■映画だったりアニメだったり■
まだ渡されたDVD(邦画)も見きれてないのに、「資料用にどうしても」と『ポケットの中の戦争』をストリーミング配信で見はじめる(ちゃんと俺はアニメの仕事もやってるぞ!)。
なぜか、冒頭のハイゴック大暴れのシーンで涙が出てくる。メカで泣いたのは、さすがに初めてではないだろうか。ハイゴックにまとわりつく煙、ハイゴックの足元で逃げ回る人々、そしてハイゴックのミサイルで吹き飛ぶ6輪車の壊れ方(尻から持ち上がって、一個だけ車輪が外れる)……それらが、「人の手で描かれた」という事実に、今さらながら感動した。
別に磯さんの作画だからどうの、じゃなくて、「あの戦闘シーンを越えたガンダムを見たい、つくりたい」という声を聞かないよね。『ポケ戦』は人間が人間を描いている感じが、すごくする(ドラマも含めて)。
『ポケ戦』の元ストーリーは、バンダイの発行していた「Bクラブ」の企画募集ページに、まだ社長になるとは夢にも思っていなかったであろう内田健二さんが書いた。それをバンダイビジュアルの杉田敦さんが講評するという、すごい企画だった。
その連載ページで、杉田さんは「とにかく、映画を見まくれ」と熱く語っていて、ついには読者の応募した企画を取り上げては「君には、コレとコレが参考になるよ」と映画のタイトルまで細かく書くようになる。その影響も多少はあると思うが、僕はアニメだけ見て映画を見ない人のアニメの感想は、どこかしら信用できない。
もっとも、それは感覚的なものであって、「ライトノベルをいっぱい読んでいるから、基礎教養はバッチリだ」と言われたら、たいして読んでないこちらとしては沈黙するしかない。ただ、何がしかの志のある人は、「義務」として作品に接しなければならない場合は、必ずある。
『ポケ戦』に話を戻すと、僕の好きなシーンは空港のバーで酔っ払い女が愚痴るところ。たかが男にフラれたぐらいで泥酔する通りすがりの女の言葉が胸に響いて、主人公は犬死にを覚悟する。
この映画は(アニメだけど、映画と呼ぶ)、繰り返し「犬死に」を描きつづける。戦争状態でなくとも、無駄に命を散らしてしまうことはある。それは避けられないんだ、不合理だが受け入れろ!と怒鳴られているように僕は感じた。「不合理な死を受け止められるだけ強くなれ」は「戦争反対」より、よほど実用性の高いメッセージだ。
そうした作品の奥底に潜む「得体の知れなさ」を感知できるようになるには、やっぱり歳をくわないとダメだと思う。
(僕の場合、「歳をくう」とは、いろんな人と会ったり別れたり、嫌味を言ったり言われたり、その他いろいろ泥まみれになっていくこと。ゲームやってるうちに40歳になっちゃいました、というのも「歳をくう」うちなのだろうか。それは分からない)
【追記】『ポケ戦』のメッセージについてだが、「理不尽な死を受け入れられるだけ強くなっても、幸せになれるとは限らない」と言っているような気がしてきた。ハードボイルドだ。
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コメント
自分もポケ戦では、あの女性の愚痴でバーニィが自分を決めるシーンが、一番好きです。
彼のように、本当になんて事の無い事に振り回されて、生きて生きたいと思います。
投稿: 米田京平 | 2008年11月 5日 (水) 03時28分
■米田京平さま
でも、あの時のバーニィも一杯やってたんですよね(笑)
では、シラフの時の判断が絶対的に正しいのか?といえば、それでは魅力的な人生とは呼べません。
バーニィは一瞬、本気で世界(と言っても、コロニー一個ですよ)を救えると思い込んだんですよね。その思い込みがなかったら、人生は寂しいです。
投稿: 廣田恵介 | 2008年11月 5日 (水) 07時08分