« ■素敵な曲がつくれちゃった?■ | トップページ | ■吉高由里子が、俺に無断で声優デビューしていた■ »

2009年2月22日 (日)

■アニメを見ている人たちの尺度がアニメしかない■

「フィギュア王」編集部から、『ギャラクティカ』の記事に使ったパイパーMk-Ⅶが戻ってきた。
090222_02530001先日は主題歌を担当するミュージシャンを悪しざまに書いたが、同様のツッコミを入れているニュースサイトがあった。本来なら、『ギャラクティカ』本編と主題歌、相乗効果で両方売れてほしい。ところが今は、至るところで「売れてくれれば何でもいい」というみみっちい商魂ばかりが目について、非常に切なくなる。
こういうご時勢なのだから、助け合ってやっていくべきなのに。

『鉄腕バーディー DECODE:02』の第七話が作画崩壊と騒がれたことについて。
僕は放映前から、特に第七話に関して取材をしていたので、いずれアニメ誌に掲載されるはずの記事を読んで欲しいのだけど……ネットでの反応を見ていて、「作画崩壊」という僕らが若い頃にはなかった言葉の意味が、ようやくつかめたような気がする。
「にゅーあきば.こむ」の記事で見つけた、「動きはかなりよいのだが、作画がかなり端折ったものになっており」という一文……これ、意味わかる人いる? 動きがかなりよいのなら、作画は端折ってないんじゃないの?と僕は思ってしまうんだが、それはハズレ。ここで言っている「作画」を「キャラ表に似せる作業」「絵柄を統一する作業」と置き換えてみよう。そうすると、「作画崩壊」という謎の言葉の意味が分かってこないだろうか。
前にも書いたことだけど、現場で誰が何をしているのか、視聴者に伝わっていない。キャプチャ画像だけ拾ってきて「ひでえ手抜き」と言ったり、今まで『バーディー』を見てなかったのに、今回だけ、かさにかかって攻撃している人たちもいる。しかし、僕は彼らを責めようとは思わない。ここで現場を取材できる立場の人間が「君たち、分かってないね」と上からモノを言ってしまったら、ますますミゾが深まるだけだから。
また、アニメーターの名前を知らないと作画やアニメについて語れない、という状況を健全だとも思えない。

これも前に書いたことの繰り返しだけど、アニメを見ている人たちの尺度がアニメしかない、これが最大の問題ではないだろうか。映像だとか作品だとかいう大局的なレベルで見れば、これまで色々な試みがなされてきたし、それこそ「作品崩壊」は至るところで生じてきた。
例えば、『王様の映画』は、映画監督を主人公にしたアルゼンチンの映画だ。物語の後半、エキストラさえ集められなくなった主人公は、「ここは幻想シーンということにしよう」と苦肉のアイデアを出し、カカシに衣装を着せて火をつけたりする。アニメで言えば、優秀なアニメーターが次々に抜けて、ついには監督一人で原画を描きだすような感じだ。
あるいは、タイトルは失念したが、百姓一揆のシーンをスタッフ総出(10人ぐらい)で撮りきった低予算映画もあった。明らかに映像としてはショボイ。だけど、CGでは出せない捨て身の迫力が、そこにはあった。
予測不可能な出来事を歓迎するか、排除するか。「作画崩壊」なら「作画崩壊」でいいから、その先に何があるのか、誰かが踏み込まねばならない。そこをスルーしてしまったら、ライターなんて職業はいらない。下世話なぐらいの好奇心が必要なのだ。

|

« ■素敵な曲がつくれちゃった?■ | トップページ | ■吉高由里子が、俺に無断で声優デビューしていた■ »

コメント

>鉄腕バーディー

最近のアニメはキャラ表どおりに絵を統一させないとダメと考えるアニメが多いと思うので、そういうアニメをよく見てきたファンにとっては、今回の絵はだいぶ見づらかったように思えます。
僕はバーディーのアニメーターの仕事っぷりは大好きなんで嬉しかったのですが……アニメを見てきた人の尺度がアニメしかない、というより、今アニメを見てる人の尺度が丁寧でキャラ表どおりのアニメがほとんど、という状況が生み出してるような気がします。
ただこれを無理矢理「理解しろ」というのはムリな話なんで、せめて作画を崩すという演出があるという事ぐらいは知って欲しいと思いました。

投稿: マリオ | 2009年2月23日 (月) 02時00分

■マリオ様
書き込み、ありがとうございます。
仰るように、最低限、いろんな作り方があるんだという認識は持って欲しいと思っています(そのためには、多種多様な作品を見ないといけないので、実はハードルの高い要求なんですけど)。
綺麗なキャラ表どおりの作画が多いのは、もう時代の趨勢でしょうね。アニメを均質化させているのは送り手側なので、受け手にばかり柔軟性を求めるのもおかしな話です。そこが難しいところなんですよね。

投稿: 廣田恵介 | 2009年2月23日 (月) 03時23分

今回の鉄腕の場合を実際の映画とかに例えるなら
男優・女優が別人になっていたパターンでは?

投稿: 通りすがりです~ | 2009年2月23日 (月) 09時54分

別人て言うかスタント。
んで、スタントマンが体型すら役者と大きく違ったって話。
批判してる人は金があればもっと似てて動けるスタントマン用意できたのにねーとか、CGでいじって本人らしく見せろよ、とかそう言う話をしてる訳だ。
映画であってもかように批判されるだろう「作画崩壊」についての話でこのタイトルになるのはどうかと思う。

投稿: tk | 2009年2月23日 (月) 11時31分

■通りすがりです~様
書き込み、ありがとうございます。
なるほど、俳優が別人になっていた……その例えは分かりやすいですね。同じ一本のフィルムの中で俳優が変ってしまうのはマズイのではないか、という話ですね。

■tk様
書き込み、ありがとうございます。
まず、タイトルがまぎらわしかった点は、お詫びします。
それで、スタントマンの例はよく分かります。確かにハリウッド映画や日本のメジャー映画だったら、CGで違和感をなくすのでしょう。ですから、今回はテレビアニメにはハリウッド的な、ウェルメイドな完成度が求められているんだな……と認識を改めました。

投稿: 廣田恵介 | 2009年2月23日 (月) 12時03分

「アニメーション」には二つの側面があって
それは「絵」が「動く事」だと思います

“animation”の本来の語義からすると
「動く事」がその本質にあるようにかつては思われていましたが
日本の「アニメ(和製英語)」においては
前者、すなわち「単体の“絵”としての美しさ」に
重点が置かれているような気がしますね

かつて「毎週放映の30分作品」という“ありえない過酷な条件”、
“animation”本来の意義である「動き」で魅せるには余りにも
低予算と短期間という桎梏の元でスタートした
我が国の「アニメ」は、
その条件を逆手に取ったゲリラ戦術としてシナリオと演出の技法で「魅せる」
という独特のスタイルを生み出す一方で
「一枚絵の美しさ」に拘るという方向性も生んだのだと思います

アニメ雑誌の美麗な見開き絵、「アニメ美少女専用のグラビア雑誌」の
存在が外国人にとっての驚異である事・・・・
日本の“anime(米俗語)”は、「動く(事が本質の)」絵であった
従来の“animation”とは異質の「(美しい)絵が」動く、という点に
重点をおいた、イラストや漫画の延長上の“メディア”として
ファンに認識され、受容されているように思います

投稿: ぶり | 2009年2月23日 (月) 15時56分

■ ぶり様
書き込み、ありがとうございます。今回の一件で、本当にいろいろな意見を知ることが出来て、勉強になっています。
アニメ誌の版権イラストは、僕にとって「よく分からない習慣」のひとつだったのですが、おかげでその存在意義が分かったような気がします。同時に、膨大な絵の連続の一枚だけを取り出して、その出来ばえを評価するという行為も、一概に愚かしいとは言えないんじゃないか、とも思いました。なぜなら、それはぶりさんが仰るように、日本のアニメが「一枚絵としての魅力」を否応なく育んできたからです。
そう考えていくと、「動き」の魅力を説明すること自体が非常に困難であることが分かってきます。
「キャラ表には似てないけど、よく動いている」という誉め方は、日本のアニメのスタイルとしては異端なわけですね。いろいろ、謎が解けてきました。ありがとうございます。

投稿: 廣田恵介 | 2009年2月23日 (月) 16時24分

えー、詳しい知識があるわけではないのですが。
今回のは「キャラ表には似てないけどよく動く」とかそういうような話ではない気がします。たとえばついこないだのとらドラ!中で見られた沼田という人の作画は、今回のようには叩かれてはおりません(よね?)。そうしたことは過去に何度もあるはずです。「キャラ表に似ていない」のにも色々あるという当たり前のことをぬきにすると、「作画が違う」ではなく「作画が『崩壊』した」といわれた理由は分析できない気がします。

投稿: 山下 | 2009年2月24日 (火) 05時56分

■山下様
書き込み、ありがとうございます。
作画崩壊の「崩壊」には「失敗」というニュアンスが含まれていると思います。先日の『とらドラ!』の場合、キャラ表に似てはいないが、意図が「成功」した作画である……と仰りたいのではないかと思います。なるほど、それなら過去に成功例はたくさんありましたね。
だんだん、「作画崩壊」という言葉の指向性がはっきりしてきました。「作画が崩壊した」=「試みが失敗した」という感じでしょうか。でも、「作画崩壊」と言っている人たちは、もっと直感的、反射的に使っているんですよね。

投稿: 廣田恵介 | 2009年2月24日 (火) 06時53分

年寄りの小言と受け取ってもらって構わないのですが、

>今回はテレビアニメにはハリウッド的な、ウェルメイドな完成度が求められているんだな……と認識を改めました。

昔のアニメファンはTVアニメというものが低予算・短制作期間で作られるB級映画に相当するものだと理解していて、B級映画ならではの自由な雰囲気や実験的手法を(「あーあ、やっちゃった」というのも含めて)楽しんでいたんですよね。

でも、狭い狭いオタク市場向けに作られる作品がハリウッド映画になることはありえない。市場規模が違いすぎるんだから。昨今のアニメファンがそのことを理解していない、理解できないのは非常に不幸なことだと思います。

結局、アニメを作る大変さを分かってないんでしょう。XBOX版アイドルマスターみたいに家庭用ゲーム機でグリグリ動く時代ですから(あれだってグラフィッカーやプログラマーが死ぬほど苦労してると思うんですけどね)安易に考えてしまうのは仕方ないことなのかもしれません。だとしたら、メディアの側が1枚1枚絵を描いていくことの大変さ、その苦労の上に成り立つアニメーション芸術の素晴らしさを積極的に伝えていかなければならないと思いますよ。

投稿: Sacchan | 2009年2月24日 (火) 08時35分

■Sacchan様
書き込み、ありがとうございます。
ご指摘の通り、テレビアニメはハリウッド映画ではなく、プログラムピクチャーに近いものだったと思います。
しかし、今は受け手は漠然と「分かりやすいエンターテイメント」を欲しているのじゃないでしょうか。だから、アクシデントに対する耐性が弱いのではないか、と推測します。

>メディアの側が1枚1枚絵を描いていくこと
>の大変さ、その苦労の上に成り立つアニメ
>ーション芸術の素晴らしさを積極的に伝え
>ていかなければならないと思いますよ。

これはもう、仰るとおりです。今回の一件は、たいへん勉強になりましたから、短いインタビューひとつでも緊張感をもって取り組もうと決意を改めました。
「作画」という言葉の意味すら、現場と受け手では解釈が違う――それは、アニメ誌が伝えてこなかったからだと思います。

投稿: 廣田恵介 | 2009年2月24日 (火) 13時26分

アニメ制作者にもアニメしか知らない人が多い、という話を聞くことがしばしばあります。もちろん制作者・ファン全員がアニメしか知らないということは無いでしょうが、作り手も受け手もアニメしか知らない人たちが多数では、業界が縮小傾向でマニアックになるのも当然だと思います。

投稿: NGT | 2009年2月24日 (火) 19時46分

>キャラ表に似てはいないが、意図が「成功」した作画である……と仰りたいのではないか
ではないです。「似ていないが『あり』の絵」と「似ておらず『なし』の絵」があるということですね。バーディーの絵としてこれは「なし」になった、と思うから「崩壊」なのではないでしょうか。だから「直感的、反射的」に判断できるわけです。だめな絵がどうだめなのかを論理的に説明できなくても、直感で「だめだ」と判断することはできるのですから。

投稿: 山下 | 2009年2月24日 (火) 19時48分

■NGT様
書き込み、ありがとうございます。
確かに、送り手と受け手の妥協点がマニアックな部分に陥っている、とは感じますね。
幅広くいろいろなモノを見聞して、たまに深夜アニメなどにもフォーカスを合わせる…という人は、感想ひとつとっても、面白いんです。
僕も、なるべくそうありたいと思っています。

■山下様
こちらの理解が悪く、申し訳ありません。

>「似ていないが『あり』の絵」と「似ておらず『なし』の絵」がある

このニュアンスは、何となく分かるのです。直感的・反射的判断なら、僕にも当然そういう部分はあります。ただ、僕の仕事は「違うな」「嫌だな」と感じた先に踏み込まねばならないので、歯切れの悪いお返事しかできず、申し訳なく思っています。
雑誌が出ましたら、立ち読みでも結構ですので、目を通していただけると幸いです。

投稿: 廣田恵介 | 2009年2月24日 (火) 21時24分

取材記事については非常に興味があります。なぜああだったのか、その意図が語られると面白いのですが。
ところで、「立ち読みでいいよ」というのはその、ライターとして色々差し障りがですね、えー、あるのではないかなと思う次第です。ええ。

投稿: 山下 | 2009年2月26日 (木) 05時26分

■山下様
「あとは雑誌に載るから、買ってくれ」というのも乱暴な話でして(笑)、気分的には「目を通していただけると報われます」という感じです。
お気遣い、ありがとうございます。

本が出ましたら、このブログで告知いたします。

投稿: 廣田恵介 | 2009年2月26日 (木) 13時49分

「立ち読みでいいから」「レンタルでいいから」っていうのは、ものを作る人からはよく聞く言葉ですね。
誰かの目に触れて、その人の心の中に何かしらの動きを起こせたら、そこで本来の目的は達成されますから。まぁお金がないのも困るんですけど……。

誰も居ない山奥で、一本の木が倒れた。その時、果たして音はしたのか。誰も聞いていなければ、音はしなかったのと同じではないのか。
そんな寓話が思い出されます。

投稿: たなきち | 2009年2月26日 (木) 19時51分

■たなきち様
書き込み、ありがとうございます。
今回のエントリは7,000以上のアクセスがありました。しかし、雑誌やムックは聞かないと発行部数を教えてくれませんし、こうして読者からリアクションが返ってくることもありません。
それこそ、山奥で一本の木が倒れただけだ……といつも感じています。一番困るのは、ネットで他の方が記事の要約を書いて、それを目にしただけで「読んだ」と思われてしまうことですね。
それだったら、立ち読みでもいいから、記事そのものを読んでほしいと、いつも思っています。

投稿: 廣田恵介 | 2009年2月26日 (木) 22時18分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■アニメを見ている人たちの尺度がアニメしかない■:

« ■素敵な曲がつくれちゃった?■ | トップページ | ■吉高由里子が、俺に無断で声優デビューしていた■ »