■映画の形をしてやってくる未知の何か■
映画が好きなのではなく、映画の形をしてやってくる未知の何か、が好きである。
TSUTAYAが一週間も半額セールをやっているので、あれこれ借りてくる。が、結局はケーブルで放送していた『シムソンズ』が良かった。アルタミラピクチャーズの『がんばっていきまっしょい』に始まる、女子チーム物。『フラガール』なんかも同じ系統。もうすぐ公開の『フレフレ少女』も、チームじゃないれけど同じジャンル。女子高生がんばってます映画。
その系統の中では、『シムソンズ』はかなり作為の目立つ映画だ。加藤ローサの過剰な演技、CGやビデオでくどくど説明されるカーリングのルール、もう見ちゃいられない。ローサと対立するエリート選手も、あまりにありがちな設定で……と、この女優が猛烈に淫靡だ。藤井美菜っていうのか。甲子園のポスターに出た? こんなダーク・オーラを発散してるのに?
ローサが白主人公なら、藤井は黒主人公。この二人に挟まれた、いわば引き立て役(もっと言うと、ブス役)の星井七瀬、高橋真唯。みんな、ハッとするような表情を見せていく……というか、気づかされるんだよな。いい表情に。
あとはもう、ストーリーはどうでもいい。カーリングのスリル感も出てないし、主人公たちがどうやって強豪チームと渡り合ったのか、説得力ある描写もない。しかし、そんなものは別の映画で見ればいい。「映画」が見たかったら、『シムソンズ』は見なくていい。
僕には、まだ出演作の少ない藤井美菜の映画を追っていく、という目標が出来た。それで十分すぎるほど、『シムソンズ』には感謝している。スケベ心で女優を追っていくうち、思いもかけない作品と出会うことがある。これから撮られるであろう未知の作品たちと、偶然に出会う権利を僕は獲得した。
藤井美菜、この人はやばい。将来が末怖ろしい。
ピンボール・マシンには、玉を弾きとばす「キッカー」が配置されている。僕にとっては、すべての映画がキッカーである。思いがけない方向へ、飛ばされたい。
その「飛ばされ力」が、映画は他のメディアより何十倍も強いのである。
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