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2008年10月30日 (木)

■吉高由里子は、バカボンのパパ■

試写会行って、その帰りにDVD借りてきて、原稿書いたら寝る前に映画見て……という生活も楽しいのだが、何しろすべて仕事がらみなので、そろそろリビドーに従って映画を見たいぞ!と思い、『蛇にピアス』行ってきた。
081029_21080001とにかく、吉高成分が足りないんでね。吉高由里子を観るためなら、どんな悪条件でも構うものか(水曜レディースデー、渋谷のど真ん中のチャラい映画館、しかも夜の回……最悪の視聴環境)。
この映画、別に吉高由里子が全裸になる必要、まったくなかった。吉高は、へらへらと内容空疎なセリフを喋っていたり、不条理にブチ切れて怒鳴ったりしている方が、オーラが出るんだよ。「天才バカ」オーラって仮に呼んでるんだけど、バカボンのパパみたいなんだよ、この女優。意味のないことをすればするほど、「ひょっとしたら、すげえ頭いいんじゃないの?」と思わせる。例えば、蒼井優は誰が見ても才能ある女優だろうけど、吉高由里子は、蒼井優と同じ目盛りでは計測不可能なんだよ。ベクトルが、まったく違うから。「天才バカ」専用メーターでも発明しないと、吉高の凄さは分かりづらい。
だから、普通に綺麗に撮ろうとしてもダメなんだよ。吉高の全裸を目当てに来ている男性客もチラホラいたけど、みんな退屈そうにしてたもん。渋谷の街で「ギャッハッハ!」と笑っている、どうでもいいシーンの方が、圧倒的にいい。「これでいいのだ!」って感じ。

あと、舌にピアス穴あけるシーンを見て、やっぱり『殺し屋1』の浅野忠信が自分で舌をぶった切るところを思い出してしまった。あのシーンはCGなしの特殊メイクで、しかも長回し。自分の舌を切ったばかりの浅野に、女から電話がかかってきて、浅野は何事もなかったかのように電話に出る。挙句、「なんか、喋ってるうちに治っちゃったよ」だからね。
そういう生理的苦痛(快楽)とギャグの混在したシーンは、吉高由里子に向いてそうだ。なのに、入れ墨のシーンとかSM的セックスシーンとか、ぜんぜん普通だったので、ちょっとガックリ。淡白な映画だったね。でもそれは、蜷川幸雄が73歳の老人だからじゃないよ。
だって、71歳の大林宣彦の撮った『その日のまえに』は、もうメチャクチャ元気だもん。「大林サーカス一座」って感じだよ。南原清隆が「監督は、シナリオにないシーンでも、思いつきで撮影していた」とインタビューで話していたけど、大いに納得。もう「生きてるうちに撮れるもん、ぜんぶ撮っとけ!」って勢いだもん。

渋谷からの帰り道、「長生きしたいな」と初めて思った。吉高由里子が20年後、どんな女優になっているのか。谷村美月が、どんな歳のとり方するのか、ずーっと見ていたい。もし俺が、何十年後かに怨霊になってよみがえったら、それは女優を見るためだ!と断言しておく。

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2008年10月25日 (土)

■深夜にマッドハウスを絶賛する女の話■

とにかく、少しでも仕事の参考にしようとメモ片手に、本日も二本、邦画を鑑賞。『リン081025_02260001ダリンダリンダ』は、最初に見たときはペ・ドゥナが目当てだったんだが、しばらくぶりに見直してみたら、香椎由宇がバツグンに良い。意地の悪そうなところが良かった。ツン、という顔をされると、俺はコロッといく傾向にある。

さて、本題。なんとなく眠れないので、ツーショット・チャットしていたら(原稿書けよ、と自分でも思うが酔っていたので)、いきなり相手に「電話で話したい」と言われた。何だコイツ、業者か?と思いながら電話すると、「アニメ、大好きなので、アニメの話しましょう」。こういう女子はキャバクラによくいるので、「はいはい、ジブリの話でもすりゃいいんでしょ」と萎えていたら、「やっぱり、マッドハウス最高だよね~」「福本伸行の『天』を、マッドハウスがアニメ化してくれればいいのに!」 何だ、この女。「こないだ『ロザリオとパンパイア』を見てみたら、五分が限界でした……でも、『あかね色に染まる坂』は今期の中では、なかなか」。だから、「今期」とか言うなよ。
その子は彼氏の影響でアニメを見はじめたという話だが、なんとなく作品の好みに一貫性がないのは、そのせいかも知れない。電話口で『Go Tight!』を歌ってくれたけど、なかなか上手かった。
「ひょっとして、廣田さん、結婚してます?」
「いや、離婚して三年近くになるよ」
「廣田さんの書いた本、探してみる。見つけたら、電話しますよ」
もちろん、電話は来ない。こういう人は、とっかえひっかえ、いろんな男と話したがるものだ。話してみたいな、と思った向きは、深夜のチャット・ルームをさまよってみなさい。いつかきっと出会えるはずだ。そういう、妙なロマンの香りだけは残していく人なんだよな。

俺自身は、女の人とアニメの話をすることに楽しみを見出せない。それより、化粧品でもブランドでも何でもいいから、俺の知らない世界の話をしてほしい。キャバ嬢が、『ハルヒ』の携帯ストラップなんか付けていると、かなしい気持ちになる。頼んでもないのに『ラムのラブソング』を歌われると、むしろ切なくなってしまう。
名著『D.T』の中で、みうらじゅんと伊集院光が「童貞には、女体盛りが理解できない。性欲と食欲が結びつかないからだ」と書いていたが、その感覚に近い。女とアニメは食い合わせが悪い、とでも言えばいいのかな。

そんなことを考えていたら、「アニメ好きの元レースクイーンと合コンしないか」という話が来た。もちろん、乗った。やっぱり、俺はマゾなのだろう。やってくる混沌は、拒まないたちだ。

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2008年10月22日 (水)

■The Bad News Bears■

ある企画のため、ひさしぶりに『がんばれ!ベアーズ』を鑑賞。
Bad_news_bears僕が中年になったせいか、ダメ監督のバターメーカー(ウォルター・マッソー)の気持ちが痛いほど分かるのだが、ひょっとしたら、これはバターメーカーと天才投手のアマンダ(テイタム・オニール)の、年齢差をこえた恋愛すら描いているのでは……とかんぐりたくなった。
バターメーカーは、アマンダの母親との結婚話が持ち上がった二年前、「俺に家庭は似合わない」と言い訳して失踪しているという設定だ。このアマンダの母親が、映画の最後まで出てこないため、ずっと「?」と思っていた。
アマンダは、母親とバターメーカーの仲を取り持とうと懸命になる。
「明日の決勝戦には、お母さんを呼んであるのよ。試合が終わったら、三人で食事に行って、そのあと映画に行こう」
ところが、バターメーカーはこの提案を断る。すると、アマンダは「じゃあ、私たち二人でもいい」と食い下がる。なぜ二人なのだろうか。アマンダは母親とバターメーカーをくっつけたいはずだったのに?
この会話が決裂したあと、二人は離れたところで涙を流す。そして、試合に来ているはずのアマンダの母親は、とうとう最後まで物語に登場しない。だから、アマンダとバターメーカーの恋愛話に見えてしまう。おそらくこれは、バターメーカーと同年齢の母親が出てきて二人が結ばれてしまうと、あまりに映画が生々しくなってしまう――つまり、凡庸なところに落ち着いてしまうため、アマンダという「依り代」を使ったのではいないだろうか。
ようするに、テイタム・オニールはアマンダという少女を演じながら、その母親役をも同時に演じていたわけである。

『ペーパー・ムーン』のおかげで天才子役ともてはやされたテイタム・オニールだが、この映画では、いじめられっ子のルーパス(クィン・スミス)がいい……って、少年ですが。陰気な瞳が、とても愛らしい。いや、少年なんだけど。
それはさておき、以前にも書いたように、この映画には日曜日しか出てこない。平日の学校のシーンなんて皆無なんだ。そんなものは、描くに値しないと言わんばかり。明朗快活なエンターテイメントの割に、かなり極端な美意識に貫かれた映画で、だから30年も好きでいられるのかな、と思う。

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2008年10月19日 (日)

■深夜のファミレスで■

六本木で開催中の第21回東京国際映画祭にて「ビジョンクリエーター 河森正治の世界」、プレスではなく、一観客として入場。
081019_13550001お知り合いが何人か来場していて、「EX大衆に『ゼーガペイン』のこと載せてくれて、ありがとう」と言われて、 ちょっと感激。「スパロボに参戦させてあげてください」とお願いしておいた。

さて、大スクリーンで『KENjIの春』鑑賞。やっぱり、この作品こそ演出家・河森正治のデビュー作だと思う。地面を割って天に昇っていく機関車は、アポロ・ロケットの打ち上げだったのか。なるほどなるほど。
そのあとのトークショーは、今までインタビューと深夜のファミレスでうかがった話を1時間に濃縮した感じ。取材映像をまとめて膨大に見られたのが、今回は大きな収穫だった。
それで、つい先日、例によって深夜のファミレスで聞いたばかりの『マクロスF』のヒミツをあっさり語っていたのに、ちょっと驚いた。『マクロスF』の「フロンティア」は西部開拓時代のフロンティア(定義はWikiなどに載っています)。ようするに、バジュラの母星を資本主義のカタマリとなった人類が征服する話だったわけだ。ビルラー氏が野心を語るとき、蒸気機関車が出てくるシーンで気がつくべきだった。
僕は、『マクロスF』の後半の展開が、いかに見るのが辛かったかも(深夜のファミレスで)訴えたんだけど、それは人類を決して肯定的に描いていないからだったのね(もっと具体的に聞いたんだけど、公の場の発言ではないので、ここには書きません)。
……このプロットに、学園と三角関係は入らないよ。でも、ようやく納得できた。

トークショーのあとは、驚きの新作(映像作品なのか、プロモ展開なのかは不明)の上映。081019_18420001 NIKEのスニーカーを履いたロボットが、実景の東京を走り回って、バスケットをしている。オタク文化と切り離されたロボット、見たかったんだよな。河森さんはデザインだけの参加だろうか?
(←帰りに配布されたステッカー)

河森正治は、脱オタク・クリエイターだと思う。二度のアメリカ旅行と中国旅行が、彼を「創作的メカオタ」から「作家」へと脱却させたんだ。
そんな挿話を初めて知ったのは、1997年発行の「Newtype mk.Ⅱ」掲載のインタビューだった。その2年後、僕は深夜のファミレスでほぼ同じ話を聞くことになる。
『KENjIの春』は、誰にも見えない世界を夢想しつづける河森正治の自画像だね。だから、宮澤賢治の一生ではなく「半生」、現在進行形で終わっているんだ。

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2008年10月17日 (金)

■大林宣彦がポニョった■

二日酔いなのだが、無理して『その日のまえに』(主演:永作博美)の試写へ。
企画としては、『セカチュー』以降、邦画の一ジャンルとなった闘病感涙映画。ところが、老境081016_16370001_2の大林宣彦が撮ると、こんなにも怪作になるのか、と唖然としつつも泣いた。泣ければいい映画なのかどうかは、まだ僕には分からない。でも、すげぇな、この映画……いわば、大林版『崖の上のポニョ』ですよ。狂ってるけど、感動的。

大林映画でいうと、『HOUSE』に近い。いや、もっと言うなら『いつか見たドラキュラ』とか、実験映画時代の雰囲気がある。編集も例によって大林本人が行っており、そのシャープさたるや、71歳になっても衰えず。セリフのテンポ感、2時間の間ずっと鳴りやまない音楽……ミュージカルのような祝祭的な気分。でも、きっちり泣かせる。そこが凄い。
この映画、時制がバラバラで、「現在」がないんだよ。回想シーンに入ったら、もう回想シーンが「現在」であって、ひとつのカットの中に過去と現在が入り混じっていたりする。回想が、また別の回想に連鎖したりする。夢も妄想も、当価値に、ほぼ何の説明もなく出てくる。でも、支離滅裂に終わらず、伏線はすべて回収している。こんな荒業が出来るのは、キャリアの長い大林宣彦以外にいない。

あと、何がいいって、永作博美と南原清隆の夫婦が、付き合いはじめた学生みたいな雰囲気なんだよ。生活の辛さとか、そういうのが一切ないところがいい。
かつて、大林映画の予告編で「映像の吟遊詩人」というフレーズが映ると、映画館は苦笑と失笑に包まれたものだった。一時期、巨匠みたいに祭り上げられたのにも違和感があった。でも、今回は自ら「71歳の新人」と宣言し、かなりの好き勝手をやっている。やっぱり、これは大林の『ポニョ』なんだ。
永作博美の話がほとんど出来なかったけど……『人のセックスを笑うな』は、軽いお遊びだったんじゃないかと思うぐらい、愛にあふれた芝居を見せてくれた。
これが大林監督の遺作だったら、かなり美しいと思うんだけど……まだ、お元気ですね(笑)。

あ、グラビアポエム詩人は、コツコツと更新してるので一度は見てください。

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2008年10月14日 (火)

■ポエム、はじめました■

EX大衆 11月号 発売中
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●愛ドルのリコーダー 木本優
●小野真弓 グラビア
●倉科カナ グラビア
●AV女優だらけの全裸運動会

それぞれポエム執筆……と言いたいところですが、最後の全裸運動会はポエムとは呼びがたい、奇ッ怪な文章になってしまいました(が、編集者は喜んでいました)。まあ、グラビアではなく企画モノなので。
あ、倉科カナの写真は、すごく綺麗ですよ。倉科カナは『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』という映画に、主人公に片思いしている同級生の役で出ていたけど、あれはデリカシーのない配役だった。胸にパッドまで入れて、映画に出すことはないよ。
映画といえば、谷村美月が『コドモのコドモ』で、歳相応のお姉さん役をやってたので、「今度は人間の役でよかったね」とホッとしたわけだけど……だけど、もう若さでは乗り切れない年齢になりつつあるな。
榮倉奈々は20歳か。『阿波DANCE』は、若さに頼らない堂々とした演技で、良かった。谷村と榮倉が競演していた『檸檬のころ』が、もう大昔の映画に思えてくるよ。どんどん変わっていくから、女優は面白い。

さて、先日からグラビアポエムを何とか再利用できないかと企画を売り込んでいるわけだけど、気が短い俺は、ブログをつくっちゃいました。「グラビアポエム詩人」がそれです。
一回の更新で、3本ぐらいUPするつもりだけど、今はまだ口当たりのいいポエムが多い。しかし、EX大衆のバックナンバーを漁ったら、イタタなポエムが出てきたので、いずれ載せることになるだろう……始めてしまった以上は、逃げられん。
昨夜、週プレのグラビアポエムを熟読していたら、なんというか「成熟した男の視点」を感じた。誌名が「プレイボーイ」なんだから、当然か。俺のポエムとは対照的だ。
いい歳こいて幼稚な恋愛幻想を捨てられないアナタに、「グラビアポエム詩人」をオススメします。

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2008年10月10日 (金)

■私の青空■

オトナアニメ Vol.10 発売中

513rfnlstll__ss500__2●『鉄のラインバレル』レビュー/3DCG監督インタビュー
●『天元突破グレンラガン 紅蓮編』 中島かずきインタビュー

中島かずきさんは、「えっ、この人が?」と思うぐらい腰の低い方でした。あけすけというか実直というか、ウソのつけない方――これぞ作家だよね。
とてもじゃないけど、このブログに書いたような「ヨーコの乳が揺れる条件」なんて、そんなことは話せない(笑)。もし喋ったら、「ああ、そういう見方も面白いですね」と優しく返してくださったと思う。ホントは、中島さんの方から、ヨーコのブラについての話も出るには出たんだけどね。

さて、某ムック用に日本映画ばかり十数本、観たのだが、『うた魂♪』にやられた。家で081010_02440001 DVDで観てたのに、終わった後に一人で拍手してたぐらい(笑)。最初の20分の幼稚っぽい展開で、「こりゃ寝るな」と思ったんだけど、そういう映画こそ、隠し玉を持っているのよ。
エンジンがかかるのは、主演の夏帆が「アイ・アム・フルチン!」を叫ぶところ。映画ってのは、凄いよ。この歳の、この瞬間の夏帆の笑顔を、容赦なく切り取るから。百年後に観ても、この輝きは決して失われない。それが映画というものだ。夏帆なんて、今までなんとも思ってなかったけど、この『うた魂♪』は素晴らしかった。
それから後は、もう打ちのめされっぱなしですよ。特に、レコード喫茶のシーン。故・草薙幸二郎が、喫茶店のマスターに、エノケンの『私の青空』をリクエストする。ところが、古いレコードなので、針が飛んでしまって、ちゃんと聞けない。たまたま喫茶店に居合わせた、夏帆たち合唱部の女の子たちが、その続きを歌いはじめるんだよ。
このシーン、セリフは一切なし。歌だけ。夏帆たちの歌を聴きおわった草薙さんは、にっこり笑って、両手で大きな輪っかをつくる。
――そして、この短いシーンが、草薙幸二郎の遺作となったんだ(2007年没)。若い女優たちの『私の青空』に送られるようにして、草薙さんは亡くなった。映画は、しばしば、このような奇跡をやってのける。
草薙さんは、他の誰のものでもない「私の青空」を見たのだと思う。俳優であったがゆえに。草薙さんがまだ若い女優たちに、何かをバトンタッチしたように見える美しいシーンだった。

しかし、夏帆は、本当にいい顔になった。というか、一本の映画の中で顔が変わっていく。そういう年齢なんだよね。日本映画は今、第二の黄金時代を迎えていると思う。

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2008年10月 8日 (水)

■アニメと死■

本日、「談話室オヤカタ」出演の第二回です。
081008_00350001_3もう冒頭から、グラビアポエムの朗読がはじまる。その後も、ずーっとグラビアポエムの話してる。こんなに大真面目にグラビアポエムの話してる番組、他にないですよ。
それで、先週の放送で話に出ていた「グラビアポエム詩集」(なんという頭の悪いタイトル)、実はジワジワ進んでいます。今回の放送でも語っていますが、「ようは、そこに文字の塊があればいい」「読まれないことを前提にした詩」。必要なのは「通俗性」「どこかで聞いたようなフレーズ」……これらを「作品」として鑑賞したとき、どんな世界が立ち現れてくるのか。もちろん、まだ企画のスタートラインだけど、乞うご期待。

ひさびさに、アニメの話でもしますか。
『屍姫 赫』が良かった。あらかじめ、ヒロインが15歳で死んでいる、というところが実にアニメらしい。もう、それ以上、歳をとりようがないから。再三再四、繰り返してきたことだが、人間の生物的ピークは10代。ビルの上を跳びこしたり、でかい武器を振り回すようなアニメの主人公は、10代でなければならない。20代がそれをやると、たちまちウソになる。第二期の『ガンダム00』の主人公は20歳を越えてしまったけど、彼が前作より弱くなったように見えるのは、歳のせいじゃないかと本気で思う。
081008_00400001『屍姫』は、死を取り込むことで、全能の存在になっている。これは、実写では出来ないことだ。生身の役者に死体メイクをしても、しょせん俳優は「生きてしまっている」。ところが、止まったセル画は、確実に死んでいる。『屍姫』の冒頭は、そのアニメの弱点を逆転利用していたと思う。例えば、BGオンリー、背景だけのカット。たいてい、気がつかない程度にカメラを動かして、ピタッと止まった絵に見えないように工夫している。あるいは、雨とか霧のエフェクトを入れて、生命感を出す。
そうしないと、アニメってのは簡単に死んでしまうから。死にやすいんですよ、アニメって。作画枚数が多いと、見ていて安心するでしょ。動けば動くほど、死から遠ざかるから。構造的に、死とアニメは意外と近しい関係なのだ。

そして、死ぬかもしれないような大活劇を演じられるのは、『未来少年コナン』の昔から10代の主人公の特権なんだ。『屍姫』は、ビルの屋上から落ちて死んでいたけど、最初から死んでいるという設定だから、これは無敵だよ。
原作漫画も買ってみようと思うけど、アニメならでは、アニメでこそ生きるヒロインだと思う(死んでるけど)。やっぱり面白いな、アニメは。

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2008年10月 6日 (月)

■「今」を描く■

二日間でDVDを7本観て、さらに映画館で一本。今日は2本借りてきて、映画館でも一本は見る予定。いつ原稿を書けばいいのか、自己管理しないとキリがないな。
081006_10340001(←『グーグーだって猫である』、上野樹里が意外とよかった)
DVDで面白かったのは、『転々』。三木聡監督は、『図鑑に載ってない虫』が面白かったので、ぼちぼち観ようと思ってはいた。しかし、コントの連続のようなこの監督の映画に、まさか泣かされるとは思わなかった。とってつけなような「泣かせ」なんだけど、孤立無援のダメ人間の心にはジワリと染みる(何しろ、主題歌・挿入歌がムーンライダーズ)。
借金取りを演じる三浦友和の、くすんだたたずまいがいい。一時期は鼻持ちならない二枚目崩れだったが、いい歳のとり方をした。
後半、小泉今日子と吉高由里子が登場して、擬似家族を作り上げる頃には、もうボロ泣き。吉高は、まだ演技に作為が感じられるのだが、やはり凄い。なんかこう、均衡を崩す力のある女優だ。

先日、『ギャラクティカ』が流行らない日本は情けない、と書いた。
編集者と雑談していて、その答えらしきものをつかんだ気がする。ようするに、今は消費081006_20340001者がお金を持っていない。その瞬間、サッと使えるコンテンツにしかお金を落とさない。時間を使わない。ケータイ小説が流行っているのは、そのためだ。ケチりにケチった結果、ああいう短期決戦型コンテンツが残った。もう、何巻もあるDVDをコツコツ見るような、凝り性の時代ではない。そんな余裕は、消費者にはない。
だから、重厚長大な『ギャラクティカ』は、貧乏な「今の日本」にフィットしないのである。

皮肉なことに、『ギャラクティカ』では、コンピュータをネットワークに繋ぐことが鬼門とされている。書類などは、すべてに紙に印字してやりとりする、そんなローテクな世界である。『ギャラクティカ』は、ひとつの「今」を描くことで、もうひとつの「今」を犠牲にしている。何かを選んだ瞬間、われわれは他の何かを捨てているのである。
ケータイ小説が貧者の文学なら、『ギャラクティカ』を見ることは、明らかな贅沢。アダマ艦長の自室には、ずらりと本が並び、修理中の帆船模型がある。このような「理想」を求めれば、軽薄だがかけがえのない「今」を、ないがしろにすることになる。
ケータイ小説『あたし彼女』の面白さは、10行かそこらで分かる。『ギャラクティカ』を理解するのには、最低でも3時間はかかるのである(第一話にあたる『ギャラクティカ/序章』は3時間)。

メシ屋や電車の中でケータイを開く連中には、連中なりの理由がある。それが依存症であるなら、なおさら責められない。俺も日本映画依存症、『ギャラクティカ』依存症だからだ。

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2008年10月 5日 (日)

■ギャラクティカNOW■

「廣田さん、吉高由里子、好きでしょ?」
「よしたか? ……ああ! 好き!」
「やっぱり。好きそうだな、と思ったんですよ」
いかん、編集者に好みが読まれている。『蛇にピアス』も、早く行かないとな……。そんな打ち合わせの帰り、編集からラインナップされた邦画のうち、7本を借りてくる。いやー、面白いな。つまんないものを見ても、面白い。

さて、秋のアニメ新番がいろいろ始まってますが、あえて『ギャラクティカ』の話を。
081004_15220001オフィッシャル・ペーパーの第7号が送られてきたのだが、こんなにスピンオフ作品があるのか! 第一次サイロン戦争を描く『RAZOR FLASHBACKS』、現在放映中のシーズン2の真ん中にあたる劇場映画『RAZOR』、シーズン2とシーズン3の間を繋ぐ『THE RESISTANCE』、そして来年から米で放送スタートする『CAPRICA』、『THE PLAN』。なのに、日本ではシーズン2のDVDが発売されるところまでしか決まってない。国民性が違うのかな、と思ってしまう。よく「日本ではSFが受け入れられない」という話に転換されてしまうんだけど、それ以前に、「政治や宗教を虚構世界の中で描く」姿勢が、学芸会みたいな政治やってる日本では関心を持たれないんだろうな。「ドラマ」に期待される要素が、日本では家族ゲーム、職場ゲームの域を出ていない。
ようは、「明日も一日、がんばろう」と思えれば、それでいいんだろうな。日々の暮らしに疲弊してるんだ、みんな。せめて「10年後、こうしてやろう」ぐらいは考えて欲しい。

ちょっと話がズレたけど、この国は『ギャラクティカ』を「無関心」で受け入れた。それが、今の日本の限界なのだろうか。なんだか、情けない。
もちろん、俺はせせこましい日本映画も大好きなんだけど、反面、重たくてスケールの大きなもの、両方ないとイヤだね。

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2008年10月 1日 (水)

■詩人のつぶやき■

本日より、「談話室オヤカタ」の配信です。なぜか女優ウォッチャーとか呼ばれてますけど……今週は、谷村美月について。何を俺は、スケベなことをえんえんと語っているんだか。
080930_18450001あ、グラビアポエムも朗読されてるな。しかも、まんまとスケベな部分のみを読まれちゃってるな。でも、ポエム集は本気で出したいんだよな。だって普通、読む機会ないだろう、グラビアポエムなんか。ネタとして、笑いながら読める詩集にしたいな。そのくせ、装丁は本物の詩集っぽいという。
今週後半、取材やら打ち合わせやらが立て込んでくるのだが、その前にグラビアポエムを3本書かないといけない。もう、編集者との電話のやりとりが禅問答になっている。「このページは、ポエムじゃないものを書いてほしい」「じゃあ、何書けばいいの?」「とにかく、ポエムじゃないもの」……こういう状況下で、しぼり出すように書いてるからね。
そんなこんなで、次週も「オヤカタ」ではグラビアポエムの朗読があります。女優語りコーナーもあります。

女優といえば、先日の日記に書いた『シムソンズ』。まだHDから消せずに、つまみ食いのように見ている。映画としては凡庸で薄っぺらなので、そのぶん役者が引き立つんだろうな。加藤ローサのオーバーアクトも、ここまでくると持ち芸だ。周囲の大人俳優たち、大泉晃も夏八木勲も、みんないい。音楽のセンスなんて最低なんだけど、この映画をつまんないと言い捨ててしまう人生は、つまんない。
藤井美菜はピンで映っているよりも、引きの絵で他の俳優とからんでいる方がいい。他の俳優に艶を与える女優だ。その一方、YouTubeで「受験生応援メッセージ」を見たけど、健全なことを言えば言うほど、男を誘っているかのような、よこしまなエロスが醸し出されてしまう。そのダーク・オーラが、これから生きてくるんだろうな。楽しみ楽しみ。

スケベといえば、ジョージ秋山の『WHO are YOU 中年ジョージ秋山物語』を読んでみた。080930_19200001 キャバクラに通っては「もう来ない」と言い捨てる姿に共感できるかなぁ……と思ったけど、この人は単にモテモテなんだな。おもろくない。誰が共感するものか。
昼過ぎに起きると、財布や名刺入れからどさどさ嬢の名刺が出てきて、夕方ともなれば一本や二本は通りいっぺんの営業メールが来るものの、どの店の誰か、一人も顔を覚えてない。「もう行くもんか」と思う。心から思う。
そうした孤立無援の心情が、俺にセンチなグラビアポエムを書かせるのである。

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