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2009年5月29日 (金)

■「優しい人」なんて、この世にいない■

仕事の都合もあり、再び邦画を見るようにしている。
A000188100『デトロイト・メタル・シティ』。この映画を加藤ローサ目当てに見た人は少ないと思う。ローサの悪口を言うなら、『シムソンズ』を見てからにして欲しい。
よく考えたら、原作の若杉公徳さん、企画の川村元気さんに取材したまま、丸一年間も放置してたんだよな……。でも、川村さんの言っていた『スパイダーマン』のようなヒーロー映画、という感覚は、よく分かった。
原作を上手に切り取って、普遍性あるテーマに仕上げたと思う。コスチュームもメイクも、金をかけるべきところはかかっている。ただ、加藤ローサがね。衣装がね、あんまり良くない。『シムソンズ』は、奇跡的にハマったんだよね。あの役は、加藤ローサ以外に出来ない。役って、めぐり合わせだなと思う。
映画でうまく行かなかったら、別に無理して出ることはない。まだまだ、引き返せるよ。


『バトルスター・ギャラクティカ』シーズン3、第13話『選ばれし者』(なんとも、仰々しい邦題だ)。
46_04このドラマには、今までさんざん泣かされてきた。それは主に男っぽい地味なエピソードについてだったが、今回は、温厚なロズリン大統領(メアリー・マクドネル)が激昂するシーンに圧倒され、涙が出てきた。人類を裏切ったバルター博士に向かって、穏健なはずの大統領が裏声で怒鳴り、感情むき出しで戦没者の写真を叩きつけ、罪人を廊下に引きずり回す(廊下には、大虐殺で死んだ人たちの写真がギッシリと貼られている)。

ようするに、「優しい人」なんて、この世にいないんだ。激しい憎しみや、理不尽なまでの怒りを持った人が、他人と接する局面で優しさを見せるから「優しい人」という印象が生じる。普段は、憎しみや怒りを自分の胸の奥に、そっと隠している……少なくとも、僕はそんな孤独な人を「優しい人」と呼びたい。そう信じたい。

バルター博士の尋問に「臨死体験を与える幻覚剤」が使われたけど、あれはLSD(精神展開薬)だろうな。さっきの「優しい人」の話と同じで、生まれながらに悪質な薬なんてのは、ない。すべて、本人との「関係」次第なんだ。悪しき関係を結べば、毒になる。いい関係を結べば、救われる。人間関係とまったく同じことだ。


最近、ハマりつつあるのが『吉田類の酒場放浪記』。タイトルそのまま、あちこちの酒場を巡り歩くだけの番組(BS-TBSの中で、一番制作費が安いという)。いつも鯨飲してしまう僕は、こういう穏やかな酔い方を見ると、癒される。公式サイトの書き込みが、やけにアツいところもグー。

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2009年5月25日 (月)

■ごめん。俺、キャバクラ寄ってくわ!■

フィギュア王 No.136 本日発売
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●飯島真理 ロングインタビュー Vol.2
前号では『マクロス』のマの字にも触れませんでしたが、今回は触れてます。最初からそういう構成にしようと狙ってやったことだけど、ちゃんと一回目より濃い目の記事になって、よかった。
すごくビックリしたんだけど、このページを動画にして宣伝してくれた人がいらっしゃいました。これです。ちゃんと、記事で触れた楽曲を使っているのも素晴らしい。素直に、嬉しいです。

インタビューって、難しい。インタビュアー本人が主張すべきじゃない、と基本的に僕は思っているけど、薄くしようと思えば、もうぺらっぺらの中身のない穴埋め記事にもなっちゃう。インタビュアーが出しゃばる必要はないけど、強固な意志がなくてはいけない。何より大事なのは、インタビューイへの尊敬心。「会う」と決めたからには、敬うことだ。


小学校6年生のクラスメートたちで、しょっちゅうプチ同窓会を開いている。前の集まりの時に、「隣のクラスの○子さん、ちょっと好きだった」と呟いたら、なんと○子さんを呼んで飲み会を開いてくれた(主催者は俺よりはるかに有名人だが、この手堅さ・素早さを見れば、その仕事っぷりも想像できる)。
さて、30年ぶりに再会した○子さんは、予想以上に美人になっていた。男二人に女二人(もう一人は、モデルとして雑誌に載るぐらいの美人)だから、もう合コン状態ですよ。しかも、帰りは家が近いからって、そのモデルの子が車で送ってくれたんだよ。こういう夜は、さっさと布団に入って、幸せをかみしめればいいじゃない?

なのに、「ごめん。俺、キャバクラ寄ってくわ!」って、途中で車を降りてしまったよ、私。それで、朝まで一人でキャバクラ。途中から記憶がなく、楽しかったのか、つまらなかったかも覚えてない。そんなこと関係ないんだ。キャバクラは、リセットボタンのようなものだから。自爆ボタンかも知れないが、どちらも似たようなものさ。


『ギャラクティカ』シーズン3のDVD-BOXが届いた。
まずは、『心の闘い』のエクステンデッド・バージョンを鑑賞。付け足されたシーンは、それぞれ面白くはあるんだが、テレビ放映版の方が、構成(というか編集)が圧倒的に上手い。
Sgmdx067304bもうひとつ気になっていたのは、『大脱出(後)』ラストでの、アダマ提督とタイ大佐のやりとり。“You did it.You brought them home,Saul”“Not all of them...”が、日本語吹き替えでどうなっているか。
「やったな。皆を連れて帰った」
「皆じゃない」
まあ、これ以外に訳しようがないか。吹き替え版は、けっこう意訳されてるので、ちょっと心配だった。
シーズン3冒頭でのタイ大佐は、自分の中の邪悪さをうまく飼いならし、善戦していた。階級に縛られた軍隊の中より、実力本位の修羅場でこそ、才能を発揮する人なのだろう。親近感をおぼえる。

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2009年5月21日 (木)

■マーク・デイヴィスの霊を呼び出そう■

絶版品だったティンカー・ベルのジグソーパズル。コメント欄で情報を寄せてくれた方のおかげで、あっさり入手できてしまった。
090519_18580001パッケージからして、綺麗でしょう。国内メーカーのテンヨーの製品ということは、日本人が描いたわけだ、このティンカー・ベル。
ぜんぜん日本風にローカライズされてないところが、よい。日本製だと、フイギュアでも何でも、どことなく頭身が低く、目が大きく……と、「かわいい」アレンジがされてしまっている場合が多い。ようするに、幼く見せた方が売れる、という不文律がある。日本のキャラクター・ビジネス界には。それは間違ってはいないし、むしろ誇るべき独創性だと思うが、ティンカー・ベルは違うんだ。
テンヨーの社員が描いたのかな? すごく気になる。

ある雑誌の編集長と、ぼんやりとコーヒーを飲んでいた。
「最近、何に凝ってるの?」
「ティンカー・ベルっすかね」
「うわぁ……。好きなんだよねー、オレも」
「いいっすよねぇ」
「やる? 特集する?」
僕らのような仕事の場合、収まりどころが「取材する」ことだったりする。降霊術でマーク・デイヴィス(ティンク担当のアニメーター)を呼び出して、新しいシーンを描いてもらおうか?とも妄想する。でも、晩年のデイヴィスには多分、無理だよなあ……アニメーターの絵って、一生変わっていくから、若い頃のデイヴィスの霊じゃないと駄目だ、とかね。


アニメーターといえば、『アオイホノオ』の第二巻が出てますね。こればっかりは、Amazonではなく、歩いて、本屋で探さないと(あの時代、ネットなんかなかったからね)。
090520_02580002これは非常に優れた恋愛漫画にもなっている。自分の野心を全肯定してくれるトンコさんと、いまいち野心を理解してはくれないが、生活面ではフィットする津田さんと……どっちがいいのか? こういう話をする時、オッサンは有利だ。何しろ、離婚経験まであるからな。
津田さんのように、自分の知らなかった面を発見して面白がってくれる人は、一緒に生活するには向いている。畳の上で死にたければ、津田さんだろう。

トンコさんのように現状を肯定してくれる人は、実はクセモノで、ああいう女性は、男から野心を奪っていくんだ。野心の本質は、不可能性だから。


『バトルスター・ギャラクティカ』のスピンオフ、『RAZOR』が今秋、日本でも見られるそうで(マスコミ用プレスリリースより)。明日22日、公式サイトに、いくつか情報が載るみたい。
結局、30~40代狙いの商売になってきているね。音楽でも映像でも。

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2009年5月18日 (月)

■ティンク>モンロー■

『ピーター・パン』プラチナ・エディションのDVDが届いた。『ダンボ』、『バンビ』と揃ったから、これで一安心かな。あとは『眠れる森の美女』ぐらいか、手元に置いておきたいのは。
Peterpanscreencappeterpan17257157_2特典映像のティンカー・ベルのメイキングは、それほどマニアックな内容ではないんだけど、ナレーションがカッコいい。「ティンクのモデルは、マリリン・モンローだと言われていますが、モンローは当時、まだ無名でした」。なかなか、不敵なことをおっしゃる。「ティンク>モンロー」と思ってなければ、こんな発言は出ない。

ようは、全体が子供じみたこの映画の中で、ティンカー・ベルだけが大人の理屈で動いているから、魅力的なんだろうな。「なんで私が、こんなガキたちの相手を」って態度だものな、終始一貫。実際、ストーリーは幼稚すぎて、話にならない。ティンクだけ、物語世界の外側に立って、達観している。
子供のままでいたいピーター・パンとウェンディの仲を、唯一の大人であるティンカー・ベルが邪魔をする。そういう屈折した構造が透けて見えた時、ディズニー・アニメは急に面白くなってくる。けっこう、「ファミリー向け」の一言でくくってしまっているよね、みんな。


ディズニーつながりで、メモ。
ウォルト・ディズニーは各界の著名人をスタジオに招いたそうだが、その中に幻覚剤メスカリンの研究で有名なオルダス・ハクスリーの名前があった!
Sunra_pink_elephantsまさか、『ダンボ』の幻覚シーンは、ハクスリーがスタジオに持ち込んだメスカリン(LSDと同じようなものです)の効能か?と色めきたったが、どうしても計算が合わない。ハクスリーがメスカリンの実験を始めたのは戦後だからな。
ただ、神秘主義に傾倒していたハクスリーを、なぜウォルトが招いたのかは、興味がある……「ただ、何となく」の可能性が強いが。


『東のエデン』、第6話。「日本をニート大国にしよう」という発想は、妙に生々しいし、爽快だ(咲が、就活に失敗したエピソードが効いている)。
ただ、ニート大国になって本格的に経済が崩壊して、政治もへったくれもなくなるシミュレーションを、全11話(リアルタイムで進行するので、全11日)で見せてくれないことが最初から分かっているので、だから、話がこじんまりしてるのかなと思う。

携帯ひとつで人が殺せるギアス能力的設定も、なぜか、ストイックなんだよね。「俺も、あんな携帯が欲しい」とは、あんまり思えない……。もう一歩で街へ出られる、現実にタッチできるぞって思うんだけど、どうしても「アニメ」の領域に留まっている感じが、残念。

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2009年5月15日 (金)

■世界一安っぽい、あの世■

EX大衆 6月号 発売中
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●愛ドルのリコーダー 中川杏奈
●佐野夏芽

それぞれ、グラビアポエム執筆。佐野夏芽の写真は、かなりきわどい。ファイルが届いた瞬間、「う~ん、すげぇな」と声に出してしまった。こういう、主張の強い写真を持ってこられると、もう写真から具体的に想像されることしか書けなくなってしまう。
なので、グラビアポエムは、メインになる写真を外したところに位置するのが、ちょうどいい……というか、気が楽ではある。


GW明けから、丸6日間、取材・打ち合わせ・酒が続き、取材後、若いライターさんとキャバクラを朝まで数軒ハシゴ、全額おごったのが、仕事と放蕩のグランド・フィナーレだった。
最後の店、すっかり泥酔していると「肌がきれい」と誉められる。その他、あれこれ誉められる。だからというわけではないが、場内指名。1000円。安い。いや、指名したから誉められたのかも知れない。そんなもの、どちらでも同じことだ。
しょせん、「あの世」の中でも、最も安っぽい場所に、僕は腰を下ろしているのだから。彼女は無言で、僕のヒゲをなでてくれる。

僕はしばしば、「日常」を駅前のコインロッカーにあずける。朝がやって来ることを、たかが数万円の賄賂で、保留しようとあがく。
おそらく、グラビアポエムを書くときも、それに近い領域にいるのだろうと思う。脳の中の空き部屋を開放する。出入り自由にする。それをくり返していると、百回に一度は、思いがけないものが侵入してくるのだ。


先日書いた、ティンカー・ベルのジグソーパズルだが、やはり在庫切れということで返金されてきた。
結局、モノもヒトも夢も、追えば逃げていくものなのだろう。


『バトルスター・ギャラクティカ』シーズン3、第11話『ジュピターの目』。核で滅ぼされた人類が、敵側に核で脅しをかける。しかも、主人公であるアダマ提督が、仲間を犠牲にしてさえ、核弾頭を使おうとする。こんな救いがたい展開、原作版『ナウシカ』でさえやってないよ。
『ギャラクティカ』を見ていると、永遠に終わらない、長い長い映画を見ている錯覚にとらわれる。

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2009年5月12日 (火)

■Crazy about Tinker Bell■

『ピーターパン』のDVDを、ヤフオクで落札する。二度目。前回入手したDVDは盤面ボロボロ、あらゆる手段で研磨したが、一度も再生できないほど、キズは深かった。

『ピーターパン』で素晴らしいのは、ティンカー・ベルの登場カットのみで、後は早送りしていいと思う。かと言って、CGアニメの『ティンカー・ベル』じゃ駄目なんだ。
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最近、血まなこになって探しているのは、ホロ・グラフの180108ピース・パズル(左図)。今日も渋谷のディズニー・ストアに行ってみたが、見当たらなかったので、ジグソーパズル専門店で注文してみた。
分かるだろうか? このアングル、このポーズじゃなきゃ駄目なんだ、って気持ちが。香りたつような色気を持ちながら、言葉は話せず、身体も小さい。つまり、人間の女性とはタメが張れない。なのに、色気だけは上回っている。その「残念感」ね。完璧だけど、欠けている。隔靴掻痒たるものがあるよね。

シェリングいわく「無限なものを、有限の方法で表したものが美である」。


6月19日発売の小説『ゼーガペイン 忘却の女王』を、楽しみに待っている。
ところが、その解説文「SFアニメ『ゼーガペイン』の基本設定を生かして、悲劇に終わる恋物語を描く、オリジナル・サイドストーリー」の「悲劇に終わる」という箇所を、「ネタバレ」と呼んでいる人がいた。それがネタバレだったら、もう「シェイクスピアの四大悲劇」なんて口に出来ないね。悲劇だって断言することが、ネタバレならば。
思考がショートカットされてるなぁ、と感じる。ネタバレという言葉が、短気を生み出している。そんな言葉さえなければ、じっくりと悲劇のプロセスを楽しめるはずなのに。


先日、読売新聞を見ていて、「またか」とため息が出た。日本製「性暴力ゲーム」欧米で販売中止、人権団体が抗議活動。18禁ゲームという文化は全肯定しかねるし、生理的に「オエッ」と嫌悪する部分もある。でも、それは他人様のパンツの中の問題だから、「けしからん」と言ってはいかんのです。「お前は、こんなものを見て欲情するな」などと言う権利は、誰にもない。
たかがフェミ団体の言いがかりを、マスコミが大ニュースのように扱うのは、一体何度目なんだ? ようは、世論を煽って法改正したいだけでしょ?

銃を奪われたら、石を拾って武器にするのが人間。それを忘れてはいけない。

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2009年5月 8日 (金)

■「昔は良かった」の正体■

『カードキャプターさくら』がBShiで始まったので、第1話の、あるシーンだけ見ておこうと思った。さくらの登校途中、桜並木の下を走る背動のカット。
090507_00210001このカットを見て、「よく出来た、綺麗なアニメだなぁ」と、当時は感心したものだったのだが……。結構、心の中で美化していたのか?とも思った。桜の幹がリピートなのも気になった。でも、それは美化していたんじゃなくて、10年経過して、俺の目が劣化したのだ。再三再四、書いてきたことだが、人間の五感は10代がピーク。その後は劣化の一途だから、30歳の時に見た映像を、40歳の俺がまったく同じに受け取られるはずがないのだ。

「昔は良かった」の正体も実はこれで、10代の頃は視覚も聴覚も鋭敏なので、その年代に見たものは鮮烈に見えて当たり前。どんな表現でも、最善の形で受けとめられるわけだ。だから、「昔は良かった」は「若い頃に見たり聞いたりしたものは、すべてビビッドだった」と言い換えられる。もちろん、時代の空気や雰囲気も、確実に作用しているんだけど、個々人の五感が優れていたというのが、最も大きい。10代の頃に見た風景って、いつまでも鮮明に覚えてるもんでしょ?
この事実を受け入れ、自覚しておかないと、「昔は良かった」は、単なる世代間の言い争いに終わってしまう。

余談だが、この頃(98~99年頃)は、『十兵衛ちゃん』『宇宙海賊ミトの大冒険』など、原点回帰的な元気のいい作品が多かった。


次の仕事の関係もあり、「そろそろ邦画の世界に戻らねば」と思い、『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』(北乃きい!)と『たみおのしあわせ』(麻生久美子!)をレンタル。
4988064236411『ゲゲゲ』は、かくし芸大会だった前作と打って変わって、ひたすら暗い。鬼太郎は漂泊民だ、と前作のときに書いたと思うが、今回は被差別少数民族であったことが発覚する。そこを掘り下げていけば面白くなると思うんだが、鬼太郎は、自分たちを滅ぼした人間に協力してしまう。それと、北乃きい演じる女子高生のキャラクターが弱すぎたのが、かなり残念だった。とは言え、映画全体の地味で湿ったトーン、銀のこしのような枯れた画調は、結構いい。ラスボスが「がしゃ髑髏」というのも、センスいい。

漂泊民である鬼太郎の味方は、人間ではなく(動植物を含めた)妖怪だ。僕が、このウエンツ瑛士の『鬼太郎』シリーズに好意を持っているのは、人間たちが鬼太郎を受容しないシビアさが、終始一貫しているからだ。
前作のラストも残酷だったが、今回も、墓場を一人で寂しそうに歩く鬼太郎のショットで終わる。鬼太郎を受け入れない北乃きい(今回、唯一の人間キャラ)が狭量なのではない。両者の暮らしに全く接点がないことは、北乃の高校生活(数少ない昼間のシーン)をごく短く描くことで、実は、映画の最初から暗示されている。北乃が最初から最後まで制服姿であることは、つまり、映画全体が、彼女の「放課後」でしかなかったことを示してもいる。彼女が路線バスという日常の乗り物で去っていくのが象徴的だ。

結局、今の我々の暮らしは、信仰をはじめとした、様々な異物を排除して成り立っているのだ。


『バトルスター・ギャラクティカ』シーズン3、第10話『死の航路』。放射線にさらされた星雲の中、パイロットたちが被曝しながら飛ぶという凄惨なミッション。フルCGによるVFX映像(人間はまったく映っていない)を、「痛い」と感じたのは初めてだ。

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2009年5月 4日 (月)

■腐女子化する男子■

『けいおん!』は、作品そのものより、ファンのリアクションを見るほうが圧倒的に面白い。「紬×澪 律×唯 唯×澪あるとおもいます!!」とかね(「HIRAHASHI'S ver.1.3」より)。キャラ同士がちちくり合うムービーをつくったファンもいるようだし……なんか、男同士のカップリングを楽しむ腐女子に、感覚が近くなってきてないか? 『けいおん!』などの女子群像アニメには「異性という主体」が置かれてない、と前から指摘していたが、「レズ」じゃなくて「百合」なのね。妄想の比重が、ビジュアルより関係性に移っているのかも知れない。
腐女子の人は、「性を排除した方が、より純粋に恋愛“だけ”を感じられるんだ」とか言うじゃない。その気持ちは分かるような気がする。だけど、「性を排除する」と言いながら、恋愛劇を演じるのは、結局、異性じゃないですか。そこに欺瞞を感じるんだよね。ようは、細田版『時をかける少女』を見て「俺の高校時代はあんな楽しくなかった、死にたい」と言うのと同じで、自分の性を受け入れられないだけではないのか。普通の恋愛ドラマの対蹠地としてしか、BLや女子群像アニメは機能していないのではないか?
単に、自分の性に自信がないか、肯定された経験が乏しい人が増えてきているだけではないのか?
恋愛とは、「俺が男(オス)であることを認めてください」という承認欲求だから、足りてないのは恋愛経験なのかも知れない。だから、恋愛に対する理想が、天井知らずに高くなっていく。

俺は「RO ある恋の話」が大好きだし、小学校の頃は、肩甲骨の下まで髪を伸ばしていて、女の子に間違われるのが快感だった。男になんかなりたくなかった。今でも、「女性主観のグラビア・ポエム書いてくれ」と依頼があると、そこそこのものは書くよ。
だけど、40年間の人生で、ほんの数回ではあるけど、俺を男として受け入れてくれる異性が現れた。そしたら、少年時代に抱いていた「男になりたくない」願望が、変に薄れてしまったのよ。それが幸福だったのか不幸だったのかは、分からない。結局、ぬる~く屈折してしまったから。

そんな俺だから、『けいおん!』の中に百合幻想を求める人たちを、否定はしません。ただ、「男という主体」を巧妙に排除している自分の態度には、自覚的でいて欲しいかな。
人の心っていうのは自由だから、「男という主体」と「女という主体」、両方を持っていられたら、面白いかもね。創造的に生きられると思う。

恋愛を受けれてもらえる、男として認められて結婚する……ってのは、ゴールじゃないんですよ。ゴールじゃないからって浮気しまくる男は、アニメしか見ない引きこもりに匹敵するぐらい非創造的だ。いくら女から愛されても、屈折すべき人は屈折するんです(笑)! 恋愛を通過すると、い~い具合に屈折すると思うよ。だから、恋愛を怖れてほしくない。
『けいおん!』から、ずいぶん話が飛んでしまったけど、享楽するだけでなく、自分を顧みながら、創造的に生きよう。恋愛もアニメも、屈折も挫折も絶望も孤独も自責も後悔も、ひとつ残らず自分の味方につけてしまおうではないか。


「FM東京、腐ったラジオ!」「FM東京、オマンコ野朗!」 彼は心の自由を守ったんだ。


1989年の放送だ。今のテレビが、いかにつまらないか、よく分かりますね。

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2009年5月 2日 (土)

■心の闘い■

ガンダムの常識 Zガンダム・ガンダムZZ編 発売中
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このシリーズも第四弾。バカ売れしたので、他社さんも似たような価格帯で出してきましたね。知ってる編プロさんが関わってるから、お互いに頑張りましょうね。
『ガンダムZZ』は、無理や無茶や息切れや苦しまぎれや、その中にキラリと光る原石が見つかったけど磨いてる体力が残ってない感が、かなり好き。あと、『Zガンダム』も紛争地域のことをちょっとカジってみたら、ああいう難解な勢力図にしたのが、よく分かった。敵味方で、同じようなモビルスーツを使ってる方が、むしろ内乱時には当たり前なんだよね。


『バトルスター・ギャラクティカ』シーズン3、第9話『心の闘い』。まさか『ギャラクティカ』で恋愛のドキドキを見られるとは思わなかった。スターバック役のケイティ・サッコフの、怒っているような泣いているような表情に、ハートをギュッとつかまれる。6年前の「序章」の頃はガキっぽさが残っていたが、本当にいい顔になってきた。鼻先が切れて、ちょっと血が出てるのが、また素晴らしくキュートだ。メイキャップのセンスがいいんだ。あと、適度に鍛えられた大胸筋ね。いいぞ、ケイティ。
42_01『心の闘い』は構成が秀逸で、舞台は最初から最後までボクシング大会のリングの上。そこへ、回想シーンとしてニュー・カプリカ入植時の記憶がフラッシュバックする。「ここに立ったら、死ぬ気で戦え」と、殴られて血まみれになったオヤジ(アダマ艦長)が言う。ようするに、リングの上は「人生」だから、本気じゃないヤツはぶちのめす、というわけだ。
メイン・エピソードはその後で、スターバックがアポロを挑発する。実は過去、二人は一夜だけ結ばれていた。しかし、今はそれぞれに伴侶がいて、リングの上で殴りあうことでしか互いの存在を感じられないぐらい、遠くなってしまった――何だか、僕にもそんな一夜があったような気がする。錯覚かも知れないが、こんな苦いような、甘いような気持ちを、どこかへ置いてきたんだ、と思える。気まずい朝の光、ウソと誠意の入り混じったキス、そんなアレコレで喉をつまらせながら、「大人」を生きるしかない。人生は苦いんだよ! 脚本家も監督も俳優も、しっかり自分の人生をやっているから、こういう命の通ったドラマがつくれるんだろう。

恋愛ってのは、格闘技なのかも知れない。20歳前後の頃は、明らかに身体を酷使して、恋愛していたような気がする。脳が忘れても、身体は何十年も覚えているんだ。吉祥寺の街中でビンタし合ったことも、思い出したしな。ケータイごときで、何が伝わるんだ。


オタクの条件があるとしたら、それは「非肉体的なこと」だと思う。モニタの中が好き。虚構の中に浸っていたい。身体を使うのは苦手。『バトルスター・ギャラクティカ』だって宇宙SFだから、普通のドラマより虚構性は高い。テレビとチューナーがないと見られないし。でも、その中に血と汗の匂いを感じ、40年の人生を俯瞰できるから、俺は『ギャラクティカ』を見ているわけです。
アニメとなると、もっと、絶望的なぐらい虚構性が高い。その絵空事な部分が、非ヲタからすればキモイ。ヒップホップをやっていた友人と「夏エヴァ」を観に行ったら、「やっぱり、アニメは気持ち悪い」と、昼食も食わずに逃げ帰っていったからね。
でも、そのウソの上にウソを重ねた気持ち悪いアニメ(やSF)に、ひりひりするような現実、もっと言うと「肉体」を感じることを、僕らは期待するわけでしょ。映像ってのは都会生まれの表現だから(電気がなければ、映写機は回らない)、都市生活者が「生身」を回復するための効能を負っているべきだろう。
だから、アニメもSFドラマも、むしろ映画そのものも感覚を取りもどすための「リハビリ」なんだろうね。電気のないところへ行けば、映画は必要でなくなるはずだから。


お知らせ。メガゾーン23トリビュート・マガジン『フェスティバルタイムズVol.0』が、530626056_195SUPER COMIC CITY 18 で再販されます。
5月3日(日)10:00~15:00 東京ビッグサイト/東3ホール 「ヤ13a」時祭組 価格は1,000円。
この本にも参加しているR-AREAさんの『航宙ファン』も同時に販売されます(入手最後のチャンスかも?)。




メモ。『ゼーガペイン 忘却の女王 』(著:日下部匡俊/絵:幡池裕行) 6月19日発売……と噂されている。


メモ。永作博美が結婚した。

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