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2008年10月 8日 (水)

■アニメと死■

本日、「談話室オヤカタ」出演の第二回です。
081008_00350001_3もう冒頭から、グラビアポエムの朗読がはじまる。その後も、ずーっとグラビアポエムの話してる。こんなに大真面目にグラビアポエムの話してる番組、他にないですよ。
それで、先週の放送で話に出ていた「グラビアポエム詩集」(なんという頭の悪いタイトル)、実はジワジワ進んでいます。今回の放送でも語っていますが、「ようは、そこに文字の塊があればいい」「読まれないことを前提にした詩」。必要なのは「通俗性」「どこかで聞いたようなフレーズ」……これらを「作品」として鑑賞したとき、どんな世界が立ち現れてくるのか。もちろん、まだ企画のスタートラインだけど、乞うご期待。

ひさびさに、アニメの話でもしますか。
『屍姫 赫』が良かった。あらかじめ、ヒロインが15歳で死んでいる、というところが実にアニメらしい。もう、それ以上、歳をとりようがないから。再三再四、繰り返してきたことだが、人間の生物的ピークは10代。ビルの上を跳びこしたり、でかい武器を振り回すようなアニメの主人公は、10代でなければならない。20代がそれをやると、たちまちウソになる。第二期の『ガンダム00』の主人公は20歳を越えてしまったけど、彼が前作より弱くなったように見えるのは、歳のせいじゃないかと本気で思う。
081008_00400001『屍姫』は、死を取り込むことで、全能の存在になっている。これは、実写では出来ないことだ。生身の役者に死体メイクをしても、しょせん俳優は「生きてしまっている」。ところが、止まったセル画は、確実に死んでいる。『屍姫』の冒頭は、そのアニメの弱点を逆転利用していたと思う。例えば、BGオンリー、背景だけのカット。たいてい、気がつかない程度にカメラを動かして、ピタッと止まった絵に見えないように工夫している。あるいは、雨とか霧のエフェクトを入れて、生命感を出す。
そうしないと、アニメってのは簡単に死んでしまうから。死にやすいんですよ、アニメって。作画枚数が多いと、見ていて安心するでしょ。動けば動くほど、死から遠ざかるから。構造的に、死とアニメは意外と近しい関係なのだ。

そして、死ぬかもしれないような大活劇を演じられるのは、『未来少年コナン』の昔から10代の主人公の特権なんだ。『屍姫』は、ビルの屋上から落ちて死んでいたけど、最初から死んでいるという設定だから、これは無敵だよ。
原作漫画も買ってみようと思うけど、アニメならでは、アニメでこそ生きるヒロインだと思う(死んでるけど)。やっぱり面白いな、アニメは。

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