■宮崎駿に関する、ある変遷■
96年に出版された宮崎駿の発言集『出発点』の続編、『折り返し点』を買ってしまった。この10年間、 数多くの宮崎駿研究本が出されたが、どれひとつ読んでいない。理由は単純で、原作の『ナウシカ』は終わってしまったし、『千と千尋の神隠し』は退屈だったし、宮崎駿に興味が失せたから。
そもそも、第一印象がよくなかった。初代『ルパン三世』のアダルトなムードをぶっ壊したのが、宮崎駿。それを知ったのは、もう第二シリーズが始まろうという頃だから、当時10歳か。『カリオストロの城』なんて、『ルパン』を子供向けにした張本人の作品でしょ。誰が見るもんですか。「確かにルパンとしては許せないけど、アニメとしては傑作だから」と友人に説得され、二番館で見た。でも、今でも好きじゃないな。
新『ルパン』の『死の翼アルバトロス』と『さらば愛しきルパンよ』もマニア人気が高くて、海洋堂からガレージキットが出ていたのを覚えている。宮崎駿って人は、兵器マニアっぷりが尋常じゃない。「こんなミリオタの癖に、なんでアカでロリコンなんだ」って、その矛盾が10代の僕には許せなかった。
アニメージュ誌上で『ナウシカ』が連載開始された時も、「なんだ、このチマチマした絵は。こんなの、漫画じゃないよ」とイライラしてばかりいた。翌々年公開のアニメ版『ナウシカ』は、友達がチケットを安く譲ってくれたので観に行った。その時、ちょっと心境の変化があったんだ。「まあまあだけど、これなら漫画の方が面白いじゃないか。あの漫画のチマチマした絵をアニメでは再現できてない!」と。それ以降、原作『ナウシカ』をむさぼるように読み返して、新刊が出るたび本屋に走って買いに行ったよ。
ようするに、人間って抵抗するんだよね。自分の深部に突き刺さった重要な作品ほど、罵倒せずにはおれないわけ。自分を知的で冷静だと思っている人ほど、周到に作品を否定する。否定しないと、自我が壊れるから。
今の『ポニョ』叩きがそうだよね。「ポニョは水道水で死んだはず」から始まって「熱いハムを食べたら、元が海水魚であるポニョは即死するはず」まで、新説続々。よっぽど『ポニョ』に圧倒されたんですね、と肩でも叩きたくなってしまう。
自我なんて、壊すためにあるんだ。「感動した!」ってのは、「自我が壊れた!」ってことだから。殻を脱がない蛇は死ぬしかない。
だから、僕がなるべくいろんな作品に触れたいと思うのは、好みの作品を見つけたいからではない。固まりかけた自分を打ち壊してくれるような衝撃を求めている。
宮崎駿という人は、原作『ナウシカ』と『ポニョ』で二回、僕の自我を粉々にしてくれた。とても感謝している。
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コメント
ポニョ、観ました 面白かったですよ
昔のハードボイルドなルパンも好きだけど、
カリオストロの城も好きですよ
固定観念は良くないですよねw
新しい物は、受け入れていかないと
自分は、コナン、カリ城、ナウシカ、ラピュタ、
トトロ、紅の豚、千と千尋で、粉々に感動しました
投稿: たーしぃ | 2008年8月13日 (水) 00時08分
■たーしぃ様
う~ん……「新しいものを受け入れる」姿勢と「アレもコレも良かった、感動した」という感想は僕の中では結びつきませんね。
新しければ新しいほど、その作品は時代の抵抗を受けるんですよ。その抵抗に耐え切れず、旧『ルパン』は路線変更を余儀なくされました。
その路線変更の尖兵とも言うべき宮崎監督の『カリオストロ』は、興行的に苦戦しました。僕ら観客より、作品の方が時代の風を受けて、苦しみながら生き残ってきたのだ、と思いますよ。
投稿: 廣田恵介 | 2008年8月13日 (水) 00時46分
ん〜
僕はあまり何も考えずアニメを見始めるので…
監督が〜とか
ロリコンが〜とかってのは見終わって廻りが騒ぎ出して気が付く方なんですョ。
マクロス、メガゾーン、ナウシカも何の予備知識も無く見ました。
面白ければ許せるってのがヌルイ私の判断方法ですw
『千と千尋の神隠し』は確かに退屈な感じはしたけど心地良い退屈さでした。
投稿: ギムレット | 2008年8月13日 (水) 01時31分
■ギムレット様
言われてみれば、僕は昔も今も「まず、スタッフは誰?」から始めます。不思議と、実写映画の場合は予備知識ゼロで見られるんですけど……
>マクロス、メガゾーン、ナウシカも何の予備知識も無く見ました。
それはちょっとビックリ。そして、今もあれだけ愛せるというのは幸運な出会いでしたね。作品も喜んでいると思います。
僕はいろんな煩悶を抱えながらでないと、愛にたどり着けないです。
投稿: 廣田恵介 | 2008年8月13日 (水) 02時38分