■走り終えたリレー選手に、何を言えばいい?■
映画監督・市川準が亡くなった。
遺作となった『あしたの私のつくり方』は、たまたまケーブルで観たばかり。成海璃子は可愛いのだが、画面をマルチ分割したり、安易というか手詰まり感のある演出に「これ、ホントに市川準か?」と、クレジットで確認するまで信じられなかった。息切れ感のある映画だった。
市川準の映画デビュー作は、富田靖子主演の『BU・SU』で、1987年。その当時はCM業界から映画界に人が流れてくるというだけで、僕は「何かが変わるんじゃないか」と胸をときめかせていた。それほどまでに、当時の映画界は人材が払底していたのだ。『リゲイン』のCMで有名になった黒田秀樹が『バカヤロー!』で映画を撮ってくれたのも嬉しかった。あるいは、自主映画さえ撮ったことのない「完全素人監督」林海象の、文字通り彗星のごときデビューが86年。北野武が、『その男、凶暴につき』で監督デビューしたのは89年だった。80年代末の日本映画界は、停滞状況を打ち破る試みが、いくつも為された挑戦の只中にあった。
市川準に話を戻すと、三作目の『ノーライフキング』が良かった。それまで時代錯誤と呼ばれていた日本映画の中で、『ノーライフキング』はゲームにまつわる都市伝説をテーマに、80年代末期の日本の「今」をフィルムに定着させることの出来た映画だった。「新しい」というよりは「今」だと思った。ただ、はっきり覚えているのは、市川準本人が「僕の映画は、三作目で極まってしまった」と雑誌のインタビューに答えていたこと。
四作目の『つぐみ』は、牧瀬里穂の挑戦的な顔つきが印象的だったが、『ノーライフキング』とはまるでコンセプトが違う――どこか、退行して見えた。その後、『病院で死ぬということ』までは、地道に映画館に通ったが、すっかり飽きてしまった。やはり「三作目で極まってしまった」のであろう。
ただ、それは市川準がつまらなくなったというより、93年に岩井俊二が『打ち上げ花火』を撮ったりして、面白い新人監督がどんどん出てきて、単に影が薄くなったのだと思う。バトンリレーみたいに、市川準が新世代の監督たちに「今を撮る」というテーマを手渡したんじゃないだろうか。それは残念だし残酷だけど、本人の意志とは関係ない。
走り終えたリレー選手に何を言えばいい? 「ご苦労様でした。もう走らなくてもいいんですよ」以外に、何かかける言葉があるだろうか?
80年代って、日本映画だけは本当にダサくて古臭くて、どうしょうもなかったんだよ。本当に酷かった。何人かの才能が突破口を開いてくれたから、今はこうして豊かな人材がひしめくようになったわけで、もし市川準がいなかったら、現在の活況はあり得なかったんですよ。少なくとも、「俺の映画史」の中では、そうですよ。幸か不幸か、三作目で極まってしまった、というだけで。
残念なのは、59歳という若さだったこと。福田康夫ですら72歳だというのに。もう長編映画はいいから、ゆっくりと好きなものをつくって暮らして欲しかった。大きなお世話だろうけど、残念に思えて仕方ない。
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コメント
80年代の邦画はたしかに行き詰っていましたね…アニメ中心の劇場作品…あの頃は自分も映画離れしていました。
ある程度、監督さんなりが自作が完成したとなってしまうとそれ以上の成長はなくなります。
極端な例えがアポロ宇宙飛行士のオルドリンでした。
自分の才能をある程度のところで納得して もうある程度人生の仕事をやり終えたと安易に結果が出せる人はある意味幸福ではありますが 本質的には不幸だったりします。
某著名映画監督、海外だとジョージルーカス辺り旧作が多大な評価をあびていても特別篇という形で自作を極めようとする姿勢と対照的に映りました。
世の中に完全というものはなく、安易に自分の成果に満足あるいはそれ以上がないと結果が出せる方の心情が理解できない点もあります
自分流に言わせてもらえれば社会の平坦な立場に居る類の凡人でさえ一生仕事及び人生自己の人格の成長との闘いだと思います。
投稿: hideaki | 2008年9月20日 (土) 00時28分
■hideaki様
オルドリン飛行士、うつ病になっていたんですね。知りませんでした、勉強になります。プレッシャーが大きすぎたんですね。
市川準さんが本当に「あきらめていた」のかどうか、僕はその後を追っていたわけではないので、断定は出来ません。
ただ、劇場映画に関しては早い時期に、その役割を達成してしまったのでは?と推測します。
ルーカスのあさましさには、一種の羨望さえ感じます。彼は自作が大好きなんですね(笑)。若い頃の、ストレス満載で不満だらけだったルーカスの方が、圧倒的に輝いていたと思います。
>社会の平坦な立場に居る類の凡人でさえ一生仕事及び人生自己の人格の成長との闘い
これは、本当に同感です。向上心をなくすのは簡単だし、限界が見えている人間は顔つきに諦めがあらわれてしまう。仕事も雑になりますしね。
結局、どこで自分を「完成」させるかだと思います。人間なんて、一生「完成」しないんでしょうけど……。
投稿: 廣田恵介 | 2008年9月20日 (土) 01時01分