■吉高由里子は、バカボンのパパ■
試写会行って、その帰りにDVD借りてきて、原稿書いたら寝る前に映画見て……という生活も楽しいのだが、何しろすべて仕事がらみなので、そろそろリビドーに従って映画を見たいぞ!と思い、『蛇にピアス』行ってきた。とにかく、吉高成分が足りないんでね。吉高由里子を観るためなら、どんな悪条件でも構うものか(水曜レディースデー、渋谷のど真ん中のチャラい映画館、しかも夜の回……最悪の視聴環境)。
この映画、別に吉高由里子が全裸になる必要、まったくなかった。吉高は、へらへらと内容空疎なセリフを喋っていたり、不条理にブチ切れて怒鳴ったりしている方が、オーラが出るんだよ。「天才バカ」オーラって仮に呼んでるんだけど、バカボンのパパみたいなんだよ、この女優。意味のないことをすればするほど、「ひょっとしたら、すげえ頭いいんじゃないの?」と思わせる。例えば、蒼井優は誰が見ても才能ある女優だろうけど、吉高由里子は、蒼井優と同じ目盛りでは計測不可能なんだよ。ベクトルが、まったく違うから。「天才バカ」専用メーターでも発明しないと、吉高の凄さは分かりづらい。
だから、普通に綺麗に撮ろうとしてもダメなんだよ。吉高の全裸を目当てに来ている男性客もチラホラいたけど、みんな退屈そうにしてたもん。渋谷の街で「ギャッハッハ!」と笑っている、どうでもいいシーンの方が、圧倒的にいい。「これでいいのだ!」って感じ。
あと、舌にピアス穴あけるシーンを見て、やっぱり『殺し屋1』の浅野忠信が自分で舌をぶった切るところを思い出してしまった。あのシーンはCGなしの特殊メイクで、しかも長回し。自分の舌を切ったばかりの浅野に、女から電話がかかってきて、浅野は何事もなかったかのように電話に出る。挙句、「なんか、喋ってるうちに治っちゃったよ」だからね。
そういう生理的苦痛(快楽)とギャグの混在したシーンは、吉高由里子に向いてそうだ。なのに、入れ墨のシーンとかSM的セックスシーンとか、ぜんぜん普通だったので、ちょっとガックリ。淡白な映画だったね。でもそれは、蜷川幸雄が73歳の老人だからじゃないよ。
だって、71歳の大林宣彦の撮った『その日のまえに』は、もうメチャクチャ元気だもん。「大林サーカス一座」って感じだよ。南原清隆が「監督は、シナリオにないシーンでも、思いつきで撮影していた」とインタビューで話していたけど、大いに納得。もう「生きてるうちに撮れるもん、ぜんぶ撮っとけ!」って勢いだもん。
渋谷からの帰り道、「長生きしたいな」と初めて思った。吉高由里子が20年後、どんな女優になっているのか。谷村美月が、どんな歳のとり方するのか、ずーっと見ていたい。もし俺が、何十年後かに怨霊になってよみがえったら、それは女優を見るためだ!と断言しておく。
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