« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月31日 (水)

■十三経由、よつばと行き■

本年最後は、やはり谷村美月で締めくくりたいと思い、初公開から2年、ようやくDVD化された『かぞくのひけつ』を借りてくる。
「大阪限定公開のご当地映画」程度の認識しかなかったんだが、十三にある第七藝術劇場の復活記念映画だったのか。
081231_19450001十三の町を自転車で走りぬけ、ついにはボーイフレンドをラブホに連れ込む谷村美月。またしても、そういう役か……でもまあ、何となく納得。というのはねえ、僕は十三に立ち寄って、一時間と持たずに逃げ帰った人間だから。
「今夜は十三に一泊して、キャバクラを何軒かハシゴしてみるかな」と思ったんだけど、店の数がハンパでない。櫛比している、とはまさにこの光景。路地を曲がると「おっ、こんな所にもキャバが一軒」とか、そういうレベルじゃない。通りに面してビッシリですよ。まだ昼間だったんだけど、とても身が持たない気がして、あわてて新幹線に飛び乗ったのであった。
キャバ好きの(はずの)オヤジが尻尾をまいて逃げ帰るような異界をだな、谷村美月は当たり前の顔をして駆け抜けるわけだよ。『かぞくのひけつ』の前年が『カナリア』か。あれは援交少女の役だったからな、十三ごとき谷村にとっては通過駅でしかないわけだ。この軽~く頭上を飛びこされる感じが、十代の女優を追いかけていく醍醐味である。

先日、知り合いから『よつばと!』の第二巻(古本)を「あげます」と渡された。「きっと、第一巻が読みたくなりますから、自分で探してください」。ブックオフを二軒回っても見当たらず、駅の反対側の小さな古本屋に行ったら、待ち伏せしていたかのように第一巻だけ置いてあった。
081231_21300001この漫画は、自分の心の柔らかい部分に刺さってくるので、何となく避けてきたんだけど……。「ランカ・リーの髪の毛が緑なのは、異人である証」というようなことを、以前に書いたと思う。この漫画の表紙や裏表紙を見ると、他のキャラの髪の毛は黒や茶なのに、よつばだけ緑色なんだよな(植物がモチーフだから、と言ってしまえばそれまでだけど)。
こういう異人のことを、俺は心の中で「ぬいぐるみ」と呼んだりしている。ぬいぐるみは、家の中で一番愛らしい存在なんだけど、生活の役には立たない。その代わり、投げても抱きしめても文句を言わない。第一巻の最後で「あいつは何でも楽しめるからな」「よつばは無敵だ」と断言されてるでしょ。よつばは「ぬいぐるみ」なわけですよ。しかも、この作品は「家」、つまり大人の論理がきっちり描かれている。本来、「家」は「ぬいぐるみ」がなくとも機能する。よつばが存在しなくても、作品世界は成り立つ。でも、わざわざ「ぬいぐるみ」を中心に据えることで「家」を綿密に描かざるを得なくしている。
なんでそんな作品が必要かというと、この世というのはデフォルトでは面白くないから。よつばが可愛ければかわいいほど、世界の欠損が明らかになっていくように、僕は感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月29日 (月)

■ギャラクティカの主題歌■

どうも、日本テレビ版『GALACTICA/ギャラクティカ』には、主題歌がつくっぽい……。Kenによる主題歌「Deeper」は着うた先行配信中で、CDは3月4日発売とのこと。

さて、明日30日、『メガゾーン23』同人誌『フェスティバルタイムズ』と同時に販売される『航526248380_43_2宙ファン』。宣伝用の画像を忘れていたので、もう遅いような気もするけど掲載。
R-AREAによる『Zガンダム』本……というか、Z-PLUSの考証本。東5ホール、ペ-42a【時祭組】ブースにて最後の再販だそうです。
MZ23づくしの『フェスティバルタイムズ』、海外のファンからも問い合わせが来ちゃいましたよ。Thank you,Alex!

話は変わって、日本映画専門チャンネルで松岡錠司監督『歓喜の歌』を鑑賞。
映画には「女神映画」とでも呼ぶべきジャンルが存在するのではないだろうか。ダメ男を女神のような女性が救う……例えば『バッファロー'66』なんかがそうだよね。『歓喜の歌』は、安田成美が出てきた瞬間、思わず姿勢を正した。同年代。ノーチェックだった。
1すごいよ、安田成美は。ヘッポコ男の小林薫のピンチを救うのはもちろん、年長の由紀さおりが事態を好転させられない時でさえ、思わぬ飛び道具を持って現れる。特に、小林薫をそそのかすシーンの笑顔など、背筋が寒くなるほどの女神力。
というか、女神しか出てこないんだよ、この映画。藤田弓子も、見えざる手によってダメ役人の小林薫を『生きる』の志村喬ばりに変貌させる。根岸季衣も、やや強引ながらニートの息子(なぜか吉浦康裕監督『ペイル・コクーン』でアフレコの練習をしている)を救う。二つのママさんコーラス・グループが一致団結して炊き出しをするシーンなんて、あれですよ。『紅の豚』で、女だけで飛行機を修理する場面そっくり。宮崎駿に匹敵するフェミニストぶり。荘厳だよー、実に。

先日、舞台『中野ブロンディーズ』を観たとき、自分の中に「女子性」を感じたわけだけど、ようするに男は女になれないんだよね。「こんな男に生まれてくるんなら、いっそ女に生まれたかった」という感傷が、すなわち「女子性」。若いオタクが口にする「非モテ」とも通じると思うんだよな……。
『歓喜の歌』にも、もちろん「女子性」を感じた。40になっても50になっても、いや70になっても女性というのは乙女だから。女子だから。このオバサンたちの輪に入れたら、どんなにか幸福だろうと思うよ。小林薫のように、四方八方から女性に支えられるハーレム状態には、別に立ちたいとは思わないんだよな。浅田美代子(小林薫の妻役)と元サヤなんて、死んでもイヤだ。僕は、どこか欠落した状態が好きだな、やっぱり。
で、こういう映画を見るにつけ、やはり現世に女神はいないなと(笑)。この世は欠けた月なんだよ。月が欠けているから、人は歌を詠むわけだ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年12月27日 (土)

■同人誌、吉高由里子、Bクラブ■

最後の宣伝ということで、『メガゾーン23』トリビュート・マガジン『フェスティバルタイムズ』。
530626056_195コミケ最終日の30日、東5ホール、ペ-42a【時祭組】にて発売されます。石黒昇監督の(おそらく商業誌では無理レベルの)ぶっちゃけインタビューにも驚かされましたが、プロのイラストレーターがさり気なく参加しているのも見どころ(ペンネームの方もいらっしゃいます)。特に、木下ともたけさんのガーランドは、今までに見たことのないアレンジで「実写版やるなら、コレでしょう!」というぐらい描きこまれています。
今の同人誌のレベルがどれほどのものか分かりませんが、カラー36ページで1000円は安いのではないかと思います。時祭イヴの素晴らしいコスプレ写真も、この本のためにスタジオ借りて撮り下ろしたとか……他に、実際に稼動している『メガゾーン23』携帯ゲームの詳細も載っています。
539671429_182(←先着23名様にプレゼントされるポストカード。何のために描かれたイラストかは、本誌を読めば分かる仕掛け)
36ページ全部使い切った!というミッシリ感が嬉しい一冊(幻の同人誌「航宙ファン」も、【時祭組】ブースにて販売)。

今日は、頼まれてもないのにいくつか宣伝します。1月6日深夜より日本テレビで放映される『GALACTICA/ギャラクティカ』ですが、一番人気のグレイス・パークが1月19日のイベントに来場します。
一年前の今ごろ、まったくの偶然に出会った『ギャラクティカ』。とうとう、ここまで来ましたか……と言っても、まだまだマスコミ業界で「見てない」「知らない」人が多いので、ビックリしちゃいますが。

追加一本のグラビアポエムを書き終えたので、レンタルしてあった邦画を2本鑑賞。
池脇千鶴目当ての『ストロベリーショートケイクス』。デリヘル店を中心に、あれこれ悩みを抱えたお姉さま方の話。無様な不倫OLを演じる中越典子は、『おろち』よりコッチの方が良かった。中越典子とルームシェアしてる岩瀬塔子も良かった。特に、居酒屋で飲むシーン。飲みっぷりのいい女優が出てくれば、AOK(オールオーケー)。
吉高由里子目当てで『夕映え少女』。川端康成の短編を集めたオムニバス映画で、吉高のほかに高橋真唯に波瑠、いろいろ出演しているお買い得パック。『檸檬のころ』で谷村美月を蹴落とした波瑠はさすがにカッコよかったが、肝心の吉高が……この人は、抑制した演技、いわゆる腹芸は出来ないと思う。させる方が悪い。
081225_15540001(←結局、特典映像のインタビューの吉高が一番よかった)
吉高は喋らせてナンボ。『転々』のインタビューで、「いつも部屋のすみっこで、三角形を書いてすごしている」と言う、そんな吉高由里子が好きだ。「どうして、丸じゃないんですか?」と突っ込んだインタビュアーもグーだった。
あとはケーブルで邦画ばかり何本か観たのだが……面白くない映画は、その日のうちにタイトルすら忘れてしまう。つまんなかった映画なんて記憶しててもしょうがないので、これはこれで効率いいんだろう。

「ユリイカ」誌、初音ミク特集の鈴木慶一インタビューを立ち読み。「ストレスはプロが感じればいい」など、興味深い発言多数。
他に古本通販で「Bクラブ」を二冊購入。読者の投稿作品(イラスト)が平然と4色刷りで掲載され081226_23410001ているのもスゴイが、北爪宏幸氏と石井和夫氏、アニメーターとモデラーの対談(場所は設立間もないスタジオぱっく)がエキサイティング。読んでみると、湖川友謙氏の影響を受けた北爪氏は、立体物が手元にあるとありがたいとか、けっこう有意義。
(←同誌掲載のK.PIERO氏のラム。素晴らしい仕上がり)
いま、こういう異業種対談企画を実現させようとしたら、何かしらの販促を絡めないと無理な気がする。極端な話、当人同士が対談していいと思っても、メーカーの担当者が企画意図を理解できなかったら、窓口レベルで却下される。売り上げよりも面白さを優先する勘のいい担当者が聞いたら、「是非やりましょう」となるかも知れない。面白さが、結局は売り上げにつながるはずなんだけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月24日 (水)

■中野ブロンディーズと僕の、不埒な関係■

新・大人のガンダム 本日発売
Og_s
●ガンプラマイスター・川口克己氏インタビュー
●GUNDAM FIX FIGURATIONに見る高品位フイギュアの可能性
●ROBOT魂・開発者インタビュー
●『逆襲のシャア』レビュー

主に、ホビー関連のインタビューですね。川口克己さんには毎年インタビューさせていただいていますが、今回は特に後半の発言がホビー史的に興味深いです。
『逆シャア』レビューは、ページの趣旨としてはブルーレイ版をより楽しむ……なのですが、ひさびさに見直して、単純に面白いと思った部分を4ページで構成しました。
ホントに、歳とればとるほど面白くなる作品。ロンド・ベル隊が、エリート部隊どころか便利屋あつかいされているのも分かったし、政治の裏舞台に関わってるくせに為政者になり切れないシャアのガキっぽさにも苛立つし、まだまだ掘り進んでいけそう。

さて、知り合いのご招待で、新国立劇場にて『中野ブロンディーズ』を観劇。一応のストーリーはあるものの、ミュージカルというかショウですね。
081223_15110001中野ブロードウェイにある漫画専門店を救うため、オタク少女たちがチアガールになって大会に挑む……という、俺が『シネマガールズ 3』でしつこく書いた「女子チーム物」。チーム解散の危機、鬼コーチの出現、と気持ちいいぐらいセオリーを踏んだ展開。
『ガンダム』や『聖闘士星矢』のネタが随所に仕込まれているが、それはクリスマス・ツリーでいえばオーナメント(飾り)に過ぎない。もっと言うなら、漫画が好き=全員オタク、というキャラクター設定にも無理がある。ゴスロリ少女にコスプレ好き、戦隊ヒーロー・マニア、これらの設定もまた、すべてオーナメントに過ぎない。見ているうちに忘れてしまう。
この舞台の見せ場は歌とダンス、クライマックスのチアリーディングに尽きる。『哀 戦士』のパロディ曲も含め、とにかく見せる、聞かせる。舞台に一人も男が登場しない、という徹底したサービスぶりも良かった(客席は7割以上が男)。

というかねえ、僕も含めた客席の男たちは「男子」という自分と対立する相手が登場しないことに安心しているのだよ。『ひだまりスケッチ』のような女子しか出てこない男性向けアニメも同じだろうけど、「恋愛」「セックス」というややこしいドラマを省略できるんだよ、女子オンリーだと。
演劇はいくらでも世界観を抽象化できるから、女子オンリーでも全く不自然ではない。『中野ブロンディーズ』の世界には、男もいなければセックスもない。しかし、観客はハーレム状態を楽しんでいるのではなく、自分の中の「女子性」にアクセスしているわけ。
オタク趣味の女の子を応援したい、というのは口実に過ぎないし、「アキバの次は中野だ」という最近の風潮(中野腐女子シスターズとかさ)は、もっとどうでもいい。男として不甲斐ないことの方が、圧倒的に重要なんだ。例えば、ハードなメカばかり愛好しているマッチョ系の「オタク」に、この舞台は一切無縁である。
男として自己を確立できていない軟派な男性なら、目の前で次々と生成されていく甘美な空間に、心の底から没入できるはずだ。逆を言うと、この陳腐な友情ドラマと彼女たちの歌と踊りにウルッと来てしまった僕のような男は、自分の精神に隠れた「女子性」に気づかなくてはならない。自覚せねばならんのよ。

「女子性」と言うと、「じゃあ、女装趣味とかオカマバーとか興味あります?」と勘違いされるんだけど、それは肉体の話でしょ。精神の話をしてるんだよ。
081223_17420001(←ついうっかり、お土産として『中野ブロンディーズ』カレーを買ってしまった)
あのね、肉体は舞台の上の彼女たちに任せているわけ。彼女たちが飛んだり跳ねたりしているのに、俺たちは座ってるんだから(笑)。ただ、俺たちの気持ちは飛んだり跳ねたりしている。彼女たち自身になっている。その同一感は、男の中の「女子性」によって生じると、俺は思っている。
「女子性」は映画よりも、舞台のような抽象度の高い表現の方が、発現しやすい。
以前のエントリから、再び宮崎駿の手記を引用すると、「少女は、自分の外に生きているのではなく、自分の中に飼っている自分自身なのだ」。

オタクの現場というのは、中野にもアキバにもないですよ。コミケも違う。自分の心の中が現場だよ。まず、それを認めないと。
僕の年内最後の仕事は、グラビアポエム3本。自分の「女子性」を活用して、取り組むこととしよう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月21日 (日)

■思い出の瞳■

『劇場版 空の境界 第六章/忘却録音』 パンフレット
Sgmdx06scan20004
例によって、メイキングページを構成・執筆しました。
今回は、アバンタイトルのえらくキャッチーなカット。この映画を観に来るのは「アニメ映画のお客さん」以上に、「空の境界のファン」だから、彼らの愛するキャラをどう動かしているのかを、まず見せるべきではないか、と思う。そういう意味で今回はバッチリだったのでは(地味スゴいカットに触れるのも大事なことなんだけど)。
映画も、金曜日に試写で観てきました。第一章を観たときの、あの「なんか、ヤバいものを見てしまった」という加害者意識とは逆方向に、今回はひたすら綺麗。妖精のデザインがキモ可愛くて、クリア成形の立体物が欲しい(もちろんリアルスケールで)。
『パンズ・ラビリンス』の妖精なんかとも、また違うテイストなんだよな。たぶん、欧米人の発想からは出てこない形だと思う。あと、ラストバトルが綺麗でエロくてグーだった。

さて、話は変わって、ブックオフでは買い取り不可の8センチCDシングル。Amazonでは1円で買えたりするので、デイト・オブ・バースの『思い出の瞳』を注文。
081219_23420001やっぱり、8センチCDはPCで聴くには不便だ。しかも、自分の記憶とは違う歌い方だ。ジャケを見ると、読売テレビ・日本テレビ系全国ネット「悪女(わる)」テーマソングと書いてある。ああ、その時に録りなおしたのね。俺が欲しかったのは、アニメ『扉を開けて』の主題歌として使われてたバージョンなんだけど。
『扉を開けて』という映画は、キティフィルムがアニメをたくさん作っていた頃、1986年の公開の……って、僕はいまだ観たことない(笑)。キティフィルムは『うる星やつら』も製作していて、キティレコード所属のテクノポップ・バンド「ヴァージンVS」の曲が『うる星』劇中で使われた時は、狂喜したものだった。
一方、何でも知識として蓄えておかないと気がすまない当時のオタクの習性で、『うる星』ファンたちは「あの曲、何?」とキティに問い合わせた。当初は、公式ファンクラブ会報誌「うる星くらぶ」にヴァージンVSのアルバムが紹介された程度だった。だが間もなく、劇中で使われたVSの名曲『コズミック・サイクラー』は『星空サイクリング』として歌詞を変えられ、『うる星』のエンディング・テーマになってしまった。
複雑な気持ちだった。アニメとは関係なく愛聴していたバンドの曲が、当時いちばん好きだったアニメの副主題歌になった。だけど、嬉しくない。自分の世界が、ギュッと狭められたような嫌な気分。

『うる星』初の劇場映画『オンリー・ユー』でも、『星空サイクリング』は無理やり挿入され、そのためにワンシーン丸ごと削られてしまった(後からフィルムコミックを読んで知った)。そんなこと、して欲しくなかったのに。それが1983年ごろか。
デイト・オブ・バース『思い出の瞳』に話を戻すと、『扉を開けて』の公開が1986年。確かTVスポットを見て、とっさに主題歌のタイトルとアーティスト名をメモったんだ。シングルを探し回ったよ。狂ったように、毎日。
なかなか見つからないと思っていたら、12インチシングルで出ていた。ジャケットは、『扉を開けて』とは全く関係ない犬のイラストで、えらく凝った手法で描かれていた。見つけた時は飛び跳ねて喜んだよ。それこそ「擦り切れるまで聴いた」ってやつですよ。
当時、夜中にやってたPVも雰囲気が良かった。Youtubeにあったよ。

ようやく探し当てた12インチシングルに入っていたのは、このバージョンだった。ファーストアルバムに入ってたのは、また別テイクだったような……。
ようは、あの頃に所有していた「モノ」を取り返すのは、なかなか難しいということですよ。こういう時、「データ」の海はありがたいな、と思う。僕らは、明らかに二つの時代を生きてしまっている。モノの時代とデータの時代。どっちも大事だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月19日 (金)

■本が、熱い■

EX大衆 1月号 発売中
Ex_09_1
●愛ドルのリコーダー 妄想ポエム館 執筆
●辰巳奈津子 グラビアポエム 執筆
「愛ドルのリコーダー」は連載12回で、なんとアイドル5人の競演。ちゃんとリコーダーの五重奏を何曲か聴いてから、ポエムを書きました(というか、そうでもしないと書けないよ)。

さて、先日もちょっと書きましたが、冬コミで発売される『メガゾーン23』の同人誌『フェスティバルタイムズ』に寄稿しています。俺の記事はとりあえず置いといて……。
530626056_195_3
執筆陣は、R-AREA、木下ともたけ、ギムレット、佐伯ゆずる、さちか、正太、タカノリ、TDFかっぱのつーたん、天天、トーマス107、東海村原八、Tomson、ナンディ小菅/魚谷潤、原健一郎、ぷぅ、MABO、めがってぃ、ヤマザキ軍曹(以上、敬称略)。さらに、石黒昇監督の最新インタビューがカラーで3ページもある!
イラストあり、模型あり、コスプレあり、そして裏表紙の広告が表紙以上にスゴイ(アニメ史に残ると思う、これは)。もう、奥付までギッシリ、アレコレと『メガゾーン』づくしの一冊。表紙のハードロックカフェも編集長の撮り下ろしという、手抜きしなさすぎの責任編集(でありつつも、無責任編集とも言うべき奔放さ)。

530626056_106_3 530626056_102_7 ←計6ページにわたるR-AREAのスケッチ集の一部。シークレットになっている機体も、本誌ではちゃんとカラーで刷られてます。

この『フェスティバルタイムズ』は、編集長さん自ら「今、印刷所から持って帰ってきました!」と、深夜のファミレスに届けてくれた。
その時にも話したことだけど……誰でもケータイでダウンロードできるのが「今」のコンテンツのあり方だとは思う。その趨勢を「ゆるやかに、出版が死に向かっていく」と表現した編集者もいた。だけど、寒い中、バイクを飛ばして届けられた「ブツ」に暖かいファミレスの中で触れていると「ああ、ここに本がある」という実感がありありと指先に伝わってくる。
僕の人生の不思議体験のひとつに、「本が熱い」というのがある。ある本の著者と電話で話しながら本をめくっていたら、その彼の書いたページだけ熱くなった(比喩ではなく、本当に、体感として熱かった)。本なんて、しょせん二次元のデータを刷っただけだろう、なんて思っていたら、実はとんでもないマチガイかも知れない。

この『フェスティバルタイムズ』は、商業誌に慣れすぎていた僕には、とても新鮮な本だ。特に石黒監督のインタビュー。普通なら、メーカーチェックで削られるだろう部分が、監督の承諾済みで赤裸々に語られている。改行も構成も、いい意味でメチャクチャ。インタビュー記事のテンプレートからは外れている。でも、だから、誌面から飛び出して見える。
キチーッと神経質に文字が並んでるんだけど、でも崩れてる。触ると、グシャッって指の間から流れてしまいそう。ナマモノって感じが、すごくする。デジタルデータの生っぽさとは完全に異質な、静かなライブ感がある。

いま思い出した。『メガゾーン23』の元スタッフの方が雑談がてら、こんな話をしてくれた。「なぜ、五百年後の人類が、データではなく、こういうモノを(こんこん、と喫茶店の机を叩く)宇宙船の中に再現したのか、考えてみなくちゃいけないよね」。
『メガゾーン』を見た人なら、この言葉の意味は分かると思う。 
『フェスティバルタイムズ』は、12月30日、コミックマーケット75にて一冊1,000円(オールカラー)で発売!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月17日 (水)

■そして、シネマガールズも3号目■

シネマガールズ Vol.3  発売中
C_g_3
●女子チーム映画のルーツを探る
ようするに、『がんばっていきまっしょい』に端を発する「女子学生チームがんばる映画」のルーツと魅力をさぐる特集記事です。
『スウィングガールズ』がすべての始まりだと思っている人が大半な気がしますが、あえて『がんばれ!ベアーズ』に遡って、このジャンルのストーリーラインを図解入りで解析しています。

●オレはこの女優と結婚したい!
これはもう、タイトルそのまんま。小泉今日子、原田知世、内田有紀、麻生久美子、永作博美について、とにかく好き放題書いてます。
この仕事は本当に面白くて、メシも食わずトイレにも行かず、8時間座りっぱなしで書いたこともありました。ずーっと女優のことばかり書いていたいです。

それで、このシネマガールズの第2号のときに観た映画が、『檸檬のころ』。この一本から、俺の谷村美月をめぐる旅が始まったのでした。昨日、日本映画専門チャンネルで放送してたので、ひさびさに見てみたよ。
Index1 あいかわらず、谷村美月、ひっでぇ目にあってる。もうひとりのヒロインである榮倉奈々は、めぐりめぐっていい思いをしたと思うのだが、谷村はまず、友達が従妹しかいない。その従妹に出し抜かれ、ウソをつかれ、ついでに失恋もする。谷村のカンチガイな幸福感が頂点に達したのと同時に、彼女は自分がフラれていたことを知る(ここのみ「帰りますわ」と大阪弁になっている点がグー)。
それからの夜が長い。気まずいまま、自分をフッた男と言葉少なに歩く。やっと家に着いたら、従妹の家に届け物を頼まれる。そこで男のカノジョとスレ違う(カノジョを演じるのは波瑠。そりゃ、ファッションモデル相手では谷村もかないませんよ)。つづけて、そのカノジョが従妹と友達だったことを知らされ、ショックをうける。もう、ふんだりけったりだ。
すっかり灯の消えた夜の商店街を、とぼとぼ歩く谷村。ふと、ずっと考えていた歌の歌詞が口をついて出る。その歌は、映画のクライマックスで歌われることになる。
大きく失うと、その分、得るものも大きい。フラれた後の長い長い夜がなければ、彼女は歌の歌詞なんて手に入れられなかったわけだから。この歌は映画の主題歌でもあって、エンドロールで流れるんだけど、ちゃんと作詞が谷村の役名「白田 恵」になっている。これは、音楽ライターを目指していた「白田 恵」が、将来、プロの作詞家になることを暗示しているのかも知れない。
孤独な長い夜を受け止められたか、避けて歩いたかで、人間の値打ちは大きく変わるものなのだ。

翌朝、失恋しながらも詞を書き上げた谷村が、一人で教室で食事するシーンが、また秀逸でね。引きの絵で菓子パンを食べているんだけど、画面の右寄りに座っていて、他の生徒たちの方が大きく画面に映りこんでいる。つまり、谷村が表舞台から降りてしまったこと、自分が主役でなくなったという彼女の諦念を、構図のみでキッチリ表現しているのだ。
こんな丁寧な映画に貢献したんだから、やっぱりもっと人間の役をやらせてあげてくださいよ。映画業界の方々。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月15日 (月)

■グレメカDXも、もう7号目■

グレートメカニックDX 7  本日発売
Gmdx_7
●グレメカ人生波止場
今号からの新連載で、第一回は荒牧伸志さん、板野一郎さん。お一人4ページのこってりした構成で、「先輩たちの仕事に学ぶ」姿勢でインタビューしています。読みごたえ、アリ!

オヤヂ酒場DX
お題は『鉄のラインバレル』と「2008年ロボアニメ総決算」です。途中で藤津亮太氏が『星間飛行』を歌いだす一幕がありますが、これは誌面でつくったのではなく、本当の出来事。今号から似顔絵も変わったし、けっこう話の落としどころも面白いですよ。

●ギャラクティカNOW Vol.3
「ギャラクティカって日本アニメに似てないか?」という直球ストレートなタイトルで、『ガンダム』『バイファム』などと比較検証。ただ、検証5と検証6は、ややフライング気味……なので、シーズン2を完全に見終わってから読むことをオススメします。

もともと、「ギャラクティカNOW」という連載タイトルは、『地獄の黙示録』の原題『Apocalypse Now』に由来している。『ギャラクティカ』と『地獄の黙示録』は、「のっぴきならない今日性」という点で結ばれると思う。
081214_03580001シーズン2のDVDは、寝る前に日本語吹き替えで一話ずつ見ていたのだが、やはり訳がよい。第23話「ペガサス」のラスト近く、アダマ司令官の謀反に対し、ケイン提督が「司令官。どうして、バイパーを発進させたのか」と冷たく問い詰める。字幕では「発進させたの?」だったが、ここは「発進させたのか」と軍隊口調で言い切った方が、だんぜん緊張感が出る。
ケイン提督の声優さん(クレジットを見ても誰だか分からなかった。洋画吹き替えマニアの人なら分かるんじゃないだろうか)は、最初はちょっと優しすぎる声質だと感じたのだが、チェスの勝負が伯仲していくようなドラマ展開を考えると、第一印象は柔らかい印象を与えたほうが良い。日本語スタッフ、いい仕事してる。

軍事力を最優先するケイン提督は、かつての「強いアメリカ」を生きている。対するアダマ司令官の率いるギャラクティカは、異教徒に助けられ、迷信をも受け入れ、しばしば直感に頼って行動する。その脱欧米的な姿勢は、エスニックなBGMにも現れていると思う。
う~ん、社会学や政治学の論者に『ギャラクティカ』を語ってほしいな。
「ギャラクティカって日本アニメに似てないか?」という特集を書きはしたが、『ギャラクティカ』の舞台は「40年間、戦争のなかった世界」。60年間、平和だった日本そのものがモデルにされてるんじゃないだろうか。
来月からの地上波放映で、いろんな議論が巻き起こることを期待してます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月12日 (金)

■ガメラ再評価、そしてギャラクティカ■

松本零士原作『スタンレーの魔女』、なぜか無料招待されたので、観劇。赤坂にある劇場だ081211_18580001ったが、座席がせまくて参った。
生涯に何本も芝居を見たわけではないが、駒場アゴラ劇場で上演されたツベルクリンの『Lesson』だけは20年近くたった今でも忘れられない。笑いのセンス、ダンス、ナンセンスにとにかく圧倒された。
アゴラ劇場は、小さな座布団一枚だったけど、ちっともケツが痛くなかったのに。

ケーブルで三池崇史版『妖怪大戦争』がやっていたので、高橋真唯の川姫のシーンだけ見ようと思っていたら、神木隆之介くんが可愛いので、ぜんぶ見てしまう。川姫は初見のときは太モモしか見ていなかったのだが、意外に重要キャラだった。あと、お姉さん役で成海璃子が出ていたり、なかなか油断できない映画だ。
翌日だったか、『小さき勇者たち ~ガメラ~』も放映していたので、夏帆を再評価する目的で見る。公開当時は「ヒロインの子さえ、可愛ければ……」と思っていたのだが、やはり、この頃の夏帆はまだまだ顔が出来上がっていない。

だけど、2年ぶりに見たこの映画は面白かった。
Gamera 映画の中でガメラは、愛称でトトと呼ばれていて、主人公のお父さんは「トトは、ガメラになったんだ」と言い張る。「トト」を少年時代(いや、幼年時代というべきか)と言い換えると、すごく分かりやすい。ようは、「いつまでも少年少女ではいられないぞ、子供たち」と言っているわけだ、この映画。
だから、「トト」を「ガメラ(青年~大人)」にパワーアップするためのアイテムは、一番年長の夏帆が持っているわけ。夏帆はトト(自分の幼年時代)と出会うには歳をとりすぎているため、もっとずっと幼い女の子がアイテムを受け取り、また別の子供が受け取り……と、バトンリレーするのがクライマックスなんだけど、子供たちは一人一人、「少年時代」を捨ててるんだよ、このシーンで。
そして、主人公がアイテムをトトに食わせる。トトは火球を吐いて(ようするにアイテムを使い切り)、敵怪獣を倒すけど、そのあと一回、倒れてしまう。ここが重要。もう一度立ち上がったとき、トトはもうトトではない。だから、主人公は最後に「さよなら、ガメラ」と呼びかけるわけだ。「さよなら、トト」ではなく。
そう思い込ませるだけのドラマが、ちょっと足りなかったとは思うけど、「子供は子供のままではいられない」という感傷的なラスト、かなり好きだ。

さて、『ギャラクティカ』。
26もはや常時「非常事態」なので、水曜22時にはテレビの前に座ることにしている。
理性や規律で行動した場合、必ず対立が生じてしまうドラマ展開がすごい。昨夜の第26話のラストで、アダマ提督は判断ミスを更なる判断ミスでカバーしてしまっている。大統領も同様で、彼女が正論を通そうとした結果、反政府勢力に核が渡ってしまった。
このドラマで物事が前に進むのは、たいてい登場人物の誰かが感情的に行動した場合だけだ。感情的といえば聞こえはいいが、指導者たちが「その場かぎりのいい加減な行動」をとっているのだから、笑ってはいられない。
『ギャラクティカ』は、やはりフィクションを踏み越えた「別の何か」になっていると思う。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2008年12月 9日 (火)

■ピコピコロボットの系譜■

80年代、ニッカのCMで「アポジーとペリジー」っていうロボットの出てくるやつがあったでしょ?


『WALL・E』を観てきたんだけど、映画館に貼られていたポスターは、「アポジーとペリジー」のCMを強く想起させた。そうでなくとも、ストーリー設定は80年代OVAそっくりですよ。管理社会の恐怖に、ロボット081208_18120001の反乱、地球再生計画……あの時代、日本のアニメは間違いなく世界で一番新しいことをやっていた(もちろん、ハリウッドのアイデアを貪欲にパクりながらね)。

『WALL・E』の企画の元は、『スター・ウォーズ』のR2-D2だそうだけど、むしろ更に遡って『サイレント・ランニング』のドローンたちを思い出したマニアな人も多いはず。そして、そのドローンたちの名前は、確かディズニー映画に由来しているはず。そういう余計な知識を引っ張りだすまでもなく、全体にリサイクル感の漂う映画だった。
ウォーリーがキャタピラを踏んばって、縦穴を登ってくるのは『ガンヘッド』だし(笑)。あとは、『ジュブナイル』に出てきたテトラを思い出したりした。『宇宙戦艦ヤマト』のアナライザー、『ガンダム』のハロ、『クラッシャージョウ』のドンゴとか、俺は、この手のマスコット系メカを「ピコピコロボ」って呼んでいる。えー……もちろん、バカにしてそう呼んでいるわけだけど(笑)、なんかこう、いかにも「さあ、人間ども! ボクのことを可愛がれ!」と言わんばかりのルックスが、イラッとくるんだよね。怒られると、ピコピコ声でぼやいたりしてさ。

俺、どうしても『攻殻機動隊』のタチコマが好きになれなかったんだけど、アイツらはピコピコロボなんだよね。いろいろ難しいセリフを口にしていたけど、最終的にルックスと声で「許してもらおう」って態度がなあ。
ピコピコロボのルーツは、おそらく『禁断の惑星』のロビーだと思うんだけど、あいつは頭もRobby_and_morpheus799179いいし、態度も紳士的な「大人ロボ」だったじゃないですか。さまざまなリフレクションを経て、『WALL・E』に至ったんだと思うけど、この映画にはロボット史というより、テクノロジー史が込められている。何しろ、ウォーリーがアタリの「PONG」で遊んでいるシーンがあるぐらいだ。ゲームやコンピュータに詳しい人なら、その手の小ネタはいっぱい拾えると思う。それこそ、エンドクレジットに至るまで。

さて、冒頭のアポジーとペリジーは、なぜ「許せる」のか? 81年にスペースシャトルが打ち上げられ、85年に科学万博が開催された。時代を反映していたんだよ、彼らピコピコロボが。何しろ、子供向けではなく、ウイスキーのCMだしね。
そして80年代後半、アニメからもピコピコロボは姿を消していく。科学が星目がちに眺められていた時代は、実はあの頃に終わっていたのだ。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2008年12月 8日 (月)

■恋空とギャラクティカ■

TSUTAYA半額デーにつき、加藤ローサ『いちばんきれいな水』、夏帆『東京少女』、新垣結衣『恋空』をレンタル。
加藤ローサは、そのうち「これぞ」というハマリ役に行き当たると思う。それまで、女優はず5f11c832 っと続けてほしい。この映画には、カヒミ・カリィが出ていたのでビックリした(なんと今年40歳)。『東京少女』は、ややビターな味わいのジュヴナイル。夏帆は主張しすぎないルックス、控えめな演技がいい。もっと作家の個性が強く出た映画で演じたほうが、面白くなりそう。
それで、結局、『恋空』が一番おもしろかったですよ。「途中で寝てもいいや」と夜中から見はじめて、結局、身を乗り出して朝までに見終わっていた。

何がいいって、演出が律儀なんだよね。無神経なシチュエーションでも、何とかして綺麗なフィクションに見せようとする心配りが感じられる。調べてみたら、やはり女性監督だった。新垣の髪の毛をくしゃくしゃっとなでるシーンを、ハイスピードで撮影している。これは、『セカチュー』で長澤まさみが、初めて主人公に話しかける神社のシーン(ハイキーで、長澤の顔を飛ばしている)に匹敵する萌え演出。うまい。
081207_17280001そういう演出が2~3カットあれば、後はとやかく言わない僕であるが、『恋空』は脚本のテンポ感も良かった。飽きさせないよう組み上げた脚本を、印象的なビジュアルで要所要所、クリップしてある感じ。役者が空(から)で、風景のみの絵も効果的に使ってあった。
公開当時、最低の映画だと批判されていたようだけど、みんな「映画の中の事象」に腹を立てていただけなんじゃない? 「映画」としての完成度は、そこそこ高いはずだよ。

撮影は大分県で行われたそうだけど、地方都市のありふれた景色も良かった。全国の女子高生に感情移入させるためには、東京なんかで撮ってもダメなんだよ(渋谷でロケした『蛇にピアス』は、何の普遍性もなかったからね)。全国にフィルムコミッションが出来たおかげで、日本映画はようやく「いまの日本の風景」をフィルムに定着できるようになったと思う。
あとは、ケーブルで見た『ごめん』という映画が、ちょっと良かった。

さて、来月からの地上波放映がようやく話題になってきた『ギャラクティカ』。一足早くDVDで見るなら、だんぜん日本語吹き替え版だ。
シーズン2の第一話『船団崩壊』では、タイ副艦長がアダマ艦長との出会いを回想する。081207_17440001吹き替え版で見て、やっとこのシーンの意味が分かった。回想シーンのアダマがしきりに「俺のやり方で、艦隊に復帰してみせる。お前はどうするんだ?」と問いかけていたのは、船団とはぐれてしまったタイ副艦長に「お前のやり方で、船団に復帰してみせろ」と励ましていたわけか。なるほど、やっと納得した。吹き替え版だと、頭に入ってくる情報の経路が字幕版とは違うんだろう。
こんな初歩的な演出に気がつかなかった僕も僕だが、これから初めて『ギャラクティカ』を観る人たちが、ちょっとうらやましい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

■12/30 東ホール ぺ-42a■

最後に同人誌に寄稿したのは、ライターになる直前のことだった。今回は、きっかり10年ぶりのコミケ参加だ(「アクエリオン公式同人誌」は、公式なので同人誌ではないような……)。
524791847_68←これがイメージ写真……何のアニメの同人誌か、分かる人には分かるよね? 「時祭」って時点で。参加者はプロアマ混在で、プロの中には大ベテランの方もいらっしゃるので、なかなかナメられない本になっていると思う。

この本の成立過程は、まるで文化祭の屋台が出来上がっていくように楽しかった。メーカーチェックも入らなければ、どこかの宣伝をしているわけでもない。作り手の売名でもない。でも、着々と屋台が組みあがっていく。組みあがっては壊し、また別の人が入ってきてクギを打っている。そして、ギャラも受け取らずに去っていく。
この10年、僕のやりたいことの中には、常に交換条件があった。「○○について書きたい。ついては、△△の宣伝もしますよ」といった具合だ。それが身に染みついてしまっていた。徹頭徹尾、そのプロの事情とやらで一冊の本が出来上がってしまう場合すらあるのだ。
やっぱり、「飛び出す絵本」をつくるつもりで、本をつくらないとダメなんだ! 愛がないなら、やめちまえ!
……と、この同人誌には頬を張られた気分。一冊1,000円、オールカラーです。

最近、ちょっと愕然とした話をもうひとつ。
「私、リン・ミンメイのセル画を塗ったことがあるんです」という方と知り合った。アニメ業界とは縁もゆかりもない人なので「?」となったが、「ミンメイには、影が二色あった」と言うんだから、本物でしょう。「渦巻きみたいな影」と言うんだから、間違いないでしょう。
セル画彩色はその人のお母さんの内職で、当時まだ小学生だった彼女は、ちょこっと塗らせてもらっていたらしい。出来上がったセルは、ちゃんとタツノコプロに届けて(笑)、自作の棚や机が、ほったて小屋みたいな作業場に置いてあったという。
これはもう、俺の中では『ALWAYS 三丁目の夕日』ですよ。見たこともない風景なのに、懐かしいという。

俺がセルを見たのは、サンライズに入る直前。放映直前の『エスカフローネ』のカット袋で、あれこれと説明受けた時。確か『犬夜叉』のセル画も「セルを使うのは、これが最後」とか言われて見せてもらったから、もうとっくに90年代か。
081204_21320001(←93年発行、匿名のアニメーターの自伝。イヤな意味で実感にあふれた一冊。現在でも入手可)
だから、同じセルに触れるにしても、内職の手伝いでスタジオまで届けに行ったのと「お仕事」で見たのとでは、まるで体感レベルが違うわけだ。

……自分の中で何が抜け落ちているか、だんだん分かってきましたよ。結局、自分の蓄積した「ノウハウ」なんて弾撃ったあとの薬莢なんだよ。薬莢は足元に落ちるが、弾は飛んでいって帰ってこない。必要なのは、常に新しい弾丸なんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 1日 (月)

■モノにしがみつく■

アニメージュオリジナル vol.2  12月3日発売
Vol2_jake
●『空の境界』を識る
10ページ、構成・執筆。美少女アニメ特集ということで、「空の境界はどう?」と提案したら、けっきょく自分でやることに。コア層にのみ重厚に支持され、いわゆるライト層が存在しないこのアニメ、「一体どう説明しようか」というところからスタートし、講談社の太田克史さんにガッチリとインタビューしてみたら、これが大当たりでした。『空~』を知らない人ほど面白い記事のはず。必読!

『屍姫 赫』の色
4ページ、構成・執筆。これは特集とは別に、美術監督と色彩設計の方へのインタビューがメインですね。色づかいが非常に鮮烈な作品なので、今のうちに取り上げたいなと。

●『鉄腕バーディー DECODE』 赤根和樹監督インタビュー
これは編集部からの要請で、計4ページ。個人的には、赤根監督応援企画のつもりで。アニメーターさんの話がいっぱい出てきますよ。

●作家・河森正治の足あと 第一回
4ページ、構成・執筆。「第一回はマクロスFの最終回をフィーチャーして欲しい」という編集部の条件をのんで、河森LOVE全開の新連載。かなり自己流解釈を書いたけど、これはおそらく、「研究」の名を借りたラブレターですから。突撃ラブハートですよ。

河森さんといえば、11月29日、先端技術館@TEPIAにて「SFアニメが現実に!?激論ロボットトーク」を見てきた。出演は河森さんのほかにロボット工学者の古田貴之さん、水内郁夫さん。総論のあたりで、「ロボット単体ではなく、街や環境もふくめてネットワーク化して考える」「そうすれば、モノを増やさずに快適に生きられるかも知れない」――という話が出てきた。古田さんは例として「iPodがあれば、CDというモノは必要でなくなる」と仰っていたと思う。
その直後、会場で待ち合わせていた知り合いから「20年前にフルスクラッチした模型の残骸」を見せられ、しばし唖然とする。プラ板のカタマリに過ぎないといえばそれまでだが、その「モノ」に蓄積されたエネルギーに圧倒されるのである。

例えば、今はケータイ漫画のダウンロードが盛んだと聞く。
でも、俺はどうしても本屋で買ってきてしまう。気に入った本が、手垢で汚れていくのが好081130_04360001きだ。古本も好きである。
僕らよりちょっと上の世代になると、モノ頼みの人がチラホラいて、ネットなんてやらなかったりする。メールもそこそこに、いきなり電話がかかってくる。そういう人と接していると、安心する部分もある。
さっきの模型の話も同様で、指先で触れられるモノに苦心の痕跡を見つけると、そこに作り手の美意識はおろか、生き方をも感じとることが出来てしまう。それがモノの力である。

ところが、本なんていうモノづくりに参加していると、そこには「読まれていないのではないか」という恐怖も生じる。読まれない本は、上映されない映画のようなものだ。
夜中2~3時のファミレスで、どんな事情があるのか知らないが、一人でじっと読書しているお嬢さんがいる。ああ、美しいなと思う。いまや、本というモノそれ自体が付加価値である。若い頃、映画の企画が通らないので「だったら、このストーリー、飛び出す絵本にしてやる!」と宣言したことがあったが、それぐらいの気持ちでつくらないと、モノとしての本の価値は本当に消滅する。
僕らは、モノにしがみつく最後の世代だから、せめて悪あがきはさせて欲しい。悪あがきしながら、かつては買うのに勇気が必要だったエロ漫画さえ手軽にダウンロードされる時代の風の、その薄ら寒さにゾクゾクしてもいるのである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »