■2年ぶりのクゥ■
BShiで深夜、『河童のクゥと夏休み』が放映された。07年夏公開だから、もう2年前になるのか。厳しい残暑の中、西東京のシネコンまで這うようにして観に行ったのは。
それで、去年だったかな。別件でシンエイ動画に行ったら、応対してくれた初老の方に「あなた、河童のクゥってご覧になりましたか?」と話しかけられて。「私は経理担当だから、作品のことはよく分からないけど、あれはすごく良かったでしょう?」と盛り上がった。後から聞いたら、すごく偉い人だったそうで。
画面の端々に「これは、本当にあったことなんだ」という、強固な意志が感じられる。原恵一監督にとって、あの映画で起きたことは「実際に見て来たこと」なんだ。遠野の古い民宿でクゥが歩くと、磨かれた床にクゥの姿が映る。そんなメンドくさいことしなくてもいいのに、でも、クゥの実在感だけは怖いぐらい確かに伝わってくる。
遠野のシーンでは、川でクゥが泳ぎまわるシーンも無駄な誇張がない分、ちょっと気味が悪いくらいリアル。カメラは固定で、泳いでいるクゥが一度、フレームの外へ出てしまう。カメラはクゥを追わず、またフレーム内に戻ってくるのを待っている。ドキュメンタリーみたいな見せ方をしているのだ。
あと、主人公の家の一階に柱がある。お母さんが、その柱にもたれて話している。それが彼女の癖なんだよね。そうした人物の仕草と、川のせせらぎが、同じぐらいの強度で描かれている。俺たちが普段、この曇りきった目で見過ごしていることを、逐一「こういう事だよね、知らないとは言わせないよ」と突きつけてくる……見たくないことも含めて。
見たいもの、見せたいものだけを絵にしているわけじゃないんですよ。
公式サイトを見たら、この映画を「素直で、あたたかくて、たいへん好感のもてる気持ちのいい映画です」と言っているのは高畑勲だけ(笑)。う~ん……この人が親近感を抱くのも分かるような。
この物語が終わった後、主人公の少年は決して成長なんかしないんだよ。失う一方なんだと思う。「泣きました、感動しました」では終われない底知れなさが、この映画にはある。
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永作博美主演作ということで、映画『同窓会』をレンタル。この『同窓会』という、いくらでも互換可能な芸のないタイトルが示すとおり、何の工夫もない人情喜劇映画。映画の半分以上を占めるのではないかと思われる煩雑な回想シーンは、セピア色に染めてみたり、8ミリフィルムにしてみたり、非常に記号的。「セピア色にすれば過去に見えるに違いない」という思い込みは、いわば映像の仕組みに甘えているだけであり、「演出」とは違う。
結局、社会と対峙するドラマでなければ、監督個人のオナニーを見せるしかない。だったら、独創的なオナニーを見たいではないか。
『同窓会』は、仲間うちで「いいんじゃない?」「うん、面白いよ」と盛り上がっただけ。永作ファンも、この映画だけは無視しちゃってOKと思う。
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