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2008年5月 8日 (木)

■すべての映画は、過程でしかない■

『スカイ・クロラ』の試写、行ってきた。
080507_19270001まあ、仕事がらみなのであまり多くは語れないんだけど……恋愛映画と銘打たれているからといって、女性を誘ってはいけない。あと、エンドクレジットが流れはじめたからといって、そこで席を立ってはいけない。クレジットの後が、見どころ。
帰りに新橋の流行ってないラーメン屋に入ったら、松山千春の『恋』が流れてきた。「男はいつも待たせるだけで~女はいつも待ちくたびれて~」、まさにそういう映画……かも知れない。ラストシーンだけ、原作とはっきり違う。見終わって数時間たつと、じわじわ効いてくるような美しい終わり方だった。

結局、作家というのは手練手管が増えても、そんなに大きく変わったものを描けるわけじゃない。一生をかけて、一枚の絵を描くようなもの。行定勲が脚本にかかわろうが、どんなにスタッフが変わろうが、それはたいした問題じゃない。映画には社会向けの顔と、個人としての顔のふたつがあって、社会へ向けた顔は飽くまでプロデューサーのものだと思う(今回のプロデューサーはジブリ出身の石井朋彦。プロデューサーが何をどう動かしたのか、触れてない雑誌が多すぎる。俺が聞こう)。
たいていの人は、メディアがアナウンスする「社会向け」の部分しか見てない。声優でなく、タレントを起用していることに文句をいう人は、つまり映画の外ヅラしか見てない。映画の個人的側面は、タレントを使おうが素人を使おうが、絶対に揺らぐものではない。

映画の個人的部分というのは、恋愛に似ている。10代だろうが50代になろうが、恋愛のパターンは一個人の中では、そうたいして変わらない。常に破滅的な男を好きになってしまうとか、みんなに自慢したいから顔で選ぶとか、「好み」とか「タイプ」を越えた領域で、その人間の生き方・求め方が出てしまう。「今回も犬が出ているから、やっぱり押井守の映画だね」とか、そんな記号的な話ではないと思う(それで見抜いたつもりの人が多いけど)。
俳優もそうだよ。いろんな役をこなして、死ぬまでに「その人」自身を完成させていく。そう考えていくと、映画というのは監督や俳優の「過程」なんだと気がつく。「過程」なんだから、そこに100%の答えがあるわけがない。

「過程ってことは未完成なんだろ? 未完成な映画なのに金をとるのか」という反論が成り立ちそうだけど、金払って観に行くわれわれも未完成じゃん。
未完成同士だから、出会う価値があるんじゃん。映画に点数をつけるのが好きな人は、100%の完成度を求めてるんだろうね。せつないものの見方だね。

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コメント

批評もまた、過程でしかないのだろうな。
とでも想像して補いたくなりますね! 素晴らしい。

映画について細部まで書かれても、観たいと思うかはわかりませんが、ほとんど内容に触れられてない廣田さんの感想で、僕は『スカイ・クロラ』への期待値が5倍くらいに跳ね上がってしまいましたよ。

投稿: しゃあぽ | 2008年5月 8日 (木) 08時02分

■しゃあぽ様
そうですね、作家にとっても観客にとっても「これが結論だ」という映画はあり得ない、そういうことを考えさせてくれる一本でした。

ただ、夏休みに公開する若者向け映画としてはどうなんだろうか、とは思いますが、商品価値は作家ではなくプロデューサーが考えることですね。

投稿: 廣田恵介 | 2008年5月 8日 (木) 11時55分

ごぶさた。
PC変えてから文字化けで苛つく事もなくなったので
コメしますね。
「未完成の美学」ってありますね。
それに商業的な成功=その価値ではないですね。
個人的部分が無くなったら、空っぽ。まるでUFOキャッチャー。なんでも取れればそれで楽しいけど、だから?みたいな。ちょっとちがうか。
映画に限らずアートでも人間だって未完成だから素敵。自分は完璧だと思っているヒトがいたとしても、ただの傲慢でまったく魅力ないですから。

『スカイ・クロラ』ちょっと興味そそられますね。
私は女性だけど、基本的にMなんで、裏切られるのも待たされるのも、平気。

投稿: ごんちゃん | 2008年5月 9日 (金) 23時47分

■ごんちゃん様
子育てママが、『スカイ・クロラ』を見ると、また印象が違うんだろうね。そういう親の立場からの感想は、ぜひ聞いてみたい映画です。

>商業的な成功=その価値ではないですね。

プロデューサーによっては「あの映画は、ヒットしなかったからダメだ」と言う人もいます。彼らは、リスクをしょっているのでね。
ただ、普通に観ている受け手たちが同じことを言うのは、明らかな勘違い。当事者だけが「商業的にダメ」と言えるんであって、作家の人生は全く別の次元にあると思います。

とりあえず、映画に点数をつけて勝った気になっている人は、本当に貧しい。そういう人って、百点を越えるものを観たことがないんだろうね。

投稿: 廣田恵介 | 2008年5月10日 (土) 00時59分

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