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2009年3月 3日 (火)

■Fight'em until we can't.■

前回、あれだけ騒がれたので、誰もが『鉄腕バーディー DECODE:02』の作画にはナーバスになってると思う(そうじゃなかったら、何のために騒いだんだか)。第8話は日常話だし、カット割からして動かさないようなコンテになっているのは分かる。だけど、いくらなんでも動かなすぎじゃないか、と思ったり(止め絵でカメラだけ動かすのは枚数を使わない基本だと思うけど、この作品でやられると、えらいマイナス効果に見えちゃうんだよね)。
僕は単純に、第7話のようなカッとんだ回が入ると、「面白いじゃないか」と乗り出してしまう。どこか過剰なところがある作品の方が、僕は愛せる。今回の「作画崩壊」騒ぎは、騒ぐために騒ぐというか、制作側を罵倒したいだけの悪意が散見されて、それが非常に残念だった(建設的な批判も、いくつかは見かけられたけど)。

テレビアニメって、もともとB級娯楽だったんだよね。ちょっとヤンチャが過ぎてしまって、それを発見する視聴者がいて――宮崎駿演出の『さらば愛しきルパンよ』なんて、まさにヤンチャだった。おいおい、今までの『ルパン』と違いすぎるって、世界観も絵も(笑)。だから、「あんなの、『ルパン』じゃないよ。好き勝手やりすぎ」「でも、凄いよね」って評価のされ方だった。宮さんの演出回だけシリーズの統一感を無視してるから。でも、そういうハプニングが起きるから、毎週、僕らはテレビの前に座っていたはずなんだよ。
『ダイターン3』の最終回も、絵は荒々しいし、話も難解。ラストの「僕は、イヤだ」って何やねん、いまだに意味わかんねーよ!と。ところが、嫌でも印象に残るんだよね。毎週30分、何が起きるか分からなかった。やり逃げだし思いつきだし苦しまぎれなんだけど、だからこそ、テレビアニメは強靭な体力をつけていったんだと思う。
でも、気がついたら、もはやハプニングは歓迎されなくなっていた。
もう10年ちょっと前のことだけど、初めて知り合ったアニメ業界の方が「テレビは、さまざまな猥雑な要素をそぎ落として、今日のような形になったんです」と言っていたのを思い出した。その猥雑と混沌こそが、テレビアニメの力だったのだろう。

閑話休題。
なんと明日4日(水曜)は、午前01時59分からシーズン1(日本テレビ)が、午後22時00分からシーズン3(スーパー!ドラマTV)が放映されるという『ギャラクティカ』な一日。
シーズン2は、スターバックの「Fight'em until we can't(最後まで戦う)」という決めゼリフで幕を閉じたが、本当にこのドラマは名言が多い。日本テレビでシーズン1を見直していたら、バルター博士が「僕は誰の味方でもない」「神は一切、関係ない」とニヒリストぶりを発揮していて、これはこれで魅力的。愚かな人間を、単に愚かなまま放り出してない。このドラマって本当に大人だと思う。そこいらの映画が束になっても、かなわないだろう。
下は、『ギャラクティカ』シーズン3の海外版トレーラーです。


もう、旧『宇宙空母ギャラクティカ』の印象は、影も形もない(笑)。今回は、イラク戦争を裏側から描いているからなあ。こういうドラマを見ると、俺は「イラク戦争のことなんか、何も知らなかった」と調べる気になるんだけど、他の人が同じ行動をとるとは限らない。「暗くて、つまらんドラマ」という人もいる。
肝心なのは、価値観の違う相手をどう叩き潰すかではなくて、どう付き合っていくか、なんだよなあ……。

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コメント

『バーディー』批判は、アニメを「観る」環境の激変に端を発していると思います。
「テレビアニメ」『鉄腕バーディ DECODE』は「地デジ」対応の「プロジェクター or 大型プラズマ・液晶テレビ」で「観る」ことを前提とした、「最先端」の「アニメ」を目指している。
ところが、私もそうですが(ブラウン管の32型です)、視聴者には「最先端」の「アニメ」を「観るため=デコード」する「テレビ」が無い方が結構いるのではないか(私は環境を揃えるまで「バーディー」を観るつもりはありませんでした)。
不況で、人々は同価格の「映像」出力装置を選ぶならコミュニケーションツールとしても万能なパソコンを選んでしまうのが正解のように思ってしまう(テレビのパソコン化は進みつつあるみたいですが)。そして、そこに落とし穴がある。
静止画キャプチャに特化したメディアであるパソコンで、テレビで「流れる=デコード」ことを前提にした「アニメ」を観るという事態は正直観る側作る側も心地よくないことだと思います。
しかし、この事態を断罪するのではなく、「視聴者/作り手」が「テレビアニメ」を「観る/作る」ことは「テレビ/パソコン」の「政治」に否応がなく立たされるという現状認識を持つことが今求められている。
私は「テレビ/パソコン」の政治に屈しない「アニメ的」なものを観てみたいし、「アニメ的」なものをデコードする見方を鍛えたい。それは、赤根和樹作品を肯定するのではなく、藤本義孝=ふじもとよしたか作品を肯定することから始まると私は思う。

投稿: ゆるゆる改めast6891 | 2009年3月 4日 (水) 00時09分

■ゆるゆる改めast6891様
う~ん、ちょっと僕のようなAV音痴のオジサンには話が難しいです(笑)。すみません。

>「テレビアニメ」『鉄腕バーディ DECODE』は「地デジ」対応の
>「プロジェクター or 大型プラズマ・液晶テレビ」で
>「観る」ことを前提とした、「最先端」の「アニメ」を目指している。

ひょっとしたらメーカー側に、そういう意識はあるのかも知れません。
だけど、毎週毎週、良くも悪くも荒っぽいというか、小さな画面で見ても分かりやすい絵づくりをしているという印象を受けます。例えば、第8話の背景なんて、拍子抜けするぐらい密度がありませんでしたから。大画面で、あれは辛いと思います。
脚本も含めて、これほど「昭和」っぽいというか、「テレビアニメ」な作品も今どき珍しい……というのが、僕の感想です。それは、ast6891さんの仰る「アニメ的」なものとは違うのだろうな、と推測はしています。

本当に理解が悪くて申し訳ないのですが、「○○監督作を肯定/否定」というのも、僕の理解のおよばない話です。同じ監督でも、組むスタッフによって、時期によって、やっている仕事内容がずいぶん違うからです(僕がインタビューしたり、仄聞した範囲での話ですが)。

何ひとつ理解できなくて恐縮なのですが、このブログやコメント欄が、何らかの「結論」を求めているのではないことだけ、ご理解いただけると、大変助かります。

投稿: 廣田恵介 | 2009年3月 4日 (水) 01時03分

>何ひとつ理解できなくて恐縮なのですが、このブログやコメント欄が、何らかの「結論」を求めているのではないことだけ、ご理解いただけると、大変助かります。

 すみません、ラディカルに書き過ぎましした。私もAV音痴です(笑)
 私は「結論」なんて望んでません。「結論」を解体していく手段として、ふらつきながらブログ書いたりコメントを書くように心がけているつもりです。
 今回は、廣田さんのブログに甘え過ぎたことを反省します。ごめんなさい。

投稿: ast6891 | 2009年3月 4日 (水) 01時24分

■ast6891様
いえいえ、結論を解体する手段、ということなら非常によく分かります。僕も、頭に浮かんだことのメモがわりにブログを使っているようなところがあります。ただ、論理的思考ができないので、まとまらないだけです(笑)。

「途中経過」は大好きですので、また、これに懲りず書き込んでやってください。よろしくお願いします。

投稿: 廣田恵介 | 2009年3月 4日 (水) 01時36分

横から失礼します。

ギャラクティカ第9話「帰還不能」。
こういう終わり方、やっぱりアメリカ映画だ。
ギャラクティカを見る気にさせてくれた廣田さん、ありがとう。

投稿: DH98 | 2009年3月 4日 (水) 21時23分

■DH98様
今回のスターバックの活躍は、後々の伏線になっているような感じですね。
シーズン1は、今回のような娯楽性の強い話や次回のような法廷ドラマなど、あちこち可能性をつついていてる感じです。

スーパー!ドラマTVではシーズン3が始まりましたが、「やっぱりスゲー!」ですよ。こっちは主題歌もありませんし(笑)

投稿: 廣田恵介 | 2009年3月 5日 (木) 00時29分

アニメージュはまだ買っていないので読んだら違う意見も出るかもしれませんが、とりあえず書きます。
残念ながら、ぼくは特に今のアニメをあんまし見ていません。というかそれはテレビ自体をあまり見なくなってしまったがゆえなのですが、今のアニメはそんなにヤンチャさがなくなってしまったのですか。ハプニングは歓迎されなくなったのですか。ハルヒのシャッフル放送は(半分くらい見てる)? 白石稔のEDは(これはアニメじゃないか)? 喰霊の四課全滅は(これはちゃんと見た)? 練馬大根ブラザーズのミュージカルは(ナベツネは笑ったけどもう3年前だな)? 知っているわずかなアニメ群のなかでさえいくつか思い当たるフシはあるのですが、そのほかのどの作品にも、ヤンチャだのハプニングだのはなくなっているのでしょうか。
「テレビアニメはもともとB級娯楽だった」。なるほど。「テレビアニメは強靭な体力をつけていった」。なるほど。ならば、ヤンチャだのハプニングだのは、娯楽を面白くするための一方法であって、「敢えてアクシデントを起こす」ためのアクシデントでは無いのではないかな? 強靭な体力をつけるのは、ただ強くなることが目的なのではなく、「なにか」をするための力が要るからじゃないのかな? 必要なのは、蘇るために蘇ることじゃなく、面白いことをした結果蘇ること、なんじゃないのかな? などと私は思うわけです。
「ヤンチャに○○をやった」「○○面白え」でなく、「ヤンチャをやった」「ヤンチャすげえ」になっているのであれば、それはちょーっとヤバいのではありますまいか。

投稿: 山下 | 2009年3月12日 (木) 23時29分

■山下様
まず、アニメージュは、あの2ページのために買われるつもりなら、「ちょっと物足りないですよ」と言っておきます、すみません。この記事の「続き」をやる気まんまんだったのですが、そうはいかなくなってしまったのです……。

それはともかく、僕が「Aだよ、絶対にAだよ!」と言っている時に「ホントにAでいいの?」と意見していただけるのは、本当に助かります。
挙げられた作品は、言われてみればナルホドです。ただ、前回の『とらドラ!』もそうだったのですが、『ハルヒ』も『喰霊』も「成功例」だと、僕は思うんですよ。後から回収可能なヤンチャは、もう制作者の意図の範疇じゃないでしょうか。
ですから、「娯楽を面白くするための一方法」という言い方で括れてしまえるのです。
で、『バーディー』の第七話はその中に入っておらず、「ヤンチャ面白え」レベルなのです。意図が行き届いてませんから。

僕が言っているヤンチャやハプニングは、「これは事故ですか?」レベルのことなんです。ここはヘタクソな文章ゆえに伝わりづらいと思うのですが……「あれれ、どうしゃったのコレ?」「責任者の首、飛ぶんじゃね?」と見ている方が不安になるような体験がハプニングなのだと思います。でも、そこは僕の人生観にかかわってきちゃうんですけど、80年代のグシャグシャなOVAが腐るほどあった(それらが肥やしとして機能していたと思います)当時と比べると、今って見事に区画整理されて見えるんですよ。
ワンカットワンカット、管理というより監視されていると感じることさえあります。

僕は無責任にも「事故でもいいじゃん?」と思っているので、そこで山下さんのご意見とすれ違ってしまうんでしょうね。
そして、「すれ違っている」と差異を認識できることさえ、今の僕には貴重な体験です。その点、感謝しております。

投稿: 廣田恵介 | 2009年3月13日 (金) 00時52分

ううむ。制作者の意図の範疇にある成功と、不安になるくらいの「事故」や「ハプニング」と。もし前者でなしに後者が起こるからこそ「毎週、僕らはテレビの前に座」るのであれば、それは本当に、テレビアニメ界隈が活性化し、蘇ることにつながるのでしょうか。むしろ逆ですらあるような気がします。
カーレースを見ながら「あんな技術のマシンが出てくるなんて!」「今回はとんでもないタイムが出たよ!」というのではなく、「ピットでのミスで怒鳴りあいが起こったぞ!」「派手なクラッシュだ! すげえ!」というようなことの存在をあまりに重んじるのなら、それはつまり本質的な「レース」の力だけでは観客として会場席やモニタの前につかないことを意味する、と思うからです。

投稿: 山下 | 2009年3月13日 (金) 22時08分

■山下さま
戸惑わせてしまったようで、申し訳ありません。ですから、「僕の人生観にかかわってきてしまう」とエクスキューズを入れさせていただきました。

仮定の話なら、いくらでも暴論に結びつくことを言っている、と自分でも承知しています。しかしながら、山下さんの仰っていることに近いのですよ、私が80年代に感じていた「活力」というのは。
無論、「意図の徹底された良質な作品」もキッチリと放映されていること。これは必須条件です。
しかし、みんながお行儀よくテレビの前に正座しているわけではありません。放送が間に合わず、すでに放送した回が再放送されても、「でも、また来週見よう」という世界だったのです。好きなアニメだったら、動画が抜けてようが色パカだらけだろうが「ひでえなあ」と言いながら、毎週楽しみにしていたのです。

>それはつまり本質的な「レース」の力だけでは
>観客として会場席やモニタの前につかない

山下さんはとても例えが上手いと思うのですが、その通りです。映画だって、大量宣伝とタイアップで無理やり大ヒット、という例がありますよね。『千と千尋の神隠し』のDVDが発売されたとき、「さんまさんがCMやってるから買いました」という主婦がいました。裏を返せば、作品の本質なんて気にも留めない観客が大勢いる、ということです。
世の中は理不尽だし、不合理です。しかし、その中から、「本当にいいもの」「愛せる作品」「マイ・フェバリット」を探し出すのが、僕たちの役割なのではないでしょうか。

投稿: 廣田恵介 | 2009年3月13日 (金) 23時46分

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