■ガウォークとポニョ、ライアンの娘■
ロマンアルバム 『崖の上のポニョ』 発売中
●インタビュー記事、お手伝い
近藤勝也さん、吉田昇さん、宣伝チームのインタビュー、もうベタ起こししてあるものを文字数どおりに切ったり貼ったり……僕がインタビューしたわけではないので、本当にお手伝い。
この仕事している時は、映画も未見だったし忙しかったし、『ポニョ』に何の思い入れもなかった。出来た本を見ると、グラン・マンマーレがまた色っぽい。リサは25歳だそうだけど、俺の中では「成長したキキ」確定なので関係ない(近藤さんのリサのスケッチが、また色っぽくてグー)。
あと、フジモトってのは人間界に飽き飽きしたクロトワなんだよね。それと、やっぱりポニョのガウォーク形態(半魚人形態)は要らなかったような必要だったような。最初は、この半魚人形態が最初に決まってて、ファイター形態(サカナ形態)は後から決まったそうです。実はバルキリーもガウォーク形態が最初に決まっていた。メカもキャラも、中間形態が先に決まるんだな。まあ、どうでもいい話だけど。
それで、ロマンアルバムの近藤さんインタビューを読んでいただくと、『ポニョ』の男女関係のベーシックには『ライアンの娘』がある、と。自由奔放な娘を、男は最後には許して受けて入れていく。『ライアンの娘』は70年代の映画で、TSUTAYAに置いてあると思う。
『ポニョ』は一種、躁状態の映画だ。それに比べると『ライアンの娘』はぐっとシビアで沈痛な映画。海沿いのアイルランドの寒村で、酒屋の娘のロージーが生真面目な教師と結婚する。ところが、彼女は新たに村に赴任してきたイギリス人の少佐とあっさり恋に落ちてしまう。「恋に落ちる」というか、いきなりキス、二回目でセックスですよ。ロージーと少佐の間には、会話らしい会話すらない。情欲、肉欲オンリー。
ロージーはイギリス兵と関係したことから無実の罪を着せられ、村人からリンチに合う。彼女の浮気に深く傷ついていた夫は、ボロボロになったロージーを見て、二人で村を出ていくことを決意する。これは、単純なハッピーエンドではなく、二人を見送る老神父は「先のことは、分からん」と呟く。これは、宮崎駿が久石譲に宛てたメモ中の「不安定で、先が思いやられる状態で映画は終わりますが(以下略)」に符合する。
『ライアンの娘』には時代状況が絡んでいるし、死者も出る。でも、ロージーは周囲のことには全く関心がないし、崇高で観念的な愛なんて知らないわけだよ。快楽を知り抜いているだけであって。ポニョだって、「宗介、好きー」しか行動原理ないもんね。スキンシップしかない。
だからね、肉体と肉体の関係を、こんな視覚的快楽重視のアニメで表現してしまった『ポニョ』は淫靡で背徳的で当然なんだ。そして、肉体だけのつながりが愛ではないとは誰にも言い切れず、淫靡な関係が悪いとも言えないわけですよ。
まだまだ、僕らには知らないこと、分かってないことがいっぱいあるんだ。
監督がどこまで意識的だったのかは分からないけど、『ポニョ』は、激しくモラルを揺さぶる 映画になった。(←ロマンアルバムより。こんなエロいキャラを、子供に見せてはいけません)
やっぱり、世の中は清濁交じり合って成立している。聖と俗の両方がないと、世界も人も成立しない。
(それとは全く関係ないのだが、結婚している頃、妻と通じる唯一のギャグ・ネタだったオカマの宮崎留美子さんが、なんと近所を歩いていた。とっさに妻にメールしようとしたが、離婚後二年半、音信不通の果てのメールがオカマかい!と我にかえり、メールはしなかった。オカマを見ないと妻のことを思い出せない俺も、どうかと思う)
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コメント
グランマーレ、サムネで千夜一夜のクレオパトラに見えました。
なんてインモラルなんだ。
さて、来週こそポニョを見るぞ!
投稿: てぃるとろん | 2008年8月24日 (日) 02時00分
■てぃるとろん様
ひょっとして、手塚アニメのことですか?
だとしたら「比較にならん」と思うことでしょう。
何というか、『ポニョ』は出てくるものすべて、プランクトンにいたるまで、あますところなく「エッチ」なアニメです(笑)。
投稿: 廣田恵介 | 2008年8月24日 (日) 02時38分