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2009年1月30日 (金)

■たまには、アニメを語りたい■

メガミマガジン 3月号 本日発売
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●新房昭之×山本寛 2大アニメ監督スペシャル対談 まとめ

多分、かなり修正されたと思うので、どういう雰囲気の誌面になっているかは分かりませんが、対談自体は同席した一同笑いっぱなしの和やかなムードでした。あまり僕はお役に立てなかった気がするので、以下、記事とはあまり関係ない話を。

以前から、「○○監督らしい表現」とか「脚本が○○さんでは出来が目に見えている」といった言説に違和を感じていた。まるで監督と脚本家の二人だけでアニメをつくってるみたいだから。
以前、あるアニメの脚本を読んで、「実に○○さんらしいギャグだ」と書いたら、「それは別の脚本家の方が考えたギャグなんです」と訂正を求められたことがあった。脚本家は個人作品を書く「作家」ではなく、プロデューサーや監督、他の脚本家が打ち合わせでポツリと口にした要求まで拾い上げて、なるべく尺に(予算に)合わせる「会計係」に近い役職なのではないだろうか。
別の作品では自らシナリオを書いているにもかかわらず、「今回はシリーズ構成を別に立てたから、ストーリーはそっちに任せてある」という監督もいる。組むスタッフによって、本当にいろいろなパターンがあるのだ。

そういう、現場ごとの役職特性が、視聴者に伝わっていないと感じる。伝わっていない方が送り手も受け手も都合がいいのかも知れないが、それでは僕の仕事、やりがいがない。今回の対談の印象でいうと、新房監督は、スタッフを暴れさせる現場をつくる「監督」であって、「徹頭徹尾、俺のメッセージを伝えたい」わけではない。逆に富野由悠季さんは、セリフのニュアンスにまでメッセージ(哲学というか思想というか)を込める芸術家タイプの「監督」の代表でしょう。
090128_05270001新房監督は、「スタッフみんなが楽しければ、俺は幹事役ぐらいはやるよ」、そう言っているように感じた。だから、「毎回、カッとんだオープニングですね」なんて新房監督に言っても、あんまり意味はない。だって、『絶望先生』や『まりあ†ほりっく』のOPは尾石達也さんの仕事だもの。そうやって腑分けしていかないと、新房監督の本当の役割は分からない。逆を言うと、ちゃんと腑分けしていけば、新房監督の真価が分かってくるわけだ。

印象ばかりで申し訳ないけど、山本監督は実写の、しかも自主映画の「監督」に近いんではないか、と思う。押井守監督ともなると、絵コンテを切るという形でカメラを回しているよね、確実に。宮崎駿監督は、カメラを回しながら自分で演技までしちゃってる……むしろ、演技している自分をコンテというカメラで撮っている感じ。
山本監督作に話を戻すと『かんなぎ』を「自主映画みたいなミニマム感があるよね」「町内でロケしてきたような空気感があるよね」と言っても、周囲に通じる人がいない。オープニング作画が凄いとか、ナギ様の処女性がどうとかいう人はいっぱいいるのに、カメラワークのことなんて誰も言わない。言うべき人も、言ってない。
『かんなぎ』は、一本の映像作品として扱われていないんじゃないか、とさえ思ってしまう。「アニメ」として認知されてはいても、「映像」という広い捉え方が、受け手に欠落している。新房作品のOPにしても、「一本の映像作品」として照らし返せば、どれほど最先端を行っているか、その価値が分かるはず。だのに、アニメを語る人の定規が、アニメしかない。それが言葉を痩せさせている。

知識よりも重要なのは、感性を蓄積することだ。作品への理解を深めるには、いろんな体験を積んでいくしかない。僕が『メガゾーン23』のラストを好きなのは、心底たたきのめされた最悪の朝を迎えたことがあるからですよ。そういう、身体や心に響く体験なしに、フィクションを語ることなんか出来やしないんだよ。
宮崎駿監督が「絵っていうのは、身体で描くんですよ」と言っていたのと同様、我々もアニメを「身体で見る」必要がある。

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2009年1月27日 (火)

■サイボーグ、山椒魚など■

本日火曜日の日本テレビ『ギャラクティカ』は、26時09分から(水曜の午前2時09分から)。ようやく「序章」完結か。こんなペースで人が離れてしまわないか、ちょっと心配。来週放送の「33分の恐怖」が傑作エピソードなだけに、根気強く見つづけて欲しい。

ひさしぶりに、女優の話でもしますか。
綾瀬はるかが、非常に気の毒だった『僕の彼女はサイボーグ』。谷村美月なら、今さらサイボーグなんか演じても、痛くもかゆくもないと思うが……普通は断るよな。しかし、俺としては綾瀬はるかにはまるで興味がなく、お目当てはラスト近くに一分だけ登場する吉高由里子。
090126_22450001やっぱり不思議だ、この人は。天才バカ・オーラで、映画をパッと明るくしてしまう(ほんのチョイ役なのに)。『重力ピエロ』では、なんかマジメな役らしいのだが、天才バカ力で映画を叩き壊して欲しい。映画に叩き壊されては立ち直る谷村美月とは、好対照にある人。

もう一本、ケーブルで『ローレライ』を見ていたら、香椎由宇がお人形みたいに撮られていて、もういたたまれなくなった。あんな、オタクが喜びそうなコスチューム着せられて、泣きたくなっちゃったよ。そこで、香椎がオダギリジョーと共演している『パビリオン山椒魚』を借りてきた。オダギリとのイチャつきぶりが、実に素晴らしかった。香椎は沈みすぎず、浮きすぎず……という按配で、適当に放し飼いにしておくと、勝手にバランスをとって泳ぎだすような感じ。『リンダ リンダ リンダ』でも、そうだったと思う。
『パビリオン山椒魚』は、ストーリー設定も面白かった。150年間、山椒魚を生かしておくためだけの財団が秘かに存続している。一匹の山椒魚のために、美人姉妹が派閥争いをしている――なんとバカバカしく妖しい設定なんだ。
090126_22520001その美人姉妹の三女が、モデル出身のKIKI。髪形も凄いが、歯に衣着せぬ物言いが憎らしくて、実によい。ストーリー前半のデカダンな雰囲気は、KIKIの存在感によるところが大きい。和服でタバコを吸ったり、とかね。似合うんだよ。和服も、タバコも。
いいよね。元・華族で、退廃で。まあ、ふざけた映画だったけどね。長女役の麻生祐未も、非常によかった。デタラメなお話だったけどね。

あとは、脳内ディズニー・ブームのため、『眠れる森の美女』。マーク・デイヴィス描くオーロラ姫を堪能する。

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2009年1月23日 (金)

■スマイル0円■

フィギュア王 No.132 明日発売
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●あの『ギャラクティカ』が奇跡のリメイクを経て地上波放映開始!
今さらながら、地上波放映スタート告知のため、カラー見開きを使わせてもらいました。内容は、本当に基本的な作品紹介ですね。
今週、日本テレビでは「序章」の第三話まで放映されたけど、アメリカでは5年前ですからね。ローラ・ロズリンの大統領就任は、オバマより5年早く、場所も輸送機の狭いキャビンの中だった、と。誰からも望まれず、まして自ら望んだわけではなく……。
公から私へ、私から公へ、視点の変化の自然なところが素晴らしいな、と改めて地上波放映を見ていて感心しました。
記事の方は、フイギュア誌なので、ちゃんとハズブロ社のタイタニウム・バイパー(ミニカーみたいな玩具)の写真を撮り下ろしてもらいました。この記事に載せるために、オークションで落としましたからね。『ギャラクティカ』普及のためなら、それぐらいはやりますよ。
090122_16180001そういえば、シーズン2後半のDVDがAmazonから届きました。先日のイベントでは『ペガサス』のロングバージョンが見られなかったけど(プレス関係者は上映時にはロビーで取材でした)、DVDにはバッチリ収録。シーズン2最終回『審判の日』の全長版のほか、細かな削除シーンも収録されているのが素晴らしい。
この充実ぶりは、先日のイベントでも見事な司会をつとめた清水節氏によるものらしい。少なくとも、DVD化に際してのディレクションは清水氏が行っているとのこと。あまり言及されていないので、感謝の意味も込めて特記しておきたい。

結局、自分以外の誰かの役に立つことを「仕事」と呼ぶんだろうと思う。僕が、時として編集部にスルーされながらも『ギャラクティカ』を特集すべき、とあちこちで連呼しつづけているのも、最終的に視聴者が増えてくれればいいと思っているだけなので、どうしても僕がやらないとダメというわけではない。
たまに考えるんだけど、単に銭を稼ぐためだけの仕事なんてあるのかな。街頭のチラシ配りだって、チラシに有益な情報を載せることで社会に何らか還元しているじゃないか、と僕は考える。情報を浸透させるためには、見知らぬ人に笑顔でチラシを手渡さないといけない。スマイル0円は、ありとあらゆる職業に付きまとうんだ。
その「スマイル0円」の部分が、いわゆる「愛」であって、出来るだけ「愛」の持てる仕事を、僕らはしていかなくちゃいけないんだろう。

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2009年1月20日 (火)

■ブーマー、来日■

都内某ホテルの一室。ぽっきり折れてしまいそうなほど細い小麦色の足首が、僕の視線2メートル先で、黒いヒールを揺らしている。信じられるか、シャロン・バレリー少尉が目の前に座ってるんだぜ? そう自覚すればするほど緊張は高まり、離れたところに立っている編集者はニヤニヤ笑いをやめようとしない。
日本国内でのみ『ギャラクティカ』の「ヒロイン」と断定されているグレイス・パークのインタビューに行ってきた。僕の緊張とは裏腹に、カメラマン氏は英語であれこれ注文を出しながらシャッターを切りつづけている。カメラマン氏、ノリすぎ。編集者が語る誌面構成が、もうあまりに自分向きなので、嬉しすぎて笑えない。あんまり嬉しいと、人間は無表情になるんだな。知らなかった。
090119_18160001そのまま、新宿バルト9の『ギャラクティカ』上映イベントに移動。
40を越える媒体が詰めかけ、マスコミ席には座ることさえ出来なかった。うわあ……ここまで来たか。「話題になる」「メジャーになる」って、こういうことなのか。それは嬉しいんだけど、地上波版『ギャラクティカ』の主題歌をうたっている人は、明らかにゲストとしてふさわしくなかった。このイベントに登壇した以上、作品が主で、あなたの歌は従なんですよ。200人のファンの前で、主演女優の前で、作品を軽んじるような発言をしちゃいけない。嘘でもいいから、「素晴らしいドラマに曲をつけられて光栄だ」ぐらい言えなくちゃいけない。公の場なんだからさ。
今日も、『ギャラクティカ』が日本テレビで放映されるけど(26時29分より)、僕は主題歌が流れたら、即座にテレビのスイッチを切ります。
……いや、怒っちゃいけないな。なんかこう、楽しいことを考えないとな。

そうそう、中嶋朋子主演版の『あさってDANCE』がDVD化されていない……と書いたが、一部がYouTubeにUPされていた。

どうだ、このイチャつきぶり。この蓮っ葉な中嶋の演技。もお~、くやしいね。「海はナウくないな」と茶化す直前の、嫉妬と寂しさの入り混じった間。この間が、胸をキュンと刺すじゃないか。ああ、憎いほど愛らしい。

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2009年1月15日 (木)

■少年になった経験も、これからなる予定もない■

『ガンダムの常識 一年戦争モビルスーツ大全』 発売中
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お馴染みガンダム500円本シリーズも、もう三冊目です。
今回の売りは、「こんなモビルスーツ知らない」「モピルスーツだと認めたくない」機体まで網羅している点。30周年を機に、オフィッシャルの線引きが以前ほど曖昧でなくなったようです。なので、「あのマイナー機体が載ってない」と思ったら、それはもはや宇宙世紀には存在しませんよ、ということですね。

EX大衆 2月号 本日発売
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●ガンダム全シリーズ プレイバック!
●仲村みう グラビアポエム執筆
●青山倫子 グラビアポエム執筆
●ほしのあき グラビアポエム執筆
●山本 梓 グラビアポエム執筆
●愛ドルのリコーダー 妄想ポエム館 執筆

ガンダム特集のテーマは、いかに「薄く」書くか。「4ページで早わかり」が企画テーマですからね。
しかし、グラビアポエムは何だ、5本? 書きすぎだろう、一ヶ月に5本は。仲村みうさんのグラビアは、ピンホールカメラを使った妖しいムードのもので、編集者が「江戸川乱歩風に」と珍しくオーダーしてきたので、張り切って乱歩の世界をマネてみました。

さて、天王洲銀河劇場にて、押井守演出『鉄人28号』観劇。
090113_12190001開場時、ホールに押井さんが出てきて、客の入り具合を見ていた。やっぱり気になるんだ、カワイイな。それだけで、もう傑作だと確信した。観る前から。『スカイ・クロラ』も、「若い人に言いたいことがある」という、あの押井さんの一言で傑作確定ですよ。どんなに退屈なシーンがあろうと、それは揺るがない。作品を取り巻く言動込みで、僕は押井さんが好き。
インタビューしたいがために、作品を観ているようなところがある。それは、押井さんの話し方が好きだから。知人が「あんな監督の作品は観ない」と言っていることも含めて、押井守の生じさせる些細な現象、空気が好きなんだと思う。
舞台は、44歳の南果歩が半ズボンで演じる正太郎くんが、とにかくキュートだった。ここまで屈折を知らないキャラクターが押井作品に登場するのは初めてではないだろうか。だとしたら、やっぱり押井さんがそういう人物を造形した事実に陶酔する、僕は。

舞台の目玉である鉄人のデザインは、末弥純。ロビーには、鬼頭栄作のつくったマケットが置いてあり、「商品化検討中」と書いてあった。兵器マニア臭のない、優雅なデザイン。それを兵器フェチの押井さんが採用した、という点にグッとくる。
今、この舞台に関する記事を調べていたら、「少年になった経験も、これからなる予定もないので、監督のイメージの中で思い切り遊ぶだけ」という南果歩のコメントが出てきて、目頭が熱くなった。このコメントを読んで、やっと舞台が終わったような気分。
57歳の押井守と、44歳の南果歩の人生がフィクションの中で交錯した。その事こそが、何よりエンタテイメントだよ。

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2009年1月13日 (火)

■池脇、中嶋、よつばと!等■

本日深夜、第二話の地上波放映を迎える『ギャラクティカ』(26時14分~)、第一話は午前2時半という深い時間帯にしては、良好な視聴率だったという。ネットでも「見たけど、面白くなかった」という声が聞かれるようになり、僕はそれはいいことだと感じている。少なくとも、一部のマニアだけが大絶賛、という閉塞状況からは抜け出したわけだから。

最近、ケーブルで見たのは池脇千鶴をめぐる旅、ということで『金髪の草原』。市川準監督の『大阪物語』で池脇に一目ぼれした(はずの)犬童一心監督の愛情目線たっぷり。この3年後に『ジョゼと虎と魚たち』でばっさり脱がせたことを考えると、女優として池脇を育てた、もっと言うと「女にした」のは犬童監督に違いない。「こいつめ、こいつめ!」って感じだ。
もう一本、『あさってDANCE』で中嶋朋子に惚れた人間として押さえておかねばならない倉5131js5ak1l本聰監督『時計 Adiue I 'Hiver』。「少女が、女へと変わるまでの脚線美をカメラに収めたい」という、すがすがしいまでのスケベ根性を抱いた映画監督が物語の牽引役だ。にもかかわらず、倉本聰は中嶋朋子を女にしたくなかったのか、登場シーン自体が驚くほど少ない。クライマックスで、中嶋がアイススケートの競技で転倒してしまうのが象徴的だ。この映画で、中嶋は女になる機会を奪われてしまったわけだ。
果たして、5年後に制作された『あさってDANCE』で中嶋朋子は『北の国から』のイメージをようやく脱却する。監督の磯村一路は、7年後の『がんばっていきまっしょい』でも中嶋を起用していたので、「うまいことやりやがったなあ」と舌打ちしてしまう。監督と女優とは、結婚よりも恋愛よりも甘美な関係を結ぶことがある。傑作が生まれるのは、そういう関係が生じた瞬間だ。
(中嶋主演の『あさってDANCE』はDVD化されていないので要注意)

中野ブロードウェイをさまよっていたら、『よつばと!』が全巻、揃ってしまった。
この漫画を「オタクの夢想するユートピア」と捉える人もいるが、そう言われるのも分からないでもない。隣の家に美人姉妹が住んでいる状態をユートピアと言わずして何とする。僕は、長女のあさぎの人の悪さが気に入っている。遊び盛りの大学生らしく、ユートピアの外へ繋がるチャンネルを持ったキャラクターだ。漫画のコマの外で何やってるか分かりゃしない、そういう「嫌なキャラクター」を漏らさず描いているところに、作者の器の大きさを感じる。
090112_02380001他に好きなのは、写実的な背景。現実が好きでなくては、ここまで描けない。その緻密な背景、世界の中で、よつばという主人公だけが極端に線が少なく、まるでネガのように反転して見える。いわば、よつばは世界を観察する視線そのものだ。
よつばは、物語の中を流れる時間から、わすがに剥離している。いわば、彼岸、向こう岸から世界に触れている。彼岸から振り返ってみれば、この世は途方もなく美しい。これは、その美しさについての漫画である。
こうした作品が、「電撃大王」というオタク文化の炉心から生まれてきたのには、何らか切実な理由があるような気がしている。すでに多くの人がこの作品を論じているので、ちょっと読んでみるか。

さて、本日は押井守演出の舞台『鉄人28号』を観劇予定。あと、時間があったら『クローンは故郷をめざす』も観ておきたい。永作博美の名前が三番目に出てるんだから、これは押さえておかないと。ヴェンダースがプロデューサーなんだ。へー。話はグレッグ・イーガンみたいな感じだな。

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2009年1月 9日 (金)

■ティンカー・ベル、その後■

オトナアニメ Vol.11 明日発売
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●『ライドバック』 キャラクター・デザイン/総作画監督 田崎聡氏インタビュー

果たして、この作画作業の困難さが文章だけで伝わるのだろうか? 3DCGのロボットが自由奔放に動き回り、その上に常にキャラがまたがっている――普通、そういうカットは避ける。『マクロスF』でもCGと作画が複雑に絡むカットは意図的に減らしていたはず。ところが、CGと作画の絡みこそが、『ライドバック』の見せ場。
だから、人物をパーツ分けして作画するだけでなく、CGもBOOKみたいに分けたりもする。原作を読んだとき、「これはアニメ化は無理だな」と思ったけど、知恵と工夫と根性で映像化してしまった。詳しくは、インタビューを読んでください。

さて、『ギャラクティカ』の地上波放映が始まったけど、吹き替えが旧バージョンになっていた。分かりやすいところでは、「ジャンプ」のことを「ワープ」と言っている。これは04年発売の『バトルスター・ギャラクティカ/サイロンの攻撃』版で、昨年発売のDVD-BOXでは、ちゃんと「ジャンプ」と直されたはず。確かに、通りの良さを優先すると「ジャンプ」よりは「ワープ」なんだよね。話が進むと結局「ジャンプ」になるから、結局はまぎらわしい気もするけど。
細かいところでは、冒頭のギャラクティカ艦内を案内するシーンで「Commander Nash」を「ナッシュ将軍」と言っている(DVD-BOXでは「ナッシュ司令官」と言い直されている。旧版で「ナッシュ将軍」としたのは、「歴史上の偉人」というイメージを強調するためだと思う)。

さて、年明け早々、ティンカー・ベルにメロメロになった私は、その後どうしたか。とりあえCa270193ず、古本通販で、小さい頃に持っていた講談社の絵本を買った。昭和40年発行なので、間違いなくコレ。
ティンカー・ベルが「ちんかー=べる」と表記されているのは目をつぶるとして、絵はセルを撮影し(描き起こしもあり)、細かいところは手描きで書き足している。ぜんぜんヤル気のないティンクの表情が味わい深い。ヘンリー・ダーガー画、って感じだ。
あの頃、家には小さなクリスマスツリーがあって、応接間のテレビで『ピーターパン』を観た記憶がある。視界の手前にツリーがあり、ぼんやりとピントが外れている――熱を出していたためだろう。昨日のことのように、思い返すことが出来る。
あとは、メディコムトイのフイギュアを買った。
090108_12200001腕と頭と胴体の素材が違うため、肌色の色調や質感がバラバラなんだけど、そこが逆にトイっぽくて楽しい。適度にダルな造形センスもいい。カットによっては肩甲骨が描いてあるので、ちょこっと造形して欲しかった気もする。
でも、このままじゃ中途半端なコレクターで終わってしまうなあ。打ち合わせがてら中野ブロードウェイに行ったんだが、どうしてもディズニー系グッズに目が行ってしまう……あれだけ嫌いだったのに。
「スターログ」誌のディズニー特集も注文してしまった(『ブラックホール』公開の頃の号)。

1月放映のアニメが、ほぼ出揃ったようだけど、『まりあ†ほりっく』は体力を消耗するアニメだ。見終わるのに40分ぐらいかかる。「何だ、今のカット?」って止めながら見てるから。『侍ジャイアンツ』で言うと、エビ投げハイジャンプ魔球並みにひねりまくってると思う。

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2009年1月 6日 (火)

■人類絶滅まで、あとわずか50,298人■

いよいよ、本日1月6日26時29分(7日の午前2時29分)より、日本テレビで『GALACTICA/ギャラクティカ』が放映スタート。以下は、国内版DVD発売時につくられたトレーラーで、最も気に入っているバージョンです。


こうして見ると、ちょっと戦闘シーンが多くて、男臭すぎるかな……。どちらかというと、内面的・内向的なドラマだと僕は思っているんだけど。

今まで、このブログでさんざん偉そうなことを書いてきたけど、僕が『ギャラクティカ』を初めて見たのは、なんとニコニコ動画。07年末に「序章」がUPされていて、「これがウワサのギャラクティカか。じゃあ、最初の10分だけ」と見はじめたら、3時間ぜんぶ見終わるまで席を立てなかった。当時、DVDで発売されていた『バトルスター・ギャラクティカ/サイロンの攻撃』が「序章」と同じものだと知り、翌日にはレンタルしてきて、日本語吹き替え版の出来のよさに舌を巻いた。
正月あけて、双葉社「グレートメカニックDX」編集会議。企画候補の中に「バトルスター・ギャラクティカ」と一言書いたら、「ちょっと調べてみますか」という運びになり、間もなく海外ドラマ専門チャンネル「Super! drama TV」で日本放映が確定していると知らされた。その頃には、耳ざといファンからの問い合わせが「Super! drama TV」に殺到していたらしい。ちょっと気味が悪いぐらい、グッド・タイミングで出会えたわけだ。

視聴率もDVDの売り上げも順調、満を持して今回の地上波放映へ繋がったようだが、僕はブログで「日本は、このドラマを無関心で受け入れた」と適当な思い込みを書き散らしていた。
「DVD-BOXを買わないと、地上波放送なんか遠い夢だぞ」とヒステリックに叫んでいたのを、知人からたしなめられたこともあった。それを言ってしまったら、ケーブルやレンタルで『ギャラクティカ』を楽しんでいる人たちを卑下することになってしまう。ニコニコ動画から入った程度の人間が、偉そうなことを言ってはいけません。

さて、このドラマでは印象的なシーンがいくつもあるけど、何といっても、冒頭のギャラクティカ内部のシーンだ。その流麗なカメラワークは、キュートなファンサイト「俺のギャラクティカ」による念の入った分析を見ていただきたい。ここで主人公格のアダマ艦長は、ギャラクティカ退役記念式典のスピーチを練習している。「戦争は、すでに過去のものです。しかし、忘090104_20340001れてはならないのは……」と話したあたりで、必ず誰かに話しかけられる。つまり、平和を明言したスピーチが、何度も何度も妨害されるわけだ。この演出は、後に明らかになる惨劇を暗示している。
やがてアダマ艦長は、「重要なことはひとつ。現在、我々が交戦中であるということだ」と厳しい顔で宣言することになる。
『GALACTICA/ギャラクティカ』、とにかくコイツは本物で、僕の胸に穿たれたクサビなのである。

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2009年1月 3日 (土)

■ティンカー・ベル・コンプレックス■

元旦いきなり、『ティンカー・ベル』を観に行ってきた。
090101_18150001_2少女の形をしていながら、人ならざるもの、妖精。その秘められた暮らしを描いているはずなのだが、映画は極彩色の遊園地のようで、ロマンもへったくれもない。何しろ、てんとう虫をベルトコンベアに乗せて、背中の模様を(天然素材とはいえ)ペンキで塗っているような世界なのだ……かなわんよな。
単にティンカー・ベルのデザインが好きだという人は、ディズニー・ファンでなくとも、かなり多い気がする。コレクターの世界では、一大ジャンルを形成していて、僕などは最近になってフィギュアか何かを見つけて「ちょっといいな」と思った程度のにわかファンに過ぎない。
だから、この映画の3DCG製ティンカー・ベルも造形的にはけっこう可愛いいんじゃないの?程度に思っていたのだが、翌日、どうしても違和感がぬぐいきれず、オリジナルの『ピーターパン』を借りてきた。

ティンカー・ベルの担当アニメーターは、ナイン・オールドメンの一人、マーク・デイビスで、デザインも彼によるものだという。どのカットも、素晴らしく愛らしい。
090102_20120001特に前髪の揺れ方が効果的。3DCGでは、前髪はガッチリと固められていて、揺れようがない。『ピーターパン』のティンクは、前髪を自分の手でパッとはらったりする。小さな前髪の動きが、このシンプルなデザインの中で妙になまめかしく印象に残る。
全身がグロー効果で発光しているばかりか、怒ると熱を持つのも面白い。自分の体温で葉っぱを焼いてしまったりする(このカットは、細部にいたるまでセンス・オブ・ワンダーに溢れている)。
しかも、彼女はマスコットでもコメディリリーフでもない。飽くまでもピーターパンが好きでつきまとったり、嫉妬のあまり裏切ったり、盛んに「女」を振りまいてるところが、またエロチック。なぜか、ティンクの愛くるしい芝居を見ていたら、涙が出てきた。よく出来たSFX映像を見て「すげぇなあ」と感動する、あの感じに近い。
特に葉っぱの陰に隠れて、(彼女の体が光っているため)ティンクがシルエットになる前後で泣いた。何という官能的な演出アイデアと撮影テクニック。これは、是非とも原画で見てみたい(残っていれば、の話だが)。ティンカー・ベルの関連本は、映画公開に合わせて狂ったように沢山でているけど、原画集とかそういう方向性の本は皆無。

作画参考用に、女優のマーガレット・ケリーがティンクの芝居を演じた写真は、5千円前後30428661で普通に売っているけど……これは代替物に過ぎない気がする。というか、サインは別に要らないし。ディズニーの研究本なんて、目がくらむほど膨大に出版されてるんだけど、まずは一昨年のディズニーアート展の図録でも探してみるか。
ミッキーマウスはどうでもいい、ティンカー・ベルだけでいいんだよ。年頭からこんなんで、今年の俺はどうなってしまうのでしょうか。

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