■崩壊してるのは、受け手の愛だ■
押井守著『勝つために戦え!』によると、「インテリが観る映画と大衆が観る映画でルールが違う。だから、映画祭用の映画とゴールデンウィーク用の映画は全然違うって言うんだけど、昔はそれで通用したかも知れないけど、今は通用しない。少なくとも、アニメの世界では通用しない、と僕は思っている」。
びっくりしたことに、『マクロスF』第四話の作画に、厳しい評価が下されている。これが駄目だったら、もうアニメーターは絵が描けないと思うよ。同じアニメーターが半年前と同じ絵を描けるかといったら、そういうものではないから。だから、作監修正がコピーされて配られるわけでしょう。物語に新しいシチュエーションが出てくると、絵も変わらざるを得ない。制作開始前に描かれたキャラ表だけじゃ、対応できないってことだ。
しかも、第四話は赤根和樹監督がコンテを切ってますからね。だてに『鉄腕バーディー』をつくってないですよ(夏放映)。ランカが歌うところなんて、もう動かさないと話にならないようなカット割になっていて、「すげぇなあ」と感動したんだけど、どうもそういうことじゃないらしい(笑)。いまや、作画の個性を楽しむのは「インテリ」なわけで、「大衆」は安定した絵が見たい。どっちが偉いという話ではなく、とにかく断絶がある。
アニメ誌には膨大に版権イラストが載っているし、ゲームで「崩壊」しないポリゴンキャラに親しんでしまったら、そりゃハイディテール、ハイエンドが要求されて当然だろう。「各回の作画の個性を楽しめ!」というのは、インテリの戯れ言でしかない。ルールが違うんだから、そこで不毛な論争をしてもしょうがない。「毎回、安定した絵で動きまくるのが理想」、もうそれ以外の道はないと思う。一人の人間ですら、どんどん絵が変わっていくものなので、そんなことは原理的に不可能なんだけど、やっぱり今の時代の求める理想は「いつも変わらない品質」なんだ。
ひとつ気になるのは、わざわざ「作画がダメだった」とネットに書いてしまうこと。せめて「私の好きなキャラを、あんなヘッポコに描くとは許せない」とでも言って欲しい。それは愛だから、どんだけ書いていいし、読んでも不愉快にならないよね。俺だったら、「ヘッポコなランカも、やっぱり可愛いよ」ぐらいは書く。例えば今回、ランカの歌うシーンが止め絵であっても、歌がよかったからそこで感動できるだろう。絵がダメでも、声優さんの演技がナイスフォローだったとか、いくらでもあるだろう。好きになったら、それぐらい我田引水して欲しい。我田引水、牽強付会こそ「愛」の特権だから。
「うわ、ひっでぇ絵! でも面白い。来週も見よう」、これが一番楽しいよ。本当に好きなら、作画が崩れたぐらいでガタガタ言わないこと。
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