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2008年9月 7日 (日)

■私と会うより、河森監督と会うほうが楽しいでしょ?■

いきなりだが、河森正治監督作品『地球少女アルジュナ』第6話より、数学教師と主人公・樹奈の異様な問答を転載する。

「八百屋の店先にはまっすぐなキュウリやダイコン、同じ大きさの野菜しか置いていない。なぜだ?」
「その方が、運ぶとき楽やから」
「期限切れの売れ残った弁当は捨てられてしまうことがある。なぜだ?」
「その方が、管理が楽やから」
「親はせっかく子供がボタンを止めようと頑張っているのに、早く着替えろとしかりつける。なぜだ?」
「その方が、親が楽やから」
「教科書があるにもかかわらず、多量の参考書が売られている。なぜだ?」
「答えを知るのが、楽やから」
080905_13150001「たとえ着いてこられない生徒がいようとも、俺は決められたとおりに授業を進めようとする。なぜだ?」
「その方が、先生が楽やから」
「いろいろな店では、客は千差万別だというのに店員はマニュアルどおりの対応しか示さない。なぜだ?」
「その方が、やること決まってて、楽やから」
「生徒は自分で考えようとせず、教師に答えばかりを求める。なぜだ?」
「その方が、生徒が楽やから」
「お前たちは直接会って話せばいいものを、なぜ携帯で繋がりたがる?」
「その方が、会うより楽やから」
「世の中の人間は、マスコミの言うことを安易に鵜呑みにする。なぜだ?」
「その方が自分で確かめるより、楽やから」
「多くの学校は、同じ歳の子供ばかりを集めて同じ授業を繰り返す。なぜだ?」
「その方が、先生が楽やから」
「お前は俺の問いかけに、いつも同じ答えしか返さない。なぜだ?」
「その方が、答えるん楽やから」

分かりきっているような、改めて気づかされるような、時をおいて繰り返し見ても色あせないやりとりだ(テレビ放映は01年。実はテレビ放映時とDVD版では、問答の内容が少し変更されている)。
この問答を、結婚中に働いていたゲーム会社の社内掲示板に転載したら、経営者が「これは一体、どういう意味なんだ」と激怒した。俺は「たかが、アニメのセリフです」と白を切ったが、もちろん経営批判である。皮肉である。嫌がらせである。
(そのゲーム会社に勤めながら、僕は『アルジュナ』のDVD用ブックレットを作成していた)
現実を寄り合わせるようにして、作品と付き合いたい。

河森作品は、視聴者と積極的にコミュニケーションをとろうとするあまり、相手をカチンとさせてしまうところがある。ご本人もそれに気がついたそうで、『創聖のアクエリオン』は「一話完結のロボット物」という分かりやすいフォーマットになった。
ラスト近くで主人公の組織が上部組織を裏切ってカッコよく出撃するところは、河森さんの好む作劇の一手法だ。『アクエリオン』に限らず、実は『アルジュナ』のラスト近辺も似たような展開になっている。『マクロスプラス』もそうですな。「お上のやることは汚いぜ、俺は地球の運命も大事だが、仲間の命も同じぐらい大切なんでぇ!」と、これを本気でやってしまう青さ(セリフでそのまま言ってしまったり……)が河森作品の匂い立つ魅力なんだよね。ようは、ゲリラ精神なの。
だから、『マクロスF』が、今のタイミングでゲリラ戦モードに入ったのを見て「これは河森さんの最初のプロットが、そのまま残ってるんじゃないか」と思った。作品に作家の顔が見える、って大事なことなんだよ。ストーリーの流れ的にはまるで納得しかねるんだけど、「出た、ゲリラ戦! やっぱり河森作品だなぁ」と思ってしまったら、もう俺の負けですよ(笑)。

「作家を追う」というのは、そういうこと。どんなに裏切られても、やぶれかぶれで一人の作家を追っていくと、人生はすごく楽しい。失望までもが愛おしい。
俺は、別れた奥さんに「私と会うより、河森監督と会うほうが楽しいでしょ?」と指摘されたけど、否定しなかったもん。奥さんにそう言われたことが名誉ですらあるもん。
でも、作家と「会う」ってのは実際に会うより、作品を通じて「会う」ことの方が、圧倒的に重要なんだよ。厳しい目で作品を見なければ、作家と「会う」ことは出来ない。そのためにも、審美眼を鍛えなくてはいかんのですよ。

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