らない人が、こんなキット、買うはずないよね」って。
そういう陰湿なキットなんだけど、それでも、あえて取り上げたのは、秋山徹朗という先駆的モデラーが、まず完全手作業で立体化、それが「模型情報」誌面で好評を博し、キット化にいたったという過程があるから。つまり、商品の裏に、スター・クリエイターがいたのだ。
クリエイターが名前と趣味を明らかにすることで、フイギュア・ムーブメントが活性化したのは間違いないし、今でも完成品フイギュアに原型師の名前が入っているのは、その名残りだろう。ようするに、「個人の趣味」を「商品」にしてますよ、という誇り、開き直り、免罪符、いろいろを意味しているのだと思う。
さて、ここで話を1981年に戻す。
ガンダムで唯一、ミニスカを履いていたのは、フラウ・ボゥ。ところが、1/20の「キャラコレ」のフラウを、えげつないアングルから見てみると……(写真参照)。
パンツのパの字もない。左官屋さんが埋めたみたいに、まっさら。ストイック。殺伐といってもいい。それが翌年の「ハイ・スクールラムちゃん」では、リボンが細密にモールドされ、2年後に発売の「ミンキーモモ」では、パンツ用のデカールまで付属したわけだから、人間って怖ろしい(と、かなり真剣に思います)。
さて、インジェクション・キットでのパンツ刻印の歴史は、ひとまずここでピリオドを打つ。
バンダイ、タミヤ以外の追従メーカーは、何をしていたのか。もう、パンツじゃないんだよね。
ニットーの「1/12 タッチ 新田由加 浅倉 南」セットは、ブルマーとレオタードで勝負に出た。これの発売時期は84年。でも、なんか生々しいんだよね、ブルマーにレオタードって。それで売れなかったんじゃないかな。
つまり、プラモデルを組み立てる、改造して理想の形にするのって、一種のファンタジーなんだ。だから、戦艦とか戦車とかF1とか、部屋に置けないものが多い。
そういう、目の前に現存しないものを緻密に作るのが、プラモデルの歴史だったし、今でもそうありつづけている。
ところが、ブルマーやレオタードは、いかにアニメ・キャラが着ていても、風俗性・日常性が強すぎて、なんかイヤなわけだ(オジサンたちの間でブルセラが流行るのは数年後だが、若者があの現象に引いたのと似た心境)。
ようするに、自分の指先で「作る」「組み立てる」ことで、たかが指先とはいえ、「自分の肉体というノイズ」が、プラモデルに織り込まれてしまうわけ。それは、愛着にも、自己嫌悪にもなる。もし、今回とりあげた欲望直結型の“パンツ美少女モノ”が「買う」だけですむ完成品だったら、こんな奇怪な進化図は、経由しなかったはず。
こうしたインドア型の思春期趣味が、この国で何十年も続いてきたのは、「自分で作る」という肉体的行為が介在していたからだと思う。
さて、何しろ、雑誌連載のつもりだったから、まだまだネタはあるんだが……もう十分だよね(笑)?
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「最近、吉高由里子を見てないぞ」……と思い立ち、『重力ピエロ』を鑑賞。
岡田将生、こんな精悍な顔つきになってしまって……もう、軟弱高校生を演じられる顔・体ではなくなった。でも、いいことだよ。これから、いい役がいっぱい来るよ。
内容は、『アヒルと鴨のコインロッカー』並には、意外性があって飽きない。ただ、陰惨というか、全体にウェットだね。あ、『同じ月を見ている』の監督なんだ。道理で。
肝心の吉高は、役の正体がバレるあたりが、見どころ。世界中、吉高由里子以外には出来ない、奇妙な体の動きをする。もう、演技とかそういうレベルじゃない。身体構造が、吉高由里子。天才すぎ。
脚本的には、状況説明のための便利なチョイ役なんだが、コイツはホントにねえ……瞬間的に、映画のムードを、木っ端微塵に破壊してますからね。
なんだか、吉高成分が不足していることに気がついて、帰りに『きみの友だち』を借りた。
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吉祥寺で見かけた、DVD屋の看板。
『ポニョ』の宣伝とは言え、「こんな時代だからこそ駿」って……なぜ、呼び捨てなのか(笑)。
『アオイホノオ』第二巻で、庵野秀明が宮崎駿を「宮崎さん」と呼んで、山賀博之に「知り合いでもないのに、なんで、さん付け?」と不審がられるシーンを思い出した。
でも、いい字だ。きれいなポップ。
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コメント
雑誌でコレが連載していたら十中八九購入していたので、ネタにストックあって商売になる予定が無いのなら是非続けていただきたく思います。
投稿: 米田京平 | 2009年6月24日 (水) 01時30分
■米田京平さま
ありがとうござまいす。皆さん、このブログでも、第一回だけ読んで、お帰りになられますね。シリーズになってこそ意味があるのに。
編集者の人たちには、もっとずっとソフトな売り込みをしたのですが、どうも「不潔」と思われたみたいです(笑)。
今回はブログ用に、はしょってますが、それでもまだ三回分はネタあります。なので、気が向いたら、ちょくちょく載せますよ。
投稿: 廣田恵介 | 2009年6月24日 (水) 01時51分
女の子の形をしたある種の欲情がインジェクションのマスプロダクトになる、というオタク文化史上とても重要な記録ですね。
日本のオタクの思春期(毛が生えて、声が変わって、なんか汁が出て…みたいな意味も含めて)だったのだなあ、と。
このような生々しい過去(しかもオタクの)は確かに「不潔」かもしれませんね(笑)。
…私個人としては、もし可能ならば本で読みたい位の内容です。
(以前拝読したスーパーロボットコンプレックスは心のひだをなぞられるようで素晴らしかったです。)
これからもスリリングなテキストを楽しみにしてます。
投稿: べっちん | 2009年6月24日 (水) 09時51分
■べっちん様
コメントありがとうございます。
『スーパーロボットコンプレックス』も、ある意味、「不潔」と思われているらしいので(笑)、とても嬉しいお言葉ですね。
僕の思春期と、オタク文化の思春期が、うまいこと重なったのかも知れません。でも、一般の出版では無理っぽいので、やるとしても同人誌かなあ……と。
僕自身、親しい友人から「思春期ノイローゼ」と呼ばれるぐらいです。これからも、よろしくお願いします。
投稿: 廣田恵介 | 2009年6月24日 (水) 11時21分