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2008年9月26日 (金)

■大人は子供に夢を見させ、やがて失望させるためにいる■

「やっぱり、実写映画版のほうがいいよなぁ」と思いながら、確かに俺は声を出して泣いていた。『魔法遣いに大切なこと 夏のソラ』最終回。
080926_03490001Aパートのラストで、豪太がさみしそうに見上げていた空が、「夏のソラ」だったのね。
Bパート、5年後のそれぞれのキャラクターの点描が、「ソラは死んだんだ!」「ソラは死んだんだ!」と叫び続けている気がして、テレビ消してからも、しばらく泣いてたよ。泣けたから名作だ、というつもりはまったくないし、「名作」「傑作」なんて言葉は対外用であって、自分にとっては意味ないね。

なんで主人公が16歳で死んだかというと、何度も書いてきたように、20歳以降の人生というのは10代の残響でしかないからだよ。それ以降の人生は、もう悪あがきの連続なの。見苦しくて当然なの。『魔法遣いに~』の大人たちが、みんな物分りがよくて温厚なのは、16歳の子供たちに「世の中って、思ってたよりマシなんだ」と錯覚させるためだよ。それ以外に、おそらく大人の存在価値というのはない。
宮崎駿流にいうと、「16歳という光り輝く時期を、個体が通過していく」だけであって、『魔法遣いに~』はそれ以外のことは、一切描いていない(小林治監督は、細かいところであれこれ抵抗していたと思うけど……笑)。
『魔法遣いに~』の魔法学校って、『ハリー・ポッター』に出てきたみたいに遊園地のような場所じゃなくて、ただの専門学校だったでしょ? 基本的に、社会というのはつまんないものだから、あれはわざとやっている。大人の都合でつくられた施設や制度が、子供たちにとって面白いはずがないんだよ。そういう、静かなシビアさが根底に流れていたアニメだと思うんだけどね。

大人は子供に夢を見させ、やがて失望させるためにいる。そして、子供たちは、つまんない大人たちを駆逐するために存在していて欲しい。その時、俺たちはせいぜい無駄な悪あがきをするさ。
(アニメ版よりも、ぐっとテーマの絞り込まれた実写映画版『魔法遣いに大切なこと』は12月公開。岡田将生くんが軟弱で、実に可愛いよ。木野花さんに怒られるシーンなんて最高)

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