■『ハルフウェイ』と僕■
新宿バルト9にて、『ハルフウェイ』鑑賞。平日昼間だというのに、満席に近い入り。北乃きいは、仕事以外で会ったことのある(って、事務所でお話した程度だけど)唯一の女優。今回は、ほとんどアドリブという条件の下、人生観も浅ければ感情もさだまらない、自分の恋愛に翻弄される女子高生を生身で演じている。「生身」っていうのは、もう素をさらしているってことだ。相手役の岡田将生は、アドリブによって逆に芯の強さみたいなものが出たんじゃないかな。
ブタ可愛い仲里依紗は、北乃きいの友人役。ますますコロコロして、相変わらずブーたれた演技が似合っていて、大好きだ。
で、映画はというと。
大学受験を控えた北乃きいと岡田将生が、いきなり相思相愛になって、イチャついたりケンカしたりを、えんえんとくり返してくれる。もう、一秒一秒が愛おしくて、まばたきするのも惜しいぐらい。ストーリーなんてないですよ、オチだってないんだから。
だから、ネタバレもへったくれもないよ。セリフ(というか、演技の中にセリフが流れてる感じ。あるいは、セリフが芝居を牽引するような)が、どれも素晴らしかったので、ここでセリフを書いたら、それがネタバレだ。みんな、ラストシーンのことを「ネタバレ」と呼んでるようだけど、映画の「ネタ」なんて、映画によって違うと思うんだが。
人によっては、ムカつく映画だと思う。いわゆるリア充たちが恋愛衝動に突き動かされて、群れるだけの映画だから。僕に関していうと、そういう軟弱なフィクションを愛する自分をありありと発見できたし、もうひとつ、「論理」とか「理屈」が、いかに僕とは無縁であるかを確認できた。登場人物の行動を促すキーは、確かに要所要所に配してあるけど、基本的に出たとこ勝負。僕の文章に似ている。モチベーションは確かにあるのに、どんどん支離滅裂になっていく。そして、投げっぱなしの何が悪い、と最後には開き直る。本当に、僕とよく似ている。
映画を、自分の外部に置き、「客観的」だと思っている人は、自分の内部に映画が流れ込んでくるのが怖いんじゃないだろうか。五段階評価で点数をつけるような人も、どんな映画とも等距離に接して、自分が品質管理委員になった気分でいるだけで、よもや映画によって自分が変えられることになろうとは、夢にも思っちゃいないんだ。
あまりにも自分を疑うことを知らない人、多数決を自分の価値基準にすりかえて平然としている人が多いことに、心から呆然とする。「疑いつづけるという態度と、好奇心を持ち続けるということは、おそらくほとんど同じことだ。」
少なくとも、自分を高めよう、ちょっとでもマシな人間になろうという向上心を失ったら、作品を見る・語る資格はない。そして、「自分」なんてものは、あっさり変質しうるし、変質して当然なんだ。
20代の頃の話だが、女友達が長年つけていた日記をすべて焼き捨ててしまった。「なんかあったの?」と聞くと、「人生が点ではなく、線になってしまうから」。この感覚。10年後の人生設計よりも、10秒間の胸の痛みが大事。この広大無辺な宇宙の中で、まばたきするような一刹那が大事だなんて、何という軟弱! でも、そんな「瞬間」からしか世界を愛することの出来ない人たち、『ハルフウェイ』は間違いなく、あなたの一部ですよ。
さて、今年は『ギャラクティカ』的には忙しい年でありまして、待望の『バトルスター・ギャラクティカ/シーズン3』はスーパー!ドラマTVにて来週水曜(3月4日)22時よりスタート。緊張の高まるニュー・カプリカの情勢やいかに?
日本テレビの『GALACTICA/ギャラクティカ』では、主題歌のKenのコメントが流れてたけど、ちゃんと番組の魅力を語っていたので、すっかり見直した(収録場所は、グレイス・パークの取材と同じホテルだったので、イベント前に収録したっぽい。だったら、イベントでもしっかり語って欲しかったところ)。
ともあれ、次週からは、ちゃんと主題歌も聴こう! ……うまく丸めこまれたような気がしないでもないが、まあ、騙されてやろうじゃないか。
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