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2008年11月28日 (金)

■ギャラクティカ地上波放映のこと■

『バトルスター・ギャラクティカ』シーズン2のDVD-BOXが手元に届いた。僕が唯一、大枚をはたいて買いつづけているシリーズである(アニメのDVDは安売りでしか買わない)。
081127_22380001_2「いくらオススメされても、視聴環境にないので関係なし」と思っている皆さん。実は『GALACTICA/ギャラクティカ』のタイトルで、来年1月から地上波でも放映されますよ! 
日本テレビ深夜枠で、まだ細かな日時は未発表。1月6日26時29分より。(ソースは、マスコミ向けプレスリリース)
シーズン2では、シーズン1でさんざん強調されてきた「民主主義」「法の精神」を、新しく登場した女艦長が「そんなお遊びで、よく生き延びてこられたわね」と一笑にふしてしまうなど、エキサイティングな展開がつづいている。笑われた側の穏健派の大統領は、その女艦長の暗殺を提案する。もはや、「正義」もへったくれもない。情け容赦のないドラマだ。
やっぱり、『ギャラクティカ』は「今」見ないとダメなんだ! 出来れば毎週、リアルタイムでじわじわ見たほうがいい。

さて、手のひらを返したように、邦画の話を。
まず、HDDレコーダーの底に埋もれていた阪本順治監督『魂萌え!』。10歳~60歳まで、どんな女優でも色っぽく撮るフェミニスト監督の面目躍如、55歳の風吹ジュンの女っぷりを上げる、ただそのためだけの映画。特に、林隆三演じるプレイボーイをふって、居酒屋で飲めない酒を飲んでフラフラになるところが素晴らしい。ふられた林隆三が、「今夜、やっぱり家でゴハン食べるから」と孫に電話する無様なシーンまで撮るんだから、本当に阪本監督は女を立てる天才。このフェミニストめ。でも、大好きです。

続いて、レンタルで『大停電の夜に』。原田知世目当てで借りてきたのに、香椎由宇が出てるじゃないか! でも、二人ともこの映画では、やや凡庸。監督のスケベ心が足りない。特に、香椎由宇は髪形で損をしてしまったと思う。
不意をついて、路地裏でローソク屋を営んでいる田畑智子が良かった。誰だろうと思ったら、相米慎二監督『お引越し』に出てたあの子か! 飲めない酒をぐいぐいやってしまうところが、非常に良い。ようは、女優がうまそうに酒を飲むシーンがあればAOK(オールオーケー)。一回、女優の飲酒シーン・ベスト5でもやってみたい。 

さて、ちょこっと相米慎二の話題が出たが、最近、ケーブルTVで相米監督の特集をやってTyphoonいる。映画館で3度は見た『台風クラブ』を録画し、音声のみ聴きながら寝たら、ちゃんと工藤夕貴が夢に出てきた。これホント。ある部分では映画のセリフを喋っているが、ある部分では、ちゃんと僕と会話のやりとりをしている。なんか睡眠学習みたいでしょ?
この遊びは、大学在学中、授業で『怒りの葡萄』を見ているときに発見した。映画を見ながら居眠りをはじめると、夢の中で俺バージョンの『怒りの葡萄』が捏造され、ちゃんと映画と繋がっているのだ。
テレビで育った人間なら誰でも、自分がドラマの一人物になっている――という夢を見た経験があるのではないだろうか。つまり、視聴覚に訴える映画やドラマは、夢との親和力が非常に高い。ということは、映画の誕生前に生きていた人々の夢は、今の我々が見る夢とはずいぶん異なっていたのではないだろうか?
メディアに感化される前の人々は、実はもっと生(レア)な夢を見ていたのではないか、そんな気がする。ネイティブ・アメリカンの格言に「夢は人間よりも偉大である」というのがあるぐらいだ。

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2008年11月25日 (火)

■ワインが飲みたい ただそれだけ■

月刊モデルグラフィックス 2009年1月号 発売中
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●「VF世代の四半世紀」 執筆
模型誌、しかもMGに『マクロス』のことが書ける!というので、他の仕事をすべてストップして、土日だけで書き上げた1万字です。
最大の資料は、当時のアニメ誌だったりするので、友人が古本屋に走って記述に間違いがないか確かめてくれました。
記事の中では明確に書いてないけど、当時のアニメファンには高等意識があったと思う。だから、通俗性まる出しの『マクロス』に腹を立てたのだろう。その一種の「下品さ」が劇場版で脱臭され、『マクロス』は「認められた」んだろうけど、そのプロセスが、どうも釈然としない。その気分が、誌面に出ているだろうか。

TSUTAYAが半額セールだったので、永作博美目当てで『気球クラブ、その後』。どういうわけか、全編ビデオ撮影。公開時はキネコしたものを上映したらしい。
永作の扱いは、なかなか良かった。永作がらみのエピローグは、あとから大幅に撮り足したものだそうだ。このエピローグがなかったら……ただ若者が携帯電話で無作法にくっちゃべり、だらしなく酒宴を催すだけの不愉快な映画じゃないか?と思っていたら、エンドクレジットに「脚本・監督 園子温」と出て、納得した。
園子温監督が、まだPFF周辺で映画を撮っていた頃、「俺」と書いた旗を持って街中を走り回る映画があった。あの旗が、今回は気球になったのか。作家の業なり癖なりを知ってしまうと、もうそれで許す気になってしまう。

まったく話は変わるが、ムーンライダーズとアニメ音楽といえば、『東京ゴッドファーザーズ』を思い出す人が多いと思う。しかし、ライダーズのメンバー個別で見ると、かしぶち哲郎が『ポケットの中の戦争』の劇伴をやっていたり、なかなか油断できない。
岡田徹でいうと、何といっても吉浦康裕監督『ペイル・コクーン』。

この挿入歌は、確か版権の問題でCD化できないと聞いた。僕が好んで使う「星が眠りにつく頃」というフレーズは、実はこの曲から拝借している。
岡田徹といえば、ゲーム『クラッシュ・バンディクー』のCMソングを担当していて、これがフルコーラスで聴くと、かなりイイ。発作的にCDを買ってしまった。
鈴木慶一のCMソングはかなり多いけど、キッコーマンのマンズ・ヌーヴェレールの「ワインが飲みたい ただそれだけ~」は、確かアルバム「CM WORKS」にも入っていなかったと思う。僕のノスタルジアを刺激するのは、意外と90年代初頭ごろに聞いていた曲であって、数少ない友人と共有できた聴覚の記憶である。
個人的体験に細分化されればされるほど、限りなくノスタルジア濃度は強まる。人に話しても分かってもらえないような経験こそが、実は最も「懐かしい」のである。

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2008年11月22日 (土)

■深夜の密会■

昨夜のことらしい。
僕も寄稿している同人誌の編集長が、とあるモデラーと電話で話しているうち、20年前つくられたガレージキットを手渡しすることになった。時間が折り合わないので「今から届けましょう」という話になり、編集長の彼は、極寒の深夜の国道をバイクで飛ばしたそうである。深夜のファミレスで、ガレージキットや古いアニメの話に花を咲かせたという。恋人に会いに行くより、よほど素敵な夜だ。

こちらは酷い二日酔いだったので、録画してあった映画を見ながら、うたた寝してしまう。目がFutarigashabetteru覚めたら、犬童一心監督『二人が喋ってる。』の冒頭あたり。しゃべくり映画とでも呼ぶべき、セリフの掛け合いオンリーの映画。舞台の上で、大阪の街中で、えんえんと漫才が続く。主役二人のしゃべくりは加速していき、とうとう映画の半ばを過ぎたあたりで、ミュージカルになってしまう。
深夜に「思いがけず」映画と出会う、という経験はまた格別で、リュック・ベッソン『サブウェイ』は夜中にテレビをつけたら、たまたま放映されていた。タイトルも分からず、ただ映像のカッコよさに呆然と見とれた。ところが、タイトルを知ってからレンタルで見直すと、たいして面白くない。眠りという生理のはざまに、何の作為も目的もなく忍び込んでくる――映画との密会は、一度きりだから甘美なのかも知れない。

続けて、田中麗奈を見るために録ってあった『暗いところで待ち合わせ』。天願大介監督のデビュー作『妹と油揚』は、非常にエロチックな作風だったが、この映画は淡白だ。田中麗奈は真っ白なカンバスのような女優で、映画の無色なトーンそのままに、朴訥と喋り、表情は薄い。『夕凪の街 桜の国』のベタベタな暑苦しい演技とは、対極的だ。依り代のような女優で、監督の世界観をストレートに体現してしまうような怖さがある。ちょっと追求してみようかな、と思いはじめている。

あとはアニマックスでアニメ鑑賞。出口の見えないRPGのようになってきた『黒塚』、どこまでも中学生の妄想世界に没入させてくれる『鉄のラインバレル』など。『ザブングル』はホッター老人の回で、ウォーカーマシン「センドビート・タイプ」のデザインに唸る。どの角度、どのサイズでフレームに入れても立体感の出る、奇跡的なデザインだと思う。

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2008年11月19日 (水)

■くり返し くり返し その朝をこえて とぶ鳥■

今夜の『バトルスター・ギャラクティカ』は、『ガンダム』で言えばGMが出てきて、「おお、主役Sgmdx06tv_bga02_t2210_0009 ロボットに生産型があるのか! すっげえ!」の第29話に匹敵する回ですね。
先週、『ヤマト』ばりに泣かせておいて、今週はコレかい!――半年周期でオドロキが津波のように押し寄せていた80年代アニメの勢いを、番組一本でやっちゃってるのが『ギャラクティカ』です。

さて、どうやら10年ぶりにコミケに行くことになりそうだ。というのも、あるアニメの同人誌に寄稿しているからである。その同人誌の編集長(と呼ぶにふさわしい行動力とポリシー、決してへこたれないド根性を持った人)から、深夜に進捗具合を書いたメールの来るのが、日々の楽しみとなっている。
この同人誌には、プロのモデラーやイラストレーターも参加しているのだが、スタンスは飽くまでも「アマ」だし、ノー・ギャランティ、ノー・スポンサーだ。
最初は僕も、編集長の相談に「プロの場合は、こうする」とアドバイスしていたのだが、途中でアホらしくなってやめた。「プロのやり方が、常に正しいのか?」という気持ちになってしまったからだ。プロの方法論なんて、しょせんは時間とクオリティの最大公約数でしかない。ようするに赤字にならないように「見切れる」のがプロ。おそらく、それ以上にプロの条件はない。
(だから、締め切りを守れないライターなんてのは、問答無用でプロ失格。僕ごときがプロとして食えているのは、ひとえに締め切り厳守だからだ)

だけど、先日の「モケイ」の話にも通じるんだけど……人間には、死ぬまで描きつづける一枚の絵が必要なんだよね。なりふり構わず理想のビジョンを追求しないと、たぶん人間は生きていけない。英語で言うと「beyond」っていうの? 『ナウシカ』原作版でいうと「私達は 血を吐きつつ くり返し くり返し その朝を こえて とぶ鳥だ!」 つまり、向こう側へ越えて飛ぶためには、「ただのプロ」ではいられない時があるんです。
さっき言った同人誌の編集長のことで言うと、彼のデザインしてくるページは素晴らしくセンスいいんだけど、明らかに商業誌では通用しない。通用しちゃダメなんだよね。俺は最初、商業誌でも通用するよう、アレコレ言っていたんだよ。たかが、プロのぶんざいで。
ところが、いざプロという眼鏡を外した瞬間、もうそのページいっぱいに、南国の海のごとく、色とりどりの魚が生き生きと泳いでいるのが見えたわけだ!

僕は、かろうじてガレージキット(簡単に言うと、アマチュアのお手製プラモデル)の黎明期081119_02090001に参加できた人間だ。ガレージキットなんて、部品は足りない、欠陥パーツはある、「こんなの、作れないよ」って代物だった。そう簡単に作れちゃ、いけないんだよ。送り手と受け手の格闘技だったんだ、ガレージキット作りって。グラインダーでバリバリ削って、腕力で作っていたから(笑)。
ところが、商業の世界では腕力なんか使っちゃいけない。必要なのは「テクニック」であって。そこが、プロの世界の面白くてつまんないところじゃないだろうか。
自分のテクニックの使いどころ、使う方向は分かった。目標も見えている。そしたら、今度はまた、腕力の世界に帰るんですよ。その往還運動こそ、生命力そのものですよ。自分だけの珊瑚礁を探し当てて、その美しさに打ち震えたいんだよ、俺は。
……もちろん、腕力を使うためには、普段いっぱい仕事しなきゃいけないんだけどね。もう先月・今月と狂ったように働いているから、AOK(オールオーケー)だと思う。

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2008年11月15日 (土)

■谷村美月は、風に吹かれている■

EX大衆 12月号 発売中
Ex_taishu_08_12
●愛ドルのリコーダー 第11回 末永佳子
●原紗央莉 「予感」
●山本梓 「とび
っきりの笑顔。」

それぞれ、ポエム執筆です。今回は、かなり恥ずかしいポエムが書けた!と胸をはって言えます。
ところで、もう一個のブログでも言ってることですが、編集者がグラビアページに付けるタイトルが、実に詩的で良いですよ。手元にあるバックナンバーをめくると「華の予感」「洋館より愛を込めて」「美女は二度微笑う」「背徳のシネマ」「美女と鏡とスーパーカー」などなど……その場かぎりのアイデアなんだけど、だからこそセンスが問われる。こういう瑣末な部分を楽しめなきゃな。

ようやく、リビドーに従った映画鑑賞のできる時間が出来た。谷村美月めあてで『魍魎の匣』。監督は原田眞人なので、話の難解さとスマートなカット割りも楽しむべし。
しかし、今回も谷村は、ひっでぇ目に合っている。子供が見たら、泣いちゃうような姿で出てくる。だけど、この役は「誰かが」やらなきゃならないんだ。それを買って出て、次の映画では何事もなかったかのように、ニッコリ笑う。谷村美月は、風に吹かれている。彼女は、誰にも守られちゃいないんだ。
この映画では、田中麗奈のチャキチャキぶりが光っている。先日、10年ぶりに『がんばっていきまっしょい』を見たけど、この人は何をやってもカラッとしている。反面、谷村美月の081115_15310001ウェットなこと。不幸をしょいこんだ役なら、右に出るものなし。それなのに、いまだに「美月ちゃん、かわいい!」などと見当違いの誉められ方をしてしまう……それも不幸。だけど、誰かがジメジメした人間の暗部に踏み込まねばならない。映画というメディアが、それを要求しつづける。谷村は、命綱さえつけずに最深部へ挑む。その勇気に見合った賞賛が得られているとは、とても思えない。そんなこと、本人も気にしていないかも知れない。ウェットだけど、ワイルドだ。やっぱり、好きな女優だ。

「人間の機能をすべて再現した機械をつくろうとすると、ビルディングぐらいの大きさになってしまう」……確か、子供向けの科学雑誌に出てきた記述だ。エド・レジスの名著『不死テクノロジー』にも通じる、その倒錯した着想に、目眩を感じたものだった。その目眩を、原作の『魍魎の匣』からは、かすかに嗅ぎとることが出来た。
一人の少女を生かしておくために、途方もない大きさの建造物が必要である――耽美主義は、つねに絶望、諦念、感傷と隣りあわせだ。しかし、原作も映画も、そこまで踏み込むことは出来なかったように思う。耽美主義は個人を幸せにするかも知れないけど、大勢を幸せにするわけじゃないからなあ(笑)。

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2008年11月13日 (木)

■モケイを作らなくなったらオシマイだぜ■

『バトルスター・ギャラクティカ』シーズン2に関しては、先にサンプルで全話を見ていたので、特に急いで見る必要はなかった。
しかし、昨夜放映の第22話『ブラックバード』(原題:Flight of the Phoenix)は、一本原稿を終わらせて、「朝までもう一本、がんばろう」という時に、喝を入れるために見た。

乗組員のストレスがピークに達したギャラクティカ艦内で、整備班長のチロルが、一人で戦闘機を作りはじめる。「これは、自分で模型を作ったことのある人間なら絶対に共感するぞ」と、初見のとき思った。周囲から「こりゃ、絶対に完成しないね」と言われるような自作模型を作ったことがあるだろうか。けっこう大きな経験だと思う。
Sgmdx06sgmdx06tv_bga02_t2209_0004これまで失う一方だった『ギャラクティカ』という物語が、創造に向けて舵を切るのが、この第22話だ。チロルは、戦闘機を自作しつづける動機を苦渋の思いで語る。「僕には、この戦闘機と仕事以外、もう何も残っちゃいないんです……」。
自分をクリエイターだと思ったことは一度もないが、このセリフには心の底から共感する。――余談だが、何かにつけてクリエイターと口にする奴は信用しないことにしている――。しかし、成果物でしか認められたくない、という意地なら、よく分かるのだ。仕事の結果以外で信用を勝ちとりたいとも思わない。

さて、チロルの無謀な挑戦に、艦内の人々は次々と手を貸しはじめる。完成した戦闘機には、ローラという愛称が与えられる。ローラ・ロズリン大統領の名前だ。この時、ロズリン大統領は余命数週間の末期がん。だから、このエピソードの題名は「Flight of the Phoenix(不死鳥の飛翔)」という。作り手の祈りが込められているのだ。

「解っていると思うが……人間、モケイを作らなくなったらオシマイだぜ」。これは、『山根公利 メカ図鑑』に掲載されている、柿沼秀樹さんの言葉だ。
山ほど原稿があろうとも、仕事なんてのは、熱心に手を動かしていれば必ず終わるものなのだ。仕事とは別に、自分だけの「モケイ」を作りつづけなくてはならない。そういうことだと思う。

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2008年11月11日 (火)

■深夜早朝3本立て■

さて、ようやく寝る時間が出来たと思って横になったら、1時間で目が覚めてしまった。しょうがないから、録り溜めてあった映画を見はじめる。オールナイト3本立てである。
こんなんだったら、昨夜、『斬~KILL~』の試写会に行っとくんだった。

まず、麻生久美子めあてで録ってあった『怪談』。呪いがらみで死ぬ女は計3人で、麻生久美子は三番目。だから、最後まで見られたのかも知れない。麻生がよければ、AOK(オールオーケー)だよ。

次は『さよならみどりちゃん』。古厩智之監督が、星野真里に惚れこんでいるのは、良く分かった。星野にべったりくっついて、泣かせて脱がせて歌わせる。でも、それじゃダメなんだよな……難しいんだな、女優を撮るのって。なんか、勉強になった。山下敦弘ぐらい、むっつりスケベでちょうどいいんじゃないだろうか。
ただ、こじんまりした飲み屋街は、いい雰囲気だった。スナックがあって居酒屋もあって、その代わり他には何もない。あとは、徹夜で町を走った星野真里が見る早朝の風景。うっすらと夜が明けてるのに、あちこちに街灯がついている。俺が酔った頭で何度も見てきた、一生で最も馴染み深い風景だ。

三本目は、『大阪物語』。市川準監督が亡くなって以来、「なんとかして見ておかねば」と思ってD0043912_1284947いたうちの一本(なぜかDVD化されていない)。前半が田中裕子と沢田研二の夫婦漫才、夫婦の話メイン。消耗する一方のダメ親父、沢田に感情移入してしまう。
後半、ばっさり髪を切った池脇千鶴が、失踪した父親の沢田研二を探して、大阪を徘徊する。ぶらつく、つぶやく、疲れる。池脇が自転車に乗ると、真心ブラザーズの「ENDLESS SUMMER NUDE」が流れはじめる。
この時、池脇千鶴、18歳。なのに、中学生役が犯罪的なまでにハマっている。劇中にも出てきたけど、「おっちゃんと、お茶でも飲まへんか?」という気分だ。眼福。汗べっとりで苦しそうに寝ているさまを撮るあたりに、市川監督のスケベ目線を感じて、AOK(すべて良し)。
脚本は、犬童一心。よく出来た脚本だ。この5年後、犬童監督は池脇主演で『ジョゼと虎と魚たち』を撮る。どちからというと、『ジョゼ』は池脇の生んだ作品であって、犬童監督は分娩室で立ち会った程度ではないだろうか。同じ池脇・犬童コンビの『金髪の草原』を見れば、もっとよく分かるかも知れない。

あ、『金髪の草原』は大島弓子原作だ。それが犬童監督の『グーグーだって猫である』に連鎖するのか。『グーグー』は徹頭徹尾、小泉今日子の映画だったからな。やっぱり、映画は女優が生むものだ。監督は立ち会うことぐらいしか出来ない。男しか出ない映画? 俺は、そんなものは見ない!

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2008年11月 9日 (日)

■うちにも、ガブが来た■

こうまで仕事が詰まってくると、もう楽しみは枕もとの読書だけで、ここのところ、僕は読みさしの本をすべて放り出して『機甲天使ガブリエル』(宮武一貴×加藤直之 ラピュータ刊)をむ081108_17410001_2さぼっている。いわゆるデザイン画集なのだが、実に読ませる。
宮武一貴さんが、イヤイヤながらに昔話をしているのがカッコいい。「加藤が、○○について何か話せという」。この書き出しで、すでにシビれる。対する加藤直之さんは「若かった頃の話をしてみる」と積極的だ。このコントラストが、実に物語っぽい。
「可能性を総て試しもせずに脇を素通りさせるなど、犯罪だ。」by宮武一貴。こりゃ、殺し文句だ。この一言だけで、奮い立つ。パワードスーツの内部で操縦桿を持ったまま歩けるかを試すために、胸の前でドライバーを握りしめ、夜の街を走り回ったという挿話も勇気がでる。
「ただ手を動かして描いただけの代物だ。こんなモン売れるわけがない。」「僕は指先と紙の上で考えるようで、頭は直感にしか使ってないらしい。」「新しいものが生まれればAOK(オールオーケー)だよ。」……まるで名探偵のセリフ。この本は、デザイナー宮武氏とイラストレーター加藤氏のバディ物だ。「君のこだわりとは相容れないだろうが、あまり心配しないでいいよ、加藤君。」なんてセリフがキャプションに書いてあるから、目が離せない。

『ガブリエル』は玩具企画だから、当然、試作品の写真も載っている。しかし、1/12に統一された加藤氏のイラストは、紙面に手を伸ばせばヒョイとつかめるのでないか、と思うぐらい生々しい。「だったら、立体で作ればいいじゃないか」という問題ではない。「実は、そこには存在してない」から物語たり得る=応用が効くのだ。小説も映画も同様だ。

映画といえば、次の次の仕事のために、『連合艦隊』をレンタルしてきた。全部を見ている時間はない。『櫻の園』の公開が始まったので、そっちを観に行きたい。
テレビアニメの「30分」という枠は、休憩に適した時間だ。アニマックスでやっている『ガンダムZZ』は大詰め。「トミノメモ」を引用しているらしいのは、アイデアに詰まったからだろう。『鉄のラインバレル』のギャグ回は、不覚にも2回つづけて見て、2回笑った。省略のセンスがいい。太宰の『人間失格』に、金を無心するときはまず笑わせるべしと書いてあったが、ギャグを入れると、人はその先も見てくれる。あとは『とらドラ!』その他を録画し忘れた。

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2008年11月 7日 (金)

■妄想の成果物■

先日の『ポケットの中の戦争』につづき、「資料」と称してストリーミング配信で『第08MS小隊』を見る。何はともあれ、飯田馬之介さんが監督にバトンタッチした後半。1999年発行の「アニメ批評」で飯田監督にインタビューすることになり、あわてて最終巻を借りて見て以来……だと思う。
宮崎駿の弟子である飯田監督らしく、後半は王子に成長したシローが、アプサラス城からアイナ姫を助け出すストーリーに仕上がっていると思う。ただ、こういう古典的な物語は周囲の俗人たちが魅力的でないと、なかなか入り込みづらい。

それはさておき、ひさびさに見返してギョッとしたのは第10話のグフ戦。
シロー機がマシンガンを撃つと、手前にある電線を一緒に撃ってしまい、青い火花が散る。何かこう、エロい描写が続出するな……と。
081106_04560001「エロい」というのは、巨大ロボット兵器なんていう事実無根のフェティッシュな嗜好物を、あの手この手で「あるように」見せているから。
失神したシロー機の復活後、グフがヒートロッドを伸ばすと、ヒョイと避けられてしまう。「なんだよ、避けられたじゃん?」と思っていると、実はヒートロッドは一度捨てたヒート剣を拾うために伸ばしていた!……フェイントというか、もう「焦らし」ですよ、この演出テクなんて。エロいよなあ。
とにかく、手練手管というか、よくこんな色々な見せ方を思いつくなあ、と呆れるやら感心するやら。
飯田監督は『デビルマン 妖鳥死麗濡編』も監督していたけど、あれは押井守監督が「エロい」と嫉妬まじりに評価していたと思う。『08小隊』第10話の絵コンテも、飯田監督本人だ。どうも「カッコいい」と「エロい」は、同じ快楽神経のツボを押しているような気がする。

何度も『08小隊』を例にあげて悪いんだけど、アプサラスが最終話でビームを小出しにしたり最081106_05320001大出力で撃ったり、あれこれする。いろいろ考えるわけですよ、眼で見て楽しめるように。
「ここでシールドが溶けたら、ちょっと良くね? こんなアングルで、じわーって溶けたら、たまんなくね?」って、ニタニタしながらコンテ切ったんじゃないかな……。ようは「コレがこうなったら、すごくイイよね」という単純明快な快楽原則でつくられた妄想の成果物は、どうしてもエロティックになってしまうんじゃないだろうか。

公開中の『その日のまえに』だけど、どうも戸惑っている人が多い様子。メチャクチャなのが好きな人は楽しんでいる。お客さんの反応まで『ポニョ』と変わらないので、愉快だ。
いま、寝る前にちょこちょこ『廃市』見てるけど、これだって十分に変な演出やってるんだよね。

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2008年11月 3日 (月)

■映画だったりアニメだったり■

まだ渡されたDVD(邦画)も見きれてないのに、「資料用にどうしても」と『ポケットの中の戦争』をストリーミング配信で見はじめる(ちゃんと俺はアニメの仕事もやってるぞ!)。
081103_04170001なぜか、冒頭のハイゴック大暴れのシーンで涙が出てくる。メカで泣いたのは、さすがに初めてではないだろうか。ハイゴックにまとわりつく煙、ハイゴックの足元で逃げ回る人々、そしてハイゴックのミサイルで吹き飛ぶ6輪車の壊れ方(尻から持ち上がって、一個だけ車輪が外れる)……それらが、「人の手で描かれた」という事実に、今さらながら感動した。
別に磯さんの作画だからどうの、じゃなくて、「あの戦闘シーンを越えたガンダムを見たい、つくりたい」という声を聞かないよね。『ポケ戦』は人間が人間を描いている感じが、すごくする(ドラマも含めて)。

『ポケ戦』の元ストーリーは、バンダイの発行していた「Bクラブ」の企画募集ページに、まだ社長になるとは夢にも思っていなかったであろう内田健二さんが書いた。それをバンダイビジュアルの杉田敦さんが講評するという、すごい企画だった。
その連載ページで、杉田さんは「とにかく、映画を見まくれ」と熱く語っていて、ついには読者の応募した企画を取り上げては「君には、コレとコレが参考になるよ」と映画のタイトルまで細かく書くようになる。その影響も多少はあると思うが、僕はアニメだけ見て映画を見ない人のアニメの感想は、どこかしら信用できない。
もっとも、それは感覚的なものであって、「ライトノベルをいっぱい読んでいるから、基礎教養はバッチリだ」と言われたら、たいして読んでないこちらとしては沈黙するしかない。ただ、何がしかの志のある人は、「義務」として作品に接しなければならない場合は、必ずある。

『ポケ戦』に話を戻すと、僕の好きなシーンは空港のバーで酔っ払い女が愚痴るところ。たかが男にフラれたぐらいで泥酔する通りすがりの女の言葉が胸に響いて、主人公は犬死にを覚悟する。
この映画は(アニメだけど、映画と呼ぶ)、繰り返し「犬死に」を描きつづける。戦争状態でなくとも、無駄に命を散らしてしまうことはある。それは避けられないんだ、不合理だが受け入れろ!と怒鳴られているように僕は感じた。「不合理な死を受け止められるだけ強くなれ」は「戦争反対」より、よほど実用性の高いメッセージだ。
そうした作品の奥底に潜む「得体の知れなさ」を感知できるようになるには、やっぱり歳をくわないとダメだと思う。
(僕の場合、「歳をくう」とは、いろんな人と会ったり別れたり、嫌味を言ったり言われたり、その他いろいろ泥まみれになっていくこと。ゲームやってるうちに40歳になっちゃいました、というのも「歳をくう」うちなのだろうか。それは分からない)

【追記】『ポケ戦』のメッセージについてだが、「理不尽な死を受け入れられるだけ強くなっても、幸せになれるとは限らない」と言っているような気がしてきた。ハードボイルドだ。

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2008年11月 1日 (土)

■酔々の朝■

カラオケのメンバーと別れて、歌舞伎町の深部へ行く。
一人になるとすぐ、ネズミ男そっくりの客引きが寄ってきた。
「お客さん、キャバクラは?」
「いくら?」
「この時間なら、4千円にしときますよ」
もう、午前5時を回っている。星の眠る刻限である。
案内された店は、もう店を閉めていた。「大丈夫ですよ、もう一軒ありますから」 ネズミにせきたてられるようにして、路地裏をゆく。
081101_05510001雑居ビルの四階、ネオンの消えた店に案内される。もちろん、客は僕一人だ。
カウンターに座っているボーイは、計算機片手に苛立っている。片づけたばかりのアイスペールに、また氷を入れなきゃならないからだ。
横に座った女の子は、「どんどん飲んで」と話もそこそこに、酒ばかり継ぎ足す。こりゃ何か企んでるな、と思った頃、
「ねえ、ホテルに行かない? 4万円でいいよ」
おいでなすった。
「お客さん、どうするんですか? 早く決めてよ」
とうとう、ボーイが怒り出した。
「一人で帰るよ。確か、3千円でいいんだよな?」
「どうして、そうなるんですか! 4千円です!」
殺伐とした思いで店を出ると、いつの間にか知らない通りを歩いている。まるで聞いた事のない地下鉄の駅しかない。とにかく、知っている駅に出ようとホームの路線図をにらむ。まばらな客は、疲れきったホステスばかりだ。皆、うんざりした顔で、客か恋人にメールを打っている。

12時間後。
取材のため、中央線の小さな駅で編集者を待つ。近くの女子大に通っているらしい学生の会話が、耳に飛び込んできた。
「ありがとう、話してくれて」
「ううん、こちらこそ聞いてもらって、嬉しかった」
「私なんかでよければ……何の解決にもならないかも知れないけど」
「そんなことない。私、たくさん泣いちゃったね。ごめんね」
振り返って見てみると、彼女は満面の笑み。パチン! 泡が弾けるように、一気に酔いが覚めた。

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