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2008年10月 6日 (月)

■「今」を描く■

二日間でDVDを7本観て、さらに映画館で一本。今日は2本借りてきて、映画館でも一本は見る予定。いつ原稿を書けばいいのか、自己管理しないとキリがないな。
081006_10340001(←『グーグーだって猫である』、上野樹里が意外とよかった)
DVDで面白かったのは、『転々』。三木聡監督は、『図鑑に載ってない虫』が面白かったので、ぼちぼち観ようと思ってはいた。しかし、コントの連続のようなこの監督の映画に、まさか泣かされるとは思わなかった。とってつけなような「泣かせ」なんだけど、孤立無援のダメ人間の心にはジワリと染みる(何しろ、主題歌・挿入歌がムーンライダーズ)。
借金取りを演じる三浦友和の、くすんだたたずまいがいい。一時期は鼻持ちならない二枚目崩れだったが、いい歳のとり方をした。
後半、小泉今日子と吉高由里子が登場して、擬似家族を作り上げる頃には、もうボロ泣き。吉高は、まだ演技に作為が感じられるのだが、やはり凄い。なんかこう、均衡を崩す力のある女優だ。

先日、『ギャラクティカ』が流行らない日本は情けない、と書いた。
編集者と雑談していて、その答えらしきものをつかんだ気がする。ようするに、今は消費081006_20340001者がお金を持っていない。その瞬間、サッと使えるコンテンツにしかお金を落とさない。時間を使わない。ケータイ小説が流行っているのは、そのためだ。ケチりにケチった結果、ああいう短期決戦型コンテンツが残った。もう、何巻もあるDVDをコツコツ見るような、凝り性の時代ではない。そんな余裕は、消費者にはない。
だから、重厚長大な『ギャラクティカ』は、貧乏な「今の日本」にフィットしないのである。

皮肉なことに、『ギャラクティカ』では、コンピュータをネットワークに繋ぐことが鬼門とされている。書類などは、すべてに紙に印字してやりとりする、そんなローテクな世界である。『ギャラクティカ』は、ひとつの「今」を描くことで、もうひとつの「今」を犠牲にしている。何かを選んだ瞬間、われわれは他の何かを捨てているのである。
ケータイ小説が貧者の文学なら、『ギャラクティカ』を見ることは、明らかな贅沢。アダマ艦長の自室には、ずらりと本が並び、修理中の帆船模型がある。このような「理想」を求めれば、軽薄だがかけがえのない「今」を、ないがしろにすることになる。
ケータイ小説『あたし彼女』の面白さは、10行かそこらで分かる。『ギャラクティカ』を理解するのには、最低でも3時間はかかるのである(第一話にあたる『ギャラクティカ/序章』は3時間)。

メシ屋や電車の中でケータイを開く連中には、連中なりの理由がある。それが依存症であるなら、なおさら責められない。俺も日本映画依存症、『ギャラクティカ』依存症だからだ。

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