■二本のアニメ■
『鉄腕バーディー DECODE:02』が終った。
『とらドラ!』の最終回にもキスシーンがあったが、『バーディー』のキスシーンとは余りに遠い。後者はオヤジのセンチメント。オヤジ=死に近づいた者だけが受け入れられる、寒々とした救いのない愛撫だった。なんとまあ、綺麗に住み分けたというか、相容れることのない2本のアニメだろう。それを、同じ時代、一度に見られるという奇跡。
もちろん、『バーディー』の最終回については、作画も含めて語るべきところは多い。しかし、作劇によって引き起こされた感動よりも、このアニメが、自ら望んでやってきてしまった地の果て。そこから振り返る『とらドラ!』という沃野。この引き裂かれた二つの大地を、一度に踏破した、という感慨に、今ちょっと呆然としている。
もちろん、二つのアニメはジャンルも違うし、作劇も作画も、根本的に別方向を向いている。それでも、手で描かれた線をトレスし、デジタル化して加工し、週に30分ずつの「劇」として届ける「決まりごと」は、まったく同じなのだ。工程は、まったく同じ。なのに、与えられる感触が、もうまるで別世界。同じフォーマットなのに、片や殺伐たる北の荒野、片や鳥の声が絶えない常夏の島。「絵を動かして劇をつくる」というだけで、こうも違ってしまうのか? その当たり前の衝撃に、ちょっと打ちのめされている。
脚本がどうの、演出がどうの、といった問題のはるか上で、「週30分単位の絵の動き」が人間を泣かせたり笑わせたり、怒らせたりする、このアニメという現象の豊かさに、震えるほど感動している。
『とらドラ!』の感想を読んでいて、「アニメが『恋空』のような受け取られ方をされるようになった」と感じた。『恋空』で描かれた内容はともかく、共感のもたれ方が似ている。それは生ぬるいといえば確かに幼く甘い受けとめられ方ではあるが、テレビアニメという媒体にとっては理想的だと感じた。テレビアニメの次のフェーズ、新しい客層が見えてきたのではないかとさえ、僕は思っている。これは僕の勝手な理想だ。楽観だ。
転じて、「作画崩壊」という陳腐なフレーズで、ようやく注目を集めた『バーディー:02』。物語も破滅的だったが、作品の成り立ち方も、自らを窮地に陥れるかのような悲壮さがあった。その脚本に、ベテランの膨大なテクニックが投入されればされるほど、ファンの望む「今」と乖離していく。最終回にいたって復活した鬼気迫る作画は、徹底的に調和を破壊する。差し伸べた手をはねのける。そこに、厳然たる「意志」を感じる。哀しいほど純粋な理想に貫かれたテロリズム、それが『バーディー:02』だった。もう誰も後を引き継がないだろう。未練であり、感傷であり、救いがない。だからこそ、僕は遠慮会釈なく泣かせてもらった。孤立無援の荒野に残された、忘れ去られた凍てついた道。『バーディー:02』は、その道を選んだのだ。誰も続くものはいないかも知れないが、僕は確かに見届けた。
僕らは知っている。嘘でもいいから、清らかな希望を芽吹かせたものを、年若い人たちは支持するものだし、キスは熱く甘酸っぱい方がいいに決まっている。だが、いまわの際に交わす乾いたキスも、人生には必要だ。それを僕は、感じとれる年齢になっていた。
今さらそんな当たり前のことを、アニメから教えられるとは夢にも思わないまま、冬から春になっていた。アニメを卒業しないで、良かったよ。
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コメント
とらドラ!を見ていると、若い人向けの作品だと切に感じます。
でもそれはTVアニメとして、真っ当至極なあり方だと思います。
そして受容のされ方が今までのアニメとは違う所に非常に興味があります。
そういう意味では新しい鉱脈を掘り当てたアニメだなぁと感じます。
投稿: ohagi | 2009年3月29日 (日) 01時08分
■ohagi様
まさしく、仰るとおりなんです。作画がどうのとか、フラグがどうのではなく「泣いた」「感動した」「すごく良かった」という感想が多いのは、健全なことだと思います。ようするに、軽く・浅く見られる深夜アニメというのが無かったんですよね。
完全に非オタク文化になってしまうと、今までに類例はありましたが(ノイタミナなど)、『とらドラ!』はライトノベルから出てきた、という点も特筆すべきでしょうね。ちょっと新しい文脈、まさに鉱脈だと感じています。
投稿: 廣田恵介 | 2009年3月29日 (日) 01時39分
連続コメント失礼します。
付け足しの意見で恐縮ですが
「とらドラ!」はライトノベルでそれも電撃文庫という
ある意味若者向けオタク文化のど真ん中な所から
出現した事に非常に意味があると思います。
この内容がこのレーベルでという意味で。
ちょっと年取って来た私に「とらドラ!」は眩しい作風でしたが
それゆえに新しい感覚が散見されて、言い過ぎかもしれませんが
新しいアニメの可能性すら見出せた感があります。
私もアニメ卒業しないで良かったです。
投稿: ohagi | 2009年3月29日 (日) 23時50分
■ohagi様
僕は「原作、ちょっと読んでみようかな」とさえ思っています。仰るとおり、電撃でこういう内容、アリなのか?と驚きました。
幼く感じた部分も多々ありますが、そここそが支持されたんでしょうね。
いわゆる「潜在顧客」なんてものはなくて、作品が具体的に支持者を獲得して、それなりの規模の、新しい市場を生むんだと思います。『とらドラ!』のお客さんたちが、次はどこへ行くのか、気になってます。気にされてる側は、鬱陶しいでしょうけど(笑)。
投稿: 廣田恵介 | 2009年3月30日 (月) 00時16分
僕なんかは、ハチクロやのだめ等のオタクから見たらスカシたような近年の作品群がライトノベルと言う原作媒体を介してやさしくこちら側に踏み込んで来たように捉えながらとらドラ!を見てました。
フジはあまりアニメに優しくない印象があるのですが、ノイタミナのラブコメ枠が積み重ねてきたものには賞賛を贈りたいです。
あとはアレかな。キャラクターに久々血肉が通ってたと言うか…。
フラグだからモテるという主人公じゃなくて、傍で見てても惚れられる資格があると思える描かれ方をしていたのが良かったかな。
投稿: てぃるとろん | 2009年3月31日 (火) 05時46分
■てぃるとろん様
ジェンコのプロデュースで、J.Cの制作だから、『ハチクロ』とまったく同じ座組みなんですよね。僕は最初、「これは非常にハチクロっぽい」と思って見はじめました。それで長井龍雪監督だったので、なるほど、と。
だけど、ノイタミナ枠ではなく、電撃発でオタク寄りだったため、新しいラインに見えるんですよね。
>キャラクターに久々血肉が通ってたと言うか…。
ここ数年、記号的なキャラクターが多すぎたんでしょうね。
投稿: 廣田恵介 | 2009年3月31日 (火) 12時59分